未練2

 薄い緑色をした外壁を持つ、城の一室――――執務室。

 バルコニーへ続く窓は開け放たれ、涼やかな風が、部屋へ吹き込んでいた。

 半円状のバルコニーの柵から、城の庭を見下ろすのは、この城の主、国王代理である夜叉。

 扉をノックする音に体を反転させ、白い手すりに身を預ける。

 返事を返せば、入ってきたのはコーヒーの入ったきれいな細工のカップをトレーに乗せた白狼だった。

 バルコニーへコーヒーを運び、夜叉に差し出す。

「お手紙、読まれました?」

 夜叉は、部屋の中の机に視線をやる。

 城壁とほぼ同色の封筒に入っているのは、同じ色の便箋に書かれた、環からの手紙だった。

 今度王城見学へ行くにあたって、受け入れてくれる礼と、詳しい人数と日程、そして、名簿を書いて送ってきたのである。

「あぁ」

 名簿の最後に書かれていた名前を思い出し、夜叉は、嬉しげに目を細めた。引率者の後、環の名前に並んで、セイリュウの名前があった。

「何が、そんなに嬉しいんです?」

 半分呆れたように、白狼が夜叉を見ていた。

 夜叉は、顔を赤くして、再び庭を見下ろす形を取る。

「三年ぶりですね。環園の王城見学は」

「そうだな。子どもたちも、楽しみにしてるだろう」

「夜叉様が一番楽しみにしてません?」

「別に、そういうわけじゃ……」

 わかりやすく動揺している。

 もうすぐ戴冠式で、王代理から、本当の王になるというのに、このままで大丈夫だろうか。不安を感じて、白狼はため息をついた。

「あなたを狙って来るのかもしれないんですよ?」

 諭すように視線を送れば、庭を見つめていた夜叉が顔をあげた。

 そこに浮んでいたのは、頼もしい笑顔だった。

「それはないよ、白狼」

 突然、王の顔をした夜叉に少し驚きながら、白狼は、その成長を嬉しく思っていた。

「何故?」

「私は、セイリュウを恨んでいない。……父上のことを忘れたわけではないが、恨むよりも憎むよりも、気になるんだ。元気なのか。私のことを、憶えてくれているのか」

 父は、紋章を持つ者を、北の国を脅かす者を倒そうとした。そして、彼女の父、アンスと戦い、命を落とした。

 彼女の父もまた、自分の娘を守ろうとして襲い来る者と戦い、命を落とした。

 セイリュウは、この国も魔界も、どうこうしようなどとは考えてない。

 EARTH界で出会ったあの少女から、この国を守る必要などない。

 戦う理由は、自分にはない。

「それに」

 出会ったときを思い出し、夜叉は、懐かしさに微笑んだ。

「噂されているような人物でもない。心配いらないよ」

「……うらやましい性格ですね」

 信じられないという目を向けてくる白狼を、夜叉も負けじと見返した。

「お前だって、会って来たんだろう?一度会えば、わかるはずだ」

 夜叉の言葉に、白狼は、二ヶ月ほど前に南で見かけたセイリュウの姿を思い出した。

 まっすぐにこちらを見つめる瞳から窺えたものが、恨みや憎しみなどではなく、見知らぬ者への、ただの警戒であること。

 ウソをつくのが苦手な、思ったことが顔に出るわかりやすい人物だった。

 去り行く彼女の、最後のセリフを思い出して、白狼は笑みを零した。

「確かに、もう一度会いたいと思わせる少女ですね」

 この城で自分と再会したら、あの子は、一体どういう顔をするのだろう。

 妙に楽しげな顔をした白狼を、夜叉が、訝しげに見やる。

「……白狼、お前、変なことは言ってないだろうな?」

 飲み乾したカップを受け取ると、白狼は、意味深な笑みを浮かべた。

「変なことは、言ってません」

「じゃあ、何言ったんだ?」

 鋭く指摘してくるが、白狼は余裕を崩さない。

「別に?食事をしながら、少し話しただけですよ」

「だから、何を」

「気になります?」

「気になるから訊いてるんだろう!」

 癇に障ったという顔で夜叉は体を反転させ、執務室に目を移す。

 正直な反応と、自身の気持ちに気づいていない夜叉が白狼はおもしろくて仕方ない。

「たいしたことは話してません。思いっきり警戒されてましたから。すぐに、逃げられちゃいましたしね」

 夜叉が、安心したように、表情を弛めた。

「どうして、そこで安心するんです?」

 何故――――?

 この問いが、頭に響く。考えてみても、答えは出てこない。

「お前が、おかしなことを吹き込んでないかと思っただけだ」

 白狼の意地悪は、まだまだ続く。

「おかしなこと、ですか?言ったかもしれませんよ?一緒にいる間は話してましたから」

 バルコニーの手すりに寄りかかる夜叉の顔が、ピクッと反応した。

 何を言ってくるのか大人しく待っていると、少し不機嫌な顔は、なにやらためらうように下を向く。

「……私の、ことは?」

「はい?」

 聞こえるかどうかというくらいの、小さな声だった。

 当然、近くにいる白狼の耳には届いていたが、あえてとぼけてみる。

「しゃべってませんけど?」

「お前じゃなくて!……何か、言ってなかったか?」

 答えを待つ夜叉の全身から、緊張が伝わってくる。白狼の視線の先にある、きれいに整った横顔は、かすかに桜色。

 これは――――。

「一言も」

「……そうか」

 とたんに、夜叉は残念そうな顔をした。

 吹きだしそうになるのを堪えて、白狼は、かわりに悪戯な笑みを浮かべた。

「知ってます?」

「何をだ?」

「環園の経営者の、環さん、恋愛対象、広いんですよ」

「だ、だから……何だ?」

 思いきり動揺している。もう一押し、白狼は追い討ちをかけた。

「この国に来て、おそらく二、三ヶ月。倍ほど年が離れてるとはいえ、男と女ですからねぇ?親しみやすい方ですし。慣れない土地に来て、彼に出会ったら、まぁ、十中八九、惚れるでしょうね。頼りになるし、カッコいいですし」

「わからないだろう。そんなことは」

「そうですか?賭けてもいいですよ」

 ムキになっている夜叉が、白狼には、おもしろくて仕方ない。

 あからさまに不機嫌な顔をして、夜叉は、寄りかかっていた体を起こす。

「バカバカしい。仕事に戻るぞ」

「負けるのが怖いんでしょう?」

「違う!!」




 環園の王城訪問まで、あと一週間――――。




 すっきりしない空模様。

 セイリュウは、買い物袋を抱えてハルノ商店街を歩いていた。

 片手に持つリストには、数日後に控えた、王城訪問用のお泊りセット用品も含まれている。

 リストを横目で見やり、ため息をつく。

「お?まぁた、コキ使われてんな」

 前方から声が掛かり、顔をあげれば、そこにいたのは要と遥だった。見慣れた色のつなぎを着ている。

「来るたびにコキ使われてるヤツが、おもしろがってんじゃねーよ」

「まだあるのか?買い物」

 セイリュウの片腕に抱えられている買い物袋を、遥が、気の毒そうに見やる。

「あぁ。もうすぐ、王城見学に行くから、その買い出しもあって」

 セイリュウは、わかりやすく表情を暗くする。

 ここ数日、そのことで考え込んでみたり開き直ってみたり。

 不意に、荷物を抱えた腕が軽くなり、セイリュウは我に返った。見れば、遥が買い物袋を片腕に抱え、要が、リストに目を通している。

「……もしかして、手伝ってくれんの?」

 嬉々とした顔を向けると、要が、リストから顔をあげた。

「おー。今、お前を放っておいたら、あとで環に何イヤミ言われるか……」

「話し相手がいたほうが、気も紛れるだろ」

 二人の気遣いに、セイリュウは、照れたように笑った。

「サンキュ」

 要と遥の、コントのような会話を隣に聞きながらする買い物は、いつもよりも時間はかかるが、いつもよりも楽しい。

 すっきりしない空も、いつの間にか、青空に変っていた。

「これで最後ぉ?」

 コーヒー豆の香りに満ちている店で、要がひどく疲れた声をあげた。

 セイリュウは、店のおじさんに代金を支払っている。

「っていうか、毎回毎回きっちり三十分かけて選ぶなよ。前回と同じの買ってけばいいじゃねーか」

 要と同様、買い物袋を抱える遥も、待ちくたびれていた。

「仕方ねぇだろ?オレのオリジナルブレンドなんだから。お前らだって、うまいっつって飲んでたくせに」

「もっと早く選んでくれたら、手放しで誉めてやるよ」

 いつか、環にも言われたセリフだ。

 言う人間が違うだけで、こうも印象が変るものなのかと、セイリュウは思わずにいられない。

「なぁ、これ、お前一人でするの、物理的に無理ねぇか?」

 要がぼやくのも無理はない。

 ハルノ商店街のメインストリートへと戻った三人の腕には、それぞれ一つづつの買い物袋が抱えられている。

「要、環が俺たちのことまで計算してなかったと思うか?」

「あー……なるほど」

 力なく返事を返して、要はうな垂れる。

「セイリュウ、まだ、予算残ってるだろ?近くで何か食って行こう」

 遥の提案に、セイリュウは財布の中身を思い出す。

 そういえば、いつもギリギリしか入れない環が、ずいぶんとあまるだけお金を入れてくれていた。

 三人が入ったのは、メインストリートに面した、アンティークな喫茶店。

 オレンジ色のランプの明かりだけが、店の中を照らしている。

 三人の座ったテーブルに、コーヒーが二つ、紅茶が一つ、そして、ケーキが三つ並んだ。

「なぁ、なぁ。マジで食っていいの?俺、ホントに食うよ?」

 さっきまでの疲労感はどこへ消えたのか、要が、目を輝かせてテーブルに並ぶケーキを見つめている。

「いいから食え」

 ケーキの皿を要のほうへ寄せて、遥は、セイリュウに向き直る。

 満面の笑みでケーキを頬張る要を横目に、セイリュウへ尋ねた。

「で?何で王城訪問が嫌なんだ?」

 コーヒーへ伸ばした手が止まる。

「……別に、嫌ってわけじゃ……」

「メシも、泊まる部屋も豪勢だぞぉ?」

「要、口……」

 口の周りにクリームをつけた要に、遥は呆れた視線と一緒に、おしぼりを差し出す。

「まぁ、要のいったことは置いといて……。何で、ためらってんだ?」

 セイリュウは、しばらく、両手で包み込んだカップの中を見つめていた。

 遥は、静かにセイリュウの答えを待つ。

 と、要が、ケーキを頬張りながら、口を開いた。

「言ってみろよ。俺たちだって、いろいろ修羅場くぐりぬけてるからな。ちょっとやそっとじゃ、ひいたりしねーって」

 ケーキを頬張ったままの説得力のない表情ではあるが、要の想いは、ちゃんとセイリュウに届いているようだった。

「あのさ……会いたい、やつがいて、でも自分は、すげー、そいつのこと傷付けてるとして……会ってもいいのかな?」

「会うべきだな」

 答えたのは、遥だった。

 カップを見つめていたセイリュウが顔を上げると、そこにはやはり、クールな顔の遥がいる。

「お前が起こしたことなら、その始末もお前がするのが当然だろ?それに、ここまで来といて、会わねーってのはないんじゃないか?」

「環は?なんて言ってんの?」

 早くも、三つ目のケーキに手をつけながら、要が尋ねた。

「……えっと、『会ってみたらわかるんじゃないか』って。『心配しなくても、あなたのことを恨んでいるなら、ここへ辿り着く前に会ってるはずだ』って」

「じゃ、大丈夫だ」

 これが、要の答えだった。

「環がそう言ってるなら大丈夫だ。会って来い」

 妙な自信にあふれる要に、二人は言葉もない。

「ホント……お前の自信は、根拠ねーよなぁ」

 遥が、要に呆れた目を向ける。

「遥だってそう思うだろ?」

「まぁ、あいつのアドバイスは間違いないけど」

 なんだかんだ言いながらも、環に絶対の信頼を置いている二人がおかしくて、セイリュウは笑いがこみ上げてきた。

「そーだよな。たぁちゃんが、あー言ってんだもんな」

 正直、まだ迷っている。

 不安で不安で仕方ない。

 しかし、環が傍にいる。

 大丈夫だと、穏かに笑って見ていてくれるから、だから平気だと、そう思えた。

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