Memories

1 未練

 魔界・北の国、南西部―――――。

 環園のある町から、西へ2キロほど郊外へ出たところに、木々に囲まれた、大きくて古い洋館があった。

 北の国では黙認されている、要と遥の率いる盗賊団・炎鬼のアジトだ。

 洋館には、現在、十四名の男女が寝泊りして暮らしている。

 本館の建物の横には、クリーム色の外壁に、水色に塗られた木の扉をつけた小さな離れがあった。

 玄関を入り、横に伸びるローカをはさんで正面にあるリビングダイニングで、要が、不機嫌な顔で机に突っ伏していた。

 部屋の右には台所へ通じる入り口がある。

 奥にある窓から明るい日の光が注がれていて、机に伏したままの要の横顔を照らしていた。

「要~?」

 声と共に扉が開いて遥が顔をのぞかせると、要は、思いきり顔をそむけた。

 遥がドアノブに手をやったまま、淡々と要件を告げる。

「紗菜が、十分くらい前に呼びに来たろ?園でもらったおやつで、お茶にしようって」

 要は、口を尖らせて、そっぽを向いたまま答えない。

 やれやれ、と、遥は腕組みをして考える。

 ため息をついてから、遥は要の正面に立つと、ジトッと見下ろして口を開いた。

「シット……?」

 尋ねると、要は余計にへそを曲げたらしく、遥を見ようともしない。

 それでも、反論はしたかったのか、少しして口を開いた。

「うるせー!」

「それは、肯定してんのか?素直だなー。こういうときは、『違うっ!』って力いっぱい否定するんだぞ?フツー」

「どうせ、俺は普通じゃないですぅ~」

 どこまでも子どものように拗ねる要が、遥はおもしろくて仕方ない。

「あれくらいで、怒るなよ。彼女か、お前は」

 要の正面に座りながら、クールに感情を逆なでる。

「お前がっ……!」

「俺が何?」

 言葉に詰まる要に続きを促せば、悔しそうな顔で、グッと遥を睨んでくる。

「何で昔のこと、アイツに話したんだよ?!俺には、全然話してくんなかったくせに!」

 昨夜、黒樹との戦いの舞台となったのは、昔、遥が、主音という男に使われていたときの、嫌な思い出しかない場所だ。

 遥は、要には、主音のことを話したことはなかった。

 思い出したくもない、口に乗せるのも嫌な、場所と時間。

 要が知っているのは、自分で調べたからだ。

 遥の心には、どうやら、「キズ」というものがあるらしい――――それを治したくてその原因を探っていた。危険を冒して、西の国に忍び込んでまでして辿り着いた事実に、少なからずショックを受けはしたが、自分と一緒にいるときには見せてくれる遥の笑顔に、ずっと隣にいようと思った。

 黒髪の少年が、なぜあの空間を作ったのか、それをセイリュウが気にしていたから、遥が説明をした。

「俺、お前に何か訊いて、まともに答えてもらったことない……」

 いつもいつも、何を聞いてもはぐらかす。

 まっすぐに遥を見つめる要が、悔しげな、少し泣きそうな顔をした。

「俺は……」

 答える遥のクールな顔に、淋しげな色が覗いた。

「俺は、お前の泣き顔を見たことがない。だから、アイコだ」

 要は、僅かに目を見開いて、次に言おうとしていた言葉を忘れていた。

 じっと見つめてくる遥の瞳は、なんだか、哀しげにも見える。

「要、お前はため込んでないか?昨日のセイリュウみたいにいろんなことを」

「……遥……」

「でも、お前は泣かないんだろうな」

 淋しげな瞳が、要を捕らえている。

 その瞳の中で、要は明るく微笑んだ。

「お前がいるからな。おかげ様で、泣かずにすんでるよ」

 何でもないように笑った要に、遥は呆気にとられた。どうしてこうも、簡単に安心してしまうんだろう。

 遥の顔には、いつの間にか笑みが浮んでいた。他のものには見せない、柔らかで優しい笑みだった。

 ホッとして、遥は話を戻す。

「まぁ、今回のことでは、俺もシットしてたけど。お前ほどじゃないけどな」

「え?!」

 要が、驚いているのか、喜んでいるのかわからない声をあげた。

「リーダーが、『新しい仲間にするっ!』って、セイリュウにあんまり夢中になってるから」 

 遥が、「なぁ~んて」と、冗談で済ませる前に、要が、嬉しげにイスから立ち上がった。

「マジマジマジ?!!シットしてくれてたの?!」

 要のあまりに嬉しそうな表情に、遥は、冗談だとは言い出せなくなっていた。

 ここまで喜ぶとは、予想外だった。

「すっげ~!!お前がシットするなんて、初めてじゃねー?!あ~!!なんか、すっげ~嬉しいィ~~!!!」

「お前、リアクション間違ってねーか?」

 呆れて呟く遥に耳も貸さず、要は、上機嫌で歩き出す。

「早くお茶行こうぜ、遥~」

 数分前からは想像がつかないくらい機嫌のいい要の単純さに笑い出しそうになりながら、遥も席を立った。




 洋館の玄関を開け、広い玄関ホールを左へとむかう。

 二人は、きれいに磨かれたローカを、談話室として使う、広間へと歩いていた。

要の足取りは、きわめて軽い。

 部屋の前で足を止め、遥が、律儀に三回ノックをする。

 楽しそうな紗菜の笑い声が止まり、返事が返される。

「要連れて来たぞ」

 扉を開けながら告げて、遥は動きを止めた。

「紗菜ちゃん、俺、ミルクティ……」

 要の声が、不自然に途切れる。

 そして、それまでご機嫌だった要が、不快そうに表情を歪めた。

 遥の瞳が、クールな怒りを放っている。

「ひっさしっぶり~」

 紗菜の隣に座り、笑顔で二人に手を振るのは、紛れもなく楓だった。

「なぁにが久しぶりだ?!楓のせいで!ゆうべ大変だったんだぞ!!」

 楓を指差し、要が、怒りをぶつける。

 しかし、昨夜の出来事を知らない楓には、何のことやらさっぱりわからない。

「あ?ヤツ当ってんじゃねーよ。わけわかんねー」

 説明しろというように反論する楓は、背筋に悪寒を感じて、歩み寄ってきた要の隣に立つ遥を、ゆっくりと見上げた。

「楓……よくこの家の玄関をくぐれたな。無事に帰れると思うなよ」

 恐ろしいほどにクールな瞳でジトッと見下ろしている遥に、楓もさすがに慌てた。

「ちょっ、ちょっと待て!だから!何のことだよ?!わけを聞かせろ、わけを!」

「楓が、環のことをベラベラしゃべるからだろ?!おかげで、体あちこち怪我するわ、遥は足に剣突き刺すハメになるわ、大変だったんたぞ?!環だって、動きを止められて、苦手な光の術を使わなきゃなんなかったしっ!!」

 説明になっていなかったが、楓には、何となく伝わっていたようで、更に反論をしてきた。

「それと俺と、何の関係があるんだよ?!襲われる理由のある、お前らが悪いんじゃねーか!ヤツ当んな!」

「初対面だ」

 遥のクールな口調で、楓は我にかえる。

 忘れかけていた遥の怒りを思い出し、楓は大人しく口をつぐんだ。

「俺たちは、巻き込まれただけだ」

「そ、そりゃ災難……」

 顔に冷や汗を浮かべる楓に、遥はさらに一歩近づく。

 楓は、必死に逃れる術を考えていた。

「あの、でも環のせいだろ?……俺に怒るの、違うと思うなぁ」

「楓」

 すぐ傍で、遥は楓をジトッと見下ろしている。

 何の罪悪感からなのか、楓は心持ち身を引いた。

「何でしょう……?」

「お前、魔術使えたろ?」

「はい……」

「この足、治せ」

「何で、俺が……?」

「お前、知り合いだよな?」

「た、環?知り合いっつーか、あれは兄弟……」

「環じゃねーよ。俺と同じ、黒髪で黒い目をした黒樹ってガキだ」

 遥を見上げていた楓の表情が、一変した。

 叱られている子どものような目は驚きに見開かれ、苦笑いを浮かべていた口元は、中途半端に開いている。

「黒樹がいたのか?!」

 突然、楓が立ち上がり、遥に詰め寄った。

 わけのわからないまま、遥が短く「あぁ」とだけ答えると、楓は、二人を押しのけるようにして扉へ急いだ。

「環のとこだな?!」

「待てよ、楓!もう、いねぇって!!」

 要が慌てて引きとめた。

 ドアノブに手をやったまま、立ち止まり、楓は肩を落とす。

「あいつ、何モンだ?やたら、セイリュウのこと煽ってたけど」

 要の問いに、楓は穏かに笑った。

「俺の、大切なやつだ。要にとっての遥みたいにな」

遥と要の視線の先で、扉がゆっくりと閉まっていく。

「明日は、雨だな」

 遥がクールに感想を述べれば、要が眉を寄せてそれに続いた。

「雪降るんじゃねーの?」



 穏かな夕暮れ。

 西の空には、きれいな夕焼けが広がっている。

 黒樹がセイリュウのもとに現れてから、一ヶ月以上が経っていた。

 環園での生活にもすっかり慣れ、時々顔を出す要や遥と共に、賑やかな毎日を送っていた。

 まるで、何かを忘れるように。

 黒樹のことじゃない――――環は気づいていた。

 元いた場所のことでもない――――時々、二人で、懐かしく昔話もする。

 セイリュウはそのことに触れたくないのか、ここに来てから、まだ、一度も口にしたことがない。

 しかし、彼女はウソをつくのが苦手だ。

 時々、物思いに耽っていたり、心ここに有らずのことがある。何を悩んでいるのかわかっているが、原因がわからない。

 新聞片手に食堂に顔を出し、キッチンで夕食の準備をするセイリュウに目をやれば、また考え事をしているようだった。遠くを見るような目をして、調理をしている。

 考え事をしながらでも手際よく夕食が作れるところは感心させられる。

「セイリュウ」

 食堂から呼ぶと、現実に引き戻されたセイリュウが顔をあげた。

「何?」

「前に、探してる人がいるって言ってたでしょ?黒樹って子じゃなく」

 環は、キッチンへと歩み寄り、カウンター越しに正面に立つと、手にしていた新聞を広げて見せた。

「それって……この人じゃないですか?」

 カタン――――。

 小さな音を立てて、セイリュウの手から、菜ばしが転げ落ちた。

 環が見せた新聞の真ん中に、ここ、北の国の代表者として、夜叉の写真とコメントが載っている。

 数秒の間の後、セイリュウは、環の手から新聞を奪い取った。

「何、なに??何で?!なんで載ってんの?!」

 記事を食い入るように見つめる姿に笑みをこぼして、環は、内容を掻い摘んで話した。

「夜叉って言って、この国の王位継承者なんです。今はまだ、代理という形なんですけど。もうすぐ戴冠式だから、それで載ってるんですよ」

 新聞が、環の手に返された。

 セイリュウは、表情を見られないように俯いたまま、止めていた調理を再開する。

「そっか」

 答えた声に含まれる複雑な想いと、どこか嬉しげな響きに、環は近くのイスに座りながらほっと息をつく。

「今度、王城見学に行くんです。ついて来てくださいね」

「え?」

「三年ぶりなんですよ~。今回も、王城に泊めてもらえることになってますから。セイリュウ、初めてでしょう?お城に泊まるなんて」

「あぁ…」

 セイリュウは、表情を隠すように背後の食器棚へ移動する。

 やはり、触れたくない話題なのか。

 普段の彼女なら、喜々として話に乗ってくるのに、返ってくるのはどれも短い言葉ばかり。

 ほどなくして、リビングの丸いテーブルに、セイリュウが好んで作る和食が並んだ。

 食の好みが父親の影響だということは、彼女が幼いころから知っている。だから、環も、夕食はなるべく和食を出すようにしていた。

 今日も、セイリュウの作る夕食はおいしい。さすが、料理人の父を持っていただけはある。

 きちんと「いただきます」のあいさつと共に始まった夕食。

 環の正面で、セイリュウは、心底楽しそうに今日の出来事を話している。

 自分で作った料理をおいしく頬張る姿に、話とは別に笑いがこみ上げてくる。先程、夜叉の話題で動揺していた人だとは思えない。

 しかし、もう、避けてばかりはいられない。

 夕食後、リビングで、セイリュウの入れてくれたコーヒーの香りを楽しんでいた環は、話を切り出すタイミングを計っていた。

「セイリュウは、夜叉と面識があるんですねぇ?」

「あぁ……」

 やはり、僅かに視線を逸らす。

「EARTH界で?」

「……うん」

 トーンも、どこか違う。いつもより、若干重い。

「生前の、先代王であるしょうが、あなたのことを気にしていたのは知ってます。その関係ですか?」

「うん……」

 セイリュウは視線をコーヒーに落として、ゆっくりと話し出した。

「夜叉の父親は、オレのこと狙ってた。魔術とか、剣術とか教えてもらう、ずっとずっと前で、でも、父さんが守ってくれてたんだ……命がけで。五年前だよ。父さんは、命と引き換えに、オレを守ってくれた。夜叉の父親も、そん時、父さんが倒した。だけど……夏にオレのところに夜叉は、まるで父親が生きてるような話しぶりで……それで、」

 セイリュウが、俯き、口をつぐむ。

 環は、セイリュウの言葉を補うように、口を開いた。

「それで、セイリュウと夜叉は戦うことになった、と?」

「うん。夜叉はオレのこと恨んでた。オレがいたから、父親が死ぬことになったって。でも、そう思っていることに、苦しんでいるようにも見えた」

「優しい子ですからね、夜叉は。夜叉とは、何か話したんですか?」

「うん、いろいろ話したよ。二人で、学校の近くの河原で会って。父親のことも聞いた。立派な人だって、尊敬してたよ。自分も将来、あんな王になりたいって」

「……セイリュウは、夜叉のことを恨んでるんですか?」

 無言のまま、セイリュウは、首を横に振る。

「でもオレ……」

「夜叉に、恨まれてるかもしれない‥?」

「うん…」

「それで、会いたくないんですか?彼に会うことも、ここに来た目的の一つなんでしょう?」

「……会って、いいのかなぁ?」

 困惑の表情を浮かべるセイリュウに、環は明るく微笑む。

「会ってみたら、わかるんじゃないですか?心配しなくても、あなたのことを恨んでいるなら、ここへ辿り着く前に、敵として遭遇してるはずですよ」

 それでも、まだ、セイリュウは不安げな顔をしている。

「まぁ、無理について来いとは言いません。まだ、時間もありますから、よく考えてください。行きたくなければ、行かなくても構わないですから」

 セイリュウの表情は、少しだけ明るさを取り戻していた。

 王城見学の日までに、覚悟を決めなければならない。

 無理に来なくてもいいと言っていたが、セイリュウには、行かないという選択肢は、はなから存在しなかった。

 この国に来た目的は、夜叉に会うこと。

「(そうだよな。会わなきゃ、何考えてるかもわかんないもんな)」

 王城見学は、一週間後。



 薄い緑色をした外壁を持つ、城の一室――――執務室。

 バルコニーへ続く窓は開け放たれ、涼やかな風が、部屋へ吹き込んでいた。

 半円状のバルコニーの柵から、城の庭を見下ろすのは、この城の主、国王代理である夜叉。

 扉をノックする音に体を反転させ、白い手すりに身を預ける。

 返事を返せば、入ってきたのはコーヒーの入ったきれいな細工のカップをトレーに乗せた白狼だった。

 バルコニーへコーヒーを運び、夜叉に差し出す。

「お手紙、読まれました?」

 夜叉は、部屋の中の机に視線をやる。

 城壁とほぼ同色の封筒に入っているのは、同じ色の便箋に書かれた、環からの手紙だった。

 今度王城見学へ行くにあたって、受け入れてくれる礼と、詳しい人数と日程、そして、名簿を書いて送ってきたのである。

「あぁ」

 名簿の最後に書かれていた名前を思い出し、夜叉は、嬉しげに目を細めた。引率者の後、環の名前に並んで、セイリュウの名前があった。

「何が、そんなに嬉しいんです?」

 半分呆れたように、白狼が夜叉を見ていた。

 夜叉は、顔を赤くして、再び庭を見下ろす形を取る。

「三年ぶりですね。環園の王城見学は」

「そうだな。子どもたちも、楽しみにしてるだろう」

「夜叉様が一番楽しみにしてません?」

「別に、そういうわけじゃ……」

 わかりやすく動揺している。

 もうすぐ戴冠式で、王代理から、本当の王になるというのに、このままで大丈夫だろうか。不安を感じて、白狼はため息をついた。

「あなたを狙って来るのかもしれないんですよ?」

 諭すように視線を送れば、庭を見つめていた夜叉が顔をあげた。

 そこに浮んでいたのは、頼もしい笑顔だった。

「それはないよ、白狼」

 突然、王の顔をした夜叉に少し驚きながら、白狼は、その成長を嬉しく思っていた。

「何故?」

「私は、セイリュウを恨んでいない。……父上のことを忘れたわけではないが、恨むよりも憎むよりも、気になるんだ。元気なのか。私のことを、憶えてくれているのか」

 父は、紋章を持つ者を、北の国を脅かす者を倒そうとした。そして、彼女の父、アンスと戦い、命を落とした。

 彼女の父もまた、自分の娘を守ろうとして襲い来る者と戦い、命を落とした。

 セイリュウは、この国も魔界も、どうこうしようなどとは考えてない。

 EARTH界で出会ったあの少女から、この国を守る必要などない。

 戦う理由は、自分にはない。

「それに」

 出会ったときを思い出し、夜叉は、懐かしさに微笑んだ。

「噂されているような人物でもない。心配いらないよ」

「……うらやましい性格ですね」

 信じられないという目を向けてくる白狼を、夜叉も負けじと見返した。

「お前だって、会って来たんだろう?一度会えば、わかるはずだ」

 夜叉の言葉に、白狼は、二ヶ月ほど前に南で見かけたセイリュウの姿を思い出した。

 まっすぐにこちらを見つめる瞳から窺えたものが、恨みや憎しみなどではなく、見知らぬ者への、ただの警戒であること。

 ウソをつくのが苦手な、思ったことが顔に出るわかりやすい人物だった。

 去り行く彼女の、最後のセリフを思い出して、白狼は笑みを零した。

「確かに、もう一度会いたいと思わせる少女ですね」

 この城で自分と再会したら、あの子は、一体どういう顔をするのだろう。

 妙に楽しげな顔をした白狼を、夜叉が、訝しげに見やる。

「……白狼、お前、変なことは言ってないだろうな?」

 飲み乾したカップを受け取ると、白狼は、意味深な笑みを浮かべた。

「変なことは、言ってません」

「じゃあ、何言ったんだ?」

 鋭く指摘してくるが、白狼は余裕を崩さない。

「別に?食事をしながら、少し話しただけですよ」

「だから、何を」

「気になります?」

「気になるから訊いてるんだろう!」

 癇に障ったという顔で夜叉は体を反転させ、執務室に目を移す。

 正直な反応と、自身の気持ちに気づいていない夜叉が白狼はおもしろくて仕方ない。

「たいしたことは話してません。思いっきり警戒されてましたから。すぐに、逃げられちゃいましたしね」

 夜叉が、安心したように、表情を弛めた。

「どうして、そこで安心するんです?」

 何故――――?

 この問いが、頭に響く。考えてみても、答えは出てこない。

「お前が、おかしなことを吹き込んでないかと思っただけだ」

 白狼の意地悪は、まだまだ続く。

「おかしなこと、ですか?言ったかもしれませんよ?一緒にいる間は話してましたから」

 バルコニーの手すりに寄りかかる夜叉の顔が、ピクッと反応した。

 何を言ってくるのか大人しく待っていると、少し不機嫌な顔は、なにやらためらうように下を向く。

「……私の、ことは?」

「はい?」

 聞こえるかどうかというくらいの、小さな声だった。

 当然、近くにいる白狼の耳には届いていたが、あえてとぼけてみる。

「しゃべってませんけど?」

「お前じゃなくて!……何か、言ってなかったか?」

 答えを待つ夜叉の全身から、緊張が伝わってくる。白狼の視線の先にある、きれいに整った横顔は、かすかに桜色。

 これは――――。

「一言も」

「……そうか」

 とたんに、夜叉は残念そうな顔をした。

 吹きだしそうになるのを堪えて、白狼は、かわりに悪戯な笑みを浮かべた。

「知ってます?」

「何をだ?」

「環園の経営者の、環さん、恋愛対象、広いんですよ」

「だ、だから……何だ?」

 思いきり動揺している。もう一押し、白狼は追い討ちをかけた。

「この国に来て、おそらく二、三ヶ月。倍ほど年が離れてるとはいえ、男と女ですからねぇ?親しみやすい方ですし。慣れない土地に来て、彼に出会ったら、まぁ、十中八九、惚れるでしょうね。頼りになるし、カッコいいですし」

「わからないだろう。そんなことは」

「そうですか?賭けてもいいですよ」

 ムキになっている夜叉が、白狼には、おもしろくて仕方ない。

 あからさまに不機嫌な顔をして、夜叉は、寄りかかっていた体を起こす。

「バカバカしい。仕事に戻るぞ」

「負けるのが怖いんでしょう?」

「違う!!」




 環園の王城訪問まで、あと一週間――――。




 すっきりしない空模様。

 セイリュウは、買い物袋を抱えてハルノ商店街を歩いていた。

 片手に持つリストには、数日後に控えた、王城訪問用のお泊りセット用品も含まれている。

 リストを横目で見やり、ため息をつく。

「お?まぁた、コキ使われてんな」

 前方から声が掛かり、顔をあげれば、そこにいたのは要と遥だった。見慣れた色のつなぎを着ている。

「来るたびにコキ使われてるヤツが、おもしろがってんじゃねーよ」

「まだあるのか?買い物」

 セイリュウの片腕に抱えられている買い物袋を、遥が、気の毒そうに見やる。

「あぁ。もうすぐ、王城見学に行くから、その買い出しもあって」

 セイリュウは、わかりやすく表情を暗くする。

 ここ数日、そのことで考え込んでみたり開き直ってみたり。

 不意に、荷物を抱えた腕が軽くなり、セイリュウは我に返った。見れば、遥が買い物袋を片腕に抱え、要が、リストに目を通している。

「……もしかして、手伝ってくれんの?」

 嬉々とした顔を向けると、要が、リストから顔をあげた。

「おー。今、お前を放っておいたら、あとで環に何イヤミ言われるか……」

「話し相手がいたほうが、気も紛れるだろ」

 二人の気遣いに、セイリュウは、照れたように笑った。

「サンキュ」

 要と遥の、コントのような会話を隣に聞きながらする買い物は、いつもよりも時間はかかるが、いつもよりも楽しい。

 すっきりしない空も、いつの間にか、青空に変っていた。

「これで最後ぉ?」

 コーヒー豆の香りに満ちている店で、要がひどく疲れた声をあげた。

 セイリュウは、店のおじさんに代金を支払っている。

「っていうか、毎回毎回きっちり三十分かけて選ぶなよ。前回と同じの買ってけばいいじゃねーか」

 要と同様、買い物袋を抱える遥も、待ちくたびれていた。

「仕方ねぇだろ?オレのオリジナルブレンドなんだから。お前らだって、うまいっつって飲んでたくせに」

「もっと早く選んでくれたら、手放しで誉めてやるよ」

 いつか、環にも言われたセリフだ。

 言う人間が違うだけで、こうも印象が変るものなのかと、セイリュウは思わずにいられない。

「なぁ、これ、お前一人でするの、物理的に無理ねぇか?」

 要がぼやくのも無理はない。

 ハルノ商店街のメインストリートへと戻った三人の腕には、それぞれ一つづつの買い物袋が抱えられている。

「要、環が俺たちのことまで計算してなかったと思うか?」

「あー……なるほど」

 力なく返事を返して、要はうな垂れる。

「セイリュウ、まだ、予算残ってるだろ?近くで何か食って行こう」

 遥の提案に、セイリュウは財布の中身を思い出す。

 そういえば、いつもギリギリしか入れない環が、ずいぶんとあまるだけお金を入れてくれていた。

 三人が入ったのは、メインストリートに面した、アンティークな喫茶店。

 オレンジ色のランプの明かりだけが、店の中を照らしている。

 三人の座ったテーブルに、コーヒーが二つ、紅茶が一つ、そして、ケーキが三つ並んだ。

「なぁ、なぁ。マジで食っていいの?俺、ホントに食うよ?」

 さっきまでの疲労感はどこへ消えたのか、要が、目を輝かせてテーブルに並ぶケーキを見つめている。

「いいから食え」

 ケーキの皿を要のほうへ寄せて、遥は、セイリュウに向き直る。

 満面の笑みでケーキを頬張る要を横目に、セイリュウへ尋ねた。

「で?何で王城訪問が嫌なんだ?」

 コーヒーへ伸ばした手が止まる。

「……別に、嫌ってわけじゃ……」

「メシも、泊まる部屋も豪勢だぞぉ?」

「要、口……」

 口の周りにクリームをつけた要に、遥は呆れた視線と一緒に、おしぼりを差し出す。

「まぁ、要のいったことは置いといて……。何で、ためらってんだ?」

 セイリュウは、しばらく、両手で包み込んだカップの中を見つめていた。

 遥は、静かにセイリュウの答えを待つ。

 と、要が、ケーキを頬張りながら、口を開いた。

「言ってみろよ。俺たちだって、いろいろ修羅場くぐりぬけてるからな。ちょっとやそっとじゃ、ひいたりしねーって」

 ケーキを頬張ったままの説得力のない表情ではあるが、要の想いは、ちゃんとセイリュウに届いているようだった。

「あのさ……会いたい、やつがいて、でも自分は、すげー、そいつのこと傷付けてるとして……会ってもいいのかな?」

「会うべきだな」

 答えたのは、遥だった。

 カップを見つめていたセイリュウが顔を上げると、そこにはやはり、クールな顔の遥がいる。

「お前が起こしたことなら、その始末もお前がするのが当然だろ?それに、ここまで来といて、会わねーってのはないんじゃないか?」

「環は?なんて言ってんの?」

 早くも、三つ目のケーキに手をつけながら、要が尋ねた。

「……えっと、『会ってみたらわかるんじゃないか』って。『心配しなくても、あなたのことを恨んでいるなら、ここへ辿り着く前に会ってるはずだ』って」

「じゃ、大丈夫だ」

 これが、要の答えだった。

「環がそう言ってるなら大丈夫だ。会って来い」

 妙な自信にあふれる要に、二人は言葉もない。

「ホント……お前の自信は、根拠ねーよなぁ」

 遥が、要に呆れた目を向ける。

「遥だってそう思うだろ?」

「まぁ、あいつのアドバイスは間違いないけど」

 なんだかんだ言いながらも、環に絶対の信頼を置いている二人がおかしくて、セイリュウは笑いがこみ上げてきた。

「そーだよな。たぁちゃんが、あー言ってんだもんな」

 正直、まだ迷っている。

 不安で不安で仕方ない。

 しかし、環が傍にいる。

 大丈夫だと、穏かに笑って見ていてくれるから、だから平気だと、そう思えた。



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