第8話 暗黒街に潜入せよ(後編)

 ボムズがドスンドスンとその巨体を揺り動かしながら移動してくる。傍らにいた少女をはねのけ、手に持っていた肉は、無造作に床に投げ捨てた。


 下品で粗野で実に不愉快である。


 さらにボムズは、部下から注射器のようなものを受け取り、これ見よがしに見せつけてきた。


「それは、ドラッグか?」

「ぐへぇへへへ、そうさ。だが、ただのドラッグじゃない。ヤゴル会特製の媚薬も入れてある」

「MDMAだったか」

「くっく、お前のような小僧がよく知ってたな。そうだMDMAだよ。今からそっちのガキに打つ。狂うぐらいによがらせて天国に昇らせてやるよ」


 ボムズは嗤う。底意地の悪い笑みだ。そこには、自分が快楽を得るためなら、何をしてもよいとう自分勝手なエゴイズムしかない。


 こいつ、どれだけの少女を食い物にしてきたのか。


 もともと情状酌量の余地はなかった。こいつはさっさと処刑するとしよう。


 「カミラ、もう我慢しなくていいぞ。殺ってしまいなさい――って早ぁあ!」


 カミラは、脱兎の如く駆け寄り、ボムズの首を引きちぎった。ぶちんと大きな音が鳴り、ボムズの下半身が、ガクリとその場に倒れこむ。その首からは、噴水のように血が噴出していた。

 

 そして、カミラは無造作に首から上にあったもの、そう、舌をだらしなく出し、白目を剥いたボムズの生首を掲げる。カミラの表情は、とても明るい。はぁはぁと時折、息を乱している事からも興奮しているようだ。

 

 よ、よっぽと飢えてたんだな。


 まぁ、これでカミラの気が済むなら――って、ちょっと待てぇええ!

 

 慌ててカミラの首根っこを掴む。

 

 カミラは、ボムズの生首を地面に投げ捨てると、今度は、ボムズの傍らにいた少女にまで手をかけようとしていたのだ。


「なんで止めるの! べていいんでしょ!」


 ふーふーとカミラは、猫のように怒りを露にする。


「カミラ、べてもいいと言ったが、この子はだめだ」

「えぇ、なんで? もっともっと足りない!」

「だめだ」

「やだ、やだ。もっともっと!」


 手足をバタバタさせてカミラが騒ぐ。


 ちっ。なまじ腹がふくれたものだから、余計に殺気だってやがる。


「カミラ、この子はだめだけど――」


 部屋にいるボムズのボディガード達を見る。


 彼らは、口を開けて驚いていた。ボムズが注射器を持って意気揚々と近づいてきたとき、ニヤニヤと下卑た笑みを見せてたくせに。今は、生まれたての小鹿のようにプルプル震えている。


 こいつらは、ボムズの命令とはいえ嬉々として少女達を食い物にしてきた。ボムズと同罪。ボムズがゲロ以下なら、こいつらはゲロである。


「ほら、あいつらならいいぞ」


 ボムズのボディガード達を指差す。


「わぁい!」


 カミラが満面の笑みを浮かべて、奴らに突撃した。


「ま、待って――ぎぁあああ!」

「ひぃいい!? や、やめ。腕が腕が!」


 カミラが、縦横無尽に暴れまわる。その度に、ボディガード達が悲鳴を上げ、その命を散らしていく。カミラは、ただただ無心に、引きちぎった首から噴出される血を浴び続けていた。


そして……。


「ぷっはぁああ! 生き返ったよ。うんうん、久しぶりのご飯は美味しいね」


 カミラはにこやかにそう答える。


 全身血だらけ。服は真っ赤に汚れ、その美しい銀髪にも朱が交じっていた。そんな状態にもかかわらずカミラは動じない。指に垂れる血を舐めながら、恍惚とした表情を浮かべているのだ。


 ……ドン引きである。

 

 とてもお嫁に出せない所業だ。


 あ、頭が痛い。


 なんて声をかけたらいいのやら。


 俺が妹の所業に動けないでいると、残ったボディガード達は、カミラの所業にビビッているようで微動だにしない。周囲は、凍りついた土壌のようだ。ピンと張りつめた空気の中でカミラの鼻歌だけが聞こえる。


「ふん♪ ふん♪ まだ浴びたりないなぁ」


 カミラはそう言うと、一人の男の前に移動する。


 そして……。


 ぶちっ!!


 雑草を狩るかのごとく、その男の首を引きちぎった。先ほどと同様に首から血がシャワーのように噴出する。


「あ、あ、あ!」

「ひ、ひぃ!!」


 男の小さな悲鳴。そしてガチガチと歯がなる音が聞こえる。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。カミラだけが笑い、他は金縛りにあったように動けず、ただただ震える。


 カミラは、次々と首を狩り血のシャワーを浴びながらご満悦な様子である。皆、その様子を見ているだけ。絶対的強者の前では、弱者は何もできないというが本当のようだ。


「ふん♪ ふん♪ ふん♪ あ!? お兄ちゃんも浴びる?」

「あ、浴びない」


 俺は、血の伯爵夫人じゃねぇぞ。


「僕はもう少し欲しいかな」


 物騒なセリフを吐いて、カミラは残ったボディガードのところへ向かう。


 うん、少しばかり彼らに同情する。でも、悪党になったのは自己責任だしね。しょうがない。


 よし、もう戦闘はカミラに任せよう。


 俺は……。


「ねぇ」

「ひ、ひぃい!」


 声をかけたとたん、腰を抜かした少女が後ずさりをした。

 

 うん、まぁ、そうだよな。

 

 カミラの狂乱を見て、普通の人が平静でいられるはずがない。


 ガクガク全身を震わせている少女に、自分達が賞金稼ぎだと明かす。少女も悪人を捕殺する賞金稼ぎの存在を知っていたのだろう、謎の殺戮兄妹の正体が判明し、いくぶん落ち着きを取り戻した。


「あ、あの、ありがと……うございます」


 少女が深々と頭を下げる。


「いやいや、仕事だから。大した事してないよ」

「いえ、それでも感謝してます。あの男から解放して頂いて、本当に。うう、本当にありがとうございます」


 少女は、大粒の涙を流しながら嗚咽する。


 ……そこまで好意を寄せられると、心苦しい。

 

 仕事でなく、妹の禁断症状を抑えるためにここに来た。ただの成り行きである。


「いや、本当に気にしないで。それより、帰り道わかる?」

「はい、わかります。ただ、着の身着のまま拉致されたので、お金が……」


 少女が気落ちした声で説明した。

 

 俺は無言で立ち上がると、目星をつけていた部屋に入り、家捜しをする。

 

 そして……。


「それじゃあ、はい」


 俺は、ボムズが溜め込んでいた財貨をバックに入れ、そのバックを渡す。宝石、現金、金塊、諸々だ。かさばらないように宝石が主である。時価数億は、下らないと思う。


「えっ!? いいんですか!」

「うん、いいよ」

「で、でも、勝手に着服するなんて、できません」

「いいから、いいから。辛い目に遭ったんだから、慰謝料だよ。これでも足りないぐらいだ」

「受け取れません。いくら悪人の物だからって、それを盗むのは、悪い事です」


 辛い目に遭ったというのに。人間性を忘れていない。


 いい子だ。凄いいい子だ。こういう人には幸せになって欲しい。


「悪い事じゃない。法律で認められている正当な報酬だよ。何しろボムズ捕殺に辺り、情報提供に協力してくれた」

「私、情報提供なんてしてません」

「してる。ボムズの悪事を話してくれただろ? 報告書を書く時にずいぶん助かるんだ。賞金稼ぎってのは、事後処理も大変なんだ。その裏づけを証明するだけでも人手間かかる。それを被害者の証言という形で、ずいぶん省いてくれたからね。そのお礼だよ」


 本当は、そんな制度はないんだけどね。

 

 その手の情報は、調べきっているし、国際手配された時点で生死は問わない仕組みである。

 

 情報提供で意味のあるのは、ターゲットの居場所や趣向、特技といったところか。

 

 そういう情報を集めるため、情報提供者を募り、手間賃を渡す賞金稼ぎもいる事はいる。でも、それはその道の諜報員プロに依頼するのであって、一般人にはない。仮にあったとしても、その殆どは、スズメの涙程度の報酬だろう。要するに、法律で定義されていないので、情報提供者への報酬は、賞金稼ぎの些事加減一つなのだ。

 

 今回は、俺の独断で百万ドル相当の報酬を与える事にした。

 

 大丈夫、大丈夫。法律なんて所詮はこじつけだよ、こじつけ。


「で、でも、こんなに……」


 少女は、困惑している。


「これでも足りないぐらいだよ。いいから受け取りなさい」

「本当にいいんですか?」

「もちろんだ」

「うっ、うっ、あ、ありがとう、ございます。これで母も弟も救われます」


 話を聞くと、この少女、あまりに不幸すぎる。父親は、彼女が小さい頃に他界。病弱な母と幼い弟がいるらしい。彼女は、一家を支えるため、朝、昼、夜と掛け持ちで仕事をしていたとのこと。そんな一心不乱に働いていた勤労少女を、ボムズは、容赦なく拉致したらしい。

 

 ボムズめ、こんないい子を拉致するなんて非道すぎる。

 

 そして、こんな理不尽な目に遭いながらも、彼女は、他に同じように拉致された少女の安否を気にかけてたようだ。


 なんていい子だよ。

 

 幸せになって欲しい。

 

 少女の健気な心にほだされる。

 

 カミラにもこの少女の話を聞いて欲しい。

 

 チラリとカミラを見る。

 

 カミラは、ご満悦の様子だ。あれから増援がきたようで、増えたボディガード達を締め上げている。「ぎゃあ!」とか「うげぇえ!」とか悲鳴が飛び交い、この空間に暴虐の嵐が吹き荒れれていた。

 

 カミラの所業を少女から背中で隠せる位置に移動する。

 

 カミラが事を終らせるには、もう少し時間がかかりそうだ。

 

 今まで殺伐とした話ばかりしていたから、この少女と話をしたい。そんでもってカミラの事も愚痴って、相談したくなってきた。

 

 少女と身の上話しに花を咲かせる。


「そうですか。親に無理やり……。あんな小さな娘まで……やめられないんですか?」


 少女の無垢な質問に心がときめく。

 

 そうだよ、これが普通の反応なんだよ。どこの世界に十歳の娘に殺しをさせる家族がいる!


「俺もやめさせたいと思っている。人を殺して金を稼ぐなんて間違っているよ。まっとうな仕事じゃない」

「そんなに自分を責めないで下さい。それでも、それでも私はあなた達のおかげで助かりました。あなた達が、こんなに嫌な、すごく嫌な事なのに無理をして……うぅ、うっ」

「泣かないでくれ。嫌で最低だと思っていた仕事だが、そう言ってもらうだけで救われる」

「リーベルさん、カミラちゃんを連れて、私の地元に来ませんか?」

「えっ!?」

「改めて助けてくれたお礼がしたいです。それに、私のバイト先ですけど、仕事を紹介できると思います」

「本当かい?」

「はい、大した仕事じゃないかもしれませんけど……」

「いいよ、いいよ。殺し屋なんかより百倍いい。ありが――」

「お兄ちゃん、楽しかったね♪」

「ぶっ! こ、こら、カミラ」


 空気を読まないカミラのセリフに場が凍りついた。

 

 どうやら事が終了したようだ。

 

 カミラがウキウキ顔で俺達に近づいてきた。


「ア、カミラちゃん、だね? さっきは助けてくれてありがとう。でも、いいのよ。そんな無理しないで」

「何が?」

「だから、賞金稼ぎの仕事……辛いんでしょ」

「辛くないよ。すごく楽しい。はぁ~すっきりした」


 ぐほっ! 痛恨の一撃をくらった。

 

 カミラは、俺達が嫌々殺し屋をしているという話を正面からひっくり返してきた。

 

 少女は、不審げに俺達を見つめている。


「え、え~とね、これは、つまり洗脳が行き過ぎたというか、カミラはよく仕事ころしをわかっていないんだ。何もわからずに殺しを強いられているんだよ」

「ひどい。前、お兄ちゃん、お仕事上手くなったって褒めてくれたじゃん。カミラもだいぶわかってきたって」


 ぐはっ! なんて爆弾発言を!

 

 少女が目を見開いて驚いているじゃないか!

 

 明らかに疑いの目を濃くしている。


「ア、カミラ、いい加減な事言うんじゃないぞ」

「いい加減じゃないよ。先月、僕の誕生日に言ってくれたのに」

 

 先月!?

 

 俺が前世を思い出す前だ。俺が殺人機械キラーマシーンだった頃……。

 

 記憶を掘り起こす。

 

 ……うん、言ってたね。

 

 思い出した。

 

 眉毛の太いゴル的な殺し屋だった俺、必要最低限の会話しかしなかった俺が珍しくその日、カミラを褒めたのである。誕生日だったからリップサービスも多少含んでた気もしないでもない。

 

 カミラは嬉しそうだったね。


「え~と、それは、その……」

「言ったよね? 嘘だったの?」


 カミラが悲しそうな顔をする。

 

 まずい。カミラの心を傷つけてしまったか。


「あ、言った。確かに言った。ごめんな、兄ちゃんボケてたよ。嘘じゃないぞ。カミラ成長したな」

「くっ!?」


 少女が短く唸る。その目には、疑いに加えて軽蔑の眼差しがプラスされていた。

 

 うぉお、こちらを立てれば、あちらが立たず。

 

 嬉しそうなカミラはさておき、今度は少女に向き直る。


「え、え~とね、聞いて、聞いてくれる? すべて誤解なんだ。前世の自分がね……」

「……もういいです」


 少女のトーンが明らかに下がった。完全に少女の信頼を失くしたようである。

 

 うぅ、だってさ、だってさ、嘘はつけないじゃん。

 

 確かに言った事は言ったもん。これを誤魔化したら今度はカミラの信頼を失くしてしまうからね。


 かといって、少女に前世も含めて正直に全てを打ち明けたとしても、理解されるとはとうてい思えない。

 

 しかたがない。説明できる部分だけは正直に話そう。


「こ、これだけは言える。俺は嫌なんだ。これは確実」

「今度は、お兄ちゃんもべていいよ。お兄ちゃん、僕よりも食欲旺盛だもんね」


 ブフォ!! だからちゃぶ台をひっくり返すなって!

 

 カミラは、いかに俺が自分よりも殺しが大好きで、いかに殺しが上手いのか、楽しそうに話す。


「ア、カミラ、やめなさい」

「あ~そっか。さっき止めたのは、お兄ちゃんがこの子をべるからだね。いいよ、我慢する。僕見てるから」


 カミラは両手で頬杖をついてニコニコと笑顔を浮かべている。


 少女は首を横に振りながらl信じられないといった表情で俺達を見ていた。

 

 う、うん、わかる、わかるぞ。悲しいが君の気持ちはわかる。

 

 仲良くしようとしてて実は殺そうとしてたなんて、とんだシリアルキラーな兄妹だよな。

 

 だが、全ては誤解なんだ。

 

 俺のモットーは、人類皆兄弟、平和が一番だ。将来の夢は、公務員で、可愛い嫁さんをもらって、地道に働くことだぞ。

 

 だから、そんな目で――。


「ねぇ、べないの? なら僕がもらうね」

「カミラ!」


 慌てて妹の口に手で塞ぐ。


「そ、それじゃあ、君、身体に気をつけるんだよ。そのお金は自由に使っていいからね」


 これ以上話しても、こじれるだけ。無理やりその場をあとにした。

 

 くぅ~せっかく友達になれそうだったのに。

 

 カミラは、あっけらかんとしている。自分の発言がどれだけ少女をドン引きさせたのかわかっていないのだ。

 

 この調子で社会に紛れてやっていけるのだろうか。

 

 本当に人として生きて欲しい。

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