GAME 9 (ゲームキュウ)
Kaede.M
GAME 9 ( ゲームキュウ ) 1
――小学生の頃
「お前は、誰のおかげで生きていられると思っているんだ。食わせてもらっている身分である以上、従うのは当たり前だろ。」
「俺は仕事しかしてないんだから、お前も勉強以外は何もするな。」
「あなたは、将来、東京大学に入らなければならないの。勉強をしないとあなた自身が苦労することになるのよ。あなたのために言ってるの。わかったらトップの成績を取れるように、もっと努力しなさい。他のみんなだって、あなた以上に勉強しているのよ。」
遠く離れた故郷の街で、懐かしくもあり、忌まわしくもある光景があった。
周りに居るのは、両親だ。
と言っても、実の親ではないけれど……。
忌まわしい記憶とともに封印したはずの家族生活が、突然、蘇ることがある。
そう、そこには廃人を養成するための強制収容所に収監されている私がいた。
現在、または、過去の歴史を見てみると、独裁国家において統制を行う手段として用いられるのが、思想の存在だ。
この家でも、その手段として、思想が掲げられていた。
「娯楽は悪で、勉学こそが生きる全てである。」
まぁ、よくある話だ。
ただ、他と決定的に違うのは、そこで暮らした18年間、友人を一人も作ることが許されず、人間関係の構築はおろか、登校以外の外出行為が、一切、許されなかった。
隔離された世界で、根暗、無口、真面目、臆病、対人恐怖……といった性格が形成されていった。
それだけでなく、対人間に対する多大な恐怖心が、殺人願望や自殺願望を生み、それが膨らんでいった。
「お前が生きていられるのは、俺が稼いでくる金のおかげ。生かされてるんだよ、お前は……。俺の言うこと、決めることは、絶対だ。もっと、成績上げろ!バカヤローが。」
「遊びなんて絶対許さんぞ!今度、遊びたいなんて言ったら殺してやる。」
「俺は、お前のために仕事をしているんだ。自分では何もできないお前のためにな。」
「あなたは、どうして成績が上がらないの?こんな馬鹿なら、引き取らなければよかったわ。」
「何回言えばわかるの?東京大学なの。そこしかないのよ、あなたの生きる道は……。あなたのために言ってるの。こんなに勉強ができる環境を整えているのに、どうしてこんなに馬鹿なの?」
「勉強が全て。何度も、同じことを言わせないでね。少しでも私の考えと違うことをしたら、お父さんに言いつけるからね。」
私の家には、いろいろなルールがあった。
一つ目は、授業が全て終わったら、速やかに帰宅しなければらなかった。
どんなに遅くても、午後3時半がタイムリミットだ。
二つ目は、帰宅したらすぐに勉強部屋に閉じ込められ、外から鍵を掛けられる。この部屋の中には、勉強机の他に、布団と敷布団しかない。
机の上にあるのは、教材と参考書、それに筆記具だけだ。
食事をする30分間以外は、次の日の朝まで、そこに居なければならなかった。
三つ目は、トイレに行く時など、この勉強部屋から突発的に出たいときに、部屋の扉の横にあるブザーを押さなければならないこと……。
それによって、鍵を解除してもらい、初めて部屋の外に出ることができる。用を足したら部屋に戻り、再び、鍵を掛けられる。
その行為に要する時間は3分以内だ。
ブザーを押せる時間帯も決められていた。
この生活は、生まれたときから(高校を中退?多分、中退の扱いになっていると思う)と同時に、家出する日まで続いた。
ルールを破った時の罰則は、両親による暴力と陰湿な言葉による虐待である。
これらの言葉は、頭の中に焼きついている。
たとえ、死んだって忘れることはないだろう。
母が監視役で、父が執行役だった。
罵声を浴びせられた後、殴る蹴るの暴行が始まる。
機嫌の悪い日には、体に熱湯を掛けられたり、腕に煙草の火を押し付けられたり、包丁で身体を切り刻まれたりする。
ルールは絶対だった。
だが、次第に、それは名目上のものへと変わり、たとえ、それを守っていても、成績のことや日々の出来事など、何かと理由をつけられて虐待を受けていた。
閉鎖された生活ではあったが、学校ではクラスメイトと会うし、同じ生活をする。
そのため、外部との接触が完全に断たれたわけではない。
当初、周りは同情的だった。
なぜなら、私が家で虐待を受けていることを、クラスメイトのみならず、教師や近所の奴らも知っていたからだ。
今の時代なら、すぐにでも警察やマスコミが介入する事案だが、当時は躾という名のもと、暴力は、程度の差こそあれ、社会全体が容認していた。
だが、同情は長く続かなかった。
学校生活の中で一緒に遊べない私を、すぐに、みんなは誘わなくなった。
私の方も、精神を支配されていたので、友達を作ってはいけない……、絶対に遊んではいけない……、という思想を忠実に守っていた。
だから、孤立した。
友人一人作れず、会話の相手一人いない状況の中で、時は流れた。
当然、いじめの対象にもなった。
小学四年生のときに、それがエスカレートして決定的な出来事が起こった。
翌年のクラス替えで、少しは持ち直したものの、小学五年生のシーズンも、ずっと不安定な状態が続いていた。
その年の秋、学校行事の最中に、ある奇妙な事件が起こった。
クラスメイトの石黒君が、近所の県立公園でオリエンテーリングをしている最中に、突然、亡くなったのだ。
死因は、わかっていない。
私はクラスの弾かれ者が集まる強制的に結成された先生主導のチームに居たので、石黒班に何が起こったのかは、よくわからなかった。
警察による検視、石黒班の他のメンバーに対する聴取、あらゆる方面で調べられたが、結局のところ原因は何もわからなかった。
他のメンバーの話によると、突然、倒れたとのことだった。
普通は、何か健康上の問題を抱えていたのだろうと推測するものだが、そうではないらしい……。
当然、クラスメイトからは、このメンバーたちに何があったのか質問攻めになったが、なぜか歯切れが悪かった。
友達を失った気持ちを語る以上に、何か重大な事を隠しているように思えたが、小学5年生ということもあり、大人たちの追及はほとんどなく、子供同士でいろんな噂をする程度で終わってしまった。
結局、最終的には病死で片付けられた。
冬休みを明日に控えた二学期の終業式は、とても寒い一日だった。
担任の先生の提案で、タイムカプセルを校庭に埋めることなったのだ。
掘り起こすのは30年後……、みんなが40歳になったときだという。
式が終わったあと、全員が校庭の一角に集められた。
鉄でできた頑丈な容器に、それぞれが未来の自分に向かってメッセージカードや思い出の品々を入れた。
正直、私は、どうでも良かった。
友達はいないし、楽しい思い出なんか一つもない。
こんな、苦しみしかない小学校生活なんか、あとで振り返りたくない。
卒業したらみんなと会うことは、もう二度とないだろうという思いで、タイムカプセルには何かを入れる振りをして何も入れなかった。
そこに一人の中年女性が現れ、タイムカプセルに何かを入れた。
聞くところによると2ヶ月前に亡くなった石黒君のお母さんだと言う。
亡き息子の思い出をみんなと一緒に……という思いで入れに来たのだと言う。
そして、タイムカプセルは地中に埋められた。
以後30年、地面の下で眠ることになった。
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