安らぐ死を

人 物

野田幸雄(45)福知山病院医者

雪城春(17)末期の癌患者

春の父

春の母

近所の人

近所の人達

看護師


○福知山病院・医局室前(夜)

   扉の隣に「野田」と記載の名札がある。


○同・医局室内(夜)

   暗闇の中、ポツンとデスク周りに明かりがついている。

   机上に日めくりカレンダー。九月十九日と記載。

   野田幸雄(45)、席に座りながら、手に持った注射器の針の先を見つめている。

   注射器には薬液が入っている。

   野田、虚ろな目で、

野田「これを腕に刺して、薬剤を注入するだけで人は簡単に死んでしまう。なんて、

 脆いんだ」


○(回想)同・個室内(昼)

   点滴が一滴一滴落ちていく。

   ベッドに雪城春(17)。春の腕を手に持つ野田。右手には注射器。

野田「モルヒネを打つから、じっとしとていてね」

   春、虚ろな目で野田を見つめ、小さく頷く。

   野田、春の腕に注射針を刺し、薬剤を注入する。

春「先生、その中のものが致死性の毒薬だったら、私、楽になれるのかな?」

   野田、驚く。注射針を抜いて、ガーゼで患部を押さえる。

野田「な、何を血迷ったこと言っているんだ。まだ諦めたらいかんよ」

春「知っているんだよ、私長くないんでしょう?」

   野田、歯を噛みしめる。

春「言わなくてもいいですよ。ずっと前から死ぬ覚悟はできていますから」

   野田、落ち着きが戻る。

野田「安楽死を望んでいるということかい?なら、私は反対だ」

春「なぜ?」

野田「医者は神ではない。人の生死を決めることはおこがましい。そのため、安楽死

 はするべきではない」

   静かな時間が過ぎる。

   春、目を閉じる。ひと呼吸を入れ、

春「死ぬのは怖いですよ。でも、生きているのが辛くて、楽になれないとわかったと

 き、生きるのが怖くなるんです。死ぬことよりも。だから、死を受け入れてしま

 う。でも、これは悪いことではない。自然な感情だと思う。だって、死ぬことは、

 次の命の礎なんだから」

   (回想終了)


○同・医局室内(夜)

   野田、目を閉じ、注射器を腕に刺す真似をする。

   野田、ハッと目を開け、注射器を後ろに投げ捨てる。ハァハァと息を上げる。

   野田、両手で髪をぐしゃぐしゃとする。


○同・廊下(昼)

   父と母、暗い顔でとぼとぼと歩く。


○同・応接室前(昼)

   父と母、野田の前で止まる。

   野田、会釈する。

野田「お忙しいところ、恐れ入ります」

   父と母、会釈する。

父「とんでもない。急な話とは?」

野田「話は中で」

   野田、扉を開ける。

   野田、父と母を中へ先に行かし、その後に入る。


○同・応接室内(昼)

   父と母、隣通しに座り、向かいに野田が座っている。

父「お話というのは?」

野田「実は…昨日春さんが私にお願いをしてきたんです」

母「お願いとは?」

野田「(口籠る)それは…春さんが安楽死を望んでいるようです。私としては反対で

 すが、お父様お母様のご意見も伺いたいですが…いかがでしょうか?」

   母、涙を流し、口元をハンカチで押さえる。

   父、母の肩をそっと抱く。

   ☓   ☓   ☓

母、静かに口を開く。

母「私は春がこれ以上、苦しむ姿を見るのは辛いです。春が望んでいるのであれば、

 尊重します」

父「私も同意見です」

   野田、俯き、苦い顔。

野田「(顔を上げ)そうですか…。先程も春さんにも伝えましたが、私は反対です。

 病気を治せたらどんなにいいだろうか。医者は万能ではない。ただ、これだけは言

 えます、医者は生死を簡単に操っては人の道理から外れてしまいます。道理を外れ

 てまで、人に笑顔を与えてはいけないんです」

母「そうでしょうか?私はそうは思いません。安楽死という選択肢は春にとって、そ

 れだけで希望なのです。一瞬でも明るい未来が待っていると思います。だから、安

 楽死は希望を持つことができるので、道理から外れていないと思いますよ。それに

 春は死ぬのではなく、笑顔で私達の中で生き続けますので」

   野田、何度も唸るように小さく唸る。

野田「一晩考えさせてください…」

父「(小さく)わかりました」


○同・医局室内(夜)

   暗闇の中、ポツンとデスク周りに明かりがついている。

   机上に日めくりカレンダー。九月二十日と記載。

   野田、席に座りながら、手に持った注射器の針の先を見つめている。机の上に

   笑顔の春と微笑む野田の写真がある。

   野田、注射針と写真をゆっくり交互に目線を移す。そして、天井を見上げる。


○同・春の個室前(朝)

   父と母、歩いてくる。

   父、扉を開こうとしたとき、野田が話しかける。

野田「お父様、お母様」

   父と母、振り返る。

父と母「先生、おはようございます」

野田「おはようございます。昨日の事なんですが…」

   父と母、固唾を飲んで見守る。

野田「聞かれては行けない話なので、中で」

   野田、中へ誘導するように腕の先を中へ向ける。

父「はい…」


○同・春の個室内(朝)

   春、苦しい表情で寝息を立てている。

   野田、決心した表情で、

野田「春さんの選択肢を尊重して、安楽死の選択肢を受け入れましょう」

   母、涙を流す。

父と母「(深くお辞儀)はい…お願いします」


○同・春の個室前(朝)

   おばちゃん、取手を握ろうとする。

野田の声「…安楽死の選択肢を受け入れましょう」

おばちゃん「安楽死?」

   おばちゃん、聞き耳を立てる。


○同・春の個室内(朝)

母「(深くお辞儀)辛いご決断をさせてしまい、申し訳ございません」

野田「私は春さんの担当です。春さんを新しい場所に送り届ける義務があります。今

 まで拒んできましたが、人の死はマイナスのイメージでしたが、そうではありませ

 ん。新しい道へ送る意味もあると気づきました」

   母、ハンカチで涙を拭き、

母「良い考えだと思います」

野田「ありがとうございます。では、準備をしますので、今すぐはできません。明

 日、処置致します。春さんと最後の挨拶を」

   父と母、深くお辞儀。


○同・春の個室前(朝)

   おばちゃん、驚き、扉から離れる。

おばちゃん「ま、まずい…春ちゃんが…」

   おばちゃん、走り出す。


○同・医局室内(朝)

   野田、机上の日めくりカレンダーを一枚破り捨てる。九月二三日と記載。そし

   て、机のケースに薬剤が入った注射器を置く。

   強く、扉が開かれる。看護師、慌てて入ってくる。

看護師「先生、大変です、外で町の人達が…」

野田「どうしましたか?」

看護師「兎に角、こちらへ来てください」

   野田、駆け足で看護師の後を向かう。


○同・玄関前(朝)

   「野田は殺人者」「悪徳医者を追放」と記載の立て看板を手に持つ町の人達。

   おばちゃんの後ろに町の人達がドシッと構えている。

おばちゃん「(大声)春ちゃんを殺すな」

町の人達「(大声)そうだ、そうだ」

おばちゃん「(大声)野田は犯罪者だ」

   野田と看護師、自動ドアから飛び出す。

野田「な、なんだ!?」

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