第21話 事業拡大にむけて

 季節の移り変わりは速いもので、いすず鉄工は創業二か月を迎えていた。その間も、私たちは延々と鉄を作り続ける。二か月もあれば品質もそれなりに向上し、従業員たちも仕事に慣れてきていた。

 私たちの鉄は、その殆どが農具へと変わる。主な売りつけ先は集落の農家で、時々、マッケンジー領の中心街に居を構える鍛冶屋などにも足を伸ばす。


 まだ他の土地への物流ルートは確保できていないのだけど、これはゴドワンがもうしばらく待てと言っていた。今の私たちでは、よその領地に売り出しても、その領地内の別の業者に潰されるだけであるから、というのが一応の理由だ。

 もう一つの理由はやはり石炭製鉄の技術をよそに見せたくないのだろう。


 そういった理由もあってか、二か月の間の売り上げはまぁ正直低い方である。

 それでも農家を相手に農具の売買、修繕などを請け負うだけでも需要があった。

 領地内の、私たち以外の製鉄工場は基本的にゴドワンの直轄であり、領地内の軍事力や領地規模拡大、そして他領地及び王家への輸出を担当しており、扱いとしては中小企業、私たちはどこともつながりのない下請け、下町の工場であった。


 ついでに、陰口も当然出てくる。

 内容はおおよそ想像つくだろうけど、愛人の道楽だの、体で工場を買ったのだの。まぁ散々な話である。人間、どの時代でも、どの世界でもこういったゴシップが好きなのだろうか。

 

 少なくとも同業者から向けられる視線はかなり白いし、侮蔑が含まれていた。

 だけど、私自身は全くそれを気にしていなかった。我慢とかじゃない。きついと思えないというか、最初からそういう風にみられることを想定したうえでの活動なら、案外涼しい顔になるというわけだ。


 だけど、地道な活動は実を結ぶというのは本当らしく、確かに陰口は散々叩かれているようだけど、農家を相手に細々と仕事を繰り返していると、そこからの評判はまずまずといった具合だった。

 元より資材の関係で大量生産ができない私たちは、くず鉄を回収して、それを溶かし、再利用も始めている。


 値段だってリーズナブルだ。鉄インゴット含め、鉄資源はかなり高くつくのだけど、農具そのものは比較的安い値段で売買していた。

 インゴットなどはそもそも買い手が街の中心部の鍛冶屋などが基本だ。こっちは相場相応の値段での取引がされているが、今の所、メインではない。

 いずれ、そうなることだろう。


「社長業が中々にあってるじゃないか」


 この二か月の間、アベルのひそかな流行りなのか、彼は顔を会わせる度にそんなことを言ってくる。ちょっとむず痒い。元は研究員の私が、工場を率いているなんて、本当にどうかしているわ。

 そしてそれなりにうまくやれているのも驚き。

 アベルは頻繁にこちらの様子を見てきてくれる。炭鉱の買収驚くほど速く進んでいるらしく、来月には彼らのいる炭鉱はゴドワンのものとなる。

 理由としては簡単だ。その山での木材がほぼ消えかかっているからだ。まだ森林と呼ぶべき土地は残っているようだが、採算の取れる量ではない。

 ある意味、何も知らない人からすれば無価値な山なのだとか。


「こっちはそろそろ本腰入れて、この工場に石炭が運べる。細かい業務もあるにはあるが、まぁ気にするほどじゃない。金がとれなくなったら、連中はあっさり手放しやがる。んで、こっちの経営はどうなんだ?」

「赤字よ。想定していたことだけど」


 まぁ、そんなものだ。

 まともな取引先がないんじゃ、こんなもの。


「その割には余裕そうだが?」

「二か月、この領地内の製鉄業者を見てきたけど、やっぱり焦りみたいなのが見て取れるの。響いてきたのよ、木炭燃料が」


 今の所はまだ劇的な変化ではない。

 しかし、送り込まれる木炭の数がどうやら少なくなってきているという自覚は、領地内の工場主たちも感じ取っているようだ。彼らは既に大きな工場で、日に大量の鉄を作り出す関係上、ちょっとの資材減少が後になって大きく響いてくる。

 一日、20トン作れていたものが、次の日には15トンしか作れないとなったら、大損失だ。

 着実にフル稼働が出来なくなっている。


「お前の目論見は当たったというわけか」

「そうなっていると思いたいわね。今は私たちの工場を維持するのが先決よ。そのために、副業の幅も広げたのだから」

「針売りか?」

「そ、道具を揃えるのに二か月よ、二か月。それに、製鉄業務の片手間にしないといけないから、大変なのよ。しばらくは端材を小さく削ったようなものしか作れないけど」


 かねてより計画していた針売りも今月からは始める予定だ。奥様たちにも協力してもらい、これも周辺集落で売りさばく予定。

 針は需要もあるし、最悪質が悪くても買い手は多い。本当はまともな針が欲しい所だけど、こればかりは人員と設備の問題。


「んだけどよ、一か月の間にならもっと設備増やせただろ? お前、風呂なんて作って何がしたいんだ? 娼館でもやるんじゃねぇだろうな」

「誰がするか! 私はね、汗まみれ煤まみれで眠り続けるのはごめんだし、冷たい水を浴びるのも御免なの!」


 そして何より、個人的に私が優先したのはお風呂場の設置だ。

 大浴場ではない。一人が入れる程度の小さな湯舟、どっちかといえば風呂桶というべきかしら。

 この辺りは従業員たちにも無理を言って作らせたので、実際の完成はかなり遅かった。


 石炭の熱で、お湯を沸かす。原理としては昭和の日本なんかで見られたタイプのお風呂に似ているが、構造としてはもっとシンプルで、少々熱伝導率も悪い。これは私にそこまでの知識がなく、かといって従業員たちも細かなつくりを知らないから出た弊害でもあった。


 ただ、ここで活躍してくれたのが元娼婦の奥様たちである。娼館には小さいながらもお風呂があったようで、まぁなんだ、お仕事の前には身支度を整えるのに使っていたという。

 彼女たちも詳しく知っていたわけではないようだったけど、それでも身近にあったものだった為か、意外と構造なんかを覚えていたようだった。


 中世におけるお風呂事情はかなり悲惨だったとものの本で読んだことがあるけど、そんなことは元日本人の私にしてみれば知ったことではない。それに、これは私たちだけで使うものだ。

 一般の解放なんてまだ考えてないもの。


「お風呂は原則、混浴は厳禁。女性が先。男たちは後、当番制よ。もし破ったら炉の中に放り込む。今の所、誰も破ってないけど」


 小さなコミュニティっていうのが幸いしたようだ。

 まぁ、結局お風呂作ったせいで、工場娼館だの男を連れ込んでるだの、陰口も増えたけど、構うことじゃなかった。あったかいお風呂で一日の疲れを癒せれば、そんなくだらない話なんて吹き飛ぶわけよ。

 悔しかったら自分たちでもお風呂を用意してみろって話よ。

 当然、こっちだって馬鹿な事が起きないように気を付けているわけだけど。


 社員の慰安に関してはおろそかにできないけど、ここはまだ我慢をしてもらうわ。今から大規模にシフトなんて不可能だから。


「アベルも入っていく? 今から用意すると時間かかるけど」

「あー、気にはなるが、遠慮しておく。また炭鉱に戻って仕事だ。ま、とにかくお互い、やることをやっていこうや。俺はとにかく掘り進める。お前は、鉄を作れ」


 本当に、アベルは様子を見に来ただけのようだ。

 ……ご飯ぐらい食べてけばいいのに。

 なんだかもやもやする。それを払しょくするために私は仕事に打ち込む。今月の生産量の予定を調整しないといけないし、新しい炉の修理も考えて、お風呂の改良もゼロの知識から始めないといけなくて、そして……。

 やることが多いのが、私にとってはちょっと、気が紛れて楽だった。

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