8区 史上最弱の作戦……さらに失敗
磨き抜かれた床は鏡面のように輝いているのに、それは隙間なく女性の靴によって踏み荒らされている。床以上に光輝く“宝石”、“AKIRA Enjoji”のチョコレートを求めてのことである。
「前の人の靴のデザインとここの床、今夜の夢に出てきそう」
ため息に混ぜてささやくと、私のコートに顔を埋めて、園花ちゃんも苦しげにうめく。
「あと少しですから、頑張りましょう!」
一応列は作っているものの、ぎゅうぎゅうに押し込められた店内では、床か天井を見ていないと他人の髪の毛に顔を突っ込みそうだった。実際、私の前に並んでいる女性のコンディショナーが ……とってもいい匂い。美容院で買った高いやつかなあ?
円成寺明良はベルギーを中心にヨーロッパで修行を積んだショコラティエで、数年前日本に店を構えた。“和菓子のように繊細なチョコレート”と評判で、味へのこだわりはもちろん、ひとつひとつがうつくしく彩飾されている。鳥を象り抹茶の粉でウグイスが描かれた“春告”。花形のホワイトチョコレートにほんのりストロベリーとバナナで色づけされた“寒椿”など、ネーミングも日本的。テレビや雑誌でも取り上げられていたから、私も淡いイメージくらいは知っていたけれど、実際足を運ぶことになるなんて思っていなかった。
━━━━━先日。
寒さも厳しくなってきたので、私たちはもっこもこの膝掛けをほとんど毛布のようにかぶりながら、相変わらずデータの打ち込みに勤しんでいた。事務所の出入口付近に机が並んでいるため、誰かが出入りするたび冷気が入ってくる。机の下で脚をすり合わせながら、私は園花ちゃんに持ちかけた。
「今日は一段と寒いよね。昼休み、足湯しようよ」
持ち込んだバケツを使って、私たちはときどき交代で足湯をする。通り過ぎる人たちはびっくりするけれど、それがどうした。寒いんだよ!
「賛成です。爪先痛くなってきましたもん」
「そんな靴履いてるからでしょう」
余裕の顔で未来人さんは微笑むけれど、その足元は、雪国使用のもこもこ長靴(カイロ入り)で固められている。私もブーツで出勤しているけれど、仕事中はパンプスに履き替えていた。
「この制服、全部フリースにしたらいいのに」
マウスを操作するほんの2秒の間も、空いた左手を膝掛けの中に突っ込んだ私は、袖丈以外は年中変わらない制服に不満を持っている。
「フリースでもこもこの姿、牧さんに見せるんですか?」
「………………………我慢する」
園花ちゃんから嘲笑とともに突き付けられた現実の壁に、私はあっさり屈した。
「恋してれば寒さも吹っ飛ぶわよねえ。園花ちゃんも恋したらいいのよ」
ゴム長靴を履いていても桝井さんはどこまでも乙女だ。
「恋よりそこのドア封鎖した方が確実です!」
総務課の人が出入りして、また寒風が入り込んだ。そのドアを睨んだ流れで、隣に貼ってあるカレンダーが目に入る。
「ところでさ、バレンタインってどうしたらいいの?」
カタカタカタカタカタカタカタカタ………
キーボードの音ばかりが響く。聞こえなかったのかな? と私は少し声を大きくして同じ質問を繰り返そうとした。
「ところでさ、バレンタインって━━━━━」
「まだ何もしてないんですか!?」
「もう一週間切ってるよ! 動き出し遅すぎる!」
左右から同時に責められて、私はほんのちょっぴり痩せた。
「桝井さーん、飯星さーん。仕事ー」
手の止まったふたりに課長の注意が飛ぶ。仕事を再開したので、私語も再開。
「すみません。バレンタインの経験が貧相なもので」
みんなどこで情報を得て、どうやって決めているんだろうかと思う。
一本電話を終えて、桝井さんが相談に乗る姿勢を示してくれた。
「前はどうしてたの?」
「前の彼は好きなチョコレートが決まってたので毎年それを。その前も本人の意向を聞いて買ってました。あ、園花ちゃんに職場用の買い出しお願いしてたよね? どこで買ったの?」
「課長のなんてコンビニで買いましたよ」
課長がビクッと肩を上下させたけれど、全員見なかったことにした。
「桝井さん、旦那さんと息子さんには?」
「スーパーで食材買うついでに三つ同じのをカゴに入れただけ。予算はひとり300円ね」
主婦の仕事において、桝井さんの乙女モードは発動されないらしい。
「わからないなら、知り得る限り一番高いチョコレート買えばいいですよ。告白するとき安チョコだと自信出ませんから」
当然のように園花ちゃんが言った言葉に引っ掛かる。
「そもそも私、チョコレート渡した方がいいのかな?」
左右で同時に深いため息が聞こえ、伝票がその風にピラピラと踊った。
「優芽ちゃんったら、今さら何を……」
「私が牧さんなら、もらえるって期待してますね」
「いやいや、そんなのわかんないよ。逆にびっくりされるかもしれないしさ」
データ入力の合間に、桝井さんの小さなパンチが左脇腹の肉溜まりに炸裂し、園花ちゃんも語気を強める。
「面倒臭いからさっさとくっつけばいいんですよ!」
応援というより、雑務処理に近い扱いだが、それでも他に頼れる人はいない。
「だってー! フラれたらどうするの? 仕事はこれからだって続くんだよ?」
「牧さんって独身で彼女もいないんですよね? モテないだろうし、押しに弱そうだし、断らないと思います。万が一フラれたって、せいぜい電話だけの付き合いじゃないですか」
「うれしくない! もっと励ましてよ!」
破けてしまった指サックを交換しに、園花ちゃんは席を立って行ってしまう。
「優芽ちゃん」
諭すように真剣な声で、桝井さんが言う。
「もし牧くんが期待して待ってた場合、あげなかったら逆に距離ができちゃうかもしれないわよ?」
「………………チョコレート、渡します」
桝井さんはにっこり笑って、私の背中をポンポンと叩いた。
「でね、私はこれがいいと思うのよ。“AKIRA Enjoji”。予約は受けてないから、逆にこれからでも並べば間に合うし」
いつの間にかデータ入力から、高級チョコレート検索に変わっていたらしい。その商品ページをプリントアウトして、蛍光ペンで印をつける。
「桝井さーん、西永さーん、仕事ー」
課長の声がするけれど、全員一丸となって聞こえないふりをした。
「私これね」
「あ、私の分もお願いします!」
戻ってきていた園花ちゃんも、そこばかりは明るい声で参加する。
「ごちそうするから付き合ってよ~」
新しい指サックの装備された手を、園花ちゃんがうん、と言うまで握り続けた。
……というわけで、混むとわかっているこんなところに私と園花ちゃんは来ていたのだ。
人と人の間から、チラチラとチョコレートらしき芸術品が見える。
「写真で見るのと実際と、結構印象が違うね」
「ひと粒400~800円ですからね。さすがの迫力です」
「ええ~どうしよう」
前の人たちの注文を聞いていると、セットになったものを買っている人が多いようだ。桝井さんに頼まれたものも三個入り1200円。対して園花ちゃんはバラ売りで三つ厳選するらしく、必死にプリントアウトした紙とショーケースを見比べて選んでいる。
「大変お待たせいたしました。お次の方、お伺い致します」
「は、はい!」
妙に緊張して、あれこれメモしたものにも自信がなくなっていた。
「こ、この三個入りひとつと、……」
決まっている桝井さん分を頼むと、園花ちゃんが自分の分をさらっと注文する。
「“月の雫”と“秘恋”と“なごり雪”をひと箱に詰めてください!」
店員さんが復唱して、トレイに乗せていく。
「以上でよろしいでしょうか?」
少し疲れた店員さんの笑顔に圧倒され、私はあわあわと目をさ迷わせた。ショーケースを見ても何も目に入ってこないばかりか、きらめきに目眩がした。
「ぜ、全種類ひとつずつ!!」
目を閉じても、これなら注文可能。
そうして迎えたバレンタイン当日の始業前。若さあふれる笑顔で、園花ちゃんが課長の机の前に進み出る。
「課長、おはようございます! これ、課員女子一同からです。いつもお世話になってます!」
コンビニで買ったというそれは、予算500円(桝井さん200円、私200円、園花ちゃん100円+税+買い出し)にしては高級感漂うラッピングがなされていた。課長はほんのり恐怖を浮かべてその包みを受け取る。
「あ、ありがとう……ございます」
その言葉さえ最後まで聞かず、園花ちゃんは踊るような足取りで自席へ戻った。
「お疲れ様、園花ちゃん。はい、これ例のアレ」
「ありがとうございますう~!」
三個しか入っていないのに重厚感のある小箱に、園花ちゃんはいとおしそうに頬擦りをする。
「帰ってからが楽しみねえ。ワインも用意してるの」
桝井さんもリボンの色が違うその箱を、孫の頭であるかのようにやさしく撫でた。旦那様と息子さんたちのチョコレート総額より高いワインを、自分用に買ったそうだ。女なんてそんなものよね。
園花ちゃんもバッグから小さな袋を取り出す。
「これ、私が作ったセロリシフォンでーす」
園花ちゃんは時折奇抜なお菓子を作ってくれるのだが、無造作に課長の机にも置く。
「これは私から。いつもお取り寄せしてるんだけど、おいしいのよ~。あ、課長もどうぞー」
と、桝井さんもカレーせんべいを配り始めたから、もはや何のイベントだかわからなくなった。
「それでそれで? 優芽ちゃんはどんなの買ったの?」
興味津々で桝井さんが覗いてくるので、机の上にドカッと紙袋を置いた。いや、紙袋自体はそれほど重くないのだけど、パッケージの重厚感と、何より値段ゆえに、実際以上に重さを感じたのだ。
「“AKIRA Enjoji”でこの量……」
桝井さんがおののく。
「しめて、9900円(税別)でした」
「いやあああああ!!」
桝井さんの悲鳴に、課長がぎょっとしたが、当然無視された。
「私のつまらない人生で、まさかあのセレブ買いを目にするとは思いませんでした」
園花ちゃんが感動にむせび泣く中、私は重い気持ちでイスに崩れ落ちる。
「これ、どうしよう……」
「どうしようもこうしようもないですよ。牧さんに渡すために買ったんですから」
「ちゃんと『好きです。付き合ってください。返事待ってます』まで、全部言うのよ! 逃げられないように、退路は塞ぐの!」
「なんですか? それ。イタチの捕まえ方か何かですか?」
いつも以上に騒がしい事務課前を、タイムカードを押す社員が通りすぎて行く。
「おはようございます」
今日も廣瀬さんは他の人の影より薄い存在感で、ふわふわ歩いていた。以前の私なら、声を掛けられなければ見過ごしていたのに、もう彼しか見えない。
「……おはようございます」
“AKIRA Enjoji”の箱をさっと机の下に隠し、私は俯いてFAXを整理するフリをしながら挨拶を返した。意識しすぎてびっくりするくらい顔が赤くなり、とても見せられなかったのだ。
「牧さん、おはようございます!」
事務課とはフロアの反対側、奥の方から堀田さんが小走りでやってくる。小声で何かやり取りしながら恥ずかしそうに紙袋を差し出すと、サラサラの髪の毛が肩から落ちた。ふわわんと笑って廣瀬さんはその紙袋を受け取り、ピンク色の顔で一礼した堀田さんは、ウサギが逃げるように戻っていく。
「あの紙袋! “AKIRA Enjoji”って書いてなかった? やっぱりそうよね?」
桝井さんは私の紙袋と見比べ、確信を深める。
「受け取りやがった」
舌打ちと同時に園花ちゃんが吐き捨てた。
「……受け取るでしょ、廣瀬さんなら」
人の気持ちだもの。受け取るよ。
「私のこれだって、受け取ってはくれるよ」
気持ちを受け取ることと応えることは違う。私はもう、受け取ってもらうだけでは満たされない。
俯いているうちに廣瀬さんは事務所を出ていったらしい。
「西永さん! 今ですよ!」
「早く追いかけなさい!」
両サイドから責められても、私の脚は頑なに動かなかった。
「無理です。二番煎じなんて……」
「大丈夫ですよ! その量なら勝てます!」
「多数決じゃないんだから」
渡す心の準備も、廣瀬さんの反応を見る準備も、まだまだ全然できてない。できそうもない。
心の準備とは、できるものではなく、するものらしい。……と、後れ馳せながら気づいたのは、もはや退勤のときだった。
「今からでも配車の事務所行ってきた方がいいですって」
タイムカードを押して、すでに着替え終えた園花ちゃんが、さすがに心配そうに言ってくれた。
「それは無理」
配車の事務所なんて用事がない。しかも男性ばかり。中に入るだけで目立つのにこんな紙袋を持って行く勇気なんてない。
「番号知ってるなら呼び出したら?」
「それも無理です」
電話で呼び出すなんて、それだけですでに告白だ。誤魔化しようがない。
「別に、告白なんてバレンタインじゃなくてもできますから」
バレンタインでさえ思い切れなかった臆病者が、何のきっかけもなしに告白できるわけがないけれど、私の落ち込みようを見て、ふたりとも指摘しないでくれた。
「課長」
一日眺めるばかりだった箱をドカッと課長の机に置く。
「代わりにもらってください!」
目に涙を浮かべ珍しく頼ってくる部下を、課長はあっさり振り払った。
「ええええ! 嫌だよ! 重いよ! 呪われそうだよ! 自分で食べたらいいじゃない!」
キャスターつきのイスをシャーーッ! と滑らせて、課長は背後のキャビネットにぶつかるほど後ずさった。
「自分で食べるなんて嫌ですぅぅぅ!」
さすがに同情したのか、課長はしぶしぶ机に戻る。
「お返しはひとり500円って決めてるから、値上げしないよ」
念を押して袋に手をかけたけれど、次の瞬間パッと表情を明るくする。
「あ! 下柳くん! ちょうどよかった。はい。うちの西永さんからチョコレート」
私の愛がよほど恐ろしかったのか、爆発物でも処理するみたいに、高級チョコレートを通りすがりの人物に手渡した。どこの誰でももらってくれるならよかったけれど、この人だけは最悪だ……! 園花ちゃんなんて死人(ここは“しびと”と読んで! なんかそんな感じがするの!)のような顔で、課長と下柳のやり取りを見ている。
なんなのこれ。今朝のことと言い、“間が悪い”って空気感染でもするの?
その下柳のヤローが私を見た。短い時間で、私もそれなりの覚悟と計算を整える。
「配車担当のみなさん宛です。いつもお世話になってるので、みなさんで召し上がってください!!」
“みなさん”を強調して言った。もしかしたら、廣瀬さんにも届くかもしれないと思ったら、下柳相手なのにドキドキしてしまう。
「ありがとう」
存外やさしい表情で下柳は箱を受け取って、私も笑顔を返した。届け! 廣瀬さんに届け! と箱ごと溶けそうなくらい強く念じると同時に、「お前“秘恋”だけは食べるなよ。あれひと粒で800円もするんだから」と言葉に出さずに訴えた。
「あのチョコレート、体内に入ったら爆発すればいいのに」
下柳が事務所を出ていった直後、冷え込み厳しい世の中を、さらに底冷えさせるような声で園花ちゃんが言った。
「廣瀬さんも食べるかもしれないんだから、今だけは呪わないで……」
どうかどうか、ひと粒(できれば『秘恋』)でいいから廣瀬さんが食べてくれますように!
作戦が失敗したとわかったのは翌日の朝。
「おいしかったです! めちゃくちゃおいしかったです! 800円って思って食べるとより一層おいしかったです!」
「濃厚だったわね~。400円分しっかり濃厚! 100円の板チョコの4倍濃厚だったわ~!」
と“AKIRA Enjoji”について、桝井さんと園花ちゃんがきゃいきゃい騒いでいるのを、ベストのボタンを留めながら「ほえ~」と聞いていた。私はひと粒も食べていないので。
「西永さん、おはよう」
そのとき目の前に立ったのは、件の高級チョコレートを大量に食べたであろう下柳だった。痛いニキビが顔中にできればいいのに。
「おはようございます」
「今夜空いてる?」
「はい?」
「食事に行こう」
ここで注意していただきたいのは、下柳は「食事に行こう」と語尾を下げて言ったことだ。「食事に行こう?」と語尾を上げて私の意向を伺うのではなく、「食事に行こう」と決定を告げるように。
人通りもあり、桝井さんと園花ちゃんがいて、課長にも聞こえている。そんな中で堂々としたお誘いだった。男らしい! ちょっぴり感動したせいもあり、反射的に「嫌です」と答えるのはかろうじて堪えた。それをいいことに、
「帰りに迎えに来るから」
と事務所を出ていってしまう。
唖然とする視界の中を廣瀬さんが「おはようございます」と三日月みたいな目で笑って通り過ぎていった。それはいつもより少しだけ細く、無理をしたような笑顔。
多分、誰も気づかないほどささいな違いだった。視線を向けられた時間もいつもより短い。声のトーンもいつもより少し低い。好きだからわかった。開いてしまった、その距離。
「ちょっと出掛けます!」
始業とともに鳴り始める電話のベルを背に、私は事務所を飛び出した。もし昨日この勇気が出せていたら、と後悔ばかりを胸に。
「廣瀬さん!」
声を掛けてから一拍遅れて、廣瀬さんは振り返った。
「はい。なんでしょうか?」
呼び止めたはいいものの、何を言ったらいいのかわからず「あの、あの、チョコレート、昨日、」とバラバラの単語をひとつひとつ捻り出す気持ちで口にした。
「……ああ、下柳さん喜んでましたよ。よかったですね」
「あの、あの、そうじゃなくて……」
最初から全部ちゃんと説明しないと伝わらないのに、時間がなかった。廣瀬さんのポケットで携帯が鳴る。
「……すみません」
片手を軽く上げて、廣瀬さんは電話に出た。
「もしもし。お疲れ様です。牧です。……え! あー、積んじゃいましたか……困ったな」
何かトラブルらしく、携帯を一度耳から離し、通話口を手で塞ぐ。
「話しの途中で申し訳ないのですが、仕事で」
「あ、はい。大丈夫です! 全然たいしたことではないので!」
廣瀬さんは「すみません」ともう一度謝って、通話しながら走って事務所に戻っていく。その背中をどうすることもできずに見送った。今の気持ちがどうであれ、仕事はしなければならないから、私もすぐに戻らないといけない。きっと事務課でも、電話が鳴っているだろう。
コマ送りくらいのペースで、私は帰り支度をしていた。のろのろのろのろ。帰りたくない。食事なんて行きたくない。今日ばかりは永遠に残業していたかった。
「とにかく、飲み過ぎないように気をつけてくださいね。何かあったらすぐ電話ください。駆けつけます!」
「正直に話して謝るの。とにかくひたすら謝る。それしかないわ」
左右から浴びせられるアドバイスに、力なくこくこくとうなずいた。
昼休みに下柳を見かけて、私は食事を断った。あれは本当に配車担当みんな宛てであって、そんなつもりではない、と。ところが、
「彼氏でもいるの?」
「いません」
「だったら食事くらい付き合えるだろ」
「いや、あの、ですからそういうつもりではなくて」
「気を持たせるようなことした責任は、そっちにあると思うけど? とにかく、今日の仕事終わりで迎えに行くから、話し合いはそのときに」
と、結局事態は変わらなかったのだ。
「あんなやつとの約束なんてすっぽかしてもいいと思いますけど、後々面倒なことになっても困りますよね。それに、悔しいけどヤツの言い分にも一理はあります」
焦げたサンマの内臓を食べたような表情で、園花ちゃんは言う。
「……そんなに思わせぶりだった?」
「優芽ちゃん、あのとき牧くんのこと考えてたでしょ?」
桝井さんは私の頬っぺたを指差す。
「真っ赤な顔で目も潤んで、モジモジしながら超高級チョコレート渡したんだもの。『みなさんで』って言ったのも、逆に照れ隠しに見えたかも」
「なんで課長なんかに渡したんですか。私と桝井さんにくれればよかったのに」
「本当にそうだよね。なんでだろう……」
項垂れたらガンッと机に頭をぶつけた。心が痛すぎておでこの痛みなんて感じない。
「下柳くんはプライド高そうだから、みんなの前で誘ったのに断られるなんて許せないんでしょう。一回付き合えば許してくれると思うわよ?」
「な、なんかごめんね。西永さん」
いつもは空気と一体化している課長も、さすがに同情を寄せてくれた。
「……みなさん、ありがとうございました。すべては私の不始末。報いはしっかり受けてきます」
ガラスドアの向こうに下柳の姿が見えた。一度素通りしてタイムカードを押すと、特別挨拶もなしに「行こうか」と先に出ていった。重ーーーい脚を引きずって私もドアに向かう。
「……ドナドナ」
空気みたいなくせに空気を読まない課長がポツリと言った。
「やめてください! 食べられる気なんてないですから!」
「ひい! ごめんなさい!」
「そうですよ! 何かあったら連絡。絶対忘れないでくださいね!」
「私の防犯ベル、今日だけ貸してあげるから」
桝井さんがバッグに防犯ベルを入れてくれて(さすが乙女、持ち歩いてるのだ)、携帯はすぐ取り出せるようにコートのポケットに入れて、下柳の後を追った。
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