3 天国のデート

 ……? 

 オレは、どうやら天国の道端に座っているらしい。

 天国って案外、人間の世界とおんなじだ。自動車も走ってるし街もごみごみしていて、人が忙しそうに行き交っている。


「じゃあ、行くわよ。早く立ちなさい」


 後ろで声がする。聞き覚えのある声だった。

 まさかその声は……アゲハちゃん!

 振り向くとそこに、まさしくアルプス山脈の如く聳え立つ、アゲハの姿があった。

 神様、ありがとう! オレの最後の望みを叶えてくれたんだね。デートできるなら、死んだ後でもうれしいよ!


「なあに、ブツブツ言ってるの?」


 アゲハの瞳がキラリと光る。

 思ったより怖い女らしい。まるで、どっかの鳥の巣頭の鬼ババアみたいだ。オレは制服のズボンをパンパンと叩き、素早く立ち上がった。


「行くって、どこへ?」

「決まってるじゃない。あなたのお父さんのところよ!」


 アゲハはくるりと振り返ると、すぐに雑踏の中へと歩き出した。オレは意味も解らず、その後を追った。


 ――父さんのところ?

 そうか、ここ天国だもんな。にしても初デートが親父付きなの?


「言っとくけどね」 アゲハが急にこちらを向き、立ち止まる。

「ここは天国なんかじゃないわよ。現実の世界。ただ、それが過去の世界というだけ」


 オレの考えを見透かしている。


「過去の世界?」

「そう。今のあなたからすれば、ね。私の計算が間違ってなければ、ちょうど十年前よ」


 十年前か……。

 それって、父さんが亡くなった頃じゃないか――あの事故で。

 そういえば街を行き交う車も、人の服装も街並みも、空気の臭いまで古くさい。自分の子どもの頃の記憶に、そっくりだ。


「あなたのお父さんは、確か駅前の交差点で車に轢かれたのよね?」


 十年前の、今日。

 確かに父さんは、駅前の交差点でダンプに轢かれて死んだのだ。道路に飛び出した犬を助けようとして――。

 だけど何でそんなことまで知ってんの? もしかして、キミは魔女?


「アゲハちゃん……。キミ、一体何者なんだ?」


 オレは、目の前の奇妙な女を見据えた。

 瞳を曇らせたアゲハが、眉を吊り上げる。


「わかんないの? この顔をよく見てよ!」


 アゲハが、人差し指を自分の顔の中心に向ける。


「私の名前は、古戸アゲハ。あなたの娘よ」


 あなたの娘よ……あなたの娘よ……娘、ムスメ、むすめ……。はて、娘って何だっけ?

 ええええっ、娘? そんな訳ないじゃん。

 オレはまだ高校生だぜ。高校生に高校生の娘なんて、アリエナイ!


「さ、わかったでしょ、お・父・さ・ん。お祖父じいちゃんを助けに行くわよ」


 全然、解らん。まったく、解らん。

 アゲハがくるりと向きを変え、駅に向かって走り出す。仕方なくアゲハを追いかける、オレ。やっとのことでアゲハに追いつき、肩を並べた。


「あのね、さっきの話だけど……悪い冗談だよね?」


 アゲハはキッと厳しい目をして、交差点の向こうの公園を指さした。


「ちょっと座って話をしましょうか」


 駅前の小さな公園。

 そこには幾つかのベンチがあり、暇を持て余したカップルやら大学生の若い男やらが座っている。オレは、サラリーマンのオヤジがガアガアとイビキをかいて寝ている横のベンチに腰を下ろした。こりゃ、大分お疲れのようだ。

 するとアゲハが、オレの横にちょこんと座った。


「私たちはねえ、『スパイス・トラベラー』なのよ。早く思い出してよね」


 前をじっと見つめながら囁く、アゲハ。

 スパイス・トラベラー? 全く、意味解らん。


「お父さんが、私が五歳の時に教えてくれたでしょ。『オレたちは、カレーのスパイスの力で時空を旅するスパイス・トラベラーの血を受け継いでいる』ってね」

 ――はあ。私がそのように言いましたか。

「でも、何のスパイスをどう使えば時空を移動できるのかまでは解らなかった。その時はね。だってお父さん、それまで何にも研究してくれなかったんだもの」

 ――ス、スミマセン。

「私はそれからというもの、クラスのみんなに変人扱いされながら、毎日毎日、家でスパイスの研究をしてきたわ」

 ――ご苦労さんです。

「そして、ついに解明したのよ。時間を制御するのはクミンのスパイス。空間を制御するのはコリアンダーのスパイスの量だってことをね……。もちろん、それだけじゃないわ。いろんなスパイスのバランスも大事なの」

 ――クミン? コリアンダー? ソリャナンダ?

「それで、私は決めたの。この力を使ってお祖父さんを助けるって」

 ――それって、いいのかなあ。歴史が変わっちゃうかもよ。

「でも、どうして高校生の僕のところに来たわけ? そのまま、父さん……いや、お祖父さんの所に行けたでしょ?」

「私のいる時代のお父さんはどうしようもなく『グータラ』だけど、高校生のお父さんなら少しは役に立つのかな、と思ったのよ」

 ――ふうん。悪うございましたね、グータラで。

「じゃあ、さっきのカレー屋での騒動はやっぱりキミの仕業?」

「そう。お父さんならきっとあのカレー屋さんに来ると思って、無理矢理頼んでバイトさせてもらったの。案の定、お父さんは来たわ。で、スパイスを調合して、その空気を吸って、私達はここに来たってわけ。でも、何を間違えたのかしら……。あんな紫の煙までは予想してなかったのよね」


 アゲハが、ぺろりと舌を出す。

 おいおい、大丈夫かよ。それにしても、この娘の言ってること本当なのだろうか? オレ、やっぱり騙されてるんじゃないのかな?

 とそのとき、オレの背中をコツコツと叩く者がいた。

 振り返るとそれは、さっきのお疲れオヤジだった。ニコリと笑いながら、こう言った。


「面白そうな話だね。旨いカレー屋の話か? 僕もカレー、大好きなんだ」


 馴れ馴れしいオヤジだな――って、あんたまさか!


「ととと……さささ……」

「ちょっと、何言ってんのよ」


 アゲハが、ぺんっとオレの肩を叩いた。でもオレの体はちっとも動かない。硬直してしまっていたからだ。

 それもそのはず――そのオヤジは、オレの父さんだったのだから!

 目の前にあるのは、忘れもしない父さんの顔だった。


 今、オレの横に死んだはずの父さんがいる!

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