美貌の騎士と悪知恵聖女
才羽しや
序章
フルール・ホワイトについて
城の大広間を貸し切っての舞踏会。
似たり寄ったりのドレスを翻す女どもと、髪を撫でつけ気取った男たち。そして国民の血税でこさえられた馳走の数々。
「何っなんだ、あのクソ女!? こっちが下手に出れば良い気になりやがって、一体何様のつもりなんだ、ああ? 僕を誰だと思ってる!」
控室に引っ込むや否や、地団駄を踏んでミッシェルは叫んだ。
時はさかのぼる――ほんの数分前のこと、本当にごく直近のできごとである。
大陸の端に位置する小さくて地味なピディアト王国。ミッシェルはそのピディアト王国の現王子にして、次期王となる男だった。今宵開かれた舞踏会は彼の花嫁となり国の妃となる女を探すためのものだと、国民には伝えられている。
しかし彼は貴族の女どもに見向きもせず、ただ一人、バルコニーの出入り口にたたずむ女のもとへ向かった。
「やあ、こんばんは。今宵もご苦労さまです、フルール隊長」
フルール・ホワイト。王国騎士団の第三隊隊長を務める志願兵だ。真白の軍服がよく似合う、すらりと背の高い抜群のプロポーション。高く結い上げられた黄金色の長い髪が揺れ、その端正に整った顔がミッシェルを振り返った。髪とお揃いの色を持つ金の双眸は、まるで満月が二つも浮かんでいるよう――。
ハッキリ言って、この舞踏会場の貴族連中に引けを取らない美貌だった。
「これはミッシェル王子、ご機嫌麗しゅうございます」
「そんな、かしこまらないでください。いくら警備係とは言え、舞踏会に参加している以上は、あなた方騎士団だって立派な紳士・淑女だ。警備を任せている身として無責任かもしれませんが、あなた方にもぜひ舞踏会を楽しんでもらいたい」
「ありがたき幸せ」
堅物という噂は本物のようだった。しかしその声は誠実であり、凛としていて美しい。彼女と交わした初めての会話に、ミッシェルは柄にもなく興奮した。良い声だ。
「ところでフルール隊長、折り入ってあなたにお話が。よろしいですか?」
「何なりと」
フルールを連れてバルコニーへと向かう。大臣に言いつけて人払いは済ませてあった。無人のバルコニーにそよぐ夜風が、フルールの黄金色の髪を揺らす。天気に恵まれた今夜は星空が美しかった。正に天の采配、万全のムードである。
「あーでは、単刀直入に。ミス・フルール……どうか僕の妻に――この国の王妃になってくれませんか?」
繰り返すが、フルールは騎士団の兵士だ。ピディアト王国では士気を保つため、兵士の結婚は禁じられている。
つまり今のミッシェルの発言は、結婚のために騎士団を辞めろと言うのと同義なのだ。
片眉を跳ねさせたフルールに、ミッシェルは先回りして言葉を継ぐ。
「思いませんか? こんな戦争馬鹿げてる。国の誇りを守るために民の命が危険に晒されるなら本末転倒だ。父上はそれを美徳だと考えておられるようだけれど、僕は違います。……ですからフルール隊長。僕があなたを妻にし王座に就いた暁には、僕はシスタルカに降伏しようと考えています。この不毛な戦争に終止符を打ちたいのです」
ピディアト王国は現在、隣国――つい先日リナト共和国を吸収し、ピディアトの隣国となったばかりの――シスタルカ帝国と対立中だ。地味な文化と時代遅れの風習を持つピディアト王国現王は、帝国の支配に下ることよりも戦を選択。勝機は万に一つもないというのに、なけなしの兵力である王国騎士団でシスタルカに刃向おうとしている。
正直、王国の陥落は秒読み。この危機的状況こそが、しかし、ミッシェルの野望を果たす助けとなったのだ。
ふさふさの金のまつ毛を伏せ、フルールは思案する。
「……ええと、それは」
「騎士団の最前線で活躍されたあなたにこんなことを言うのは、侮辱と取られるかもしれませんね。でも勘違いしないでください。僕は国の誇りを捨てたいわけじゃなくてただ……民を一人でも多く守りたいだけ。僕一人の判断では反対する人もいるかもしれないけれど、前線に立ち功績を上げてきたフルール隊長が妃となって僕の背中を押してくれるのなら、民も納得してくれるに違いありません。だから……」
天女、女神、月の妖精とも称されるフルールは誰もが認める麗人だったが、彼女の硬い忠誠心と抜群の戦闘センスにより、どの男のものにもならなかった。
馬術、体術、剣術、射撃――どれをとっても群を抜いた才能を持つフルールを、騎士団がそうそう手放すはずがない。彼女自身も、騎士団に自分の存在意義を見出しているようだった。
結婚願望を持たないフルールを妻にすることを誰もが諦めていたが、だからこそミッシェルは、今このときに、勝機を見出したのだ。
――お前が剣を捨て我がものになるなら、この戦争は終結し、これ以上の犠牲は出ない。
堅物のフルール隊長も、国民の命をぶら下げられれば求婚に応じないわけがない。
我ながら完ぺきな策略である。――なあ、どうだ、我が妻よ? ミッシェルがにやけるのを我慢してフルールの顔を覗き込むと、
「……わたしは、わたしの使命を騎士団で全ういたします」
眉を寄せ彼女は首を振った。――馬鹿な、正気か?
「フルール隊長、それはまさかNOのお返事ですか……?」
何も言わず、こくりとフルールはうなずいた。
ミッシェルは膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、すがるようにフルールの肩を掴んだ。
「戦争を終結させたくはないのですか? 降伏しなければこの国はすぐにでもシスタルカに侵攻される。そうなれば犠牲者が出るでしょう。民やあなたの仲間の命がみすみす奪われるのを、黙って見ていると言うのですか!」
フルールは眉一つ動かさず、肩に乗ったミッシェルの手に自分の手を重ねた。手袋越しに伝わる彼女のしなやかな指が、ゆっくりとミッシェルの手を剥がす。
「わたしは……」
途中で一度口を閉ざすと、何かを飲み込むようにまばたきをしてから、再び彼女は口を開いた。
「わたしの使命は、騎士団として国をお守りすること。それを全うしたいのです」
ああ、あくまでフルールは兵として生涯を過ごすつもりらしい。
――なんて馬鹿な女だ! 今この場でミッシェルの手を取れば、彼女は血なまぐさい仕事を離れ、毎日着飾り跪かれ、女としての幸せを手に出来ると言うのに!
「ではフルール隊長は、僕の意思に賛同はしてくれないと。このくだらない戦争をまだ続けようと、そう仰るのですね?」
「わたしはこの騎士団で、わたしの使命を全うする所存にございます」
脅迫めいた求婚にもフルールは動じなかった。忠誠心もここまで来れば呆れるばかりだ。
「……分かりました、もう結構です。時間を取らせてすみません」
フルールは気まずそうにするでもなく、立ち上がりもう一度深く頭を下げてから会場へと戻った。おずおずと彼女に近づく一般兵が何か耳打ちすると、フルールはブーツを鳴らして会場を去っていく。
舌打ちしたいのを我慢してミッシェルがバルコニーから戻ると、心配そうな大臣が駆け寄ってきた。
「王子、いかがなされましたか」
「ワインをこぼしたから着替えたいんだ」
「ワイン? いえ、見たところどこにも――」
「着替えたいんだ!」
低い声で呟き、ミッシェルは大臣を連れて控室へと戻った。またかと言った顔をした大臣が二重に部屋を施錠した音を聴き、そしてミッシェルは激しく地団駄を踏んだ。
「何っなんだ、あのクソ女!? こっちが下手に出れば良い気になりやがって、一体何様のつもりなんだ、ああ? 僕を誰だと思ってる!」
冒頭に至る。
防音対策の施された室内とは言え、流石に外に漏れ聞こえていやしないかと不安になる罵声だ。大臣が慌ててミッシェルをなだめにかかる。
「落ち着きなさい王子。確かにフルール隊長は堅物が過ぎますが――しかしこれで良かったのです。美しい女性ではあるが、彼女はろくな教育も受けていない一兵士に過ぎない。英雄にはなれても妃にはなれないのです」
「そういう古い考え方が戦争を招いたんだろうが! フルールもフルールだ。王妃だぞ、女は憧れるものだろう。もしやこの僕を差し置いて、すでに良い関係の男がいるのでは――」
「まさか! 恋より仕事、男より友情のフルール隊長ですよ?」
「友情? 初耳だ」
「おやご存知ないのですか? 有名な噂ですよ。――フルール隊長は教会のシスターと同時期に拾われた孤児。教会の前司祭様に育てられた幼馴染なのです」
「ああ、あの胡散臭い『魔女』か」
魔女、と大臣はうんざりつぶやいた。前司祭が亡くなった後、一人で教会を管理――もとい、好き勝手にしている変わり者のシスターのことだ。国民からは親しみと畏怖の念を込めて、魔女と呼ばれている。
「……その『魔女』――シスターとフルール隊長は司祭様が亡くなったとき、彼の遺言通りに誓いを立てたそうです。いわく、自分にできることをして、精一杯、国に貢献することを」
「なるほど。つまりフルールは魔女にそそのかされたというわけだな」
「どうしてそうなるのです!」大臣は嘆いた。「共に育てられた友人同士、別々の側面から国を支え合うと決めた、泣ける友情物語ではないですか! フルール隊長はシスターとの誓い通り、騎士団としての使命を」
「女は恐ろしいぞ。貿易商の娘から毒薬入りのケーキを差し出されたからよく知ってる」
「毒薬!? 初耳ですが!?」
「とにかく……」
ミッシェルは地団駄を踏んでいた足を静かに床に下ろし、さっと前髪を撫で上げた。
「今は魔女をなんとかしよう。どうせ宗教など時代遅れだ。今は科学の時代、教会を取り壊して工場を作りたいんだ。ついでに国外追放でも何でもして、奴をフルールから引き離さなくては」
先ほどまでの怒りはどこへやら。「待っていろ我が妻よ!」ミッシェルが高笑いするのを見て、大臣は肩を落とした。
***
「お呼びでしょうか、ベル隊長」
部下に告げられてフルールは城を三階まで上がり、庭園を見渡せるバルコニーへと向かった。
真白の手すりに背中を預けてこちらに手を振るのは、フルールの上司にして先輩の第五隊隊長、ベル・リカー。ベルは丸眼鏡の向こうでにっと笑いかけた。
「ご苦労様フルール、扉を閉めてこちらへ来い。どう、舞踏会は順調か?」
「滞りなく」気取って言いながらバルコニーに出て、フルールは後ろ手に扉を閉めた。
その瞬間、ベルの口元が緩む。
「よし、閉めたな。安心しろ人払いは済ませてあるぞ」
「もう疲れた! くさい! だるい! 帰りたい!!」
ああー、と嘆いてフルールは屈み込んだ。膝に顔を埋め、手袋に包まれた手で大理石の床をバシバシと叩く。
「何でよりによってわたしの隊が警備係なのさ? 金持ちどもが踊るのを、ぼーっと突っ立って眺めてるだけ。退屈だ耐えられない、香水くさくてやってられない! こんなことならわたしが戦場に行きたかったっ!」
うわあー! 膝の中でくぐもった絶叫を漏らすフルールに、ベルは毎度のことながら苦笑した。
才色兼備にして冷徹無慈悲の美女隊長――というのは、騎士団がつくりあげたフルールのイメージ像。本来のフルールは頭が弱い。戦闘力はあるがそれだけが取り柄の、筋金入りの脳筋女なのだ。
そんな彼女の仮面が剥がされていやしないか、毎回こうして確認に来るのがベルだった。同じ女兵にしてフルールのお目付役であるベルは、扱いを心得たとばかりにフルールの正面に一緒に屈み込む。
「そう言うな、国の外も中も守るのが私たちの役目だぞ。……それよりお前、貴族連中に言い寄られたりしなかったか? 求婚の話なんて間違っても受けるんじゃないぞ。お前は国中の誰もにとって『高嶺の花』でなくちゃならない。決して誰かの手に届くようなまねは――」
「わぁーあってるよ!」
フルールは顔を上げ、床をバシバシと連打しながら答えた。
「わたしは騎士団の広告塔、金の生る木! クールぶって気取ることで、騎士団への投資を稼がなきゃならない。だから戦場に出たくても舞踏会に行かなきゃならなかった!」恨みがましくベルを睨む。
「よしよし、ちゃんと分かってるじゃないか」
「何っ回も言われてきたからね。王子に妃にならないかって言われたけど、それもちゃんと断ってきた」
「おお、よくやっ――はあ!? 王子!?」ベルが声を裏返らせる。
「ベルに教わった通り、『騎士団としての使命を全うします』って言い続けた。そりゃもう、馬鹿の一つ覚えみたいに。どう、えらい?」
フルールがものすごくイライラする笑みを浮かべていたが、ベルは混乱でそれどころではなかった。
王子から求婚を受けた――?
確かにベルは誰の求婚も受けるなとフルールに言い続けた。それはフルールの言った通り、彼女を国の美しき英雄に仕立て上げ、貴族連中に見せびらかして騎士団への投資を促すためである。
しかし相手が王子となれば、それはまた別の話。
「おい、王子は何て仰ってた?」
「えー。……えー……?」
フルールの鳥頭は騎士団の中でのみ有名なことだった。
「思い出せ! 今すぐ!」ベルは馬鹿女の肩を掴んでガクガクと揺さぶる。
「あー。…………ああ、そうだ。そうだ、確かシスタルカに降伏するとか言ってた」
「降伏だって?」
「そう。自分が王になったら降伏して、この戦争をやめさせたいんだって。国民を納得させるためには、わたしと結婚する必要があるんだって言ってた」
なるほど、とベルは呟く。ミッシェル王子は面食いで有名だ。きっとフルールの器量を気に入った王子は今回、戦争の終結を出汁にして堅物のフルール隊長を妃に召し上げようとしたに違いない。
「すごいよねぇ、国のために好きでもない女と結婚しようと考えるなんて。わたしには無理だよ。結婚は、好きな人とするものだもん」
フルールが呑気なことを言っている。
王子の策略は誠実な堅物女になら通用したかもしれないが、ベルの前でぼんやり「あ、流れ星だ」と空を見上げている女には通用しないことだ。
フルールは王子が国のためを思って彼女に求婚したのだと信じているようだが、王子はただ単にフルールを妻にしたかっただけ。つまり王子はフラれたのだ。八つ当たりがくるかもしれない。
ベルは頭を抱えた。この事情をフルールに説明すべきか――しないでおこう。馬鹿だから理解してくれないだろうし、理解したところでどうにかできるとも思えない。
「よし、急だが今日のお前の仕事はもう終わりだ。帰れ」
「ええー? いくら何でも急すぎなぁい?」フルールが分かったような口をきいている。
「王子のお気持ちを考えろ。自分をフった女がいると気まずいだろ。……お前の隊は私が代わりに面倒を見るから、今夜は久々にオフを満喫すると良い。明日の昼までには宿舎に戻ってこいよ」
「まじ? やったー! お先に失礼します先輩!」
こんなときばかり敬語を使って、ベルの後輩は目を輝かせてバルコニーから身を乗り出す。
「シスターによろしくな」
ベルが言うのと同時に、フルールは軽々と飛び降りた。
どういう身体能力をしているのか、しなやかに中庭へと着地して「了解」と言わんばかりにこちらに手を振り、一度姿を消し次に出てきたときには愛馬に跨がっていた。颯爽と駆けていくまで、僅か十数秒の出来事。
……この点においては英雄と言わざるを得ない。
「さて、美貌の騎士の代わりが務まるかな――」
ベルは外した眼鏡を内ポケットに差してバルコニーから城内へと戻る。切り揃えられた真っ直ぐな黒髪を揺らして舞踏会場へ戻ると、何人かの貴族がベルに視線を寄越した。
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