第22話 閑古鳥と八百屋

「ばあさん、今日の配達だよ!」


 玉は驚いて声がした方向を見やる。するとそこには農民風の、がっちりとした大男がででんと立っていた。男は肩から大きな籠を提げていたが、その中には溢れるばかりの野菜が詰め込まれていた。男は重そうな籠をゆっくりと下ろしながら、日焼けした顔でニコニコと笑っている。どうやら、悪い人手は無さそうだ。


「はいはい、いつも御苦労さん」


 玉を近くに座らせ、老婆はゆっくりと呼びかけた男の近くへと歩み寄った。


「今日はいいのが収穫出来だぜ! 旬のえんどう豆、ふき、里芋、たけのこまでなんでもござれだ!」

「はいはい、わかりましたよ。そしたらその籠、全部買いましょうかね」


 二つ返事で、老婆なんと男の野菜をまるまる購入した。男は嬉しげに代金を受け取ると、籠ごと町屋に置いていってしまった。

 玉が籠の中を覗きこむと、男が言う通り、新鮮な朝獲れ野菜から山菜まで、たっぷりと野菜が詰め込まれている。


 しかし、老婆夫婦と玉が食べる野菜にしては、余りにも量が多すぎた。

 玉は心配になって、老婆に確認した。


「あの、おばあさん。そんなに買ってどうするんですか?」

「え?」


「こんなに沢山じゃ、とても食べ切れないのではないですか?」

「ホホホ、お嬢さんは心配性ですねぇ。ご安心を、ここは八百屋なんですよ」


 老婆が笑いながら、買った野菜を整然と並べ始めた。よく見ると町屋の中には陳列用の棚があって、そこに野菜が並ぶと、成程、確かにここは八百屋のようだった。

 自分の勘違いに、玉は急に恥ずかしくなった。


「ごめんなさい、変なことを言ってしまって……」

「ふふ、いいんですよ。さて、私は店番でもしましょうかね。お嬢さんは二階に戻りますか?」


 玉は老婆に対して、急に申し訳ない気持ちになってきた。彼女は決して若い身体ではないのに、八百屋を切り盛りしつつ玉の看病をしてくれていた訳だ。


『ここで恩返ししなくちゃ』


 素直な性分の玉は、おばあさんの負担を減らそうとこう提案した。


「いいえ、おばあさん。私が店番をします。だから、おばあさんは奥で休んでいてください」

「まぁ。そんなに気を使わなくてもいいんですよ?」

「いいえ。私に少しでもご恩返しをさせてください」


 真剣に頼みこむ玉の熱意に負け、老婆は嬉しそうに笑いながら彼女の提案を飲んだ。


「本当に心根の良いお嬢さんだ。じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしらね。もしお客が来たら、呼んでくださいな」

「わかりました、そうします」

「貴女は病み上がりですからね。御無理はなさらないようにだけしてくださいな」

 

 老婆はそう言うと、微笑みながら自室へ引き取って行った。


 さて、そうして玉は店先に一人残された。

 気安く店番を引き受けてみたものの、勿論、寺育ちの玉に商売の経験など有る訳がない。暫くの間、玉は店先にただ座っているしかなかった。


 一時間、二時間と時間は過ぎていくが……待てど暮らせど、客など一人も来なかった。繁華街から外れたこの町屋の前を歩く人はまばらで、冷やかしすらもやって来ない。


『どうしよう……私の店番が悪いのかしら。全然お客さんが来ないわ』


 玉の気持ちは焦り出した。自分から助っ人を買って出たのに、むしろあの老夫婦の足を引っ張ってしまっているのではないか。そういう考えが頭をもたげたからである。


『ちゃんと売らないと、おじいさんとおばあさんに迷惑がかかるわ。どうすればいいのかしら……』

 

 そう考えていた玉の耳に、遠くの繁華街からこんな声が聞こえてきた。


「魚は要らんかねぇ!」


 よく聞いてみると、どうも魚の棒手振ぼてふりの呼びこみのようであった。それも繁盛している棒手振りらしく、魚を求める客の声も聞こえる。


『そうか、私もお客さんを呼べばいいんだわ』


 玉はこの思いつきをすぐに実行した。棒手振りの呼び声を真似してみたのである。……しかし。


「や、野菜はい、要らんかねぇ……」


 商売のシの字も知らない彼女にそう簡単に呼び込みなど出来るはずが無く、震える声が少し、口から漏れただけだった。

 勿論、周りがこの呼びこみに気付くはずもない。


 しかし、玉は諦めなかった。


「や、野菜は要らんかねぇ」


 何度も何度も、繰り返しこの言葉を口にして呼び込みを続けたのである。その内慣れてきたのか、最初はか細かった声もしっかりと芯のある声に変わっていった。


 だが、元々人通りが少ない場所である。玉の必死の呼び込みにも関わらず、誰も野菜を買ってなどくれなかった。時間だけが虚しく過ぎ、とうとう日暮れを迎えた。

 ずっと呼び込みを続けていた彼女の咽喉にも、とうとう限界が来た。若い玉の声は枯れはて、息も絶え絶えになって来たのである。しかし、玉は諦める訳に行かなかった。


『ちゃんとお野菜を売って、おじいさんとおばあさんに御恩返しするんだ!』


 その一心で玉は最後の力を振り絞り、通りに響き渡らん勢いで大声を思いっきり張り上げた。


「野菜は、野菜は要らんかねぇ!」


 しかし、玉の声は虚しく通りを駆け抜けただけだった。

 結局、彼女の最後の声は、誰にも届かなかったのである。


『ああ、やっぱり駄目かぁ……』


 玉がとうとう諦めた……その時であった。


「……へぇ、珍しい看板娘さんだ」

 

 玉は驚いて顔を上げた。

 

 すると目の前に、質素な服装をした青年が立ち、彼女を見つめているではないか。青年は穏やかに微笑みながら、玉のいる店先に歩み寄った。


「じゃ、一つ買わせて貰おうか。そのえんどう豆を、一皿くれるかな」

 

 彼女から野菜を初めて買ってくれたのは、優しげな目元をした、一人の若い侍であった。



語句

棒手振り(ぼてふり):天秤棒を担いで商品やサービスを売り歩く商人。

 


 

 

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