第10話 戦いの種明かし~悪役花魁の手練手管~
「女の会話に、意味が無いものなんて無い。表面は、仲の良いおしゃべりに見えるかもしれない。だが、全ては腹の探り合いだ」
「あれだけの会話で、何かわかったのですか?」
「勿論だ。だが、代わりにボコボコにされちまったよ。ほんとに恐ろしい女狐さまだ、春日局ってババアは」
パチパチと、扇子を開いたり閉じたりしながら、花園は呟いた。
「まず、私が喧嘩をふっかけた。それがどうも、お気に召さなかったらしい」
「ふっかけたって……、そんな風には見えませんでしたが」
「ふっかけてたじゃないか、あの初島を使って」
「は?」
初島と言えば、春日局の侍女だ。そういえば、特に失言を言ったようには見えなかったのに、やたらと春日局に睨まれていた。
「あの初島って女はな、春日局が送りこんだ私らに対する密偵だ。その使命は恐らく、春日に長時間待たされている私の動向を探るためのもの」
「まさか……、春日局さまはワザと遅参なさったのですか!?」
「当たり前だろ、あの女らしい嫌がらせだよ」
そこで言葉を切って、花園は額に手を当て、深く考え込んだ。
「いや、嫌がらせなんてもんじゃないな。いいか玉。人間ってのは、理不尽な扱いを受けた時に、大概がその本性を現すもんだ」
「では春日局さまは、初島さんを使って……」
「ああ。大奥に入れる前に、徳が高い尼君と評判な院主の本性を、見ようとしたんだろうな」
花園は扇子を口に当て、愉快そうに笑いだした。
「でもそんな常套手段、この花園さまには通用しないぜ! 顔色一つ変えずにじっとしててやったさ。それどころか、私はその策略を逆手にとって喧嘩を始めたんだ!」
「策略を逆手に?」
「そうだ。なぁ、玉。密偵が一番やってはいけないことって、なぁんだ?」
「密偵、がですか。ええと……、正体がばれることですか?」
「おお、たまには頭が回るじゃないか。確かに、スパイがスパイとバレちまうことは絶対やっちゃいけないわな。でもな、もっとヤバいことがあるんだよ」
スパイってなんだろう、そう思いながら玉は、花園が次に繰り出す言葉を待った。
「密偵を送りこむ者が一番恐れるのは、自分側の情報が密偵の口から漏れることだ。それは最大の弱みになりかねん」
「ああ! だから初島さまは、何を言ってもまともな返事をなさらなかったのですね!」
「それどころじゃない。あの女は、名乗りさえしなかったじゃないか」
そういえばそうだったと、玉はここで初めて気がついた。しかし、だ。
「でも院主様、私は初島さまの名前を知っています。ということは、初島さま自ら名乗られたのではないですか」
「玉。女郎はな、客に言いたいことを、言わせることが出来るんだ」
花園は扇をバッと開いて、ニヤリとした。
「なぁ、玉。気位が高い女が、一番嫌うことってなんだ」
「え、ええと……」
「それはな、他の女に見下されることだ。女ってのはな、例え顔には出さなくても、内心は誰よりも優位に立ちたくて仕方がないんだよ。あの初島も、ここで密偵に選ばれるってことは、ソコソコ使える女だったんだろうよ」
「ということは、大奥でも高位の女中だった?」
「そうさ。だから私は、罠を仕掛けた。まず初島から聞いてもいない名前を『教えて貰ったばすなのに思いだせない』と嘘をついたんだ」
「え!?」
「でもそれで騙される様な阿呆を、春日局が使う訳が無い。だからもうひと押しした。『私は下賤な者の名は忘れる』という、真実味を帯びた嘘をもう一発かましてやったんだよ」
ハハハと、花園は声高らかに笑った。
「ったく、簡単なモンだったぜ! 名前を聞き出せりゃ、後はコッチのもんだ。いいか玉。名前ってのは便利なもんだ。初島の名を呼びながら親密な口調で話しかければ、あたかも何もかも腹を割って話したかのように聞こえるんだ」
「ということは、春日局さまがあんなに初島さまを睨んだのは……」
「自分の情報を、初島が漏らしたと思いこんだに違いない」
「だから急に世話役を外されたんですね」
「可哀想になぁ。名前をつい言っちまっただけなのに。あの初島、今頃殺されてるかもしれねぇぜ」
「えええ!」
「何を驚くことがある。密偵が秘密を漏らしたとなりゃ、殺すに決まってんだろが」
「花園さま! まさかそれを解って罠にお掛けになったのですか!」
自分の所為で人が死のうというのに、ケラケラ笑っている花園に怒りが込み上げてきた。玉は持っていた数珠を握りしめ、花園の着物の衿を掴み、彼女に食ってかかった。
「そんな無情なこと、よくお出来になれましたね! 本物の院主様ならば、そのようなことは決してなさいません!」
「馬鹿言ってんじゃねえ!」
花園は掴みかかって来た玉を、強い力で倒し返した。玉の数珠を取り上げ、玉の顔の前に突き付ける。
「仏様がなんだってんだ。仏が私らを助けて、食わしてくれるのか!? もしそうなら、院主はあの時死ななくて済んだんだよ! 殺さなきゃ殺されるんだ、甘えんじゃねぇ!」
そう言って花園は、玉を突き飛ばした。
「それにな、もうあたしらは春日局に首根っこ掴まれてんだよ」
ゴホゴホとむせながら、玉は驚いた表情で花園を見返した。春日局に首根っこを掴まれているとは、どういうことだろうか。
「あの女、勘付いてやがる。もし入れ替わりの証拠を抑えられたら、二人とも死ぬぞ」
玉は、死の恐怖を感じた。確かに、花園の言う通りだった。
殺さねば殺される。そういった地獄に、二人は閉じ込められたのだった。
語句
脇息(きょうそく):座った時に肘を置いて寄りかかり、身体をもたせかける道具。
手練手管(てれんてくだ):遊女が人を操る為のテクニックのこと。
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