第7話 御用屋敷の女狐
院主を乗せた一行は、輿に乗っているのが性悪花魁とは知らずに、しずしずと幕府直営の御用屋敷へと入って行った。屋敷の中は、それはそれは豪華なしつらいで埋め尽くされている。至る所に金蒔絵で将軍家の「葵の御紋」が散りばめられ、屋敷中に張り替えたばかりであろう青い畳の良い香りが、充満していた。
「畳を総張り替えなさるなんて。慶光院でも京都でも、今時考えられません」
玉は目を丸くして案内される屋敷を見まわしていた。
「それだけ江戸と幕府に、金があるって証拠だろ。その分、お公家には甘い汁が廻らねぇってことだ」
院主、もとい花園は玉にだけ聞こえる小さな声で、囁いた。玉もそれに倣い、ヒソヒソ声で囁き返す。
「院主様は驚かないのですか?」
「フン、私を誰だと思ってんだい? 贅沢なんて、吉原で腐る程見たよ」
そう言っていた花園だったが、
それは、院主のために用意されていた御座所が、それはそれは
吉原の妖艶な贅沢に慣れていた花園も、天下人である徳川将軍家が準備した豪奢な邸宅に、圧倒されてしまったらしい。いや、贅沢を知り、物の価値がわかる花園だからこそ、そうなってしまったのかもしれない。
二人の様子を見届けた案内係の女中は、無表情のまま丁寧に礼をして、部屋から去って行った。二人きりになった部屋で、花園は黙ったまま立ちつくし、玉は畳の上に膝から崩れ落ちた。
「凄い、なんて豪勢なお部屋なのでしょうか。院主様、これを幕府は院主様のためだけにご用意なさったのですね!」
「ああ、そうみたいだな……」
「それだけ、院主様を大事に思ってらっしゃるということでしょう! ああ、玉は少し安心いたしました。大奥に入られても、院主様を尊重してくださるということですね」
「……いや」
何故か険しい顔で、花園は呟いた。
「むしろ、逆だ」
「えっ?」
「いいか玉。一応私はまだ
「確かに、その通りです」
「じゃあ聞くがな、玉。京出身の姫であり、敬虔な尼であるはずの私が、こんなケバケバしい江戸風の豪華な部屋で、心休まると思うか?」
「……あ!」
「この部屋の豪華さは必要以上だ。ってことは、完全に私らへの当てつけなんだよ。京の貧乏さと、私が六条小路家に金で売られたって事実を嫌でも自覚させるためのな。ったくフザけた真似しやがるな、大奥の連中ってのは」
玉は腹が立ってきた。せっかく大奥の意向を飲んでやって来たのに、ここまで侮辱される筋合いはないはずだ。しかし、侮辱されているはずなのに、花園は何故か満面の笑みを浮かべていた。玉の目には、その花園の顔が薄気味悪く映る。
「何故……、笑っていらっしゃるのですか?」
「え? だって、ワクワクするじゃねえか。この仕打ちは完全に女のイジメの発想だが、やってることの規模がデカすぎる。ってことは、こんな陰湿なことをする奴ってのは、とてつもない権力をもった女なんだよ。恐ろしい
花園は声も高らかに大笑いした。院主は尼姿の清楚な出で立ちであるにも関わらず、何かおぞましいモノに成り果てている様な錯覚に、玉は陥った。そんな玉に、花園は牡丹が咲き誇る様な美しい微笑みを投げかけながら、優しく言った。
「さ、茶でも飲むことにしようか。早くそのエゲつない女の面を拝みたいもんだが、こっちから会うことは出来ねぇだろうからよ。果報は寝て待てだ。ここに用意されてる茶なら良いやつだろうから、時間潰しにピッタリだぜ」
玉はやっと花園が人間に戻ったような気がして、ホッと胸を撫でおろした。二人でキャッキャとお茶を楽しんでいると、
「院主様、お具合はいかがでございますか」
「わざわざ、ありがとう。おかげ様で、ゆっくり休めましたぇ」
花園は、次郎兵衛仕込みの京ことばを話した。元の院主が日頃から使っていた、上品な公家口調だ。
「それはようございました。御宿坊からこちらまでは、距離がございましたから心配していたのです。早速ではございますが、院主様の移動の労をねぎらいたいと、
「まぁ、春日局さんが?」
「はい。是非に御面会したいとの仰せでございます」
「それはありがたいことどすなぁ。そしたら、喜んでお招きに預かりましょか」
落ち着いた言葉で話す花園に、玉がコッソリ耳打ちする。
「春日局さまというのは、現将軍の乳母でございます。将軍の御信頼を盾に大奥を取り仕切っていて、老中以上の力があると噂されています」
そう聞いた花園は、飛び上がらんばかりに喜んだ。
『来た来た、来なすった! 早速女狐さま自らお招きとは、嬉しいねぇ!』
花園はそう心の中で叫び、ニンマリと悪い笑みをこぼす。玉はその様子を、再び恐ろしいモノを見る様な気持で、見つめていた。
語句
御座所(ござしょ):高貴な人の居室のこと。
還俗(げんぞく):一度出家した者が、再び俗人に戻ること。
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