インフルエン・ゾ

黒イ卵

A型感染

 出社してしばらくすると、隣の席の田中さんの指が1/3ほどゾンビになっていた。



 「田中さん、もしかしてA型?」

 「すみません、だんだんひどくなりまして。半休取って、午後病院行ってきます」

 「A型みたいだから、有給取ってもう行ってきなよ。今朝までの分は進捗把握してるからさ」

 「すみません」

 「大丈夫、あとは引き受けておくから。長くかかる場合もあるから、連絡してください。お大事にね」

 「ありがとうございます」

 「申請書だけ出してって。後で期間は変えるから」

 


 そんな話をしているうちに、田中さんの手と首の辺りが目に見えてゾンビ化していく。

 慌てて田中さんに有給の申請書を書いてもらい、送り出す。

 さて、田中さんの仕事は基本俺がやるとして、振り分けられそうなところは分けておきたい。

 ミーティングの時に、提案しておこう。

 田中さんの席に除菌バブルZを用意して、雑巾にかける。PCにやるのはあまり良くないらしいが、まあ、仕方ない。俺は雑巾で田中さんの机を清めた。



 田中さんが会社を出てから約2時間後。俺の社内メール宛に、田中さんからメールが届いた。



 〈お疲れ様です。田中です。今、病院で診察受けました。今年流行のA型です。ゾンビ化が終わってから2日経てば出勤可能とのことです。メール対応はできそうなので、不明点あればお手数ですが私に確認お願いします。また連絡します〉



 ミーティングの時間になった。

 


 「皆さん、ちょっと宜しいですか。田中さんがインフルエン・ゾA型にかかったようです。基本的に私が引き継ぎをして回しますが、振り分けられるところは少しずつ皆さんに業務分担をお願いしたいです。まず、鈴木さんは〇〇を金曜までに、佐藤さんは△△を土曜朝まで。それから……」


 普段田中さんには皆それぞれ助けてもらっている。そのため、すんなりと分担を引き受けてくれた。


 「今、流行ってますので、いつ他の誰がかかっても対応できるように、業務の進捗把握をこまめに行いたいと思います。宜しくお願いします!また、手洗い、うがい、バブルをしっかり行いましょう!」



 ミーティングが終わった。

 田中さんにメールを打つ。



 〈田中さん。午後のミーティングで、田中さんの業務は基本的に私が引き継ぎ、振り分けられるところは他の方にも分担してもらえることになりました。ゆっくり休んで回復してください。 安藤〉


 今のところ、他の社員はかかっていなさそうだ。が、いつ誰がなってもおかしくない。俺は少し気合を入れて、午後の仕事に取り掛かった。






 いつもより1時間ほど残業し、帰宅する。

 電車内には、ちらほらとゾンビ化している人が見えた。皆、とりあえずマスクや手袋でごまかしている。

 帰宅途中の電車の中で、スマフォの振動があった。トークアプリ、LINKだ。


 〈パパ大変!マサくんが、半分ゾンビになったの!〉


 冷や汗をかく。Linkを中断し、【4歳児 半分ゾンビ化】を検索する。体のどこがゾンビ化したかで、症状も対処法も違うようだ。


 〈リョウコ落ち着いて。今帰りの電車だ。どの辺がゾンビ化したんだ?〉


 〈両足と、肩と腕、顔が半分と。どうしよう、病院もう閉まっちゃったし!〉


 〈わかった。夜間診療受付には電話してみた?今日の夜間受付病院を教えてくれるはずだ。あと15分くらいで帰宅する〉


 〈わかった。調べてみる!〉


 俺は検索で、夜間診療の病院を調べる。◻︎◻︎病院か。車で10分くらいか?一度問い合わせてからの方が良さそうだが、リョウコも電話済みかもしれない。

 ゾンビ化をまた検索する。脳がゾンビ化すると、脳症になる場合もあるようだ。マサは、顔が半分ゾンビか……。大丈夫だろうか。


 焦っていたためか、改札を出る時にエラーが出てしまった。もう一度タッチする。落ち着け。俺がこんなんじゃ、運転が危ない。


 「ただいま。マサは?」


 「おかえりなさい!マサくんは今寝てる。夜間診療は◻︎◻︎病院よ。電話したら、すぐ来てもらえますかって。混んでないみたいだから、すぐ診てもらえるわ」

 

 「わかった。着替えたらすぐ車を出すよ」


 俺は手洗いとうがいをし、着替えてマスクを着け、マサが寝ている寝室に向かう。


 ふしゅーふしゅーと寝息。半分顔がゾンビ化しているから、息がしづらいんだろう。


 俺は腕と足を壊さないように、布団に包んで運ぶ。意外とちゃんとくっ付いている。もしかして、発症したばかりだから、表面だけなんだろうか。


 「保険証とお薬手帳、母子手帳と……。とにかく、ひと通り準備できたわ」

 「よし、行くか」


 車にそっとマサを乗せる。ジュニアシートは出来ないから、安全運転で行こう。


 「パパ、安全運転でね」

 「任せとけ」


 後部座席にマサとリョウコを乗せて、俺は◻︎◻︎病院へ向かう。今夜は満月だったようだ。月が白く輝いている。


 「もうすぐだ」


 ◻︎◻︎病院の駐車場へ止める。マサを出そうと後部座席に向かうと、マサが目を覚ました。


 「グウゥウ……」


 目が赤く光り、唸り声をあげるマサ。顔の半分がどろりと溶けている。


 「ひっ!」


 リョウコが声をあげた。

 まずい。小さい子の場合、見境なく人を噛む者がいるらしい。

 俺は急いで布団でマサを顔まで包み、連れ出そうとする。ダメだ。暴れ出そうとするのを押さえるだけになっている。


 「リョウコ!こっちに回って、足をそっと持ってくれ!」

 

 「わ、わかったわ……」


 リョウコがハッとした顔になり、慌ててこちら側に回ってくる。俺はマサを最大限に気を付けながら布団ごと引っ張り、リョウコが足を持った。

 そのままドアを閉め、片腕でぐっとマサを抱き、俺のポケットの車のスマートキーをもう片手で押し、ロックする。


 「行くぞ。せーの!」


 よいしょ、よいしょと言いながら、2人で暴れるマサを小児救急受付口まで運び、中の受付ソファにマサをそっと寝かせた。

 布団に包まったマサは、すぐさま布団から出ようと動きを激しくする。すぐにリョウコが、保険証類が入ったケースを出し、受付に向かう。俺はマサをソファから落ちないように、そして息が出来る程度には気を付けて押さえる。

 

 「安藤さーん。安藤マサノリくーん。診察室3番にお越しくださーい」


 マサが呼ばれた。布団ごとマサを横抱きにし、診察室へ運ぶ。

 暴れるマサを見て、医者がすぐにベッドへ寝かすよう指示をした。

 ベッドへそのままマサを寝かす。看護師はすぐさまてきぱきと布団からマサを出し、暴れそうなところを先回りで腕輪と足輪、そして頭に孫悟空の輪のようなものをつけられて押さえられた。


 「これはなんですか?」


 「A型患者が暴れないようにする、抑制環です。決して患者に傷を付けたりすることはありません。気分が落ち着いてきます。また、ゾンビ化の修復を補助する効果もあります」


 医者が席に座るよう促し、説明をする。


 「これから、A型の新型特効薬ゾンビブルを注射します。新型のお薬ですが、副作用の心配はありません。それでもご心配でしたら、従来通りのリビングデッドタイプAをお薬で出しますが、いかがいたしましょうか?」


 「新型の薬ですか?」


 「ええ。昨年春に出たばかりのお薬です。効果はてきめんです。お子さん、マサくんはお顔の半分ゾンビ化しています。一刻も早く、治した方が良いと思いますよ」


 「注射してください」


 リョウコが言った。俺はネット検索した、新型の薬の口コミを思い出していた。すごく痛いらしい。だが、そんな場合じゃない。


 「お願いします。痛いようですが、このままの方が辛いでしょう」


 腕輪と足輪、頭輪(?)をつけられたマサは、おとなしくしている。表情も暴れてる時よりは少し柔らかい。半分どろりと溶けている顔は、何とか重力に逆らい、くっ付いている。


 「はい、マサくんお注射するよー。はい、ちっくん!終わり〜」


 そう言って、看護師は手際良くマサに注射をした。マサは一瞬、うっとうめいたが、すぐにきょとんとした顔になった。

 それは、いつものマサの顔だった。


 「良かった……!」


 リョウコが安心したのか、ぎゅっと組まれた両手を緩めた。


 「これで、すぐ良くなります。流行ってますので、お気を付けください。この紙を渡しておきますね」


 それは、ゾンビ化した後の登園(登校)までのスケジュールだった。


 「お子さんの場合、大人よりも感染力が高いので、ゾンビ化が終わってから3日は接触禁止です。お友達のとこや、人の多い遊び場などにも行かないでください。お家でよく休むこと!また、登園許可証が必要でしたら、ご持参くださいね」


 お礼を言い、またマサを包んで診察室を出る。マサはすっかり落ち着いたようだ。


 「安藤さーん。お会計でーす」


 会計に呼ばれ、今度は落ち着いたリョウコがマサを見て、俺が受付に行く。

 診療明細書には、診察、夜間診療、頭環・腕輪・足輪代と、注射代、お薬代が書かれている。あれ、頭環っていうのか。


 「こんな感じです。この△▼市は、15歳まで医療費無料なので、このまま院内薬局へ向かってください」


 リョウコに声をかけ、薬局に向かう。処方箋と保険証、お薬手帳を出し、また受付のソファに戻った。


 「△▼市は、子供は無料なんだな」


 「そうなの。昨年から無料化を実施したのよ」


 「へえ、ありがたいな」


 さっきまで気付かなかったが、小児の夜間救急には、子供の患者が出たり入ったりしている。待たないから、回転が早いんだな。ゾンビ化してる子がいるのを見て、みんな早く良くなるといいなと思う。


 「安藤さーん。お薬用意できましたー」


 院内薬局から声がけがある。

 俺はまたリョウコにマサを見てもらい、薬局受付に向かった。


 「お薬5日分出てまーす。これはゾンビ化を止めるお薬、これはゾンビ化した箇所の修復を早めるお薬、これは追加の腕輪と足輪です。頭環は明日の夜までで外してくださいね。腕輪と足輪は、毎晩夜寝る前に交換してください。落ち着いてきたら、外しちゃって大丈夫です」


 「わかりました」


 ソファに戻ると、マサはすっかり落ち着いたのか、うとうととしている。


 「眠くなったんだな」


 「そうね、疲れたわよね」


 リョウコも疲れただろう。


 「お疲れ様。大変だったな。さあ、帰ろう」




 それからは会社から帰宅するたびに、マサの様子は良くなっていた。

 1度だけ、顔のゾンビ化による幻覚を見たようで、

 「ぼくゾンビだけど、あばれないから!おまわりさん、やめて!」

 と寝室の片隅の暗闇に向かって叫んでいたのだ。

 深夜の突然のことに、リョウコと2人で抱きしめ、しはらくすると安心したのか、眠ってしまった。


 約3日でマサのゾンビ化は治まり、発症してから1週間後、無事に登園許可証も書いてもらい、幼稚園に登園できた。


 ちなみに、田中さんはマサの登園2日前には、元気になって仕事を始めていた。




∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽




 昨年の冬の頃か。

 俺は自分の日記を見直していた。

 家でゆらゆらしているだけで、やることがない。強いて言えば、しっかり睡眠を取ることだが、寝過ぎてかえって寝付けなくなってしまった。


 スマフォが震える。社内メールが来たようだ。


 〈お疲れ様です。田中です。スマフォが見れるようになったと聞いて少し安心しました。

安藤リーダーの仕事は、サブの私が責任持ってやりますので、ごゆっくりお休みください。また焼肉行きましょう! 田中〉


 そう言えば、しばらく焼肉行ってないですね、と話してたな。元気になったら、お礼も兼ねて部署のみんなで行くか。頼もしいサブリーダーがいて何よりだ。



 季節は春。

 俺は窓に映った額のお札を眺める。

 導士術の資格を持つ医師が解除しないと取れないようになっている。


 俺は今年の春に流行り始めた、インフルエン・ゾK型に感染し、有給を使い休んでいた。


 両腕が真っ直ぐ前に向かって固まり、動かない。ハンモックタイプの室内移動型簡易ネットに固定され、ゆらゆらと揺れ動く。

 この体になると、トイレや食事は必要なくなる。それはそれで何か人として怖いのだが。


 ようやく、昨日から親指と人差し指、中指と右手首動き始め、今朝になって右手の指全部と左手の人差し指と中指、左手首が動き始めた。

 リョウコに頼み、ちょうど良い位置に机を置いてもらい、ブックスタンドを置いてもらった。スマフォも置けるタイプのやつだ。スマフォ用の医療手袋をした右手で、操作する。

 身体が冷たくなり、指先が乾燥し過ぎていて、タッチパネルが反応しないのだ。病院に行った時に勧められて、薬局で買っておいた。

 治りかけのリハビリ兼暇つぶしに最適ですよ、と医者に言われたのだ。


 ポチポチと時間をかけて操作する内に、だんだんと指の動きがなめらかになる。

 額のお札は、視界を遮らないように髪の毛の上にピン留めで留めてある。

 縫い付けた額から外れなければいいそうだ。


 田中さんになんとかメールの返信をして、ポチポチとネットニュースを見る。

 【新型インフルエン・ゾか?!】との見出しがトップ・ニュース画面に上がっていた。 俺は迷わずクリックする。


 【新型インフルエン・ゾG型発生!グールタイプが流行るらしい】


 予防接種が足りなくなるかもしれない、と締めくくられた記事を見て、俺は少しため息をついた。


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インフルエン・ゾ 黒イ卵 @kuroitamago

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