第22話 分からなくても
「ささっ!お座りになって!」
客人二人は館の居間にまねかれ、黒いソファーに並んで座った。
主人はにこやかな商売スマイルを浮かべながら、煙が出そうなほど両手をこすっている。……出ないかな。ちょっとだけなら……駄目かな。駄目だよね。
座る際に黒髪短髪の男のひとが、持っている少し大きな袋を、ソファーの前の細長いテーブルの上に置いた。がしゃりと、置いたときに音が鳴る。
「ふほっ!」
その音を聞いた、二人の対面のソファーに座る主人は、間の抜けた声を出す。
(なんだろう?)
主人の話によると、二人は交渉に来たらしい。そうなるとあの袋の中身は、交渉材料ということになるが。……主人が好きな物で、あの音。想像できちゃった。
(天の武器とか、男のひと……ジン太さんは言っていたけど)
そんな物があるだなんて、わたしは知らなかった。主人のことだから、わたしなんかに大切なものを触らせたくないんだろう。
机の上に置かれてる、小さな物体がそれなんだね。
小さな、青いナイフのような。
(……)
あらためて、わたしは客の様子を伺う。
(綺麗な黒い髪……ちがう。全部、綺麗。耳の、オシャレなイヤリングも。袖無しの、上質そうな服も)
ジン太さんの右隣に座る、ええーっと……フィルさんは、ソファーに体を預けてリラックスした状態で、足を組んで座っている。
整った顔立ち。鋭く燃える、全てを見透かすような赤い両目。それはとても威圧感を感じるもので、同時に渇いた印象を与える。
この人は、なんだか普通の人とはちがうきがした。
(それに比べると)
隣に座るジン太さんは、普通の人だなあと思った。服装も、よく見るような上着とズボンだ。
座り方は、自然体のフィルさんとは違って、きっちり構えた風。両手をがっちり組んで、準備完全といった感じだ。
整ってる訳でも、乱れてる訳でもない顔。鈍く輝く、灰の両目。威圧感は感じず、特にこれといった印象を与えない。
でも、渇いた感じはなかった。
確かに内で燃える、炎があるような。
わたしにはない、炎が。
(気のせいかな)
胸がちくりと痛む。わたしは無意識に、ローブの右胸部分を握りしめていた。
「……?」
そんなわたしの様子を不思議に思ったのか、ジン太さんがちらりと視線を向けた。
わたしの顔には微妙に痣があるけど、地味で目立たない程度だ。この日のことを考えて、主人は顔に対する暴行を控えたのかもしれない。
(なにも、ないよね)
何かを悟ることはないだろう。
悟ったとしても、行動を起こすことはないだろう。誰が、わざわざ面倒ごとに関わろうとするのだろうか。少なくとも、今まできづいた人はそうだった。
(……飲み物を、もってこなくちゃ)
変なことを考えるのはやめ。そんなことより、接客を。とろとろしてたら怒られちゃう。
(今回はとくに慎重に……)
主人の上機嫌ぶりを見るに、なにか失敗したら、いつも以上に怒るかもしれない。ただでさえ、怒りっぽいのだから。
ただし、慎重にやればうまく行くかというとそうではなく。
逆に、だめな場合もあるんだよね。
「お前はっ!!なにをやっとるかっ!!」
髪をひっ張られ、床の上になげとばされる。やっぱり失敗してしまった。ジン太さんの服に、飲み物を。
ごめんなさい。
「いたっ!!」
ゆかに両手をついてるわたしを、足蹴にする主人。倒れた体を、なんどもなんども踏みつけて、周りの目もきにせず、なんどもなんども……。
怒るととまらない人だから、こういう風になるかもしれないなんて思ってたけど。こんなに勢いよくなんて。
「いたっ!!いたいですっ!!やめっ!!」
頭を踏みつけられ、顔を床にぶつけた。鼻のあたりに、ぬめりとした感触が。
「黙れ!!無能が!!本当にお前はいつまでたっても……頑張ってそれか!?努力してそれか!?無能の努力ほど無駄なものはないなっ!!」
罵声が心を抉る。
同時に共感もあった。
(無駄な努力)
そうかもしれない。結局いつまでたっても、わたしには大したことができない。どう足掻いても環境はかわらない。
無能なわたしには、何もかえられない。
「――おい」
諦めの海に沈んでいくわたしをひきあげる、ことばが聞こえた。
その声はとても怒っていた。りゆうはわからないけど。
「な、なんですかなっ!?」
主人の、うろたえた声が続けて聞こえた。
わたしは顔をあげて、ようすを伺う。
「やり過ぎだろ。いくらなんでも」
ジン太さんが主人の肩を掴んで、その動きをとめていた。
表情には、あきらかに怒りがあらわれている。
「えっ!!いや、これは、そのっ!!」
主人は冷静になったのか、すごくあたふたしていた。
ジン太さんは肩から手を離し、わたしに近づく。
「……君。立てるか?」
ジン太さんは屈んで、わたしに手をさしのべて。
「……あっ」
わたしは、呆けた声をだしてしまう。
「……ありがとうございます」
なんでこの人は、あんなに怒っていたのだろう。わからない。
(……でも)
――わいてくる嬉しさをこめるように、わたしはその手にふれた。
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