第8話 限界

 努力で天才は越えられない。


 そんな諦観を抱いたのは、いつだったか。

【見てきた光景と、実際の体験によるものだ】

 そりゃあ怠惰な天才相手なら、越えられることはあるかもしれない。だが、ある 一定以上の努力を積み重ねた天才相手だと、いまいましい壁が現れやがる。


 雲を突き抜け、遙か遠く、そこに天才は立っていた。

 ……高すぎる。嘘だろ。こんなのどう足掻いたって……ッ!!

「――」


 どれだけ体を鍛えても、どれだけ汗と涙と苦痛を積み重ねても、勝つことはできなかった。

 今の俺の苦労は、天才を越える為の努力ではない。

 それでも、認めるのは嫌だった。大事な何かを否定するような気がして。

 だからせめて、強がることはしようと思ったんだ。

「まだっ!!まだっ!!」

 だが、俺だって思う時がある。誰だって、その瞬間はあるだろう。


 ――この努力は、無駄なんじゃないか?


 弱気が顔を出す度、俺は自分を叱咤した。それだけは駄目だ、と。

 正解だ。と、疑問を肯定してしまう自分もいる。

「……認めちゃ、駄目なんだ」 

 その意見は、分かる。成果が出せなければ、無駄だと思う気持ちは。

 だから、俺は結果を求める。


 体と心を削る日々の果てに――。


「努力で天才を越える」


 そんな希望が、あったとしたら――。


「くそっ!!くそぉっ!!」

 見知らぬ城の中を、俺はひた走る。後ろを振り返る余裕もない、全力疾走。

「なんだよッ!!」

 どうして、こんな無様なことに。

 どうすればいい?並ぶ窓を破って庭園らしき場所に逃げるか、一か八か立ち向かうか、助けを叫んだ方が良いのか、まったく分からない。

(裏切った?あいつが?)

 この状況。この状況はレンドが仕込んだものなのか。あの笑顔は、そういう意味だったのか。今思えば、乗っ取りがどうとか不穏な情報を伝えたのは、俺の警戒をそらす為のフェイクか。もしそうなら、なんで?

(あいつは良い奴だ)

 少なくとも、俺はそう思ってた。でも、現実はそうじゃなかったのか?

(ちっっくしょうッ!!どうする!?あの力は不安定な状態だ。使えるか!?)

 かつても味わった裏切りの痛みが、心を苛む。

 それを振り切るように俺は走り続け、やがて分岐した道に辿り着いた。

(右に曲がるか、まっすぐ行くか)

 どっちが正解か分からない。なら、悩むだけ無駄か。

(それでも悩んじゃうのが俺なんだが)

 右、真っ直ぐ、右、真っ直ぐ……。

(右――)

 右に曲がる、俺の体。

(出入り口?)

 その先にあったのは、ドアなし出入り口。なんの部屋だ?

(とにかく)

 進むしかない。この道を選んだからには。


 廊下を抜け、広い空間に出た。


「ッ!!」

 変わらぬ白塗りの壁、床にはなにかの模様が描かれている。これは、騎士団のシンボルか?         

 部屋の左端には、騎士をモデルにしたと思われる像が台座の上に置いてある。部屋の反対側には、もう一つの出入口。

 だが、そんなことよりも。

「――来たな。罪人」

 目の前に立つ、鎧を着た男。見覚えのある金髪と、整った顔。高めの身長に、長足、イケメンと、三要素が揃った男。


 この国最強の戦士が、俺の視界に映ってしまった。


「イケメン……!!」

 圧倒的な強者の気配、力持つもの独特の余裕の姿勢が、俺の心を挫こうとする。俺は、無意識に拳を構えた。

「レンドが仕組んだ誘拐計画の共犯者、天に近づく愚者。私から言えることは、一つだけ。大人しく投降するんだ」

 誘拐計画!?なんのことだ!!

「まッ!待ってくださいッ!俺も、なにがなんだか」

「……残念ですが。例え利用されただけでも、断罪しなければならない。……事情次第で少しは罰が軽くなる可能性はあるが。それが決まりだ。一年だけで五十の命を消費したのだから」

「そんな!!」

「……前回、王城襲撃を行った賊と繋がってるかは分かりかねますが、それもおいおい喋っていただきます」

 ふざけるなよ。本当に意味が分からない。

「安心してください。あの犬は、この部屋に入ってこれない。……この部屋は本来、騎士の誓いを固める場所なんだが、断罪の場の意味合いもある。安心して捕まって、聖なる罰を受けて――清らかな魂を天に捧げてください」

 にっこりと笑いながら、俺を捕えるために近づいてくるジーア。その笑みが、今は凶悪なものにしか思えない。

「冗談きついぜ……!!」

 なんにしても、大人しく捕まったらやばい。今の発言からして、無事に済むはずがない。

「抵抗するか。仕方ないですね」

 ジーアはやれやれと首を振り、目つきを変えた。

「少し痛い目にあってもらいます。――なるべく手加減しましょう」


 ジーアの動きが、一気に加速する。


「!!」

 即座に距離を詰める敵。

「様子見だ」

 顔に放たれるは、手甲に包まれた右手。

「くおッ!」

 俺はそれを、顔を左にそらして回避した。同時に左斜めに後退して、距離を稼ぐ。

(速い、やっぱり速いッ!!だが!?)

 やはりと確信する。この動きは明らかに。

「力は使いません。弱い者いじめに、なり過ぎますから!」

 才力は使ってない。それでも、俺より速いのは苛つくが……!

「ほらほら、どんどん行きますよ!」

 休む間無く攻撃の嵐が襲いかかる。拳の数々を、俺はなんとか回避する。

「ッッ!!」

 頬をかする、鉄の拳。かすった部分がじんじんと痛む。

 手加減して、これだと?

(優れた、才能)

 全力でかわしながら、抱いた感想はそれ。

 こいつは、間違いなく天才だ。

(だが、これは)

 別の意味で萎えている。俺の心が。以前も感じたこの感情。


 こいつの動きは、洗練されていない。


「良く避ける!」

 確かに動きは速い、どうみても俺より上だ。しかし、それだけ。

(努力の痕跡が、見受けられない)

 おそらく身体能力頼りで、今まで戦ってきたんだろう。大雑把で、とても読みやすい動き。

 才能頼りの、強さ。

「少し本気を出そう!」

 敵の動きが、一段階上がった。

「まずは!!」

 右腕が振り上げられ、拳が俺に迫る――。


「足りねぇよ」

 

 その攻撃に合わせ、交差した拳を敵の顔面に叩き込む。見事な、カウンターパンチ。

「ごっっっぶっっ!?」

 ジーアの目が見開かれる、何が起きたか理解できない、理解したくないって顔だな。――一気に、畳み掛けるッ!!

「おらぁ!!」

 殴れ殴れ殴れ、がら空きになった、いけ好かないイケメン面に。一発、二発、強力な三発、ここで決めないと確実にやばいッ!!

「おおおしゃあ!!」

 これで決める。体重を最大までのせた、渾身の右ストレート。奴が本気を出す前に――!!


「フッ――調子に、乗るんじゃ、ねぇよッッ!!ボケがッッ!!」


 聞き苦しい怒声が、鼓膜に響いた。

 そして視界から消える、敵の姿。

(――まずい、)

 

 思ったときには、左横に吹っ飛んでいた。


「ぐひゅッ!?」

 変な声が漏れ、右横腹に熱が走る。

「ッく!!」

 左腕を支えに、なんとか体勢を立て直し、転倒を防ぐ。

「!?ごッア!!」

 防いだところに、更に加わる衝撃。元は、顔面。

(はやッ!?いつの間に!?)

 接近にすら、まともに気づけない。

「ぶふッ!!」

 一回、二回、強力な三回と、どこかで見たことがあるような攻撃が顔を襲う。

 この野郎……!!俺の攻撃を!?

「くッッそッッ!!」

 がむしゃらに反撃に転じようとするが、連続する衝撃のせいでそれすら出来ない。なすすべなく蹂躙され、顔を歪められていく。

(視認すら……!!)

 かわすどころか、拳の動きを見ることすら難しい力量差。

(身化(ストロング)による、速度上昇。しかもかなり高度な)

 もし、大して鍛錬もしないでこれだけの才力を手に入れたのなら……呆れる才能だ。天才という他ない。才力すら持たない俺には、決して届かない高み。

(思い出す)

 今までも、こんなことはあった。無力に嘆きながら、ただ打ちのめされる。

 慣れたが、それでもやっぱり――。

「ちっくっしょ……!!」

 自然とそんな言葉が漏れる。心折れそうになった。

(折れそう、なだけだ)

 そうだ。まだ行けるだろ。立ち向かえ。抗え。


 子供の頃から、そうしてきたんだ。

 

 大きく後ろに、殴り飛ばされた。

 背中から、固い地面に倒れる。走った衝撃が、体と心を壊しにかかる。

 努力が砕けた音がして。ある疑問が、強まった。


 ――幾度もあった展開だ。これは。


「フーッ!!ッ中々、やるじゃないですか。凡夫の割には……そう凡夫なんだよな……凡夫に私は……ちっくしょうがッ!!」

 髪をかき乱し、顔を醜く歪める男。

「ああ本当に……無駄に嫉妬して、つまらない嫌がらせをして、……私がなにをしたとッ!?」

 聖人の様にも思えた男の、確かな一面。その顔は、昔に見たことがある。

「……覚悟して下さいよ。凡夫の分際で天に近づこうとしたんですから。公開処刑はですねぇ、まず軽く、指の切断から始まってぇ、」

 公開演習の時に言った言葉。どうやら、一部だけ虚偽が含まれていたようだ。こいつは間違いなく、凡夫を見下してる。嘲ってる。

「次に皮を」

 一応は善人ではあるんだろう。ただ、そういう部分があって。

「泣き叫んでも」

 それがたまたま、表に出ただけで。

「ひひッッ!!罪人ですからねっ!!凡夫の分際で、――身の程をわきまえろよ!!生意気だぞッ!!貴様等は、無駄な努力でもしていろッ!!」

「――」

 言葉が、心を強く刺激する。

 無駄、無駄、無駄……何度も内と外で聞いてきた。自分自身で、腐るほど発してきた言葉だ。

 

―空回りしたって、みじめなんかじゃ―


 ……しかし、しかしだ。

(テメェは)


 言っては、ならない言葉を言った。

 思ってしまう気持ちは、分かるんだよ。


■誰より頑張っていた奴が、圧倒的な才能を前に、折れてしまう光景を見てきた■

■その度に心は激しく怒りを燃え上がらせて■


 ただしな……認められるかどうかは、別問題なんだぞ?――――クソ野郎がッ!!


「――おオオォォォッッ!!」

 さあ、立ち上がれよ俺。天才に噛み付け、精一杯な。


―好ましく思います―


 あの力があろうとなかろうと関係ない。

 偽りない肯定を原動力に、少女の言葉を支えに、貧弱な力を振り絞って戦えッ!!


「……立ち上がったところで、何が出来るって言うんですかッ!?」

 両足を震わせながら立ち上がった俺に、容赦なく襲いかかる右の鉄拳再び。

「つぶれろよォオオオ!!」

「……」

 俺はそれを左腕を動かし、

「!?なんにッッ!?」

 見切った上で、――完全に受け流した。

 先程までの実力差では不可能な芸当だ。

「――見せてやるよ」

 受け流せた、やはりこの状態なら。

 お前がかつてのフィルと同等とはいえ、俺だって今までの年月、勤勉に力を磨いてきた。無駄に過ごしてきた時間はなかったと、断言できる。

「これが、努力の結晶だ」

 俺が元いた場所で、語り継がれていた言い伝え。努力を続けた者だけが、扱える力。条理を覆す不条理。

 誰もが持っている才力だが、努力の果てにしか到達できない領域。


 ――――限界突破(イレギュラー)


■今こそ、あの時の壁を超える時――!!■


「――青春ッ!!全開ッ!!」

 漲る力に任せるままに、反撃を開始。

 拳は、あらゆる力を上乗せして、奴に放たれる。


■世界に求める――努力が報われない不条理を壊す、力を使わせろと■


「はぎゅ!?ごはッ!!ぶほッ!!」

 今度は奴が防戦にまわる番だった。

 殴る、ただ普通に殴る、奴の攻撃をいなし、ガードが空いた所に即座に拳を叩き込んでいく。それだけで奴の体は鎧ごと砕けていく。

「こッこのォッ!!凡夫ゥッ!!」

「――ふんッ!甘いわッ!!」

 右ストレートを寸前で回避し、腹に打ち込まれる返しの拳。

「ぐぁ!!くそああぁッ!!」

「がら空きだッッ!!」

 顔面に、強力な一発。

 がむしゃらな攻撃の隙を、修練によって培った動きで素早く突いていく。

「ここんにゃ!?ばしゃなッ!!ぐっ!!」

 後ろに退く、ジーアの体。彼は上半身を右に捻りながら、右腕を大きく後ろに振り――。

 経験が、危険を告げる。

「!?武強(ブレード)ッ!!」

「武強(ブレード)!!雷(エレキ)!!」


 真っ直ぐに、襲い掛かる、雷光を纏った鉄槌――。


「ひゃやあ!?」

 それを俺は、跳躍し、鉄槌の上に乗ることで回避した。

(体が軽い)

 右腕を足場に、更なる跳躍。

 軽やかな気分。価値が上がっていく。なんとも言えない、この気持ち。


 決して届かない筈の頂を越えて、努力でしか届かない宇宙(ユートピア)へッッ!!


「いい感じだッ!」

 そのまま落下の勢いを利用して、脳天に踵落とし!!

「ごひゃあッ!?」

 見事な直撃。奴は体勢を崩した。

 俺は地面に屈んだ状態で着地して、立ち上がり、体勢を整える。

「ははあっ!!」

 ジーアは堪らず、右足蹴りで反撃に出る。俺の左横腹を砕こうと、迫る横薙ぎの蹴り。

(読めてんだよ)

 左拳を振り落とし、迫る足をたたき落とす。ごきりと、破砕の音が聞こえた気がした。

「きしゃまああ!?」

 驚愕と恐怖に染まる、顔。良いぞ、その顔が見たかった。

「ぐべらッッ!?」

 腹部に刺さる、渾身の拳。さっきの俺と同様に、今度は奴が固い床に背を付けた。

「ぎゃふッッ!!」


「おのれッ!!もう一度ッ!!」

 急いで立ち上がったジーアの手甲が、再び眩い雷光を放ち始める。

 懲りない奴だ。ならば今度は――ッ。

「真正面から受けて立つッ!!!」

 そして、完璧に証明する。


「雷(エレキ)イィイィイイッ!!」

「うおおおおおおおッ!!!」


■努力の価値をッ!!!■


「ば、かなッ!?」

 拮抗する両者の拳。

「なぜッ!!だよッ!?」

 信じられないような顔をするジーア。

 別に、不思議な事じゃないだろう。


(積み上げて来た年月がッ、目的に対する情熱がッ、味わってきた辛苦がッ、それでも諦められず・進んできた道のりがッ)


【もう無理だ……だめなんだよッ。ジン太】

【こんなのあほらしい、無駄な努力だった……】

【諦めた方が幸せだろうよ】


■それでも、その頑張りを認めてくれた人がいたから■


「――重ねた想いがッ!!!違うッ!!!」


■最後の最後で、踏ん張ることが出来るんだ■


「う、ああああアッ!?」

 雷光が消し飛び、ジーアの手甲が砕け、その体が大きく吹き飛ぶ。

「ぐ、は」

 そのまま何回か転がり、奴は動かなくなった。


■俺の勝ちだ■


「ぐ、あああッ」

 いや、まだジーアは立ち上がる。

 その根性は認めるが。

 それでも手は緩めない。

「――チェックメイトだッ!!」

 決着を着けるため、俺は全力で――。


「あれッッ?」


 体に違和感。

 なんというか、力が入らないというか。

 元に戻ったというか。

(時間切れ……!!)

 そりゃ、ないぜ!!酷すぎる!!ここからが大事なのにッ!!

「……う、おおおお!!」

 構わず突進。

 俺は倒れたジーアに馬乗りになり、努力の鉄槌を喰らわせる。

「このやろッッ!!このやろッッ!!」

「いた、いたい!!な、なぐらないじぇ!!わるかった!!まけだッ!!みとみょるよ!!」

 よし!降参したな!!

 俺の勝ち!

「ははっ!!イケメンめ!!」

 いまいち決まらない決着だが、勝ちは価値だ。

(天才に勝ったッッ!)

 顔を思いっきり上げ、勝利の余韻に浸る。脳内を巡る快楽物質に流されていく、俺の思考。

「最高だ……」

 快楽に酔いしれ、少し冷静になった後、打ち倒した天才へと目を落とす。

「?」

 天才の口が、妙な形になっていた。

(口……笛?)

 なんの為に?この状況で口笛を吹く理由、その訳は……。


「!!」

 咄嗟に離れる俺と、鳴り響く口笛。

(退避!隠れる!何処に!?)

 一瞬の内に俺の脳に閃いた、隠れ場所。

 それは、部屋の騎士像。

(あそこへ――) 

 速くなる鼓動、急かされる足。急いで隠れて――!!


 俺が銅像に身を隠した数秒後、部屋の二つの入口から入ってきたのは三匹の犬。


(せーふっ!!せーふっ!!俺にしてはナイス判断だッ!!)

 危ない。俺としたことが、気絶させるのを忘れるとは……!もし部屋から出ようとしていれば、食い殺されていたかも。

(三匹か……きつ過ぎるな)

 物陰から敵の様子を伺う。こっちに近づく気配はなし。嗅覚は働かないのか?視覚、聴覚か……。イケメンは動かない。どうやら気絶したようだ。それは良いが、状況は悪い。

 ただでさえかなりきつい状態なんだぞ!こっちは!

 顔からは血がたれて、着ているローブに落ちた。おそらく俺は、今とんでもなく不細工だろう。物語の主人公になれないほどに。

(どうする?どうする!?)

 顔を引っ込め、思考開始。頭を回せ俺!大したことない頭でも諦めるなよ!!

(なんでこんな状況に)

 回転を阻害する思考。

(あのまま決められていれば……格好良く決まったし、こんな状況に)

 いや、どっちにしろ待ち伏せていたなら無駄か。


(場面破壊(シーン・ブレイク)

 

 俺は昔から、格好良く決めるべき場面で地味な邪魔が入る不運を持っている。忌々しいもんだ……。

(こんな事考えるより)

 状況を打開する策を。

 なにか

 なにか

 なにか

(なにかないのか!?)

 そう思ったとき。

 それは起こった。


「「ドっかああああああああんッッッ!!」」


(――あ)

 死の旋律が、尻から奏でられる。

 いくらなんでも大きすぎる音は、俺の心理状態のせいなのか。

 

(油断―力みすぎ―放屁―)

 部屋に鳴り響く、大きな屁の音。それに呼応するように、こちらに近づいてくる気配。

(俺は―屁に殺される―?)

 ……芋を、食い過ぎたのが悪かったのか?それが俺の死因?屁によって俺は死ぬ?苦労を積み重ねた人生が、たった一回の放屁で?

 ――そんなの、より深い絶望じゃねェか。

(嫌だッ!!そんなのッ!!)

 どうするんだよ?考える時間もないぞ俺ェッ!?――こうなったら、やけくそだッ!!

「うおお!!」

 がむしゃらに物陰から飛び出し。

 反射的に、目の前の影に向けて拳を放った。


(――手応えあり)


 右拳に確かな手応え。……びくともしてない。

(それはそうだろう)

 妙に冷えていく思考の中で、目の前の黒髪の女性を認識する。

(……人肌、唇の感触が)

 そう、黒髪で赤い瞳。

 

 そう、我が愛する仲間、フィル――の顔下半分に突き刺さる俺のこぶしぃぃぃぃいぃッ!?


「……愛してるから、許して」

「ぶん殴る」 


 俺の顔面に、激痛が走った。もう、主人公になれないな。

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