第6話 天上
「旅の者達なのか。君達は」
港町の東に位置する林を歩く、四人組。その内の一人クリスは先頭を歩いて、道案内をしていた。目的地は、マリーとクリスの家。フィルは平坦に、マリンは心躍らせて歩いている。
「そうなんです!クリスさんは騎士なんですよね?凄いっ!」
後ろを、フィル、マリーと並んで歩くマリン。
「そんなに大したものでもないさ……。ぎりぎり騎士団って感じで、その下の兵士団でもおかしくない」
「……そうだよマリンちゃん」
自信なさげにそんなことを言うクリスに、マリーが反応した。
「お父さんなんて大したことないよ!ジーアさんとかに比べたら、全然!」
「ジーアか。……その通りだな。私なんかと比べるのも、失礼だ」
「……もう諦めれば良いのに」
マリーが言った言葉は、林を通り抜ける風にかき消されるほどに、力なく頼りない。
「あーえーっと……」
なんだか居たたまれない空気が充満して、マリンは肩を落とし、より気持ちを固める。
(なんとか、したいな……。マリーちゃんの役に立ちたい)
「ここがマリーちゃんの家かー!」
驚きの声を上げる、マリンとフィルの眼前に広がるのは大きな鉄格子の門扉、その先に広がるのはとても広い芝生の庭。
更にその先には、住居である二階建ての館。二階の窓ガラスの向こうから、使用人らしき男性がマリン達を伺っている。
館を囲む頭が尖った鉄柵は、とても頑丈そうだ。
「本当に寄っていかないの?」
門扉を背にしてクリスの横に立つマリーは、寂しげに言った。
「あ、うん。ちょっと用事を思い出しちゃって」
マリンは申し訳なさそうに訳を話すが、それは真実ではない。
(せっかくの親子の時間、邪魔しちゃ悪いよね……)
マリンなりに気を遣った結果、館に寄らずに帰還することとなった。
結局親子の仲を良くする方法は思いつかず、頼みの綱のフィルに聞いても
「まったくおもいつかない」
と、一蹴されてしまった。
(まあ、今日だけがチャンスじゃないし、また今度……)
マリンは後日改めて、館を訪れる決意を固めたのであった。
「そっか。残念だけど仕方ないね」
「うん。それじゃあ」
別れの言葉を交わす、二人の少女。
そうして、マリンとフィルはその場を立ち去ろうとする。
「……いや、ちょっと待ってくれないか」
その行動を制止する声。声を発したのはクリスだった。
「悩みはしたんだがぁ。やっぱりやらないとな……」
そう言って彼は、フィルを武人の目で見た。
「なにか?」
フィルはひるむ様子もなく、いつも通りの冷静さで問いを投げる。
クリスは一瞬だけ目を閉じ、その問いに答えた。
「私と決闘してくれないか。ジーアと同じ……いや、それ以上の力を君からは感じる」
「なんでこんなことに……」
「お父さん怪我させちゃ駄目だよ!軽蔑するからね!」
芝生の庭で、マリンとマリーは並んで立っていた。二人の視線の先には、少し距離を開けて向かい合う、クリスとフィル。
(フィルさん……)
「け、決闘?」
「はあ!?いきなり何いってるの、お父さん!変な物でも食べた!?」
クリスが決闘を申し込んだ後、意外とあっさりフィルはそれを受け入れた。
「構いませんよ。私は。退屈していたところですし……」
しかも、少し笑顔を浮かべて。
「……」
マリンには、その笑顔が邪な物に見えた。なので、不安感が胸の中を漂う。
(大丈夫、だよね?フィルさん)
不安げに見守るマリンの視線を受けながら、フィルは涼しげに佇んでいる。緊張がまるで感じられない。
「――本気でやっても良いのですね?」
やはり彼女は、笑みを浮かべていた。マリンが危惧する類の笑みを。
「勿論だ。でなければ意味がない」
笑みを気にした様子も見せず、クリスは真剣に木剣を構えている。
「……奇跡、か」
呟いた言葉は、誰の耳にも入らず。
「それでは」
「いざ」
二人はそれぞれ手にした木剣を構え、にらみ合い、
決闘が始まった――。
「うおおおおおおおっ!!」
叫び声と共に突進するクリス。土を勢いよく蹴り飛ばし、疾走する。その気迫は、騎士としての長年の経験で積み上げられたものだろう。戦場と変わらぬ迫力で、彼はフィルに立ち向かう。
「ちょっ!?」
マリーは、それに目を見開いて驚愕。
「フィルさん……!!」
マリンは、不安を高め。
「――」
フィルは、
――なんだ、やっぱりこの程度。
(強い。磨き上げられた気力と、それに恥じない動き)
冷静に力量差を分析し、
(凡夫の中では強い。おそらくは、弛まぬ努力の結果。似たような動きを、見たことがある)
取るに足りないと判断し、
(……本気でやっていいと言った。言ったのだから)
それでも笑みは浮かべて。迫り来る木剣を見ながら、
(仕方ないわよね。――玩具で遊んでも)
普段は抑えている、悪性をさらけ出す。
――あの玩具(せんちょう)ほどは、楽しめないでしょうけど。
風が芝生を揺らし、一瞬。
木剣が、宙に舞った。
「えっ」
呆然と、マリーは立ち尽くす。何が起きたのか分からない。
父とフィルが木剣を構えて衝突し、いくつかの大きな音が炸裂し、父が、不満はあるけど大好きな父親が、一瞬で芝生に倒れ込んで――。
「お父さーんッッ!!」
●■▲
努力で、天才を越えたかったと。
立派な騎士になりたかったんだ。誰にも負けない、立派な騎士に。六歳ぐらいの頃、その決意を固めた。
「ふんっ!!ふんっ!!」
訓練で、同期に負けた。きっと努力が足りなかったのだろう。
素振り、三百から五百に。
「ふんっ!ふんっ!ふんっ!」
また負けた。まだ、足りないのか。
素振り、五百から千に。
「あいつ、才能ないのによくやるなー」
「おい、聞こえるぞ」
何か陰口が聞こえた気がしたが、気にせずやり続ける。
(才能がないのは、分かってる)
それでもやり続けていれば、天才を打ち負かせるんじゃないだろうかと。そんな奇跡を期待する気持ちがあった。
そんなこと、あるわけ無いとも思ってた。
「はあ……!はあ……!」
奇跡が起きるとして。それはいつなんだ?私は後何回、これを繰り返せばいい?そもそもやり方が間違ってるのか?
「……ジーアか」
騎士団に、凄い男が入った。これほどの強者は見たことがない。彼が懸命に努力している姿も同様に。
「騎士団長」
彼だって凄い。小柄だが、洗練された槍使い。私と同じ人種だろう。能力の有無による違いはあるが。なんでも海賊を退治した時に特殊な槍を手に入れ、更に強くなったようだ。
「お父さん」
娘が、構って欲しいと思ってたのは分かってた。妻、が寂しそうに私を見てるのは分かってた。それを見て見ぬふりして私は……。
もう、私は――。
「お父さん!!」
地面から上体を起こしたクリスの胸で、マリーが泣いている。
「もう!フィルさん!やり過ぎだよ!」
「本気でやってくれと言われたのよ」
マリーの後ろでは、フィルが叱られている。
「だからって……もう少しなんとか……」
クリスの赤く腫れた左頬を見ながら、マリンは声を落とした。
「……いや、本気でやってくれて感謝する。フィル君」
その声を否定したのは、打ちのめされた本人。
「えっ?」
「君が本気でやってくれたおかげで、……私は諦めることができた」
クリスは本気の感謝の念をこめて、フィルに礼を言った。
「よく分かりませんが、役に立てたなら何よりです」
にこりともせずに、フィルは言った。
「むむむ……」
そのやり取りを見てたマリンは、納得いかない表情だ。
「……本当に助かったんだよ。マリー、今まで済まなかった」
クリスはそう言うと、泣きじゃくるマリーを優しく抱きしめた。
「お父…さん…?」
「これからは、もっと一緒に楽しむ時間を増やすよ。家族サービス大増量だ」
クリスの一言、それを受けてマリーは数秒沈黙した。
「……本当に?」
「本当さ」
「――約束だよ」
「約束だな」
静かに、確かに、約束を交わす二人の姿は、とても嬉しそうなもので。
「……良かったね。マリーちゃん」
それを目にしたマリンの言葉は、喜びと、羨望が混ざったものだった。
「――よし!決めた!」
輝く光景を数秒間眺めた後に、彼女は決意する。邪魔をするようで悪かったが、決心が鈍らないうちに。
「マリーちゃんッ!!」
マリンは二人の傍に駆け寄ると、抱えていた人形を差し出した。大事な物だが、商人のおじさんは好きに扱って良いと言っていたのだ。
「マリンちゃん?」
「……ごめんね二人共。お詫びって訳じゃないけど、いや、それもあるかな……ああもう!とにかく!!受けとっひぇ!!」
何を言っていいか分からず、少し噛んでしまうマリン。彼女には割と良くあることだが、少し頬を赤らめた。
「本当にいいの?」
「いいの!いいの!これは、わたし達の……えーっと……絆の証でもあるんだから!!」
素直な気持ちをこめて、言い切った。
「絆の証――ありがとう、マリンちゃん」
マリーは、幸せそうに顔を輝かせ、差し出された人形を大事に両手で受け取った。
「大事にするね」
「うん。よろしく」
幸せの輝き。それを見て、マリンの中にあった惜しむ気持ちは吹き飛んだ。
絆の証、謝罪の気持ち、それ等も間違いではないけど。
(よかったね)
マリーがあまりに幸せそうで、もっと幸せを増やしたくて。
こんな自分でも、役に立てた。
「かな?」
「……さあ、分からないわ」
マリンとフィルは館を去り、林の中を横に並んで進んでいた。この林を抜ければ、町へと戻れる。
「町に戻ったら、どうするの?」
「うんとね。まずは……美味しそうなお菓子屋さんがあったから……」
マリンは顎に手を当て、次の行動を考え出した。
(そろそろ、船に戻りたい)
フィルの心情は変わらず、玩具遊びで少し退屈はまぎれたが、あくまで少しだ。
(やっぱり船長じゃないと)
物足りない、気持ち。
「……よし!決めた!!」
フィルの気持ちを余所に、マリンの気持ちは定まったようだ。
「まず最初に――」
――木の葉が、揺れた。
「フィル、さん?」
がきんと、金属音が林に響き、地面に投げナイフが突き刺さった。
「ひっ!?」
右斜め前方に突き刺さったそれを、マリンは恐怖の眼で見る。
「マリン、落ち着いて。離れないで」
横にいたフィルは、振り返ったマリンの眼前で、戦闘状態になっていた。
「出てきなさい。場所は分かってます。すぐ出てくれば命までは取りません。――その逆は、楽に死ねませんよ?」
心臓が凍ると錯覚するほどの冷たい声色で、彼女は告げる。
それに対する反応は、数秒後に返ってきた。
「お見事です。いきなりの無礼をお許しに。噂に名高き天上の力、少し見てみたく」
声がした。女性の声が。
それに伴い、フィル達の前方の木々の一本から影が落ちてきた。
「無礼……で済まされるとでも?」
「どうかお許しを。……気分が済まなければ、どうぞこの命、奪って下さい。ですが、その前に主人からの伝言を」
地面に降り立った影は、メイド服を着た長身の女性。
「主人?」
「ええ」
その紫髪のメイドは、人懐こい笑みを見せながら、フィル達に言った。
「貴女様と同じ、天上の一人です」
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