第48話 いってらっしゃい

 ×××


 ボクは見ている事しかできなかった。

 ずっとそうだ。結局実行するのはボクじゃない。ボク以外の人間。

 ボクは孤独が好きだ。だって、ボク以外の人間は、ボクとはあまりに異なる。考えている事が違いすぎる。

 だから一人になって自分の中に閉じこもる時間はボクにとって大切で、なくてはならない時間だ。

 でも、別に他人と関わることが嫌いな訳じゃない。むしろ好きだ。全く違うからこそ興味が尽きず、惹かれる。真白世界、朝日拓人は、特にその人間性に惹かれる。


 二人に共通するものはいくつかある。一つは、若さ。

 若い頃、一〇代は潔癖だ。視野が狭く、信じられるものが僅かで、認められなく拒絶するものばかり。そのくせ打たれ弱く流されやすい。斬れ味鋭く荒削り。それゆえ、美しい。その未完成さがたまらない。どう転ぶか分からない、予想がつかないものほど目が離せないものはない。だからついちょっかいをかけたくなってしまう。


 一つは、課せられた残酷な運命。まあその運命を仕組んだのはボクなんだけど。仕方無かったんだ。ボクはボクの中の神に従っているだけなんだ。タッくんの『世界を救いたい』という願いは、ただレアくんを救いたかっただけだった訳だけど、ボクは違う。心の底からこの世界を救いたいと望んでいる。

 自分が棲んでいるケースの中を綺麗に掃除したくなるようなものだ。ボクは人間という集団そのものを観察対象として愛している。

 そんなボクが、度々『情』という不可思議なものに流されそうになるのが、あの二人。


 課せられた残酷な運命。

 そう、他人から見れば十中八九不幸だと断ずるであろう運命。

 たった今、タッくんが再びマクスウェルの庭への道を拓いた。

『福音』三本分。それによって拓かれた道は、最初に拓いたものと比べものにならないほど大きく。


「俺は、なんでこんなところにいるんだ」


 失われた記憶もまた、比べものにならないほど大きい。

 半ば予想できていた展開であったにも関わらず、どこかショックを受けている自分がいる。タッくんだったらケロッとした顔で、当然のように大事な記憶だけは保持したままであって欲しいと無意識に望んでいたのかもしれない。

 なぜ自分がここにいるのか。そこまで記憶を失ってしまったタッくんに、声をかけに行く。


「やあ、こんにちは」

「……あんた、誰だ?」


 以前よりさらに表情が希薄になっている事を確認しつつ、質問に答える。


「通りすがりの研究者さ」

「その研究者さんが何の用だ?」

「困っているようだから声をかけずにはいられなかったのさ」

「……そうだな。確かに困っている。悪魔に奪われたのか、なぜ自分がこんな場所にいるのか全く分からないんだ」

「よければ、手助けさせてくれないかな? 君の経歴、戻るべき場所、失った記憶がどんなものだったかを知る手伝いを。ボクはそれなりに権力や情報を持っているから力になれると思うよ」


 ボクがそう言うと、タッくんはしばし悩むような素振りを見せた。

 ここで何と答えるか。ボクは楽しみにしていた。

 普通に考えれば、ここでボクに頼るはずだ。当人からしてみればボクの存在は胡散臭いことこの上ないかもしれないけど、周りは森、ここがどこかさえ分からないのだから。

 断るとしたら、自力でこの場所を離れるか。

 でも、きっとタッくんなら。


「……気遣い、感謝する。でも、手助けはいらない」

「理由を聞いてもいいかい?」


 タッくんは俯いて、両の手に握っているエクシスを見つめた。


「……行かなきゃいけない気がするんだ。このエクシスを使って、マクスウェルの悪魔を倒さなきゃいけない気がするんだ。なあ、この目の前の空間、この中に悪魔がいるんだろう?」

「そうさ。よく分かったね」

「そんな予感がした。じゃあこの中に入れば、悪魔を倒せるんだな。教えてくれてありがとう」

「どういたしまして。そうだ、不躾だけど、君を見送らせてもらっていいかな? これも何かの縁だと思ってさ」

「断る理由が無い」

「ふふ、ではしっかりと見届けさせてもらうよ」


 ボクは数歩離れてタッくんを見送る事にした。

 タッくんは自らが斬り拓いた道の前に立ち、こちらに背を向けている。

 やはり彼は違った。覚えていた。身体、心、魂。そういう場所に刻み込まれているのだ。言葉でこう形容するのは簡単だが、解明しようと思ったらいくつ命があっても足りないくらい膨大な時間がかかるであろうメカニズム。


 ボクは霊的なもの、超常現象等はいつかすべてその仕組みが解き明かされると信じている。魂とやらの存在があるとすればブラックボックスなだけで、時間さえあれば他の運用方法も見つけ出せる自信がボクにはある。


 探求心。それをこんなにも刺激してくれるなんて、やっぱり君たちは最高だよ。

 タッくんはマクスウェルの庭へ至る道を見つめながらエクシスに血を吸わせ、記憶を捧げて能力を解放した。ついに踏み出すのだ。これから自身に何が起こるのか分かっていようとも。


「行ってくる」

「いってらっしゃい」


 それだけ。彼が最後に残した言葉はたったそれだけだった。

 タッくんは今まで言葉より行動で自らの意志を示してきた。その言葉だけで十分だったのだろう。


 だからこそ、意外だった。タッくんが道へ足を踏み入れる寸前にちらっと振り向き、微笑みを見せたのは。

 残酷な運命を課された二人。その二人もが、その運命を受け入れながら、どこからどう見ても幸せとは言い難い展開を迎えながら、それでもそれに臨む瞬間に、笑顔を見せたのだ。


 見守らせてもらうよ。君たちがどれだけ記憶を失おうとも、ボクの命が尽きるまで。

 一向に閉じる様子を見せない空間の裂け目を見上げながらもの思いに耽ってから、ボクは手元のディスプレイに目を落とした。


 ×××

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