第41話 なぜこんなにも

 それから元のテンションに戻ったアリアから明日のタイムスケジュールなど事務的な連絡を受け、ようやくひと段落ついた。

 三人とも昼ご飯を食べていなかったため、二時過ぎの遅めの昼食を摂る。


 メニューはアリアの強い希望によりカレーに。カレー作りはレアより俺の方が得意だから俺が三人分作る事になった。冷蔵庫には地味に食材が揃っていて驚いた。

 昼食後は別室にてメディカルチェック等幾重にもわたる検査を受け、時間はあっという間に過ぎていく。

 夜はレアが手の込んだフレンチフルコースを作ってくれて、俺とアリアは夢中になってそれを食べた。


 夜ご飯の後にもう一度明日決行予定の計画についての最終チェックを行い、各々部屋に戻った。

 俺に用意されたのは一〇畳ほどの無機質な部屋だ。シャワールームやキッチン完備で一人暮らしできそうな部屋だ。

 大した事はしていないのに、とても疲れた。湯船に浸かりたいところだが、残念ながらシャワーしかない。なるべく長く身体に熱い湯を当て温めて疲労の回復を図る。


 シャワールームを出て身体を拭き、髪を乾かしてからベッドに大の字になった。

 アリアからもたらされた情報量が多すぎ且つ衝撃的で、考え出すと頭がパンクしそうになる。


 明日、人類と悪魔の戦争が終わりを向かえる。俺とレアが任務を完遂する事ができたなら。

 この世界は救われる。みんな幸せになる。

 その『みんな』の中にレアは入っているのだろうか。レアは心の底から自らの運命を受け入れているのだろうか。


 ゴールが皆目見当が着かない迷宮をさまよっているかのように、思考が堂々巡りを起こす。

 まだ夜九時過ぎだが、今日は早めに寝て明日に備えよう。そう思い立ったところで、部屋に設えてある小型ディスプレイに、この部屋のドアの開錠要請アイコンが現れる。

 外の様子を見る事ができるカメラに映っていたのは、レアだった。手にはチェスセット。

 アリアの研究所にいようが、いつも通り過ごそうって事か。

 すぐさまディスプレイをタッチし、開錠。


「こんばんは」


 感情がこもっていないが、透き通るような綺麗な声。


「ああ、こんばんは」

「ねえタクト」

「分かってる。チェスだろ? 早速やろうか」

「うん」


 レアはちょこんと頷き、滑るように部屋にある小さめの丸テーブルにつく。

 俺も対面に座り、一緒に駒を並べていく。

 明日は朝から計画の準備があるため、チェスをしている時間は無い。だから今日この瞬間が、レアとの最後のチェスという事になる。


「さあ、はじめるとするか」

「ちょっと待って。タクト、賭け、しない?」

「賭け?」


 そんな提案は今まで無かったため面食らう。

 断る理由は特に見当たらないが、一応賭けの内容を聞いておかないと。


「うん。賭け。賭博の『と』の字」

「いや、それは分かる。賭けの内容は?」


 レアは数秒の間停止した後、ためらうように、言葉を区切ってこう言った。


「負けた方は、勝った方、の言う事を、何でも一つ、聞、く、とか?」

「なぜ疑問系なんだ」

「とっさに思い付いたから」


 これはただ賭けというものをやってみたかっただけ、というパターンだな。

 良質な記憶の蓄積にも良いし、ここは乗ってみるとしようか。


「まあいい。その賭け、乗った。何回勝負にする?」

「三回」

「了解」


 もう既にチェスのできる準備は整っていたため、言葉少なくすぐにゲームがはじまる。

 にしてもベタな賭け内容だ。

 俺が勝ったらレアに何をしてもらおう。

 ……ダメだ、何も思い付かない。頼んだら大体は普通にやってくれるし、わざわざ賭けに勝った報酬として何か頼む必要性は感じられない。勝った時に考えるとしよう。


 逆にレアは俺に何を要求するのだろう。全く想像できないから興味あるな。

 っと、今は賭けの事なんて考えずにチェスに集中しないと。最近は割とゆるくやってたが、真剣に盤上を見つめるレアに応えるために俺も本気でやらなければ。

 お互いにひんやりと冷たい駒を慎重に動かし続けること二〇分あまり。


 一回戦は、辛くも俺が勝利した。

 最近はもうレアの勝率の方が高くなっているが、全神経を傾けてじっくりと臨めばまだ俺の方が勝てる。

 そのはずだったが、なんとこの後二連敗してしまい、あっさりとレアが勝負を制した。この展開は賭けとか関係無く悔しい。


 三回目のゲームが終わった後、俺は疲れでイスからずり落ちそうになった。

 頭まで背もたれのお世話になりながらレアの方を見ると、首を背もたれの上に乗せて宙を仰いでいた。レアもこの三連戦に相当体力を使ったようだ。にしてもあご先からのど元まで真っ白な肌だな。

 二人して一〇分ほど体力の回復につとめ、ようやくイスにきちんと座り直したところでレアが口を開く。


「わたしの勝ち」

「ああ。完敗だ。いつの間にこんな実力をつけたんだ」

「睡眠時間を削って勉強した。今日勝つために」

「そこまでして勝ちたかったのか。その勝負への執念、恐れ入る」

「単に賭けに勝ってタクトにお願いを聞いてもらいたかっただけ」

「そんな回りくどい事しなくても聞くのに……あれ、でも賭けの内容はとっさに思いついたって」

「さっきのはなんでもない」

「いや、そんなバカな」

「なんでもない」


 無表情で淡々とそう言われると追求しにくくなるんだよな。頑固だからこのままなんでもないって言葉だけで押し切るだろうし、ここは流すが吉。


「……それで、俺に何をさせるんだ? よほどヘンなことじゃない限り大人しく従う」

「よほどヘンなことって、例えば?」

「例えば……うん、なんだろうな、俺にもよく分からない。裸で研究所周りを一周とか?」

「……なるほど」

「なんだよなるほどって。そこはかとなく恐怖を感じるんだが」


 真意を読み取りづらいから思わせぶりな事言われると混乱するんだよ。


「心配しなくてもいい。そんなヘンなお願いしない」

「さっきの発言があるからイマイチ信用できないな。早くそのお願いとやらを教えてくれ。心臓に悪い」


 密かに心の準備をしておく。俺との記憶を失う前のレアならここで確実に遊び心溢れる命令をしてきただろうし、最近そのケが出てきた今のレアだって警戒できない。

 レアはチェスセットを片づけながら、何気なくその『お願い』を口にする。


「わたしが記憶を全部失くしても、チェス、してね。記憶が失くなっちゃったわたしと、チェス、してあげてね」

「……ハハハ、何だよ、それ。何なんだよ。そんな、そんな事でいいならいくらでも、いくらでもするよ」

「……ありがとね、タクト」


 無理難題を押しつけられると思っていたのに。

 そうじゃなくて、とても簡単な『お願い』で。

 なぜ俺はこんなにも揺さぶられている。

 なぜこんなにも胸が締め付けられる。

 なぜこんなにも。

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