5分で読める短編集

倫華

前日

「前日」


 明日は、いよいよ入試の日だ。高校生最後のテストがあるので、四時間授業を受けた後、教室から出る前に友達や担任に顔を合わせた。

「頑張れ」

「君ならできる」

「いい返事、お待ちしてます」

 様々な声を掛けてもらったり、仲がいい子には、ハグをしてもらったり、ハイタッチを何度も繰り返したりした。正直、とても嬉しかった。言葉に励まされた後、最後に私の親友に声を掛けた。

「頑張れ。君は、本番になると頑張る癖があるから、いつも通りにするんよ」

 目から鱗だった。反射的に、

「ご最もです。的確すぎてびっくりだわ」

 と、本音を笑いを含め乍ら、早口で喋った。だろ、とニヤリと親友が笑う。甘えたくなって、親友に腕を回し、温もりを感じる。抱きしめられた時、自分の中で安堵と余裕が生まれそうだった。しかし、次の一言が、余裕の文字が焦りに変わる。

 手を元の位置に戻し、親友が肩に手をポンと置く。

「あんた彼氏に報告しときなよ。『行ってきます』って。彼氏の『頑張れ』が、一番安心するんやけん」

 戸惑った。マジか。前回の推薦試験の時も、入試前だからと言って断ったクリスマスの日のデートも、自分から規制したのに。それに、後で合同する母も待たせてしまう。元々、顔を合わせる予定はない。でも、心のどこかで「行け」と耳打ちするもう一人の自分がいる。一体、どうすれば良いのだろうか。目を泳いでいる私を見た親友は、手を私の背に当てて、ゆっくりと押し出した。

「ほら、行ってこい!」

 私は、ぎこち無く頷いて、バイバイ、と手を振った。教室の仕切りから一歩踏み出し、真っ直ぐ歩き出した。しかし、足を踏み出す度、不安や焦りが生まれる。次第に大きくなる負の感情の砂が、降り注ぎ、山の形に積もっていく。廊下から階段に降り、購買や自動販売機に向かう生徒の顔を、目を凝らして見てみる。もし彼が購買に行くなどの用事ですれ違えれたらいいのに。何て思っていたが、そんな事は起こらなかった。とうとう、階段を降りて、出口の正門の前に着いてしまった。多少の迷いはあったが、出口に向かい、外に出た。

 風が冷たい昼下がりの中、防寒具無しで歩いていることに気づいた。手に持っていた事も忘れていた。歩きながら、マフラーを首に掛けて、結んだ。

 風が冷たい。母が待つ駐車場に向かう一本の道路の方向から、冷気が頬を摩る。

 ダメだ、焦るな。脳内で何度も唱える。下を向いて、足を素早く前に出す。次第に、彼の顔と親友の声が脳裏に蘇る。どうすればいいのだろうか。ダメだ、今はいけない。会わないって決めたのは、私じゃないか。でも、もし会わなかったら、これが運命の分かれ道になるかもしれない––––いや、それは関係ない、非科学的だ––––彼に、会いたい。

 すると、足が止まった。体は、背を反対方向に向け、目線は、さっきまで居た校舎。

「彼氏の『頑張れ』が、一番安心するんやけん」

 親友の言葉が、脳裏に再び蘇る。会いたいに決まってるじゃない。今まで、こんなに好きになった人なんていない。一度女を捨てた私を、女の子に戻した特別な人。もし、会ったら、安心してしまう。いや、怠けしまう。

 すると、風が素早く頬をなぞった。直感が、「会え」と唱える。しかし、両手から零れ落ちる程溜まった負の感情が、風に吹かれ、サラサラと何処かへ旅立っていく。積もった山の頂点から、形は、徐々に崩れ始めた。決して、焦りや不安が無くなった訳ではない。これは、戒めだ。彼に会いたい気持ちも、頑張れの声を聞きたい欲も、全て堪えて決意に変える。両手からすり落ちた砂は全て、風と共に、私の背に流れた。そして、回れ右をし、校舎を見るのをやめた。

 風が私に向かって、吹いている。母が待つ駐車場に行くな、と告げるように。冷気が体を襲う。それに対抗し、速やかでコンスタントに足を前に出す。それは、まるで、月に向かって吠える孤独な狼のようだった。

 狼は、辿り着く、駐車場に。母の車の助手席のドアを開け、

「お待たせ」

 と、言った。荷物を、後部座席に置き、もう一度、助手席のドアを開け、車に入る。

「さて、行こうか」

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