きっかけ一つで言えることもあるさ

九丸(ひさまる)

第1話猫飼いたいの?

 日曜日、夕飯の買い出しに、君と出掛けたショッピングセンター。


 併設しているペットショップで、ずっと猫を見ている君。


 いつもは、僕にいらいらした顔しか見せない、そんな君の優しそうな笑顔を見たのはいつ以来だろうか。君の好きな秦 基博のライヴのチケットをプレゼントした時以来じゃないだろうか。待てよ、じゃあ、僕は二年近くも君のそんな顔を見てないことになる。付き合って四年。その半分近く、僕は君にいらいらした顔しかさせて来なかったことになる。


 食材の入ったカートを押して、そっと君に近づき、僕も一緒にケージを覗きこんだ。


 君が僕には使わせてくれないシャンプーの、よく分からないけど良い香りが、触れるか触れないかの僕らの間を易々と越して届く。


「猫飼いたいの?」


 君の優しそうな顔が、瞬時にいらいら顔に変わる。急な夕立だって前兆はあるのに、君の変化にはそれすらない。もはや顔芸だ。


「別に。ただ見てただけだから」


 こちらに見向きもしないで、素っ気なく言い放ち、レジに向かう君を僕も追いかける。日曜日の夕飯時の買い物客の間を足早に君は行く。追いつくのが大変だ。


 買い物が終わり、パーキングの車に乗り込むと、君は直ぐにセブンスターを取りだし、火をつける。僕の中古のアコードワゴンの中が、君の吐き出す煙で満たされていく。


 僕も負けじと、これまたセブンスターを取りだし、火をつける。


 僕の煙と君の煙が、ふんわりと交わっていく。そんなシンクロでも、今の僕には無情の喜びだ。


 出会いは、会社の喫煙所で、偶々同じセブンスターを吸っていたことからだった。女性にしては珍しいですねと、僕が声をかけたのがきっかけだった。その時も君は素っ気なく答えただけだったけど、何度か会ううちに、君の大好きなお父さんの影響でセブンスターにしたこと、そろそろ禁煙したいと思っていること、そして、彼氏がいないこと。煙立つ狭い空間で、僕は君を知ることができた。そして、君が初めて笑顔を見せてくれた時、僕は君に惹かれていることに気がついた。


 僕と付き合ってから、君の煙草の本数は減り始め、そして、また増え始めた。それは君のたまの笑顔が減って、いらいら顔が増えていったのとリンクしている。


 まあ、僕のせいなのは自明の理だ。二年前の僕の態度に、君は凄く苛立ちを感じたんだろう。当時二十八歳の僕には当たり前の感情で、それは残念ながら今も変わっていない。


 車を走らせ、僕のマンションに着き、部屋に入るなり、君は夕飯の用意をする。包丁でまな板を叩く、スローで不規則なリズムの音が鳴る。


 君は僕が隣に立って手伝うことを、やけに嫌がる。きっとそれは、僕の方が料理が上手いからだ。出来る方がやれば良いのにと思いながら、いつも通り不器用ながらも、そしていらいら顔でキッチンに立つ君の姿を眺めている。この光景も、もう随分と前からだ。いつからか隣に立てなくなっていた。以前は嫌がりながらも、隣に立つことを受け入れてくれてたのに。


 僕はリビングのソファーに座り、セブンスターに火をつけて、なんとなくもやっとした気持ちを煙に乗せて吐き出す。


 大した会話もなく夕飯が終わると、君はパーキングに停めた自分の車に乗って、家へと帰っていく。これもいつも通り。泊まることなんてめったになくなっていた。


 夕飯の後片付けをしながら、シンクの流れていく洗剤の泡を見ていると、僕らの終わりも呆気なく来るのかもと考えてしまう。僕は君のことが好きだ。一緒にいたいとも思う。だけど、僕の生まれついての淡白な感情が、君にとっては不満なのだろう。理由は明白なのに、動こうとしない僕に、日々鬱屈としたものを溜め込み、今の現状に至ってしまったのか。こんな僕の何処が好きで、これまで一緒にいてくれているのか、僕には皆目見当もつかない。 僕の方はいたって簡単で、君がたまに見せる笑顔が堪らなく好きで、そのたまの笑顔にこそ君の本質があり、それを見れることが僕の幸せだと思うからだ。全部が好きである必要なんかない。たった一つの好きだって、立派な好きだ。でも、その笑顔も見なくなって久しい。想いのすれ違いが、今の僕らの共通項みたいだ。

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