thou shalt kill "WORLD JUSTICE"
ビズ・リッキー・R
intro. CRIME
高層建築の無い、なだらかな町並み。細い川を中心に作られたそこは、穏やかながらも都心に近い事から活気づいていた。個人経営の店が並ぶ商店街は登校中の学生や開店準備の人々で溢れている。
療養のために移り住む人も居るため、時折杖をついた人や義肢の人も居る中、この町には一際目立つ特異が居る。特異は白髪を腰元まで揺らし、いつも必ず、全身を黒一色の喪服で覆っている。
「いらっしゃい。いつものよね?」
「悪いね、朝早くに」
「いいのよ。お得意様だもの」
ソレは花屋で供華を買うと、慣れた手つきで少し多くの代金を払い、軽く手を振って立ち去った。おおよそ月に一度、多い時は二度見られる光景だ。商店街で開店準備をしている面々も、ソレを見るなり陽気に言葉を交わし、学生たちは挨拶を飛ばす。この町にとってソレは異物というより、名物にも近いのだろう。住む者や多く立ち寄る者にとっては、驚くにも値しないといったところか。
そうして町外れにある丘への道を進む途中、後ろから駆け寄る足音を察してか、ソレは「持て」と言わんばかりに供華の束を後ろへ差し出す。同時に、左手に持っていた供華の束は、か細い指の右手とすり替わっていた。
「おはよう、お父さん」
「はようさん。今日は随分とぐっすりだったみたいだが」
「ご、ごめんなさい……」
「良いことさ。それに、付き合わせてるのはこっちだ」
左手を繋いでいる相手を引き寄せ、隣を歩く。
ソレを父と呼んだ少女は、黒いサイドテールと蒼いストールを揺らしながら、供華を一瞥して言葉を漏らした。
「……また、増えたね」
「悲しいことにな」
そんな気など全く無いように、ソレは声色1つ変えやしない。
「お前が気に病む事じゃない。あまり隙を作ると、いつ取り憑かれるか───」
言い終わる前に、ソレの目には男の姿が入った。普段誰も来ない丘の墓地に、この地域に相応しくない都会の空気を持つ男だ。
ダークグレーのスーツに身を包んだ男は、2人を見るなり軽く会釈した。
「こんな時間からこの町にいるだなんて、とうとう引退したのか。良いところだろう?」
「バカ言うンじゃねえよ。……仕事だ」
「なら、その話は少し待っててくれ」
ソレは供華を幾つかの墓前に分けて供えさせ、誰にも見えない黙祷をする。
「マリー。爺さんのとこへ行って、仕事道具の準備をさせてくれ。終わったらいつものカフェで待ち合わせにしよう」
「ん……行ってきます」
「気をつけて」
少女───マリーを立ち去らせ、人払いはしたぞと言わんばかりに向き直る。
男は苦笑交じりに煙草を抜き、墓石の1つに寄りかかって火を灯した。
「テメエがあの娘を拾って、もう何年経つやらなあ? 立派に父親してやがるじゃねえの」
「その点お前は何も学習しないな。俺の傍で煙草を吸うな」
「世間様のせいで肩身が狭いンだ、ここでくれえ許してくれよ」
「俺も世間様の1人だが? 肩幅を狭くされたいか」
「おお、怖い怖い。さすがカオナシ様だ」
カオナシ。ソレの世間での呼び名だ。
一部では信仰対象にされているとか、いないとか。
「……それで。仕事だと聞いたが」
「こいつだ。いつもの様に、いつも通りに始末してくれ」
半ば呆れ気味のカオナシをよそに、男は仕事内容の書かれたメモと写真を投げ渡した。カオナシは写真の人物の現住所と行動範囲、報酬だけを見てくしゃくしゃに丸めて投げ返す。
「俺とこんなことをしてるから、お前は昇進が閉ざされたってのに」
男は大きく息をつくと、メモと煙草を携帯灰皿に押し込み、燃やし始めた。
「必要悪って奴だ、法に裁けない悪もある。法の守護者に、法が味方するとも限らねえ」
「まあ……お互い老い先短い身だ、好きにすればいいが」
「テメエはまるで老けねえよなァ」
「カオナシ様。だからな」
ケッケッケッ。と、小悪党のような笑いを漏らすカオナシ。2人の出会いは30年は昔だろう。敵同士でもあり、仲間でもある関係は、とても複雑だった。
「お前もどうだ。最初は手がかかるが、子をもつのも悪くない」
「あの娘みてえに素直なままなのは、相当稀なもンだぜ?」
「そこは俺の育て方が良いからだろうて」
「どこがだ、悪党め。良い女ばっか周りに侍らせやがってよう、羨ましいったらありゃしねえ」
「いつの時代も、悪の女幹部は美人って相場が決まってるのさ」
「贅沢しやがって、しょっぴくぞ殺人鬼」
「捜査協力ついでに告発をお望みかい、汚職刑事」
殺人鬼。……そして、刑事。2人は互いが獲物であり、協力者なのだ。
数十年前、突如として現れた正体不明の連続猟奇殺人犯。正義を隠れ蓑にする者や、権力を以て逃れんとする、法に裁けぬ悪を狩る殺人鬼。その手口や、カメラに残った映像からツラハガシ、カオナシとも呼ばれているその人だ。
同時に、その初犯当時からの犯行の捜査員であり、以来専門刑事と言っても過言ではないヴァーテル・スレイム。かつては捜査・逮捕の対象だったが、今では情報を横流しする内通者にもなっている。彼が目的のために手段を選ばない、正義執行を求めるが故に、手を染めた末だ。
彼らの目的はある点において合致している。ただ一つ、法では裁けない悪を滅すこと。いつかの日が来るまでは休戦……と言う形になっていた。
「いつヤる予定なンだ」
「まずは下見と裏付けからだし、早くても来週……半ばだろうな。いつも通り予告は出すが」
「盗みならまだしも、お命ちょうだいの予告だもンなぁ……。いつも思うがたまったもンじゃねえ」
「それをやらせてるお前が言うか……」
軽口を挟みながら行われる打合せも進み、少し強く風が吹いたのを合図に、何も言わず2人は別々に歩み出した。
彼らにとって、会話をしている姿等はあまり好ましくない。カオナシはそのあだ名から、事件当時真っ先に疑われている過去もあり、今でも執拗に狙われている。その都度、必要最低限のアリバイで逃れているのだが。
「彼らはあと何人消されれば、危機感を覚えて手を引くのやら……」
世代を超えた時を経て作り上げた、不正行為への恐怖。手を染めれば消されるという事実とルーチンを植えつけ、抑止力となることを望んでいた。だが、それでも世界は汚れている、毒され続けている。
人は欲望に抗えないという事実を噛みしめながら、かつて他者の欲望のために奔走していた身が、あざ笑うように震えた。
"世界には3種類の人間がいる"
それから1ヶ月もした日の夜、町ではふらふらとカオナシが歩いていた。腰には大きな刃をぶら下げている。
警察でもいようものなら秒で逮捕されそうなものだが、この町に彼の道を阻む者は現れないし、その未来も今の所はないだろう。
"一つは世界の正義を絶対とする者"
いつもならちらほらと人が居る道も、24時間営業のコンビニも、この時は灯りを失い無人となる。ここには、かの殺人鬼などいない、誰も知らない……そう体現するかのように。
"一つは正義など考えぬ者"
「終わらない、終わらない……終わらない。君達の言う神など居ないというのに、嗚呼、嗚呼、祈りは届かぬ夢だと言うに」
ぽそり、ぽそりと言葉を漏らしながら、カオナシは町の教会へと赴いた。
"一つは己の正義を貫く者"
「今宵もまた、哀れな子羊が此の世を旅立った。悪を成し神への祈りを捧げたこの者を、我らが代わって御許へと捧げよう」
聖堂を闊歩し高く掲げたその手には、いつかの日に頼まれた者の顔があった。
ツラハガシ。そう呼ばれる所以たるや、読んで字の如く、相手の顔の皮を剝ぎ取ってしまうからである。これは、それなのだろう。
"これは、正義を貫く者と、世の正義が対立するお話"
「人の説く神は無し。人の説く世は無し。未だ悪辣を重ねる者に、人の説く神が裁きを下さぬのなら、人の説く法が捌きを下さぬのなら、我らが神に代わり、正義に代わり、罰を下すのだ」
祭壇の横から現れた翁に顔の皮を預け、続くようにぞろぞろと現れた者達はカオナシの服、凶器、道具、それぞれを一つずつ受け取り、奥へと消えていった。
外套と装備を失ったカオナシは、もはやただの、装いだけならば極普通の、喪服ぐらいしか服がない中年男性だ。
役目を終えたカオナシが正門を抜けて外へ出ると、柱の横にはストールを巻いた少女がいた。マリーだ。
「お疲れさま」
「ああ。ただいま」
片膝をついて抱き合い、立ち上がると共に手を繋いで歩き出す。
まるで親子のように───いや、親子なのだろう。彼等にとっては、疑いようもなく。
「悲しい顔……今日も誰かを見送ったの?」
「………………そうだね。また1人」
「そう……。天上にて安らかに眠れますように……」
「大丈夫、罪は裁かれた。あとは彼に贖罪の意があれば、きっと神はお許しくださる」
印を結んで祈るマリーを横目に、カオナシは胸が痛むのを感じていた。
マリーの両親は神の裁きで此の世を去った。それは紛れもなくカオナシの仕業なのだが、彼女にとってはそうではない。カオナシこそが父親であり、母は子を残し天へと導かれたのだ……と、そう記憶しているらしい。
「ねえ、お父さん」
「なんだい、マリー」
「これで1000人目だね。おめでとう、君は選ばれた」
「……マリー?」
はた、と足が止まる。
手は繋がっているが、横にマリーはいない。数歩後ろから感じる気配は明らかに異なっていた。
もっと異質な、ともすればあまりにも純然たるなにか。カオナシはこれがなにかは知らないし、知る由も無かっただろう。
「君は余りにも多くの人を殺してきた」
「マリー。冗談は止めなさい」
「もはやこの世界に君を止められる者はいないだろう」
「聞こえているんだろうマリー。……マリー!」
振り向くことが出来ない。
恐怖か、あるいは。
体が、本能がそれを拒んでいる。
「チャンスをやろう。君にとって正義とはなんだ」
「…………ッ。私にとっての正義は……悪だ」
拒むことが出来ない。
まるで従順であることが当然のように、体がそうしてしまう。
頭では拒もうとも、口が動くのだ。
「悪とはなんだ」
「世が正義としない違う正義だ」
「世とはなんだ」
「生態全てを内包するものだ」
「ならばお前は、正義のための戦争をどうする」
「正義のための……?」
わからない。
歴史上、正義を掲げた戦争は多量にある。
だが、それら全てを悪だとすることは出来ない。だからこそ、今までどんな相手であっても悪辣かどうかを調査し、道を外れた者を処刑してきた。
しかし……戦争を断ずることは、途方もないことだろう。
「……私は、正義を隠れ蓑にする悪を討つだけの装置だ」
「その悪とはなんだ」
「己のために他を陥れるものだ!」
「では、お前は他者のために働けというのか」
「そうではない! 何事にも度合いがある。過剰な搾取を、権力を盾に行うなど断じて許されない!」
「……ならばお前は、殺さねば生きられぬ者と、その恐怖のために殺す者。どちらを救う」
「なっ…………私は……」
生態系による殺戮。
真実かどうかはわからないが、それが本能である場合、断ずるものではないだろう。
そして、それに抗う行為もまた悪ではない。だが、しかし。
「……両者のバランスを崩す個体を排除し、均衡を保つだろう」
どちらも悪ではないのなら、それを乱す者を悪とする。
和平がなくとも調和がある。それを望んで。
「私は平和を望む者ではない。私が討つのは、悪のために力を振るう者ではなく、力を盾に悪を成す者だ。そのためなら、例え神子であろうとも殺す覚悟がある」
カオナシはそう吐き出して、ただじっと空を見つめていた。
彼はカオナシ。生まれたその時から、誰も彼の顔を知る者はいない。……いや、正確には首から上が"黒い靄に遮られて誰にも見えない"のだ。それ故、本当に彼が空を見上げているのか、あるいはそうでないのかは、定かではないのだが。
写真に写らぬわけではない。映像に映らぬわけでもない。機械が認識できないわけでもない。だがしかし、ソレを人が見ることは適わないし、機械も照合は出来ない。幾重にも工程を重ねようと、彼の顔を見ることは適わないのだ。
故に、カオナシ。
呪われた、首のない男。
「……合格だ」
「そうかい」
「君は神々の呪いを受け、そして絶望することなく歩み、人を恨むこともなく己のために生きている」
「…………理由がなかっただけだ。他はありきたりだろう」
「はて、そうだろうか。君は呪いによって首を失い、親を失い、可能性を失った。それでも尚足掻き続ける君は、充分に特異だ」
「失ってなんかいない。元々持っていなかった、それだけだ」
「本来持ち得るものを持っていない。それは失ったと同義ではないかね?」
「そう考えるのは他者だけだ」
カオナシはようやく踵を返し───振り向くことはしなかった。
片脚は横を向いている。だが、首は見ることを拒んでいた。
手の先にいるはずの娘は、マリーは、今どうなっているのか。その勇気だけが足りなかった。
「当人からすれば、手からこぼれ落ちたもの以外は知らないのさ。だから、何も悲観することはない」
「そうか……。いや、実に良い。君は上手くやってくれることだろう」
「……何をする気だ」
「君には、ある世界を救って貰う」
「世界? 馬鹿を言うな、私はただの」
「殺人鬼、そうだろう? だが殺しの才とは大事なものだ。何より君には良識もある。なに、これ以上何も奪わんさ。君はただ、今まで通りでいい」
「何を言って」
「さらばだ、呪われし子よ。どうかあちらの人々を、滅亡から救ってくれ」
「───待てっ! マリーを!」
ついぞ危機感が勝り振り返った瞬間、2人の足元を影が覆った。
寝ぼけたような瞳をしたマリーの手を引き、カオナシはしっかりと抱きしめる。
彼等2人が影に墜ちるまで、時間はそう掛からなかった────
"マリー! 大丈夫かい? 怪我は? 気分は? マリー? マリー!"
暗い。
ここが何処かわからないほどに、眼前にかざした手がようやく見えるような暗さだ。咄嗟に抱きしめた相手を気にかけるものの、その顔を見るには足りない。
"ここにいるんだろう? 返事をしてくれっ"
なにも聞こえない。骨を伝い己に聞こえるはずである自身の声すらも。
なにも匂わない。普段、人が発する微かな香りもない。
なにも見えない。ロウソクの火1つで50m先の人相をも見通す瞳すら、灯りを欲している。
なにも触れられない。抱き締めているはずであるにも、その温もりは存在しない。
筋肉からくる抵抗感だけが、今把握できる全てだった。
"神よ、人の紡ぐ神為るモノか! この仕打ちは我が身の罪だと云うか! 答えぬのなら、我が身を以て此の世全ての悪を為そうぞ!"
声が出ているかもわからない。
しかし、呼吸は出来ている。こうして頭が働く限り、肺の感覚がる限り、喉が震える限り、おそらくは叫んでいるはずなのだ。
だがそれは、誰にも届くことはなかった。
返ってきたのは、背から伝わる僅かな浮遊感。まるで水に飛び込んだかのように、全身を何かがまとわりついた感覚だけが支配する。
「顔無き呪われし御子よ、調停の定めを持ち世の楔となれ」
"っ……また、またお前か。お前は、私に何をさせようとする!"
「務めを果たせ。貴様が手に抱く者のために」
"まっ───!?────!!"
虚無。それだけが残った。
最早なにも感じない。考えることが出来ない。まるで時を止められたかのように、カオナシは静止した。
そんなことなどお構いなしに、それでも世界は動き出す。地の果てか、空の彼方か、どこか遠くで生じた光の粒が、ゆっくりと全てを飲み込んだのだ。
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