第94話 ベント伯のポケット

「ハッ! 失礼しました」


「あぁ、いやいい。気持ちは分からなくもないからね」


 そしてここが学長室でベント伯の前だったことに気付き、襟を正す。ここは俺がヴァルとベント伯の間を持たなければならない場面だ。


「ヴァル。実はな、キューちゃんをミコが通う学院、ついでに言えば俺の担任するクラスに編入させたいと思っているんだ。それでこちらの方はこの地方の統治者で、この学院の学長であるベント辺境伯だ」


「どうも初めましてカルナヴァレルさん。ベント=エルムテンドと申します。ジェイド先生からお話は伺っております。どうでしょうか? 是非ご息女を当学院でお預かりしたい。契約者であるミコ君もいるし、ジェイド先生もいる。安全に楽しくこちらの世界のことを学べる機会だと思うのですが?」


 紹介したベント伯はニコニコと笑顔を崩さず、ヴァルに面と向かってそう言った。ヴァルは人の姿でも威圧感が半端ないため、初対面で堂々と対峙できるとは流石ベント伯だとそう思ったものである。そしてヴァルはと言えば──。


「フンッ。構わん、好きにしろ。エルの身に何かがあれば我が飛んでくるだけだし、それでこの世界の者が害であると判断すれば滅ぼすまでだ」


 相変わらずであった。ヴァルからすれば辺境伯だの学長だのの肩書きは関係ないし、人間を等しく下に見ているため不思議ではないのだが。まぁ、何はともあれキューちゃんの編入はこれで決まりのようだ。


「感謝いたします。ご息女の身の安全を守るようこちらも細心の注意を払いますから。ねぇジェイド先生?」


「えぇ、もちろんです」


 これは本当だ。別に人類の命が惜しいから言うわけではない。教育者として一人の大人として生徒の安全を守るのは当然の心構えだ。それは俺がここに教師として勤めるときに決めた心の芯。


「フンッ」


 ヴァルはそれ以上は何も言わず、鼻を鳴らし俺とベント伯を上から睨みつけるだけだ。しかし、抱きかかえたキューちゃんが髪をひっぱったり、頬をつねったりしているからその威圧感は半減どころか皆無という状態になっていた。


「用は以上か?」


「えぇ、今のところ、は。もしカルナヴァレルさんさえ良ければ今後、色々な話を聞かせてほしい。まぁ親御さんを含めての面談だとでも思っていただければいいでしょう」


 ベント伯は一歩も引くこともなく要望を伝えた。俺は少しヒヤヒヤする。正直、ヴァルがイラついてベント伯を殺そうとしたら止められる自信はない。もうその辺でやめておいてくれと祈るばかりだ。


「……ッフン。気が向いたらな。では用件が以上なら我は──エルと遊ぶ。エル? 人の姿になれたのかー。五歳でなれるなんてすごいな、流石は我とフローネの娘だな」


「エル、しゅごいー?」


「おぉ、すごいぞー。なぁジェイド?」


「あ、あぁ。キューちゃんはとってもスゴイぞ? それにその歳で学校に通うなんてすごく優秀だ」


 話が終わるとそのままヴァルが学長室でいきなりキューちゃんと戯れだす。俺も話を振られたためそう返すが、それはせめてこの部屋を出てからにしてほしかった。


「エルしゅごいのー? ゆうしゅー? わーい!!」


 だが、喜ぶキューちゃんと上機嫌なヴァルにココを出てからにしようとは言い出せなかった。ベント伯も気を遣っているんだろう。ニコニコと静かに眺めているだけだ。この異常な空間に胃を痛めてるのは俺だけか?


「あの、せんせー? 授業中だけど教室に帰らなくていいんですか?」


「ハッ!? そ、そうだった! 今は授業中だった! では学長、私とミコさん、キューエルさんは教室に戻りますので!」


 助け舟は意外なところからやってきた。ミコだ。図ってか図らずかは分からないが、丁度良いタイミングで丁度良い言葉を掛けてくれた。すぐさまそれに乗る。


「あぁ、そうだね。では、くれぐれも頼むよ。遠方の国、だ。国名や素性は詮索しないように、と。キューエル君もいいね? どこから来たの? と言われたら分からないと答えてくれたまえ」


「わかったー!!」


「ふむ。では、キューエル君はどこから来たのかね?」


「えぇと、わかんないー!!」


「フフ、お利口さんだ。これをあげよう」


 そう言って、ベント伯はポケットから飴を数個手渡す。


「…………」


 それを受け取ったキューちゃんは不安げにヴァルの方を見上げた。


「あぁ、いいぞ。エルこういうときは何と言うのだ?」


「! あいがとー!! はい、ミコも!」


 キューちゃんはとても良い笑顔になり、ベント伯にお礼を言うと早速一つ口に放る。そしてその中の一つをミコに渡した。


「わーい、キューちゃんありがとう」


 ミコも満面の笑みで飴を食べる。飴一つで生徒たちの心を鷲掴みにしたようだ。流石ベント伯である。


「パパも! じぇーども!」


「え? あ、あぁ、ありがとう」


 そしてキューちゃんはなんと俺にもくれるようだ。飴なんていつ振りに舐めるか分からない。が、折角なのでキューちゃんにお礼を言って受け取るとその場で包みを開け口に放る。うん、懐かしい甘みだ。


 隣では直接口の中に飴を放りこんでもらったヴァルがバリボリと一瞬で噛み砕き、うめぇと一言漏らした。なんとも、らしい。


 俺も舐めていたいのは山々だがそうもいかまい。ヴァル同様に噛み砕き飲み込むと、学長に一礼する。


「では、学長失礼します」


「失礼ひます!」


「ひつえいちまーちゅ!」


 そして、飴を舐めながら挨拶をしたミコとキューちゃんに苦笑しながら俺たちは学長室を退室するのであった。

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