第7話 彼のマフラー

 時は少しばかり遡る。それはジェイドと別れたあとの帰り道のこと。


「おい、ミーナ。良かったな幼馴染君と再会できて」


「はい。だけどスカーレットさん、からかうのはやめて下さい」


「クク、今まで何人もお前に言い寄ってきた男を見てきたが、ご愁傷様というほかないな。彼と一緒にいるときのお前はまるで別人だぞ。周りにもすぐにバレるな」


「……本当ですか?」


「なんだ、気付いていないのか? 今だって頬が緩んでいるぞ?」


「え!? 嘘っ!?」


 私は慌てて両手で頬を触ってみる。そして、そんな私を見てスカーレットさんがニヤリと笑う。どうやらカマをかけられたみたいだ。


「あぁ、嘘だよ。だが、普段のお前ならこんなことに引っかからないだろ?」


「……うぅ、スカーレットさんいじわるです」


 その通りである。私はジェイドのことが子供の頃からすごく好きだった。長い間会わないことで不安だったが、会ってみて、やっぱり好きだと分かってしまった。それで恥ずかしいことに少しばかりはしゃいでしまったようだ。少しばかり。


「だが、安心しろ。肝心の彼はにぶちんのようだ」


「……そうなんです。昔からそうなんですけど、大人になっても変わらないみたいです」


「ハハ、まぁ魔法バカでもない限り、平民が魔法局、まして──」


「宮廷魔法師なんて無理ですよね……」


 そう、魔法局にも色々な課がある。中でもジェイドはずっと憧れていると言っていた宮廷魔法師──魔法局のトップ集団にまで登りつめたのだ。それには血の滲むような努力があったのだろう。だけど──。


「私のことをまったく気にかけてくれなかったのは、正直すごく悔しいですけどねっ」


「……ぷっ。アハハハハ、いいぞミーナ。お姉さんはいつもの澄ましたミーナより、よっぽどこっちのミーナの方が好きだよ。明日から気合を入れて篭絡しなければな」


「篭絡って……。べ、別にそんな今更女性として見てもらえるなんて期待してませんし……。なんだかジェイドにとって私は、やんちゃをしていた男の子みたいな幼馴染のままっぽくて……」


「バカモノ。ジェイドは野暮ったいがあれで中々素材は良いし、魔法の腕も最高峰だ。うかうかしていると肉食系の姉さんに無理やり手篭めにされるぞ? まして真面目そうな彼のことだ。責任を取ると言って結婚してしまうかも知れない。それでいいのか?」


「……いやです」


「なら、頑張りたまえ。命短し恋せよ乙女だ」


「って、そんなこと言ってるスカーレットさんだって──」


「あーあーあー、聞こえなーい。さて、ではまた明日学校で」


「あ、もう!」


 スカーレットさんは言いたいことだけ言って走っていってしまった。私はぼんやりジェイドのことを考えながら歩き、気がつけばエルムに借りている家についていた。私は家に入り、鍵をかけると、すぐにシャワー室へと向かった。服を脱ぎ、蛇口を捻って、温かいお湯を頭から被る。考えるのはもちろんジェイドのことだった。


(今更、ジェイドに対して女性らしく? ……無理無理、恥ずかしすぎる。でも、スカーレットさんに言われた通り、ジェイドは隙だらけだし、うかうかしてたら本当に誰かにとられちゃうかも……。それはヤダ……)


 シャワーのお湯を鏡にかけ、自分の顔を覗いてみる。周りからは美人、美人と言われ、決して少なくないであろう数の男性から声を掛けられてきた私がいた。


(でも、ジェイドも私のこと綺麗になって、別人のようだって言ってくれたよね。あのジェイドがお世辞なんて言えるわけも──でも、どうかな。宮廷で働いていればお世辞の一つも……あぁ、もうなんで私ってばこんな悩んで……って、シャンプーさっきもしたよね? はぁ、何してるんだろ)


 子供の頃と違い、長く伸ばした艶のある栗色の毛。シャンプーをしてすすぐのに時間が掛かるのに、なんだか意識や記憶がなく、気付けば恐らく二回目になるであろうシャンプーに突入していた。まったくこれではドジでおっちょこちょいなミーナだ。私はそこからは努めて、集中していつもより長めのお風呂で体を綺麗にしたのであった。



 そして翌朝。機械式の時計がけたたましく鳴る。いつもより一時間早い五時だ。昨日はお酒を飲んで遅くに寝たのもあって、すごく眠い。だけど気合を入れると決めたのだ。


 意を決して布団をはぎ、熱いシャワーを浴びに行って、無理やり目を覚ます。簡単な朝食を作り、食べてから支度だ。


(昨日はまさかジェイドと会うとは思ってないもんね……。でも、今日は……)


 私は化粧台の前に座り、自分自身を睨みつけ気合を入れる。化粧道具を広げて戦闘開始だ。


(あまり濃くなりすぎないようにしなきゃ、でも大人な女性って見られたいよね……)


 スカーレットさんから教わった知識をフル稼働させ、化粧をしていく。髪だっていつもより丁寧に梳いたし、普段はつけない香水もほんのちょっと、分かるか分からないかくらいつける。靴も職場には履いていかないお気に入りの靴だ。


 こうして、私は時間をめいっぱいかけて、教師としてのギリギリの線と戦いながら支度を済ませた。時計を見れば──。


「えっ!? もうこんな時間!?」


 七時丁度であった。ここから待ち合わせ場所までは二十分。走れば十分弱。でも──。


(汗をかくのは……)


 折角、気合を入れたのに、汗臭いの一言を言われてしまったら多分私はすごく落ち込んでしまう。だから私は早歩きを選択し、なるべく汗をかかないように最速で待ち合わせ場所に向かうのであった。




(あっ、いた。ジェイドは昨日と変わらないなぁ。少し野暮ったい黒髪と服、澄んだ瞳で優しそうな顔。うん、ジェイドだ)


 私はジェイドを見つけて、昨日のことが夢じゃないことを確認する。どうやらジェイドもこっちに気付いたようだ。遠くから目が合う。そして、私はやっぱり最後まで早歩きで彼のもとへ向かった。


「……その、ごめんなさい」


「いや、大丈夫だが、寝坊か?」


 ジェイドは特別変わらない様子でそう尋ねてきた。


(うん、ジェイドだもんね。気合入れて支度したのを察してくれるわけがないよね)


 そこで私は少しだけヒントを出すことにした。


「えと、その、少し支度に時間が掛かっちゃって……」


「なるほど。まぁ、女性は支度に時間が掛かるからな。じゃあ案内して──いだっ」


「あら、ごめんなさい?」


(ジェイド違うでしょ? あぁ、道理で昨日となんか違ってみえた。この程度でいいんだよ?)


 私は褒めてもらおうとまでは思わないが、せめて変化にくらい気付いて欲しかった。だけど、ジェイドはまったく気付かず、さぁ行こうと言う始末。なので、少しだけせつなさと悔しさを踵に乗せてプレゼントする。ジェイドはわけがわからないといった表情だ。その通り。わけがわからないことに私は怒っているの。


 そして私はそんなことをしてしまった自分が恥ずかしくて、背を向けて歩き出してしまう。少し遅れて靴音が聞こえる。ちゃんとジェイドはついてきてくれるみたいだ。いきなり、不機嫌になって踵を踏む女なんて最低なのに……。それでもジェイドは追いついて隣にきてくれた。


「あー、その、ミーナ? よく分からんがすまん。正直に言うと何で怒っているのかがさっぱり検討もつかない。だが、きっと俺がなにか至らなかったんだろう。あー、あと、やっぱり先生なんだな。なんていうか、お前が大人びて見えるよ」


 そしてこれである。やっぱりジェイドは宮廷で働いていてもジェイドだ。世渡りとかすごく下手だったんだろう。その飾り気のない言葉は私の鼓動を少しだけ早くさせる魔法がかかっていた。そして、同時に耳が赤くなってしまう。


(昔からこういうとこがズルいんだよね……)


 私は下をうつむいて早足になってしまう。


「ん? おい、大丈夫か? 耳が赤いぞ? 寒くなってきたからなぁ。首筋寒そうだし、ほれ俺の貸してやるよ」


 耳が赤いのはバレてしまったが、理由は勘違いしてくれた。そして自分の着けていたマフラーを巻いてくれる。


(うぅ、バカバカバカ。寒いのは分かってたけど、首筋はわざと出してるの。それにこの格好にマフラーって全然合わないじゃない。でも、暖かくていい匂い……って、私ほんとバカみたい)


 今までジェイドの首に巻かれていたマフラーには彼のぬくもりが残っていた。こんなのに包まれてしまったら突き返すことなんてできない。結局私はマフラーをしたまま、顔がにやけてしまわないよう必死に気をつけ、学校へと向かうのであった。

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