第24話   わたしは、負けない!

 もうどうしていいかわからないセシリアは、アパートに帰るなり、受付で「どうだった?」と尋ねてくれた大家さんに、またまた涙がブワワっとこみ上げてきた。


「大家さ〜~~ん」


「なんだなんだ、団長にシメられたか?」


「それが、よくわからなくて〜」


 セシリアは今日あったことのほとんどを大家さんに相談してみた。この国一の名俳優ロビンソン・バードに、どうやって個人的な相談をするための予約を入れることができるのか、さっぱり見当もつかなくて、そこからもうどうしていいやら、何も思い浮かばない。また偶然お店に来てくれるかもわからないし……。


「ロビンソン・バードか。確かに、あの兄ちゃんと個人的な約束を取り付けるには、何年もかかるだろうなぁ」


「でもわたし、どうしても自分の無実を証明したくて。よくわからないですけど、団長の言う通りに彼に会いたいんです。大家さんなら、何か知ってるかと思ったんですけど……」


 受付奥で、大家のおじいさんの深いため息が、無意識にセシリアを責めた。


「悪いなぁ、嬢ちゃん。俺はただの元チケットボーイの、大家の爺ちゃんだ。今を輝く役者たちが、どこで何してるのかなんて、わかんねーや」


「そうですか……すみません、お時間取らせてしまって」


 セシリアは服のポケットに入れていたハンカチを、ぐっしょり濡らしながら、鍵を開けて部屋に戻ってきた。寝台にボスリと沈んで、しばらくしくしく泣いていた。


「いったい誰よぉ、わたしの書いたシナリオとおんなじ人生を歩んでいる人は! ありえないでしょう、わたしの書いてるシナリオは、ファンタジーなのよ〜!?」


 食事も忘れて号泣した。やがて枕に顔面をうずめたまま寝てしまい、夢も見ないほど泥のように眠った。



 ……たっぷり寝たせいか、目が覚めた瞬間、良いアイデアが浮かんだ。


「そうだわ、メルの居場所なら、わかるかも。メルはロビンさんととっても仲良しだから、会わせてもらえないか問い合わせてみよう!」


 善は急げとばかりに起き上がったセシリアだったが、涙と鼻水で顔面にべったりと張り付いた髪の毛の存在に気がついて、そしてさらに窓から差し込む美しい夕日にトドメを刺された。今は、誰にも会うべきではないと悟った。


「ハァ、ダメね、ちょっと落ち着きましょう」


 セシリアは何度も深呼吸して、興奮を落ち着けた。頭の中で、メルに会う作戦を組み立ててみる。もちろん、時刻は明日だ。


「問題は、メルが働いている場所に行っても、確実に会えるかどうかわからないってところだけど……とりあえず明日よ、明日行ってみよう」


 こんなところで、いつまでも泣いていたら、最終的に笑顔で送り出してくれたシスター・ジゼルに申し訳が立たない。


 セシリアは明日の仕事のシフトを確認するために寝台から立ち上がり、明日もみっしりと仕事が入ってる壁掛けカレンダーに絶句し、メルに会うための日時を、別の日にずらしたのであった。


「わたしは……わたしは負けない!」



「なんだって? しばらくシフトを減らして欲しい?」


 悩んだ末、セシリアは店の閉店時間が過ぎた後、イスに座って売り上げを数えている店長に相談してみた。サーカス国にとって、どうやら春は繁忙期。と言うより、常に繁忙期。バイトといえども、暇なら手伝え状態で、夜遅くまで食材の下ごしらえに取り掛かっていると、休みの日も疲れてしまい、つい昼過ぎまで、ぐっすり。貴重な時間を使って講堂に入ったり、毎日かかさず原稿を書いているため、これ以上はとても手があかない。元からこのバイトは、セシリアにはちょっときつかったのだ。


「困るよ、セシリアちゃん。君目当てにお店に来てくれる人も増えたのに」


「すみません……ほんの一週間でいいんです。ちょっと人探しをしたくて」


「人探し?  一週間もシフトを減らすほど、見つからない人なのかい?」


「メルビアンって名前の、この国で一番大きな劇場で衣装係をしている男性なんですけど、全く行方が掴めなくて。あ、行方不明って意味じゃなくて、彼が働き者すぎて、わたしが訪ねて行く頃には、列車に乗って別の場所へ移動していたりと、とても追いかけられないんです」


 そうなのである。メルは確かにこの国一大きな劇団に勤めてはいるが、掛け持ちが多く、一つ所にじっとしていてくれない。「彼を見かけたよ」「さっきまでここにいたよ」「あー、残念、別の場所に移動したみたい」「場所はわかるけど、列車の運賃が経費で出ないと、きつい出費かも」などなど、全然見つからない。


 もしかして避けられているのではないかと被害妄想に駆られるほど、セシリアは疲れていた。盗作を疑われてしまった手前、執筆意欲が減退してしまい、何を書いても、何かに似ていると指摘されるのが怖くなって、ガラスペンを握る手も震えるようになってしまった。


(これではいけない……また元の自分に戻りたい。夢で見た光景を、すらすらとガラスペンの先から紡ぎ続けてゆく、そんなわたしに早く戻りたい……)


 今の自分は、セシリアにとって首が締まるほど苦しい状況だった。店長の困り顔を直視できなくて、しばらくこらえていた涙が、また久しぶりに視界を揺らした。


「あ~、泣かないでくれよ、セシリアちゃん。衣装係のメルさんなら、俺も知ってるよ。膨大な布の種類も全て暗記していて、メジャーがなくてもきちっと測ってくれて、欲しい商品の買い出しの値段の計算や、売り上げや経費の計算もとても早いって評判で、どこも彼を引っ張りだこにしてるんだよな」


「そうですか……どうりで、会えないわけです……」


 店長の目の前に、泣いてしゃっくりを上げるほどメルに会いたがっている若い女性がいる。事情はよくわからないが、ここまで会いたがっているのだから、ただならぬ間柄なんだなぁと察した。


 よし、と膝をパンッと叩いて立ち上がる店長。


「セシリアちゃんは、もっと賑やかで、声を張る仕事のほうが向いてるんじゃないかって、以前から団長の声がかかってたんだ。働き者の看板娘を手放すのは、本音を言えば惜しいけど、新しい職場に、俺からも手紙を書いて送るよ」


「え? 新しい職場?」


「この国で一番大きな劇場の、その隣りにはキッズコーナーがあるんだ。団長は、そこでセシリアちゃんぐらい声を張れる宣伝用の従業員が欲しいそうだよ。子供たち相手に、ずっと高い声を維持してなきゃいけないから、喉を痛める可能性はあるけど、もともと声が高いセシリアちゃんなら大丈夫だろう」


 この国で一番大きな劇場の、隣の職場。つまりメルの職場の近所であった。偶然ばったり再会しても、違和感のない距離だ。ましてやセシリアから捜しているとあっては、彼に会える可能性は格段に高くなる。


 セシリアは感激のあまり、思わず店長の両手をとっていた。


「ありがとうございます! 店長! 今までたくさんお世話になったのに、こんな形でお店を辞めてしまうなんて……本当にごめんなさい」


「正社員じゃないんだし、うちの店だけに囚われなくていいんだよ」


「あの、もしもわたしが抱えている問題が解決したら、またこのお店に戻ってきてもいいでしょうか」


「うーん、そりゃあ嬉しいけど、どうだろうな、セシリアちゃんは団長のお墨付きだし、案外キッズコーナーのお姉さんがサマになって、すぐに正社員に抜擢されるかもしれないよ。そうなったら、ここより忙しくなるだろうから、バイトの掛け持ちはできないと思うよ」


 ここより、忙しくなる……?


 ここでのバイトでもてんやわんやしているのに、もっと忙しくなる……? それはもはや、原稿を書いている時間も作れないのでは……セシリアの背筋に、嫌な汗が流れた。


(わたし、選択を間違えちゃったかしら……? メルと全く会えなさすぎて、焦ってバイトを辞めちゃって、これで本当によかったのかしら!?)


 目の前には、「今までありがとう」「元気でやるんだよセシリア」と、店長と仕事仲間がニコニコしている。やっぱり考え直します、なんて言えない空気だった。


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