第20話   子供たちの人形劇

 今度もまた戸袋に山盛りの砂が仕掛けられており、セシリアの顔面や前髪に、ざらざらと。口に入ってしまい、セシリアはポケットからハンカチを取り出して、ペペッとやった。


「もう! いたずらばっかりするから物を倒しちゃうのよ!」


 セシリアの頭の中では、そういうことになっていた。どこかで怪我をしている子供はいないかと、辺りを見回す。天井に空いた穴から、青空より降り注ぐ光が届いていた。ざっと見てもキャパは百人程度。大きな劇場ではないが、椅子の手すりにすら、おしゃれな彫刻が施され、あんまり朽ちていないことに、セシリアは言い知れぬ神秘性を感じた。ここは誰かに大事にされていて、今もなお美しさの名残を大切に閉じ込めようと、管理している者がいる……その思いが伝わってきた。


 うっかり見とれてしまい、セシリアはハッと我に帰って、怪我をしている子供たちを探した。日光が届く範囲と、届かない範囲で、見えるものが全く違う。屋根の随所に空いている穴は、子供たちを一人も照らしてはくれなかった。倒れて大きな音が鳴る道具も、客席の辺りでは見かけない。


「どこにいるの……? 舞台の上かしら……?」


 屋根の明かりが差し込まない、一等暗い、舞台の上。セシリアが舞台の作りを把握していなければ、そこに役者が立つ場所が存在することすら、気づかれなかったかもしれない。それぐらい暗い。セシリアは恐る恐る舞台へと近づいていった。


「ねぇ、大丈夫なの? 怪我してない?」


 セシリアの暮らしていた教会では、遊んだりケンカしている最中に、怪我をする子も多かった。みんな元気で、わんぱくだった。セシリアも、教会横の大きな木によじ登って、枝ごと落下したことがある。たいした怪我にはならなかったが、シスター・ジゼルがとても心配して、大げさなくらいでっかい湿布を貼ってくれた。セシリアは、その湿布に猫の顔を描いていた。


 わんぱくな子供には、心配して世話を焼いてくれる大人が必要だ。ここに今、動ける大人が自分しかいないという現実に、なおさらそう思うセシリアであった。


 舞台に近づくにつれ、足元が暗くなってくる。無意味に置かれたボール、ソーダの割れた瓶、片方しかない汚れた靴、軍手、などなど、かつての観客の忘れ物か、それとも子供たちが集めてきた宝物なのか、今となっては区別がつかない。


 それらを踏みたくなくても、暗いからどうしても踏んでしまって、カチャンとか、チャリンとか、音が鳴るたびに、セシリアの足も止まった。ゴミだらけの中は、誰だって転びたくない。


 いよいよ真っ暗になり、なんとなくこの辺に舞台があるんだろうなという感覚だけを頼りに、セシリアは両腕を前に突き出して、指がソレに触れるのを確かめた。


「あったわ、ここが舞台ね」


 しかし安全性の問題から、舞台には上がれなかった。本当に真っ暗だから。舞台には、観客を沸かせる仕掛けがたくさん備わっているものがある。舞台の床の一部が上下するようになっていたり、床が大回転して背景がぐるりと移動したり、場面転換したり。舞台の大掛かりな仕組みを利用して、殺人事件まで起こしたというストーリーの小説まであると言うのだから、うかつに近づくと本当に危ない。古びたライトが降ってきたら、打ち所が悪ければ死亡してしまう。


「ねぇ……大丈夫なの? 返事してくれないかしら」


 せめて、声だけでも出してくれたら、なんとかそっちの方向へ、非常にゆっくりだが歩いて行ってあげられる。もちろん危ない仕掛けに、子供たちからの罠、セシリアにとっては前途多難であったが、それでも大怪我をしているかもしれない子供のそばには、向かってあげられる。


 だからせめて、声だけでも出して欲しかった。いくらキャパの少ない舞台といえど、闇雲に真っ暗な舞台の上を歩いて、いるのかいないのかわからない子供を探すなんて、セシリアもぞっとする。


 ブーーーという、耳障りなブザー音が鳴った。開演前の一ベルだ。


「ええ? ここの設備、まだ生きてるの?」


 裏方にある操作盤で、子供たちが遊んでいるのか。安全性を考慮して、専門知識を持つ大人しか操作してはいけない部屋で。親御さんは何をしているんだとセシリアは呆気にとられていた。


「始まっちゃう、始まっちゃう!」


「席につかなきゃ!」


 ポテポテと軽い足音がして、セシリアが振り向くと、さっきまで何も座っていなかった客席に、不気味な人形たちがまばらに着席していた。セシリアは自分に一番近い席の人形を見て、ギョッとした。かろうじて人型のように見える形の布袋に、藁を詰め込んで作られたようだが、体の随所から藁が飛び出ている。大きなボタンの両目と、インクで一文字描かれただけの口。どこを見ても左右非対称も甚だしい出来だった。セシリアは人形は作ったことないけれど、たぶん自分が自作した方が、絶対これより可愛いものが作れると思った。


 どこからか、子供の笑い声が近づいてきた。


「お客様ぁ、チケットを確認いたしま~す」


「チケット? ……ずいぶん本格的なのね。ごめんね、どこで売ってるのかわからなくて、買ってないの」


「チケットを、持ってないの? わー! いーけないんだ〜、いけないんだ〜、タダ見だ〜!」


「魔女だー!」


 はしゃぐ子供達の声。セシリアは、最初からチケットなんて売ってなくて、後からからかうために子供たちが作った設定なのだと見抜いた。


「いいこと教えてあげるわ、チビちゃん達。チケットは、外のチケット売り場に売ってあるのよ。そしてチケットを確認するときは、この劇場の入り口近くで済ますの。劇場の中に入ってから確認してたら、遅いのよ」


 再び、ブザー音が鳴り響く。子供が鳴らしているらしく、何度も何度もブーブー鳴らすので、セシリアは眉根を寄せた。舞台上部に向かって、ダメ出しに声を張った。


「ちょっとちょっと! ブザーは開演五分前と、開演直前の二回よ。あと、頻繁に何度もブーブー鳴らしたら、お客さんの耳が痛くなっちゃうわ。あんまり鳴らしちゃだめよ」


 すると、光の届かない真っ暗な舞台から、子供たちがざわざわする気配が漏れ出た。


「そうなんだ」


「二回までなんだって」


「詳しいね、セシリア!」


 なぜ自分の名前を知っているのかと、セシリアは驚いた。理由を聞こうとしたその時、舞台がパッと明るくなった。急なことで、セシリアは目が痛くなる。


「ちょ、ちょっと! 全部のライトつけたの!? まぶしすぎよ。客席の一番前のお客さん、目が開けられないわ。ライトの角度は、舞台上だけを照らすように調整して。それと、全部明るくしたいのはわかるけど、登場する役者さんの頭上だけに、強い光が当たるようにやってみてね」


 すると、すぐさま舞台の明かりの角度が調整されて、目が痛くて開けられないほどだったセシリアは、ようやっと舞台の全貌を見ることができた。


「まぁ……けっこうきれいにお手入れしてるのね」


 ちびっこたちの秘密の遊び場は、セシリアが思った以上に、彼らにとってとても大切な場所のようだった。この舞台だけなら、まだまだ現役で使用できそうだと錯覚してしまうほどに、穴も歪みもなかった。


 そして、背景の書き割りに、見覚えしかないことに気がついた……。


 ひょろりと縦に長い建築物、その壁はみんなで歌いながら白い塗料で塗り替えたもので、青い三角屋根の上には鐘楼が乗っている。建物の傍らに生えているのは、小さなセシリアが登って落下した樫の木が。来るもの拒まず、しかし去る時は少し大変な、お茶目なシスターが統治するこの教会は……セシリアが育った教会だった。今までのクレヨンで落書きしてあったのは、何だったのかと疑うほどの画力で、大人が協力して描いたのではないかとセシリアは疑った。青空には、本物と見紛う雲の陰影と、どこまでも広がって見える麦畑の、風に凪ぐ様子まで、今にも動き出しそうであった。


「うわぁ上手ねぇ……これ、あなたたちが作ったの?」


「うん!」


「怪我しながら?」


「え? ぼくらは体がふわふわだから、ケガなんかしないよ~だ!」


 どうやら、怪我人はいないらしい。キャッキャッとはしゃぐ彼らの楽しげな雰囲気に、セシリアはほっとした。誰かを案じていた心に余裕ができて、ゆっくりと舞台上の隅々を眺める。


「すごいわ、これから何が始まるの? あの、わたしも一緒に座って観てもいいかしら? あなたたちの作品から、学べることが多い気がするの。勉強させてくれないかしら」


「はーい、お好きな席へどうぞ。チケットないけど〜」


「チケットは、その……そうだわ、外に美味しいお菓子屋さんがあったの。これが終わったら、買ってきてあげるわ」


「ほんとー!? わーい!!」


 セシリアは首の角度的に、楽な位置の席を選んで座った。両隣りが、今にも首がもげそうである。


 団長との待ち合わせの約束が、すっかり頭から飛んでしまっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る