第18話   静かな場所

 時間は大丈夫かと心配になったセシリアだったが、駅前に時計店があり、店内の中の時計は、どれもあべこべな時間を示していたから、参考にはならないと思いきや、展示されている置き時計の一つに、「この時計は合っています」の札が付いていることに気づいて、まだ待ち合わせ時間に余裕があることがわかった。


「あーよかった……腕時計を持ってるお金持ちがうらやましいわ」


 たとえ購入できたとして、自分の気質的にあんまり身に付けない気もしてきたセシリアだった。


 喉が渇いたので、近くのスイーツショップでジュースを買い、ついでに北の廃墟がどの辺にあるのかを店員に尋ねた。


 コップを洗って拭いていた男性店員が、ちょっとびっくりした顔をした。


「北の廃墟ですか? 今日は休演日ですよ」


「あ、違うんです。演劇を観に来たわけじゃなくて、そこが知人との待ち合わせなんです」


 と言うことにしておいた。団長に呼び出された、なんて大きな声で言わないほうがいいような気がしたから。


「そうでしたか、失礼しました」


 店員は愛想笑いを浮かべ、謝罪した。


「北の廃墟への道は、左手の道をまっすぐ行くと、看板がありますから、それに従って進んでください」


「わかりました。ありがとうございます」


「人気のお化け屋敷ですからね、とてもわかりやすい看板が立ってありますよ」


 看板さえ見つければ、後はたどり着いたも同然のように言われ、セシリアはほっとした。なんとか遅刻せずに済みそうだ。


 飲み終えたジュースのコップを返却し、歩きだしていく。


「そっか、今日は休演日なのね。そりゃそうか、運営中のお化け屋敷で、団長と話し合いだなんて、とても話に集中できないわ」


 そもそもセシリアは、お化け屋敷に入ったことがなかった。ホラーテイストもよくわからない。住んでいた教会に、そのような馴染みがなかったから。


「お化け屋敷かぁ……講堂で少し習ったけど、わざわざ血まみれにした人形や、怖いデザインにした置物を置いて、お客さんを怖がらせたり、ときには特殊メイクで不気味に変身した役者さんが、音を立てたり、突然飛び出てきて、お客さんにスリルを提供する場所なのよね。私、暗いところから大声で驚かされたり、知らない人に飛びかかられたら、全速力で出口まで逃げちゃうかも……」


 灰色の石畳に導かれて、セシリアは示された道を進んで行く。ふと、視界の右側に、ゴシック調の黒い柵が並んでいることに気がついて、その柵の高さが見上げるほどもあり、セシリアは思わずのけぞってしまった。


「うわ、大きすぎて気づかなかった。なにかしら、この黒い柵。国境?」


 国境は冗談で言ったつもりだったが、我ながら秀逸な例えだと自画自賛してしまった。お客さんがのびのびと歩きたくても、駅を出てすぐにこんな境界があっては、とんでもない圧迫感である。ざっと見るだけでも黒い柵はどこまでも長く続いており、その周辺は深緑色の植木で鬱蒼と飾られていた。


「この柵、何のためにあるのかしら。ただの演出目的のオブジェ?」


 黒い柵の先端は、刺さったら痛そうな鋭利な形をしていた。よじ登ろうとは、とても思えない。


 理解不能なオブジェから目をそらすと、ちょうど目の前に、木の看板が立っているのを見つけた。ゴワゴワとした植木に、両側を挟まれている。


 なんだか、客を誘導するだけの道を示す看板にしては、大きすぎるような気がした。書かれている文字もイラストも、とても大きい。


「何々……? この先、五メートル、柵の入り口あり。黄金の鍵により、施錠されしは、あきらめるべし」


 どうやら、施錠されていることもあるらしい。施錠された先に、待ち合わせ場所があるとは考えたくないが、セシリアはちょっと不安に思った。


「信じてますからね、団長……」


 はたして、五メートル先にあったのは、大きく開かれた蝶番付きの黒い扉。柵と同じ素材で作られており、黒光りがかっこいい扉であった。金色の錠前らしき物は見当たらない。勝手に入っても良いのかと辺りを見回すと、ブリキのオモチャみたいな恰好をした警備員が二人、柵の先端と同じ形をした槍を片手に、巡回しているのが見えたので、声をかけた。先ほどから誰ともすれ違わなかったセシリアは、まるきり無人ではないことに安堵していた。


 警備員は、セシリアが団長と待ち合わせしているのだと聞いて、快く了解してくれた。自分たちは周辺を巡回しているので、何かあれば呼んでくれとも言われた。


「ああよかった、人も歩いてたし、扉も開いてた……。休演日でも、開けてるのね。そりゃそうか、閉まってたら、わたしも締め出されちゃうものね」


 不可抗力で遅刻したことにされたら、たまったものではない。セシリアはおっかなびっくり、黒い扉を押し開けていった。


 左右に植えられた深緑の植木で、灰色の石畳が強調されている。この石畳の道に沿って進めば良いのだろうかとセシリアは辺りを見回した。


 ……いろんな種類の、いろんな背の高さの植木が、ばらばらに点々と、植えられている。見通しがいいんだか悪いんだか、よくわからない場所だった。子供がはしゃいで走り回るぐらいならできそうだが、変な位置にポツポツと低木が植えられていたり、雑木林のような針葉樹が一本、ドドンと生えていたり。石畳も、途中でいびつな敷かれ方になり、深緑色の芝生の中に、石畳の一枚が離れて敷かれていたりと、よくわからない規則性を見せつけてくる。


 セシリアは道沿いに進むことを諦めて、北の廃墟らしき建物を目で探すことにした。


「ボロボロの建物ばかり建ってるわね……なんだか、怖いわ」


 あのブリキのオモチャみたいな警備員たちは、巡回中で常に歩いており、今は姿が見えない。


 刺激を求めて駅を降りた、あの若者たちは、どこへ行ってしまったのだろうか。その答えは、セシリアの頭にすぐに浮かんだ。左の道を進んだセシリアとは、逆へ行ったのだと思われた。駅の右側が、開園中の賑やかなスポットだったのである。


 では、休演中の左側は……お化け屋敷に改造されたと聞いていたが、どう見ても装飾ではなく、本格的に朽ちた廃墟だった。


「大家のおじいさんが見せてくれた、楽しそうな雰囲気には見えないわね……。この状況、あのおじいさんが見たら、なんて言うかしら。彼は絶対に、ここには来ないほうがいいわね……」


 セシリアだって、自分が暮らしてきた教会が、こんなふうにツタだらけで屋根も朽ちている有様だったら、ショックで泣いてしまう。


 周辺には若者に人気のスポットがあるはずなのに、不気味なほど静かだった。柵の向こうは、セシリア以外、誰もいない。鳥の声も、虫の気配も。木の葉を揺らす風も。


 動くものは、何もなかった。


 時間すら止まって感じた。秒針の音が、ここでは聞こえない、そんな気がした。


「……もう、団長はどうしてこんな所にわたしを呼ぶの。いっそバイト先のお店の裏でいいじゃない……」


 よくわからない広大な土地に、セシリアという小柄な女性が一人きり。よく考えたら、かなり不安になる状況だとセシリアは気がついた。ここでセシリアが腹痛に襲われて静かに倒れても、即座に駆けつけてくれる人はいないのである。


 いささか団長を恨みながら歩き続けていると、後方からドタドタと何者かが走って近づいてきた。びっくりしたセシリアが振り向くと、


「見つけたぞー! おい女ァ! あの時の馬車の女! 止まれ! いいか、そこ動くなよ!」


 横柄な態度で、大声を上げながら、一人の大男が黒い扉をくぐって走ってくるところだった。セシリアにも見覚えのある男だった。このサーカス国へ訪れる際に、メルが操る黒羽の馬車の、同乗者であった。しかも何度も老人を突き落とそうとしたり、同じ同乗者に暴力を振るったりと、カッとなると腕力にものを言わせる性分であった。


「うわ、あの日以来見かけてなかったから、忘れてたわ。あんな人もいたわね……」


 無視して進むと、何をされるかわかったものではないので、言われた通り、おとなしく立ち止まった。


 男はセシリアの目の前まで走ってくると、彼女の両肩をつかんで大きく揺すった。


「ちょ、ちょっと! 何するんですか! セクハラですよ!」


「お前! 俺の弟知らないか!」


「え? 弟さん?」


「俺とそっくりな顔してるんだよ!」


 では、セシリアは見かけていなかった。こんなにガタイの良い男、二人といない。セシリアはガクガクと揺すられ続けて息が苦しくなってきたので、何とかなだめて、肩を放してもらった。


 しかし、男の興奮状態が収まる事はなかった。


「お前、何でも知ってるんだろ!? 教えろよ! 俺の弟はどうなったんだよ!」


「へえ? なんでもなんて、わかりませんよ。サーカス国に来てまだ数ヶ月ですし」


「じゃあ、この手紙は何なんだよ! 俺が弟を心配してるの知ってて、こんな手紙を出した奴がいるってーのか!?」


 さっきから男が何を言ってるのかさっぱりわからないセシリアは、くしゃくしゃに握られた手紙を突きつけられて、しぶしぶ受け取った。広げて見ると、クレヨンだろうか子供が書いたような字で「セシリアは何でも知っている。北の廃墟で会えるはず。日時は明日、朝八時前」と書いてあった。


「確かにこれは、わたしのことみたいですけど、本当にあなたの弟さんの事は知りませんし、会ったこともありません」


「なんだって!? もうお前にすがるしかねーって言うのに、お前は俺を裏切るって言うのか!?」


「きっとこの手紙は、誰かのいたずらですよ。子供が書いたような字でしょう? 誰かにからかわれたんですよ」


 男が頭を抱えて、大声で唸りながらうずくまった。


「弟が! 弟が来ないんだよおおお! 俺と違う馬車で、後からついて行くって約束したのに、その弟がいつまでたってもサーカス国に現れないんだよ!」


「きっと、用事ができたんですよ……」


「いいや、あいつは約束を破ったことがない! 噂じゃサーカス国行きの馬車は、中で騒ぐと墜落するそうじゃないか。きっと、弟の乗った馬車は、きっと……うぐぅ……」


「でも、わたしたちが乗ってきた馬車は、ちゃんとサーカス国まで運んでくれました。弟さんの馬車も大丈夫ですよ。もう少し待ちましょう」


 男はハッと顔をあげた。


「そう言えば! あのじいさんは剣で馬車の壁を切ったんだぞ! あれ以上の騒ぎがあるかってんだ! 贔屓だ! 差別だ! 俺の弟に何かあったらただじゃおかねーからなあああ!」


 いったい誰に向かって叫んでいるのやら、男は黒い鉄の柵に駆け寄ると、がっしり掴んで力まかせにガシャガシャ揺らした。


 ブリキの警備員たちが駆けつけてきた。柵から離れろと男を怒鳴るが、男は意味不明な反論で怒鳴り返すばかり。するとブリキたちは顔を見合わせ、うなずいた。


「お前だな! 最近このあたりをうろつく衣装泥棒は!」


「え!? なんのことだ、俺じゃない!」


「つまみ出すぞ!」


「ち、ちがう! 俺は衣装泥棒じゃなーい!」


 彼らは格好こそ役者っぽいけれど、本物の警備員だった。槍は演技で使う小道具ではなく、本物の武器で、男は背中をちくちくと突っつかれながら逃げていった。


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