27 ただの “モノ” にも霊魂は宿る【尾倉香菜×メガネ】
「私がすでに憑依されてるですって……?」
香奈の顔面に真っ直ぐ指を突きつけて断言したトマティーヌに、香奈が訝しげに問い返す。
「そんなわけないでしょう? だって私はこの畑で一度も意識を失ったりしてないもの」
「そうよねえ。尾倉チャンがこの畑で突然キャラ変したことはないと思うけど」
隣にいる那須田も、同僚を援護すべく口を添える。
しかし、トマティーヌは端正な根木の顔に不敵な笑みをのせてそれに答える。
『それがあなたの場合、ちょっと特殊な憑依のされ方をしてるのよ。憑依したものがモノだけにね』
「それってどういう意味? 私が何に憑依されてるって言うの!?」
なかなか核心をつかないトマティーヌの答えに苛立つ香菜がつっかかると、前のめりになった香菜の顔面にトマティーヌが再び指を突きつけた。
『あなたに憑依してるのは、これよ』
「え……? これって────」
『これよ。この紅縁メガネよ』
トマティーヌの意外な指摘に呆然とする香菜。
そんな彼女の代わりに、那須田が問いを重ねる。
「紅縁メガネが尾倉チャンに憑依してるっていうの? ただのモノなのに?」
『そうね。メガネは生命を持たない、ただのモノよ。でも、“
「な、何を言ってるの、トマティーヌ。このメガネは五年前にチェーン店で買った普通のメガネよ! 付喪神がつくような妖しいものじゃないわ! 第一、私はちゃんと自分の意識を保ってる! 憑依されてなんか──」
『そう? 今ここにいるあなたは、本当に本当の尾倉香菜なのかしら』
とぼけるような口調でそう言うと、トマティーヌは前のめりで反論する香菜の顔に両手を差し出し、耳に掛けられた紅縁のオーバル型メガネを取り上げた。
その途端、つり上がっていた香菜の眉は八の字に下がり、トマティーヌを睨みつけていた瞳が頼りなげに揺れ始める。
「トマティーヌ、お願い、メガネを返して!」
『嫌よ。私の説明に納得してもらうまで、あなたには憑きものが取れた状態、つまり本当の尾倉香菜でいてもらうわ。ちなみに、今のあなたはどんな気分?』
「どうって言われても……。視界がぼやけてるし、メガネをしてないと鎧を外されたみたいでとても心細いわ」
メガネを取られただけで、鼻っ柱の強い普段の彼女はなりを潜め、まるで知らない街に放り出された少女のように怯えている。
「確かに、いつもの尾倉チャンの雰囲気とは明らかに違うわね」
日が傾き始め、髭の剃り跡が濃くなってきた那須田が顎を撫でながら香菜を観察する。
トマティーヌはその横で彼女から取り上げた紅縁メガネを弄びながら説明を始めた。
『確かに、このメガネはありふれた工業製品で、付喪神が憑くような代物じゃないわ。でも、このメガネには持ち主である尾倉香菜の思いが憑いてるの。尾倉香菜は、メガネを媒体とした “尾倉香菜の思い” に取り憑かれているのよ。自分が自分に取り憑いてるわけだから、意識を失わないのは当然よ』
「ちょっと待って。私が私に取り憑かれてるなんて、意味がわからないわ。私に憑いてる “私の思い” って、どういうことなの?」
先ほどまでは喧嘩腰とも取れるほど強気な口調だったのに、トマティーヌの指摘に香菜はおろおろと戸惑うばかり。
そんな彼女に、トマティーヌは諭すように穏やかに語りかけた。
『思い出してみて。あなたはこのメガネを初めて掛けたとき、何らかの思いを込めて掛けたはずよ』
「メガネを初めて掛けたときの思い……」
精神年齢が低く自分勝手な恋愛相手に流される自分が嫌だった。
自分自身の精神年齢も幼く、依存心が高いことも良くないのだと考えた。
自分自身が変わらなければ、同じ不幸を繰り返すだけだと悟った。
「自立した強い大人の女になりたいと思ってた……。お店でこのメガネを試着したとき、鏡に映った自分の顔がそのイメージに近いって思ったの。それからは、このメガネを掛けることで、内面もイメージに近づけるような気がしてた」
『そう。自立した大人の女……ね。メガネを掛けることであなたが求めたそのイメージを、メガネのもつ微弱な霊的エネルギーが取り込んで、あなた自身に影響を与えたということね』
「ちょっと待って。そういうのってよくあることじゃない? たとえば、フェミニンなワンピースを着たりすると、仕草とか表情までいつもより女らしくなったり、仕事や趣味に “形から入る” ことでモチベーションを上げたりするわよね」
髭の剃り跡が濃くなっても、さすがはオネエ。
洞察力と頭の回転の良さをもつ那須田が疑問を呈すと、トマティーヌは我が意を得たりと言わんばかりに微笑んだ。
『その通りよ。生命体ほどではないにせよ、モノにも霊的なエネルギーがが宿っている。だから人はモノを身に着けることによって自分の意識に影響が出たりするのよ。ちなみに付喪神っていうのも、モノが長い年月をかけて霊的エネルギーを蓄積させ、霊魂を宿したものなのよ』
「なるほどね。なんとなくわかったけれど、尾倉チャンの場合、その影響が強すぎない? メガネを掛けただけで相当な変わりようじゃない」
那須田が切れ長の瞳でじろりと香菜を見つめると、裸眼の香菜は恐縮したように俯いた。
メガネをかけた状態であれば「そんなに変わってないでしょう!?」と食ってかかってくるところだろうが、やはり豹変したと言えるレベルで態度が違う。
『モノが与える影響の強さは、モノのエネルギーと人間の思いの強さや波長がいかに噛み合うかというところなはずだけれど、この紅縁メガネはどうもクセがありそうね……』
トマティーヌがしげしげと香菜のメガネを見つめていた時だった。
『しまったわ……。メガネの分析に時間をかけすぎたみたい。コッシーが意識を取り戻したら、“ミニトマトの脇芽摘みをお願い!” って伝えてちょうだいね』
目の前の那須田と香菜にそう言い残すと、トマティーヌを憑依させていた根木の体がぐらりと大きく揺れた。
そして――――
「…………ん。あれ? 今、俺は何をしてたんだっけ……?」
紅縁メガネを手にしたまま顔を上げたその表情は、根木颯太郎その人に戻っていた。
「根木チャン、おかえんなさい」
「え!? “おかえり” って……。まさか、俺また憑依されてたんですか!?」
「根木君、おかえりなさい。もう少しトマティーヌの話を聞きたかった気もするけれど……とにかく、意識がしっかり戻ったようでよかったわ」
「あれ? 尾倉さん、なんでメガネ外し……って、えっ!? なんでまた俺が尾倉さんのメガネを持ってるんだ!?」
根木が意識を飛ばしている間に起こった出来事が多すぎて、何から説明すればいいのやら。
言葉に詰まった那須田と香菜が顔を見合わせたところで――――
「お待たせしました! さあ、作業の続きをやりましょう」
ショック状態で意識を失っていたはずの越川がむくりと起き上がり、何ごともなかったかのような穏やかな笑顔でそう言ったのだった。
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