第22話 星空の下、橋の上での話

 今日は前回の話の続きです。

 今回はタロットの話はあまり出てきません。



「私ね、クレシマさんにフラれてからしばらく何も信じられなくなったの」


 先輩はフォークを皿にもどしながらぽつりとつぶやきました。


「特に、未来を示してくれるはずのタロットカードを信じられなくなった。あの占い、外れたじゃない、ってね」


 それですよ、先輩。自分を占うことが占い師にとって禁忌タブーなのは、それが外れた時にカードが信じられなくなるから、なんです。ある程度占えるようになった今、それは僕にもよく分かります。


「カードを信じられなくなったら、そしてそれを読む自分自身が信じられなくなったら、占い師としてはおしまいなのよね。私、しばらくカードに触りもしなかった。でもその時声をかけてくれたのがあゆみだったのよ。このサークルに入って、あゆみがいてくれて、私は救われた……。カードも少しは扱えるようになった……」


 僕はお冷を口にしながら、麻衣子先輩もマキと同じこと言うんだな、と思います。ただの大学生のお遊びのサークル活動と侮ってはいけないのかもしれません。少なくとも二人、サークルに救われたと言っているのです。


「そんな時にね、ゆうすけクンがタロット教えてくれって言ってきてね。ホントに久しぶりにカードと真剣に向き合ったのよ。そうしたら自分のカードの読み間違いに気が付いたの。カードが間違ってたんじゃなくて、私が間違っていたんだってね」


 麻衣子先輩はそこで言葉を区切ると僕をまっすぐ見つめて言いました。


「これが私の話。どう? あんまり悲しくないでしょ?」


 そう言って少し微笑みます。

 確かにあまり悲しくはありません。でも随所に麻衣子先輩の悔恨の念や心残りが垣間見えます。


「……悲しくはないですけど、……ああすればよかった、こうすれば違った結果になっていた、そんな先輩の想いとか、後悔とかがたくさん見えた気がして……居たたまれません」

「ふふふ、そう言うセリフを真正面から素で言うから、女たらしって言われるのよ」

「は? 先輩、なにいきなりディスってるんですか」

「ゆうすけクンもね、自分の間違いとか、自分についた嘘とかと一度真剣に向き合ってみなさいね」


 ん? 僕が自分についている嘘? そんなのあったっけ?

 あると言えばたくさんあるような気もするし、ないと言えばない気もするし。


「私は、少なくとも一つは知っている。ゆうすけクンがずっと自分につき続けている嘘……」


 先輩はいつもの含み笑いに戻って言いました。

 

 それは、何かを見通しているような、ミステリアスな占い師の表情でした。


 

 エミさんはペンタグラムの頂点の3枚のカードを指さして、静かに語り始めました。


  結果

  世界(逆)

   月(逆)

  隠者


   宣託

  魔術師 

  運命の輪 

   戦車(逆)


「ここが結果のプレイスです。お二人の関係は現在の良好な状態のまま推移していくと出ています。細かい心配事はいくつかありますが、お二人の関係に大きな影響は与えません。ただ、どこかにゆうすけさんを見つめる女性の視線があります。それは将来に向って、お二人ではなくゆうすけさんに対してだと思いますが、大きな影響、非常に大きな影響を与えると出ています」


 ……隠者か。そういえば学祭の前日に麻衣子先輩に占ってもらった時も出てたっけ。

 思案顔をしていると、横っ面に先輩の視線を感じました。顔を向けるとなぜか麻衣子先輩がドヤ顔をしています。なんなんですか、先輩。


「最後が宣託のプレイスです。ここは簡単に言えばカードのお告げです。カードはお二人の関係は一度見直して、新たな関係性を確立していくことをおススメしています。最終的にそれがお二人の幸せになるでしょう、と」


 運命の輪と魔術師。この組み合わせは今までの関係を打破して現状を好転させていけ、そのための少々の困難は気にするな、という意味です。たしかに駆け落ちすることには、否定的な出方です。駆け落ちは、言うならば今の関係性を突き詰めること。そうではなくて別の関係性になれ、と言っているようです。


「なるほど。よく分かりました。さすがレヴェリー・ル・ノルマン誌に特集されるだけのことはありますね、エミさん」


 麻衣子先輩は一通りエミさんの説明を聞くと、さらりと笑顔で言いました。よく分かりませんがエミさん、わりと高名な占い師のようです。麻衣子先輩、それを知ってて喧嘩売ったんですか。


「いえ、拙いリーディングをお見せしました。先日、グルノーブルのサロン・デ・タロに颯爽と現れて、キレ味抜群のリーディングを披露していった日本人の女子大生マイとは、あなたのことなんですね。麻衣子さん」


 えええ? なに? 先輩、国際的に有名になっちゃってたの?


「ふふふふ」

「現地で話題になっていますよ。今すぐにでもプロにスカウトしたいとサロンマスターが言っていたそうです」

「あいにく私は一介の女子大生です。プロの占い師になる気はありません。ふふふ」



 僕と麻衣子先輩は占いの館のある土産物屋を出て旅館に向ってぶらぶらと歩いて戻っていました。占いが終わって携帯を見ると、マキから「先に宿に戻ってるねー。ごゆっくりどうぞ♡」というメールが入っていました。こいつは絶対良からぬ妄想をしている……。


「先輩、今のエミさんの占い……」

「カードは良く当たってたけど、読みはまあそこそこだったわね」

「いや、高名なんでしょ? エミさんて。そんな占い師の読みをそこそこって、先輩、それ調子乗り過ぎてません?」

「ふふふ、でも間違いなく彼女はカードのささやきが聞き取れる人だったわね。正しい情報を与えていたら、きっともっと正確に読んでくれたでしょうね」


 僕たちは旅館に戻る橋の上に来ました。

 澄んだ夜空に星がいくつも輝いています。

 麻衣子先輩は橋の中央で足を止めて欄干に両肘を付きました。僕も麻衣子先輩の隣に立って川面を見つめます。

 お互い言葉もなく立ち尽くしています。

 何か言うべきなんででしょうが、言葉は見つかりませんでした。


「先輩……」


 何を話すか自分でも分かっていませんでしたが、とりあえず僕は麻衣子先輩に話しかけます。

 エミさんの占いの中に出てきた運命の輪と魔術師。

 エミさんは今の僕たちの関係を見直して新たな関係性を確立しろと言いました。


 今の先輩との関係、姉弟であり師弟である今の関係を打破するのがいいのかもしれない。

 今の関係を打破して、本当に恋人同士になるのがいいのかもしれない。


 突然、僕は少しだけ、ほんの少しだけ、そう思いました。


 これが天啓なのだろうか。

 見上げた空に月はなく、星だけがいくつも煌めいています。

 

 僕は息を吸って麻衣子先輩に向き直りました。


「先輩! 俺と……」

「ゆうすけクン。ここでそのセリフを言ったらだめよ。そんなこと口走るから女たらしって言われるのよ」


 麻衣子先輩はイタズラした子供を咎めるようににっこり笑って僕の言葉を遮ります。


「……俺が何を言おうとしたのかわかってるんですか」

「もちろん。それをこのシチュエーションで口にすれば、たいていの女の子は引っかかっちゃうわね。それこそマキちゃんでも、いずみちゃんでも。……でも、ダメよ。マキちゃんもいずみちゃんも隠者ではないのよ。もちろん私でもない」


 ここのところ立て続けに出てくる隠者のカード。マキでもいずみでも麻衣子先輩でもないとすると……。僕はぼんやり浮かぶその顔をかぶりを振って追い払います。それを僕が探るのは禁じ手。だからこその隠者なのです。


「私、言ったでしょ? ゆうすけクンが自分につき続けてる嘘に向き合えって。ゆうすけクンがそこに向き合う前に言ったセリフには、真実はないわ」


 麻衣子先輩はゆっくり身体を欄干から離して僕に正対しました。そして右手の手のひらを僕の頬にそっと添えて言いました。


「でも、……ちょっと嬉しかったわよ。まさか私にそれを言おうとするとはね。ふふふ」


 麻衣子先輩の手はとても冷たくなっていました。


「さ、旅館に戻りましょ。もう食事が始まる時間よ」


 麻衣子先輩は踵を返して橋のたもとに向けて歩き出しました。


「先輩……。待ってくださいよ」


 僕は先輩を追いかけて横に並びます。


「早く行きましょ。ちょっと寒くなってきちゃったわ」


 そう言うと麻衣子先輩は僕の腕を取って歩みを進めました。


 僕たちの前には、冬空の川にかかるまっすぐな一本の橋と、その向こうの煌びやかな旅館の建物だけが見えていました。




 この時、僕が言おうとしたセリフ。

 もしそれを言っていたとしたら、麻衣子先輩はなんて答えたのでしょうか。

 僕の今はどうなっていたのでしょうか。


 それを今考えても、誰のなんの得にもならない、歴史の「もしも」でしかありません。


 でも、今になって僕は思います。


 あの時、あのセリフを口にしていたとしたら、それに麻衣子先輩がどう答えたとしても、それまでどおりの関係ではいられなかったでしょう。


 あの時、麻衣子先輩が僕のセリフを遮ってくれて……良かった。……ホントに良かった。




 僕と麻衣子先輩は、その後の大学生活でも機会あるごとに占いをしていました。その関係は卒業までずっとそのままでした。


 毎年、タロット占いに興味を持ってくれる後輩が何人かずつ加入してくれたおかげで、旅と音楽のサークルだったうちのサークルは、いつしか旅と音楽と占いのサークルになっていきました。


 僕と麻衣子先輩は、あの橋の上での出来事以上に距離が近づくことはついぞないまま、学生生活を終えることになったのでした。


 でも、それで良かった。それが、良かった。


 おかげで今でも僕は純粋に昔の話を思い出して語ることができます。


 僕とあの人と二十二枚のカードの話を、心から懐かしく思い出すことができるのです。

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