23 ユキのパート その8




 シンは翌日からアイランドに没頭した。


 レベル0モード、すなわち、VRゲームのモードで、一日中アイランドに入り、アイランド内の探検にいそしんでいた。シンはダマスの街を中心に、冒険を繰り返した。ダマスの街の中を隅々まで歩き、街を歩く人々と会話をし、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)達とコミュニケーションをとった。アイランドで遊ぶ彼は楽しそうだった。


 冒険者の宿でパーティを組み、ダマスの街周辺のスポットに繰り出し、時には敵と遭遇し、戦った。シンは武器として鋼の剣を選択していた。剣の取扱いも上達し、並みの魔物であればシン一人で倒せるほどに腕を上げていた。




「早く実際にアイランドに行きたいよ」シンは笑顔でユキに言った。


「アイランドに行ったら、もうこっちの世界には帰ってこれないのよ。それでもいいの?」ユキはシンに聞いた。


「いいさ。だって、僕がここにいても、このオフィスの外に出れない。出してもらえないだろう。アイランドなら、どこにでも行ける。山があって、川があって、海があって。馬に乗れるし、草原を走り回ることもできる。どう考えても、僕にとってはアイランドの方が魅力的さ」


「外に出てみたい?」


「この部屋の外に? もちろん、出てみたいよ。でも無理だろう?」


「ちょっとだけでも出てみたらだめか、あらためて針山さんに聞いてみるわ」ユキは言った。そして、針山を訪ねた。




 針山はプログラミングルームで仕事をしていた。


「折り入って、ご相談があります」ユキは言った。


「何だろう?」


「シンさんを、ちょっとの間だけでも良いので、外に出してあげられませんか。ずっと部屋に籠っていて、ゲームをしているんです。なんだか可哀想です」


「しかし、外に出してどうするんだ。もし逃げてしまったら?」


「逃げたりしないように、私がついていきます。針山さん、お願いです。彼をここまで拘束する権利は、私達には無いと思うんです。このままずっと部屋に閉じ込めたまま、アイランドに送り込むんですか」


 針山はしばらく考え込んでいた。腕組みをし、下を向いていた。針山は考え事をするときは下を向く癖があるようだ。




「わかった。じゃあ、短時間だけ外出の許可を与えよう。栗谷くんが付き添うこと。そして、彼が逃げ出したり、トラブルに巻き込まれたりしないよう、細心の注意を払ってくれよ」


「ありがとうございます!」


 こうして、針山から外出許可をとりつけたユキは、シンにそのことを伝えに行った。


「シンさん、外出の許可が出ましたよ! 一緒に外に出ましょう」ユキはシンに言った。


「本当に?」シンは驚いている様子だった。


「それとも外に出たくないですか」


「いや、出てみたいです。ちょっとびっくりしたもので。行きます」




 ユキは、この日のためにあらかじめ、タカハシのアパートから冬の衣類を一式持ってきていた。ユキはシンにタカハシのコートを着せ、頭にはヘッドセットの上から毛糸の帽子を被せた。


 シンとユキはオフィスを出た。エレベータに乗り込み、六本木ヒルズの外に出た。北風が吹く中、けやき坂通りを腕を組んで歩き、スターバックスコーヒーに入った。シンはドリップコーヒーのトールサイズ、ユキはキャラメルマキアートを注文した。


「初めてのスタバ、どう?」ユキがシンに質問した


「美味しいです。それに、外の空気がこんなに気持ち良いなんて、思わなかった」シンは笑顔で言った。


「今日はちょっと寒いけどね」ユキは苦笑して答えた


「でも、この寒さがまた良いですよ。生きてるって感じがする」シンが言った。


 その後、ユキとシンは六本木ヒルズ周辺を散歩して過ごし、二時間後にオフィスに戻った。


「今日はありがとう。また外に連れ出してくれますか」


「針山さんから許可が出れば、いつでも連れてくわ」


 シンは初めての外出を喜んだようだった。ユキは針山にトラブルなく外出から帰ってきたことを報告した。そして、本日のレポートを作成し、定時に会社を出た。




 帰りに、スーパーでチーズスティックを買ってからタカハシのアパートに寄った。預かっている鍵でドアを開け、中に入り、ベランダの外の小皿にチーズスティックと煮干しをひとつかみ置いた。しばらく待っていると、猫のにぼしがやって来て、にゃあと鳴いてからチーズスティックを美味そうに食べた。ユキはにぼしを部屋の中に招き入れた。にぼしはユキの膝の上でくつろぎはじめた。ユキは猫のにぼしの真っ白い毛を撫でた。にぼしは喉を鳴らして甘えている。


 タカハシのアパートで猫のにぼしと三十分ほど過ごしてから、ユキはアパートを出た。


 シンをタカハシのアパートに連れてきたらどんな反応をするだろう? とユキはふと思った。しかし、それはあまり適切な事ではないような気がした。シンがアパートの部屋に入って、もし何かを思い出したら? 今日はシンを外に連れ出して気分転換をさせる事ができたが、それ以上の事はしないほうが良いだろう。今後も、外に連れ出すとしてもオフィスの周辺を散歩する程度にしておこう、とユキは思い直した。




 その後ユキは地下鉄に乗って自分の家に帰った。夕食を作り、一人で食べ、風呂に入ってからスマホを取り出し、タカハシにメッセージを送った。寒くなってきた事、今日も猫のにぼしは元気だった事など、あたりさわりのない文章を送った。


 シンのことや、今後システムの再起動が予定されている事をタカハシに伝えたかったが、それは針山から止められていた。




 ユキはシンとタカハシの事をそれぞれ思った。システム再起動が行われて、シンは無事にアイランドに侵入できるだろうか? そして、タカハシは無事にこちらの世界に戻ってこれるのだろうか? タカハシはこちらの世界に戻ってこれたら、今日シンと歩いたように、一緒にけやき坂通りを歩いてくれるだろうか。


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