第十六話 旅

 ◇


 誰かに背負われている、ということに若様は気づいた。

 自分を背負っている者の松の葉のような茶色くボサボサとした髪が、歩く振動と共に顔を刺激してくる。


 辺りはほんの少し薄暗い。

 木々に囲まれた道──山道を歩いているのか。と、ぼんやりとした意識の若様は思っていたが 徐々に気を失う前のことを考えだした。


 自分の父と話していたこと。そして、家臣達と戦いながら下人の娘の元へ助けに向かおうとしたことを思い出し、背にもたれていた上体を起こす。

「若様、目が覚めましたか」

 隣には大丸の横腹をさすりながら歩いている下人の娘が安堵の表情を見せた。


「一体、あれからどうな…… 」

 眼前に見覚えのある茶色でボサボサの後ろ髪。

 ──俺はあの鬼に背負われていたのか

「降ろせ。鬼」

 言われた通りに鬼はゆっくりと降ろした。そこで若様は自分の体の異変に気づく。服は血だらけだが、家臣達に斬られたはずの怪我がないのだ。

「あの怪我を……、どうやって治した」

「鬼さんの力です。鬼さんが怪我をしたところを舐めて治したんです」

「なに……っ」

 鬼に体を舐められた、というあまりの気色の悪さからぞわりと鳥肌が立った若様は鬼を睨むが、鬼の方は素知らぬ顔で歩き出す。


「あの、鬼さん」

 鬼が振り返ると、下人の娘は今にも泣きそうな顔で真っ直ぐとした瞳を向けていた。

「もう、わたしを置いてどこかへ行かないでください。鬼さんに行くところがあるのなら わたしも一緒についていきますっ」

 意気込む下人の娘に対して、鬼は困ったように微笑み 首を横に振って口を動かした。

『危ないから ついてきてはいけない。ここで別れよう』


「京へ行くつもりか。鬼」

 唐突に訊いた若様の言葉に 鬼は驚きを隠せず 目を丸くする。

『なんで、わかった』

「お前が着ている服は 貴族の着ている狩衣ものに似ているからな。京に縁があるのだろうと思っただけだ」

 鬼の行き場を当てたことに、若様は得意げな顔をする。

 それを見る下人の娘は言いにくそうに口を開いた。


「あ、あの、若様は屋敷へ戻らなくていいのですか」

「……なぜ戻らなければならないんだ」

「だって」と下人の娘は言葉を続けた。

「なぜ、皆がわたしと若様の仲を勘ぐったのかは分かりませんが、わたしがいなくなれば 若様は跡取りとしてあの地に戻れます」


「あんな騒ぎを起こしたのだ。今更 跡取りとは見做さないだろう。それに あんな騒ぎがなくとも 俺はあの家を、土地を捨てるつもりだったからな。戻る気はない」

「で、でも」

「くどいぞ」

「す、すみません」縮こまった下人の娘の様子に、若様はこの娘とはまだ対等に話せない仲なのだと思い知らされる。

 内心落ち込みながら、若様は嘆息と共に呟く。


「お前、本当に十年前のことを忘れているようだな。約束したというのに……。仕方のないやつだ」


 それはビクビクと怯える下人の娘の耳には届かなかったが、この場にいる二匹の耳にはしっかりと届いた。

 大丸は若様を慰めるように鼻先を向ける。

 鬼は若様の頭を二回、掌で優しく叩いた。

「なっ 何をするかっ 」

 手を払い除けられた鬼は、若様を優しい微笑みで見つめてから 声にはならない言葉で言う。


『わかった。みんなで一緒に京へ行こう』


 下人の娘は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「はいっ」

「俺もお前達についていくぞ。鬼を放っておくわけにはいかないからな」

 若様の言葉に娘は憮然とした表情になったことが鬼は面白くて、くすりと笑んだ。


『では 行こうか』


 紅蓮の月が隠れた 朝焼けの空の下、二人と二匹は京に向けて歩き出した。

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