第四話 家路につく

 フクロウの鳴き声が聞こえる。おそらくこの山のどこかに居るのだろう。


 わたしは 歩む早さを少し下げて 夜空を見上げた。

 いつものようにたくさんの星屑が散らばっているが、一つ おかしな所がある。


 その中に浮かぶ月が、二つあるのだ。


 一つはいつも通りの月だが、その隣に並んでいる星は 紅い月のように見える。

 昨日までは確実になかった紅い月、それが突然空に現れるとは。


 こんな不思議なことがあるのだろうか。


 わたし達は夜中の山を降りている。

 人も獣も通っていないような、道ではない場所からだ。

 しかし わたし自身にはあまり歩く苦労はない。

 理由は、わたしの前を歩くひしゃげた籠を背負う“ひと”のおかげだ。

 行手に生えている草を踏み平ならしながら歩き、左手の人差し指から上がる大きな炎で 周りを照らしている。

 ふと、その“ひと”は振り向いた。


 二つの角を額に生やした真っ赤な紅い顔を向け、両の碧眼でわたしを見る。


 心の準備がないと驚いてしまう。たとえ、悪い鬼じゃないとしても。

 わたしはいつの間にか足を止めていたことに気づき、早足で鬼の方へと歩き出す。鬼は軽く笑みを浮かべると また前を向き直して 歩き始めた。

 わたしは歩きながら 先程のことを思い出す。


 わたしは出会った鬼に恐怖して その場から逃げ出したが、転んで気を失った。

 そのあと 鬼に助けられたようで ケガをした足を治してもらって、武家屋敷家まで送ってもらっている、という なんだかよくわからないことになっている。

 それで、わたしはこの鬼は悪い鬼ではないようだと思ったのだ。


 しかし本当にそういう鬼なのだろうか。


 たしかに わたしを家へ送ってくれるのかという問いに 鬼は頷いていたが、もしかしたらそれは嘘かもしれないのだ。

 鬼の住処へ連れて行ってからわたしを喰らうつもりなのかもしれない。今は夜更けの山の中、これでは逃げようにも逃げられない。


 でも、それなら 足のケガを治す意味などなかったはずだし、あの表情ができる鬼が、悪い鬼だとは思えないし——


 歩きながら考えていると わたしはあることに気づいた。鬼は、ひしゃげた籠の中に太く大きめな枝を何本も入れながら歩いている ということに。もしかすると、薪にするための木を拾っているのでは。

 その薪をくべて わたしを丸焼きにするために。


 一瞬 背筋に寒気がはしった。しかし、そんな疑心を抱きつつも わたしは鬼の後ろをついていく。

 こうなったら 仕方ないのだ。何かあったらその時考えればいい。

 わたしは山の斜面がだんだんとなだらかになってきたのを感じた。


 すると 鬼は立ち止まり、前の方を指で差す。わたしは指差した先へ目を向けた。かろうじてだが 小さな明かりが見える。


 まだ ここからは遠いためか それは小さく見えるが、もしかして ——

「あれは、篝火かがりび……」

 鬼は笑みを浮かべて、頷く。

「屋敷の篝火、なの」すると 鬼はまた頷く。確かに わたしの仕える屋敷には門があり、夜になると門の両側に篝火を焚いている。


「あれは 本当にわたしのお仕えしてる武家屋敷、なの」

 何かしらの建物の篝火だということは理解できるが、この暗い中では わたしの仕える屋敷かどうかの見分けはわからない。

 鬼はその問いに二回ほど首を縦に振った。


 わたしの仕えている屋敷だと頷いている、が果たして 信じていいのか。


 わたしが考え込んでいることに気がついたのか、鬼の顔つきが変わった。 さっきの笑みは消えて、口を真っ直ぐに結んでこちらを見ている。

 しかし、決して睨んでいるのではなく、何かを訴えかけている 真剣な表情だ。わたしは しばらく鬼の顔を見ていたが、大きく息を吐いた。


「わかりました」

 鬼は嬉しそうな表情になる。

「ただし、嘘だったら 化けて出ます……」

 嬉しそうな顔は変わらないまま、鬼は頷いた。


 化けて出てどうするのだろうか、どうせ返り討ちだろうに。

 にこにことしている鬼の様子を見れば、わたしのそんな思いには気づいていなさそうだ。

 鬼はひしゃげた籠から一番長い枝を取り出し、指先から上がる炎を使って枝に火をつけ、その火のついた枝をわたしに差し出す。

 わたしは差し出されたその枝を持とうとしたが、手を止めた。


「まさか。ここからあそこまで、一人で行けってこと?」

 鬼の顔に笑みはあるものの、眉が下がり まるで申し訳なさそうな表情をしている。

 そういうことのようだ。

「ひ、とりで あそこまで行くのはいやだ」

 だいぶ下山できたといっても 一人で、あの灯りを頼りに進むのは心許ない。

「もう少し先まで、一緒に行ってもらえると助かる」

 鬼は少し渋い顔をしている。おそらく、あまり山を下りたくないのかもしれない。夜だとしても人の居るところには寄りつきたくないのだろう。


「熊とか、獣が出たら大変だし……」


 思ったより声が小さなものになっているような気がした。

 少しの沈黙の後、鬼はふたたび火のついた枝を差し出した。

 やはり駄目なようだ。仕方なくその枝を手に取った。

 すると、鬼はわたしの前を歩き始める。

 行手に生える草を踏み平しながら、前を行く。

 その様子から どうやらもう少し先まで一緒に行ってくれるらしい。わたしはその背後後ろをついて行く。

 しばらく歩けば、見覚えのある場所に出た。わたしが山に入った時に歩いた山道だ。

 どうやらあの屋敷は、わたしの武家屋敷家で間違いないようだ。


 鬼は振り向いて、わたしに笑みを向けた。

「あの、ありが……」

 頭に何かがのっかる。

 鬼がわたしの頭を撫で始めたのだと気づいたが、突然のことにされるがままになる。優しく優しく撫でられている。


 その手は大きくて、温かい。

 今まで誰かに こんな風に、触れられたことはなかった。


 わたしは、生まれて始めての感覚に なんだか胸の奥が熱い。それと、顔が熱くなるのを感じた。どれくらい経ったか その手が離れた。

「あ、あの……」わたしは顔を上げた。


 しかし、鬼はいない。

 背後後ろにも、周りを見渡しても、鬼はいない。足音さえ立てず 何処かへ去ってしまったようだった。

 もうすぐ帰れることで、鬼がいなくなったことで、わたしは心底 安堵すると思っていた。

 家はすぐそこだとして、無事に帰っていつもの日常に戻るのだ。

 そして もう あの鬼に会うことはないだろう。

 そう思うと、指に針が刺さった時の痛みに似た何かが わたしの胸を突つついた。

 なんなのだろうか この痛みは 、安堵しきれないこの気持ちは、なんなのだろうか。


 よくわからない。


 よくわからないまま、わたしは歩き出した。

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