紅蓮の月
雨
第一話 鬼
「くしゅっ」
ずっと 寒い山の中にいたせいか、くしゃみが出る。
わたしは
もう秋が終わり、冬が始まる頃だから くしゃみをするのは仕方ないのだが、絶対に風邪は引きたくない。
風邪を引けば働けなくなる。
下人の中で一番の下っ端であり、嫌われ者であるわたしには看病してもらえそうな人がいない。
もちろん下人のようなモノに高価な薬などもってのほかだ。
そういう意味では 仕えている
けれど 男は
戦で荒れ、明日はどうなるかわからない世の中。
このまま 下人として死んでいけば、まだいい方だろう。
わたしは空を仰ぐ と、いつもと違う光景に驚いた。
日暮れを迎え始めた空に浮かぶ満月の横に、もうひとつ赤い満月があるのだ。
まるで月と双子のようにその星は並んでいる。
「なに、これ」
月と並ぶ赤い星なんて そんなものはあるはずがない。少なくとも昨日の夜まではなかった。目をこすりながら見上げていたが、それどころではなかったことに気づく。
このままでは 主人達の夕飯の支度に遅れてしまう。急いで帰らないと。
今日も独りで山に入り、キノコや栗、団栗などの食材を探していた。
けれど 秋に食べられるような物は、先月 この山に入った
諦め悪く 日暮れまで粘って探したのだが、結局何も採れず仕舞い。
そのせいで、今日もわたしのご飯は抜かれるだろう。
ここ数日 食事といえるものを食べていないせいで、お腹は 音を鳴らす元気もなくなっている。
今はもう、冬に近いから何も採れなくて
「仕方ないけど……」溜め息のように言葉をこぼした。
まるで諦めるような そんな弱気に、わたしはムカムカと腹が立ってきた。
緩くなっていた
長い前髪がだらりと額を覆うが それをすぐにかきあげる。いつもなら
「よぉしっ」
今日はもう少し 山で食べ物を探そう。
そう意気込んで 採った食べ物を入れるための大きな籠を背負いなおし、来た道を戻ろうと くるりと後ろを振り返る。
その途端に何かが額に当たり わたしは尻もちをついてしまった。
二本足で立っている。わたしが着ているような 粗末な着物ではなく、むしろ仕えている主人達と同等の
身丈はチビなわたしの倍ほどに感じられ 体格も大きくみえる。
腰に届きそうなボサボサの長い茶髪の 巨軀の男だ。
しかし、その男の顔は——
人では ありえない真っ赤な
人ではないモノが、わたしをじぃ と見ていた。
鬼だ。
「ひっ」
小さな悲鳴しか出てこなかった。
恐怖のあまり歯がかちかちと鳴り始めるが、鬼を見上げることしかできない。
鬼というのは、悪さをする化け物で 現れた土地では凶作になったり、疫病が流行ったりすると聞いたことがある。
あと、なにか もうひとつ聞いたような……。
鬼は 無表情で、顔にある二つの碧眼をわたしに向けていたが、おもむろに手を伸ばしてきた。
そうだ、その話を振ってきた女は 最後にこう言っていた。
『鬼は人を喰らうんだって』
その手は
それを見た瞬間、わたしは 今度こそ大きな悲鳴をあげて鬼とは反対の方へ駆け出す。
いやだ、喰い殺されるのは、死ぬのはいやだ。
どれくらい走ったの、と 頭にこの言葉が浮かんだ時には、転げ落ちたら 怪我どころでは済まないような山の急斜面をわたしは駆け下っていた。
とにかく、山を降りれば なんとかなるかもしれない。いや なんとかなる、なんとかなる 自分を奮い立たせるためにぶつぶつと言葉を吐く。
鬼は追いかけてきていないか、そんな思いから後ろを振り向いた。足首が ぐきりと音を立てたと同時に痛みが はしる。
そう感じた時には 転び、視界が回転する。
回転はどんどん勢いがついていく。
どん と身体に衝撃が加わって、わたしは意識がなくなっていくのを感じる。次第に暗くなっていく視界に赤いものが見えた。いやだ
「死ぬのは、いやだ……」
視界が完全に暗くなった。
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