リアル異世界転生・異世界転移

平中なごん

リアル異世界転生・異世界転移

 異世界転生、あるいは転移がしたい……。



 俺は、本気でそんなことをずっと考え続けてきた。


 思春期の少年少女やアニヲタ、ラノベファンならば、多少なりとそんな願望を持ったことがあるかもしれない。


 だが、はじめの出発はそんな彼らと同じ、そこはかとない異世界への憧れだったかもしれないが、今の俺のそれは彼らのそれとは大きく異なる。そんな〝憧れ〟などというレベルの軽い気持ちではないのだ。


 それは〝願望〟などという言葉でも言い表せないくらいのまさに切実なる〝祈り〟……俺はこの生涯をかけて、すべてをかなぐり捨ててでも本気で異世界転生が……それが無理ならせめて転移がしたいのだ!


 学校では浮いた存在で青春などとは無縁の時を過ごし、受験に失敗し、就職にも失敗し、会社では社畜としてコキ使われるなんの楽しみもないこの現実世界……そんなものに未練など微塵もない。


 しかし、ただ黙って待っていてもアニメやラノベのようにある日突然、見目美しい聖女が現れて「あなたは選ばれた救世主です」などと異世界へ召喚されたり、トラックにぶつかって死後転生するなどという都合のよい奇蹟の起きないのがこの現世の厳しさである。


 だから俺は、いい年して中二病などと蔑まれようとも、現実的に異世界へ行ける方法を大真面目に考え続けた。


 結果、必然的に傾倒したのが、人智を超えた存在に関して探求する学問――魔術だった。


 そこでは神や天使の住む楽園や悪魔の住む地獄、仏教の浄土やシャンバラのような理想郷といった、ある種〝異世界〟的なものについても語られている……やはりこれが、異世界へ近づける最善の道だったといえよう。


 中でも俺が注目したのが、〝魔導書グリモワー〟と呼ばれる部類の魔術書だ。


 世間ではよく誤解されがちだが、魔術について書かれた書物のすべてが〝魔導書〟になるわけではない。その内の「悪魔や天使といった霊的存在を召喚し、使役する魔術」について書かれたものだけがそれに該当するのである。


 あちらの世界・・・・・・から召喚されるということは、即ち霊的存在の立場からすれば、この人間世界という異世界へ転移していることになる……つまり、その逆を行えば、こちらが異世界へ行く術となるということではないのか?


 それに気づいた俺は、安月給と少ない休日をすべてつぎ込み、この世に存在する魔導書という魔導書を集めるのに熱中した。


 そして、ある日の夜、海外の古書サイトで偶然見つけたのが、『ネクロノミコン』という聞き慣れぬ題名を冠した一冊の古い魔導書だった。


 説明書きによると、嘘か真か危言730年頃に〝狂える詩人〟と呼ばれたイエメン人アブドゥル・アルハザードなる人物によって書かれた『アル・アジフ』という原典をギリシア語訳したものらしい。


 彼はバビロニアの古代遺跡やメンフィスの地下洞窟、アラビアの砂漠などを10年も放浪し、人類よりも古い種族や〝旧支配者〟と呼ばれる遥か宇宙の彼方からこの星へやってきた古い神々の存在を知ったのだという。


 なんとも奇想天外で俄かには信じられない話であるが、俺の目を惹いたのは、その本に「旧支配者が住まう失われた都市、人類の記憶から失われた土地」についての記載があるということだった。


 その言い回しからして、どうもそれは古い神々がいるこの世界とは次元の違う世界――異世界のことを言っているようなのだ。


 それなりのお値段がする本であったが、俺は即決でその購入ボタンをクリックしていた。


 数日後、国際便で届いたそれは、黒い重厚な革表紙に鉄の留め金がついた、なんとも厳めしく何か得体のしれない力を感じるものだった。


 ともかくも、そんな装丁よりも重要なのは中身の方だ。


 俺が入手した版はギリシア語からさらにラテン語へ翻訳されたものだったが、当然、平凡な日本人の俺にラテン語の知識などなく、すぐには一単語とて読むことはできない。


 それでも俺は辞書やWeb翻訳などを駆使し、ゆっくりではあるが夢中になってそれを読み進めていった。


 すると、なんとも悦ばしいことに、そこには俺の読み通り、〝クトゥルフ〟なる旧支配者の一柱が眠る、〝ルルイエ〟と呼ばれる失われた都市への行き方が記されていたのだ!


 ついに俺は、長年追い求めていた異世界へ行くための方法を手に入れたのである。


 この方法だと「生まれ変わる」わけではないので、異世界転生・・ではなく異世界転移・・ということになるが、この際、もうどちらでもかまわない。


 できればゼロから異世界で人生をやり直す〝転生〟の方が望みではあったが、そんな贅沢を言っては罰があたるであろう。


 このくだらない世界におさらばを告げて、夢にまで見た異世界へ夢ではなく・・・・・現実に行ける……それだけでもう充分だ。


 ただし、その異世界への扉を開く儀式はある決められた場所で決められた日時に行わなければならないらしいのだが、その場所を示した記載は今と違う大昔の地理的表現で書かれているため、その場所を特定するのにはまた一苦労を要するものだった。


 とはいえ、ようやく探し求めていたものを得た俺の喜びと情熱に裏打ちされたモチベーションを前にすれば、そんな苦労も苦労とは感じず、まるで旅行に行く準備をしているかの如く、むしろ楽しい余興のようなものである。


 俺はさらに古地図やら歴史地理学者の著作やらを集めて参考にし、ほどなくしてその秘密の場所の在処も特定するに至った。


 俺のイメージ的には天を突く霊山の山頂だとか、辺境にある誰も知らない古代の遺跡だとかを想像していたのであるが、意外にもそこは北アメリカのとある漁村から少しばかり沖に出た、何の変哲もない太平洋の海の上だった。


 村の名はインスマスといい、産業は漁業だけという鄙びた淋しい田舎町なので、名前を聞いても知らない者がほとんどだと思うが、ミスカトニック大学という有名校があることで名の知れたアーカムというそれなりに大きな都市のわりと近くだ。


 後で調べてわかったことなのであるが、興味深いことには、その漁村に住む住民達は土着の古い神の血を引く末裔であると伝説に云われ、皆、体のどこかに鱗のようなものが生えていたり、顔が魚に似ていたりするのだという……。


 もしその古い神が〝旧支配者〟という人類が存在する遥か以前の超古代神なのだとしたら、『ネクロノミコン』の話とも繋がってくる。


 その事実に、俺はますますこの魔導書による異世界転移の可能性を確かなものに感じた。


 また、さらに幸運なことには、その定められた儀式の日時もその年の内に回ってきた。


 どうやら一般的な魔導書を用いた召喚魔術同様、それには天体の運行が関係しているようなのであるが、恐ろしいほど運が悪い男として評判の俺にしては、なんと良い星の巡りであろう。


 これまでどんなに異世界について調べても成果のでなかったことがまるで嘘のようである。


 やはり、この『ネクロノミコン』という魔導書を手に入れてからというもの、何か目に見えぬ力に導かれているように思えてならない……。


 その〝力〟に従うようにして、俺は早々に会社へ退職願を出すと、有り金全部をはたいてアメリカへと渡った。


 そして、インスマスの町でダゴン漁業組合なる公益法人から漁船をチャーターすると、その定められた日時を待って、その海上の地点へと向かった。


 時刻はすでに深夜。伝説通り、どことなく魚に似た顔の地元漁師が運転するその船で、真っ黒い塊のような夜の海の波を掻き分け、頭上一面に星の瞬く約束の地・・・・へと向かう。


 ほどなくして、GPSを確認しながら目的の海域に到着した俺は、そこでゴムボートに乗り換え、船は早々に港へ返した。


 いくらなんでも、俺のワガママで赤の他人を異世界転生に巻き込むわけにもいくまい。


 みるみる小さくなってゆく漁船を見送り、静かな夜の大海原にただ独りとなった俺は、『ネクロノミコン』に記されていた魔法円をペンタクル(※魔術に使う円盤状の道具)にしたものを鞄から取り出し、それをゴムボートの床の上に置く。


 まるでステンドグラスのように、蒼白い月明かりを浴びてキラキラと輝く、色鮮やかなガラスを金属板にはめ込んだとても綺麗な代物だ。


「よし。いよいよだな……」


 そうして儀式の準備が整うと、さらに正確な時刻まで腕時計を睨みつけながら待ち、俺は緊張の面持ちでおそるおそるその儀式を始める


「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥルウ・ルルイエ・ウガフナグル・フタグン!」


 正確な発音ができているかはどうかは怪しいところだが、『ネクロノミコン』に記されていたその呪文を、俺は満天の星空を仰ぎながら浪々と唱える。


「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥルウ・ルルイエ・ウガフナグル・フタグン! 「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥルウ・ルルイエ・ウガフナグル・フタグン!」


 それは、意訳すると「ルルイエの館にて死せるクトゥルフ夢見るままに待ちいたり」というような意味であるらしい……。


 そう聞いてもよく意味はわからぬが、まだ見ぬ〝ルルイエ〟という異世界への転生を心の中で強く念じつつ、俺はその呪文を何度となく唱え続ける。


「フングルイ・ムグルウナフ・クトゥルウ……ハッ!」


 と、幾度目かに秘密のその言葉を俺が口にした時、突然、俺を取り巻く周囲の景色が反転した。


 俺の周りが半径数百メートルに渡ってドーム状のもので覆われ、頭上にはそれまで見ていた満天の星空とはまるで違うものが広がっている。


 またゴムボートの浮かんでいたはずの海はどこへともなく消え去り、足下には硬いゴツゴツとした地面がいつの間にやら出現しているではないか。


 巨大なこのドームの中だけが、そっくり次元の違う世界に反転しているのである。


 肌に感じる空気感から、それが現実であることは明確にわかる。これは、夢でも幻でもない……俺は、ついに念願だった異世界への転移を成し遂げたのだ!


「な、なんだ、ここは…………」


 しかし、念願だった異世界へと足を踏み入れた俺の抱いた感情は、悦びでも、感嘆でも、あるいは感動と呼べるような肯定的なものではなかった。


 そこにあったのは、俺が想像していたような忠誠ヨーロッパ風の街並みでも、科学に代って魔法が発展し、幻想動物と人間が共存するような理想郷でもなかったのである。


 天には暗灰色のどんよりと淀んだ重たい空がたれ込み、その下に広がる岩場の大地の上には、ぬらぬらと妖しく緑色に光る、暗緑色の巨石でできた奇妙な建物が所狭しと並んでいる。


 それらの建造物の形は、人間の用いるどんな言語を以ってしてもとても形容できるようなものではない……そのすべての壁や柱が、異常極まりない幾何学的に狂った角度を為しているのである。


 そんな景色に囲まれていると、精神がどんどん蝕まれ、今にも気が狂って叫び出しそうになる。


 それに、この異世界全体を満たす独特の空気……ねっとりと粘りつくような粘着質をしており、まるで水飴の中を泳ぐように体は重く、息をすることすらままならなくなってくる。


「……そうか……異世界とはこういうことか……」


 俺は、大きな思い違いをしていた…………。


 世界というからには、俺達が住む世界とは異なる・・・世界ということだ。


 それは、ただ単にそこに住む種族やテクノロジー、国家や社会だけが異なっているとは限らない。その世界を形作る自然環境や物理法則までもがまったく別次元のものである可能性だってありえるのである。


 ましてやアニメやラノベのファンタジー作品のように、その異世界へ行ったところで何か特別な力を無根拠に得たり、簡単にヒーローになれるようなうまい話がそうそう転がっているわけがない。


 むしろ、別世界の存在である自分にとって優しい世界であることの方が稀であろう。


 ……いや、優しい世界どころか、生命活動を維持することすら難しい環境であることの方が、異世界のスタンダードなのではないだろうか?


 どんなに嫌いで、どんなにそこから逃げ出したいと思おうとも、俺はやはり、地球という星の人間世界に生きる存在なのだ。


 この肉体もこの精神も、本来いるはずのない異世界ではなく、そんな現実世界で生きていくようにできているのである。


「…!? な、なんだあれは……」


 そうして己の浅はかだった考えを反省していた俺の瞳に、それまで岩山だと思っていたものの動き出すのが映る。


 よく見ると、奇怪な建造物同様、淡く光を放つ暗緑色をしたそれは、まるでタコのような頭に顎からは触手を無数に生やし、ヌラヌラしたゴムのように気色の悪い体には、巨大な鉤爪と水かきのある太い手足、さらにはコウモリに似た大きな翼までが生えている。


 最も近しい言葉で表現するならば、これが「悪魔」というものだろうか? そのあまりにも背徳的な姿を目にした俺は、それが〝クトゥルフ〟と呼ばれる旧支配者なおだと直感的にわかった。


「ヴゥワウウゥウゥ…」


 その人智を超えた恐怖の凝固体が、腹に響く不気味な唸り声とともにこちらへ近づいて来る……。


 だが、その底知れぬ恐ろしさと粘りつく空気に固まった俺は、逃げることもままならず、ニュルニュルと不快に動くタコの足のような触手に絡めとられるのを待つばかりである。


 徐々に近づいて来る死と狂気の象徴を閉じられぬ眼で真っ直ぐに見つめながら、今度こそ死後、こどもの頃に夢見たような理想の異世界へ転生できることを俺は切に願った……。


                         (リアル異世界転生 了) 


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