7話目 ~神様の恩返し~

 紅葉が見事な神社に足を踏み入れると、なんとも清清しい気分になる。疲れが吹っ飛んでいくみたい。

 そんな神社に御参りをしていると、猫が日影で寝そべっているのが見えた。見事な三毛猫。

 赤い首輪をしていることから、この神社で飼われているんだろう。


 ――この神社に御参りにくるのも、ずいぶん久しぶりよね。


 何年ぶりかと思考を巡らせ、三十年ぶりかと小さく溜息をつく。それほどに、この町に帰省していなかった。

 そのことに罪悪感が増す。


「どうりで年を取るわけよね」


 あっという間に五十になってしまった。未だに独身なことが情けないと両親や弟に言われるけれど、出会いがないんだから仕方がない。

 いや、出会いがなかったわけじゃない。単に私に勇気と自信がなかっただけ。

 そして平凡な私には、過ぎた男性ひとだったから。

 だけど、きっと勇気があっても玉砕していたかなあ。彼が見ていたのは、私にそっくりなもう一人の私だったから。

 結局彼はもう一人の私――双子の妹と結婚し、子どもが一人いる。幸せな家庭を築いているのだ。

 そんな彼らを見たくなくて、ここ三十年は実家にすら帰っていなかった。

 だから余計に、両親や弟が煩く言うんだろう。


 そんなことを思い出してしまい、溜息をついた。


「さて、商談に行きますかね」


 この町に来たのは商談のためだった。偶然にも、商談先二件ともこの町だったのだ。

 神社に寄る前に一件商談を終わらせ、無事に契約を結ぶことができた。

 ただ、次の商談相手が彼だというので気が滅入り、自分の心を落ち着かせるためにも神社に御参りにきたのだ。

 気が重い……と溜息をついていると、三毛猫が側に寄ってきて「にゃあ!」と鳴いた。とても鋭い鳴き声で、なにかあったのかと驚く。

 そして私を誘うように見上げると、また「にゃあ!」と鳴く。


「どうしたの? 何かあった?」


 声をかけると、三毛猫が歩き始める。途中で止まって私を振り返り、また「にゃあ!」と鳴く。

 何かあると感じて三毛猫のあとをついていくと、階段をするすると下りていく三毛猫。約束の時間までまだ一時間あるし……と三毛猫のあとを追いかけていく。

 すると、階段の下でお腹の大きな女性が、一生懸命荷物を拾っていたのだ。

 しかも、拾わせているのは若い男。近くにいた人も一緒に拾っているというのに、男はスマホを弄ってヘラヘラ笑っているのが腹立たしい。


「何をやっているのよ……」


 どちらが悪いのかわからないけれど、さすがにそれはないだろうと慌てて女性に近づき、声をかけた。


「大丈夫ですか? 私も手伝いますから、そこのベンチに座ってください。そして君は、どうしてヘラヘラ笑ってボーっと突っ立っているの? 妊婦に拾わせるってどういうことかしら」

「……」


 彼を睨みつけると、男のほうは妹の子だった。妹も常識外れなことをする子だったけれど、その子どもも同じ性格のようだ。

 そのことに内心憤りつつ、果物やパックに入っている肉、野菜を拾う。


「この食材はどなたのですか?」

「わたしのです。ありがとうございます」

「どういたしまして。どういう状況でこうなったのか、お聞きしても?」

「ええ。歩きスマホをしていた彼がぶつかってきたんです」

「そんなことして……」


 言い訳をしようとしていた甥に、一緒に荷物を拾っていた人たちが憤る。


「嘘をつくんじゃない! 隣にいた彼女が「やめなよ」って言っていたのに、君はずっとスマホを弄っていたじゃないか!」

「しかも、前も見ずにふらふら歩いて! 避けた彼女にわざとぶつかるように動いていたじゃないの!」

「……っ」

「あらあら。歩きスマホは条例で禁止されていることが多いのに。この町もそうですよね」

「そうだ。歩きスマホで怪我や事故を起こす人間が増えたからな」

「まったく……これだから、鈴木の嫁の子は……」

「父親は真面目なのに、どうしてその嫁と息子は不真面目なんだ」


 鈴木とは彼の名前だ。確かに彼は真面目で、とても優しい人だった。

 妹が妊娠したとわかった時、彼は結婚を申し込んで籍を入れたと聞いている。

 ただ……甥は父親に似ていない。本当に彼の子なのかと、両親も弟も、ずっと疑っていることを知っている。

 もちろん、私も。


「母さんの悪口を言うな!」

「だったら、自分の行動を鑑みろ! 君が何か仕出かすたびに、父親が謝罪して回っているじゃないか!」

「母親が謝罪しているところを見たことはないわ、昔も今もね」

「……っ! 行こう。こんなところにいたくない」


 彼女はきちんと注意したのね。そしてきちんと拾っていた。

 だからこそ、彼女が甥を見る目が、とても冷たい。


「……あんた一人で行って」

「え……」

「どうしてもって言うから付き合ったけど、今まで常識外れなことをしてきたのを見て、注意しても直さないのを見て、さすがに彼女でいるのは無理」

「そんな!」

「お試し期間中でよかったよ、本当に」


 冷たくあしらうと、妊婦さんに向き直る彼女。


「お姉さん、申し訳ありませんでした」

「いいのよ。一緒に拾ってくれて、ありがとう」

「ぶつかったのはあたしたちですから、当然です」


 きちんと頭を下げて謝罪する女性。こんな屑な男じゃなく、もっといい人が現れるといいなあと祈る。そして甥はというと、呆然とした顔をして、彼女のことを見ている。

 そして悔しそうな顔をすると、謝罪をすることなく、駆け出していった。


「謝罪くらいしなよ! 非常識!」


 彼女が声を張り上げて注意するものの、甥は振り向くことなく、自宅があるほうへと消えていった。

 甥と会ったのは数えるほどしかないけれど、母親と同じ顔をしているのに私がわからないって……。さすがは妹の子だと、妙に納得してしまった。


「じゃあ、あたしは行きますね。本当に申し訳ありませんでした」

「ありがとう。それに、気にしなくていいわ。貴女にはきっといい人が見つかるわ」

「そうだといいんですけどね~」


 にっこり笑った女性がまた頭を下げて謝罪すると、離れていった。そして手伝いをしていた人も、甥の両親や祖父母に連絡すると言って、離れていく。

 その場に残ったのは、私と三毛猫だけだ。

 甥のことだから報復するかも……と考え、妊婦さんと一緒にいることにする。それくらい、屑な性格をしているのだ、妹も甥も。


「甥が申し訳ありませんでした。災難でしたね」

「あら、あの子は貴女の甥子さんなの? 失礼ですけれど、似ていませんね」

「よく言われます」


 妊婦の女性は帽子を被っていて、尚且つ日傘も持っている。まだ残暑が厳しいというのに、長袖に手袋をしているのだ。

 その理由は、帽子の下にあった髪と、綺麗な赤い眼で察することができた。彼女はアルビノだったのだ。

 アルビノは太陽の光に当たってはいけないと、な何かで読んだような気がしたから、覚えていた。


「ここはひなたになっていますから、日影にいきませんか? もしよろしければ、ご自宅まで一緒に行きますが」

「あら……。だったら甘えようかしら」


 構いませんと返事をし、ゆっくりと歩く彼女に寄り添い、土産物店が並ぶ山道を歩く。ここもずいぶん変わったように感じるけれど、本質的なものはまったく変わっていない。

 人々が優しいのだ。だからこそ、殺伐とした気持ちが安らぐ。

 歩いていると、途中にあった細い路地を曲がったところで首を傾げる。


 ――確かにここは住宅街だったけれど、正面にあんな大きなお屋敷があったかしら?


 記憶を辿るけれど、思い出せない。私がこの町を離れている間にできたお屋敷だろうと考え、彼女と一緒に歩いていると、どんどんそのお屋敷があるほうへ向かう女性。


「ここがわたしの家なの。よかったらコーヒーを飲んでいって」

「ですが、このあと用事がありまして……」

「コーヒーだけでいいわ」

「それなら遠慮なく」


 商談相手がいる会社までの移動時間を考えると、ゆっくりできても三十分が限度だ。喉も乾いたことだし、コーヒーとケーキを食べるくらいの時間ならあるからと、彼女の誘いにのった。

 繩暖簾を潜ると、カランとベルの音が鳴る。そして奥から「いらっしゃいませ」という声と、ついてきていた三毛猫がするりとその中に入るのが見えた。


「さっきの三毛猫……」

「わたしの家で飼っているんですよ~」

「そうなんですね。だから危険がわかったのかしら」

「そうかも」


 どうぞ、と案内されたのはカウンター席。奥に入った女性が、黒髪の男性にこれまでのことを話している。

 特に怪我などないことからも、ホッとした様子だった。


「ホットとアイス、どちらがいいですか?」

「ホットでお願いします。あと、ケーキはありますか?」

「この時間ですと、ブルーベリータルトしか残っていませんが……」

「ブルーベリー! 大好きなので、お願いします」

「かしこまりました」


 最後の一個だったようで、すぐにケーキとコーヒーを持ってきてくれた男性。面立ちが整っているだけに、左目のところに傷があるのがとても残念だ。

 サラサラ艶々な綺麗な黒髪を、首のうしろで結わいているのが印象に残る。

 いただきますと小さく声を出し、コーヒーを啜る。酸味と苦味のバランスがよく、私好みの味だった。

 それからタルトをフォークでカットして、一口食べる。

 その味に衝撃を受けた。彼がよく作ってくれたものと同じだったから。

 ブルーベリーの下に敷き詰められているクリームが絶妙で、彼に教わった通り何度作っても、同じ味にならなかった。

 なのに、このお店のものは彼と同じ味だ。


 ――コツや使っている材料が一緒なのかしら?


 そんなことを考えていろいろ聞きたい衝動にかられるものの、これから商談に向かうことを考えると、あまりゆっくりもしていられない。

 タルトやコーヒーを味わいつつ、店内を見回してみる。とても雰囲気がよく、三毛猫の他に白猫と黒猫がいた。

 窓際に寝そべっていたり、毛繕いをしたりしていて、なんとも和む。三毛猫に至っては、お礼なのか、私と目が合うと目を瞑ってくれた。

 それは猫の合図。好きとかありがとうとか、そういった感情を伝えてくれる動作だ。

 なんとも可愛いじゃないの。

 やっぱり猫を飼おうかしら……と思いつつ、彼が作ったブルーベリータルトと同じ味のタルトを味わい、時計を見る。そろそろお暇しないと、商談の時間に間に合わない。

 席を立ち、レジに向かう。たまには駄菓子を食べてみようといくつか探し、いろいろ持ってレジがあるカウンターへ。


「ごちそうさまでした。コーヒーもタルトも美味しかったです」

「そういっていただけると、僕も嬉しいですね」

「ケーキは主人が作っているの。今度はご飯を食べにきてくださいね」

「……はい」


 そんな相手はいないけれど、そんなことを言うわけにもいかず……。どうにも含んだ言い方をしたことに首を傾げつつ、お金を支払って外に出る。


「いいところを見つけたわ。隠れ家的な、素敵なお店だった」


 そんなことを呟いてうしろを振り返ると、そこにあったはずの大きなお屋敷と縄暖簾がなくなっていて、しばしそのまま固まってしまう。


「え……?」


 どうして、と思うものの、ふと、この地域に祀られている神様の絵姿を思い出す。

 確か、黒髪と白髪の、夫婦神だったはず。顔も似ているような気がする。


「まさか、ね……」


 もし神様だとするならば、きっと甥と妹に罰が当たる――そんなことを考えながら歩き始める。

 すると、なんだか怠かった体に力が漲るような……自分が若くなったような錯覚を覚える。

 そんなはずはないと自分の手を見れば、年相応な皺といくつかあったシミ、自転車に乗っていて怪我したはずの左手の傷が綺麗になくなっていた。


 ――そんな、はずは……!


 だけどそれは現実に起こっていて、山道に出る手前で二十代の頃の肌に戻っていた。

 それに驚いて固まっていると、私を呼ぶ声が。


「探したよ、どこに行っていたんだい?」

「ごめん。妊婦さんの荷物を拾って、途中まで送っていったところだったの」


 私を呼んだのは、彼だ。その時、別の記憶がするすると頭の中に入ってくる。


 ――ああ、そうだ。今は彼とデート中だけれど、これから私の家に挨拶にいくところだったんだっけ。


 彼にプロポーズされたのは、一ヶ月前。私は嬉しくて、すぐに返事をした。

 きっと、あれは夢だったんだと、なんとなくそう思った。だけど、神様のご夫婦に感謝もしないと、またお店にいかないとという、どうにも不思議な感覚も生まれたけれど。

 そのことに小さく首を傾げたけれど、今はデート中だからと気持ちを切り替える。

 そして山道デートをして我が家に着くと、両親はなぜか怒っているし、妹は泣いているではないか。


「何があったの?」

「鈴木くんの子を身篭ったと」

「へえ……」


 と、冷めた目で妹を見る。


「聞くけど、妊娠週は? 彼にいつ、何回抱かれたの?」

「三週目、だそうだ」

「抱かれたのも一回だけ」

「そう。なら、抱かれた日にちも覚えているわよね。それはいつ?」


 妹に問いただすと、若干目を泳がせながらも日にちをはっきりと告げた。その日にちに、怒っていた両親の顔が更に怒りを増し、今度は逆に妹を攻め立てる。


「その日、うちと鈴木くん、他にも何軒か集まって、食事会をしたじゃないの」

「しかもお前はデートに行くからと、参加しなかったな」

「そうよね」

「え……?」

「鈴木くんも参加していたんだから、彼の子というのは嘘だな」


 誰の子だと、両親が攻め立てる。妊娠したならば母子手帳もあるだろうと母も問い詰める。

 すると妹は顔を真っ青をしながら、自分の部屋に引っ込んだ。


 ――これで正しいカップルになったわね。


 なぜか、そんな声が聞こえた気がした。


 妹のことはほっときなさいと父が怒りもあらわに話し、彼に謝罪する。もちろん母も。

 そして改めてテーブルに着き、彼から結婚の挨拶をすると、二人ともおめでとうと言ってくれた。もちろん、途中参加の弟も。

 結婚式はあの神社がいいと神前婚にして、披露宴を別のところでやることも決め、日にちも両家と話し合って決めた。

 その間の妹は、相手の男のところに行ったのかずっと家には帰ってこず、電話でたった一言「結婚したから」とそれだけを伝え、相手を連れてくるようなこともしなかった。

 一度だけその父親だと名乗る男性が妹を連れてきて、両親に謝罪したあとで妹にも謝罪させるという、凄いことをやってのけた。

 これなら大丈夫かと思いきや、そのすぐあとに離婚。子どもは旦那さん側が引き取ったという。

 つまり、妹の非常識さは直らなかったわけだ。

 両親や弟と顔を見合わせて溜息をついたけれど、妹は家に帰ってくることなく、たまに連絡をよこすだけの、希薄な関係になった。

 妹に子どもが育てられるとも思えなかったし、元旦那さんも再婚したあとも子どもの様子を教えてくれたりしていたので、よかったのだろう。

 まあ、再婚してからは二度と会うことはなかったが。


 そんな妹の非常識さに頭を抱えつつ、私も結婚式を挙げ、すぐに妊娠、出産した。


「神様に報告に行こうか」

「そうね。いつもありがとう」

「いいんだ」


 赤子を抱え、神様に御参り。そしてなんとなく、あの路地に行ってみると、正面にあったのは、夢に見た大きなお屋敷。

 さっそく夫と息子を連れて、お店に入る。


「「いらっしゃいませ」」

「赤ちゃんがいるんですけど、いいですか?」

「大丈夫ですよ。こちらにどうぞ」


 繩暖簾を潜って店内に入れば、夢に出てきたご夫婦。女性は妊娠しているのか、歩きもゆっくりだ。


「可愛いですね! わたしも早く自分の子の顔が見たいわ」

「予定日はいつなんですか?」

「確か……」


 気さくに話しかけてくれる女性に予定日を聞くと、照れたように頬を染め、結局「内緒!」と教えてくれなかった。

 食事をした、その帰り。


「またいらしてくださいね」

「「はい」」


 夫と二人で顔を見合わせ、一緒に返事をする。

 夫も何かを感じているのか、崇拝するような目で、目の前にいるご夫婦を見ていた。

 きっとそれは、私も同じ。


 ――いつか、ご恩返しをしたい。


 何をしていいのかわからないけれど。

 お二人の店に通えばいいのかなあと、夫と話し合ったのだった。


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