4話目 ~魅惑の文房具~

 神社に御参りをしたあと、強い陽射しを避けるために木陰に入る。風があるからなのか、すぅっと汗が引く感じがした。

 だが、暑いことに変わりはなく、持っていたタオルで汗を拭くとほっと一息つく。水分を摂ろうと思っていたが、つい先ほど飲みきってしまったことを思い出した。

 階段を上ってくる途中で見かけた喫茶店か自販機で麦茶か水を買おうと思い、階段を下り切る。

 そして地元だからと散歩でもするようにブラブラと歩いていたら、今まで気にもならなかった細い路地が目に入って驚く。


 ――こんな小路、あったか?


 その小路を見て、首を傾げる。生まれた時からこの地に住んでいるはずなのに、まったく見覚えがなかったのだ。

 それを不思議に思いつつも、なぜか呼ばれたような気がしてその小路へと入る。

 周囲は閑静な住宅街で、それは自分自身が住んでいる場所と変わりがない。

 だが、視線の先にあったのは、昔ながらの藁葺き屋根ととても大きな屋敷、そして看板のない軒先に繩暖簾がぶら下がっていた。


 ――へえ……こんなところに店があったなんて。


 窓から見えたのは野菜や果物、奥には駄菓子。そして反対側の窓にはテーブルと椅子が見えたが、どうも満席のようで、人が見えた。

 というか、何屋なんだ? いろんなものを売っているなあと、ある意味呆れとも感心ともとれる溜息をつく。

 そして一人なら入れるだろうかと思い切って繩暖簾をくぐり、扉を開けるとカランとカウベルが鳴った。


「「いらっしゃいませ」」

「一人なんだが、空いてる?」

「窓際になってしまいますが、よろしいですか?」

「ああ、構わない」


 ざっと店内を見回すと、確かに見えているし気配がする。だが、なんとも不思議なことに、彼らの気配が薄いのだ――姿が見えているというのに。

 それに首を傾げつつも案内された席に座ると、すぐに水とおしぼり、メニューを持ってきてくれた。


「お決まりになりましたら、お呼びください」

「はい」


 メニューを開くといろいろな料理が写真付きで紹介されている。まるでファミレスのメニューのようだ。

 どれにしようか散々悩み、ナポリタンとアイスコーヒーを頼む。すぐにアイスコーヒーが出され、それを一口飲んだ。

 かなり喉が渇いていたようで、とても美味しい。

 いや、別の喫茶店でも飲んだことがあるが、そこのアイスコーヒーよりも美味しいかもしれない。

 これはいい店を見つけたと嬉しくなり、スマホを弄りながら待っていると、すぐに料理が出てきた。

 ほかほかの湯気がたつナポリタンはとても美味しそうだ。

 いただきますと手を合わせ、フォークで絡みとって食べてみる。

 すると、とても懐かしい味がした。それは父がよく作ってくれたものと同じ味だ。

 それで思い出した――自分は父が作っていた文房具を一緒に作りたかったことを。

 文房具メーカーに勤めていた父は、いつも自分のアイディアを面白おかしく話してくれた。僕はそれを楽しく聞いていたが、母はそれをつまらないと思っている節があった。


 ――そんなにつまらない話だろうか? 僕にとってはとても面白かったのに。


 まあ、母は自分が一番じゃないと気がすまない性格の人だったから、父のそんな態度が気にくわなかったんだろう。

 結局母は自分をちやほやしてくれる男を見つけて浮気をし、離婚した。

 もちろん僕は、父と一緒にこの地に残ったのだ。

 だが、いつしか父ともうまくいかなくなり、就職を機に実家を飛び出し、一人暮らしをするようになった。

 父の世話を姉や妹に任せて。

 父とうまくいかなくなったのは、姉や妹に任せっきりだったことと、彼女たちの性格が、母に似ていたことも大きいのかもしれない。


 そんなことまで思い出してしまい、小さく溜息をつく。

 先に食事をしてしまおうとナポリタンを食べきり、アイスコーヒーも飲み干す。

 伝票を持ってレジのところへ行く前に、奥にあった昔懐かしい駄菓子が置いてあるコーナーへと足を運ぶ。

 本当に懐かしい。

 駄菓子のコーナーの横には文房具が置いてあり、余計に父のことを思い出してしまった。


 ――やっぱり僕は文房具を作ってみたい。できればオヤジと一緒に。


 それを強く感じたのだ。

 小さな会社でいいから起こして、独自の文房具を作りたかったのだと、今さらながらに気づいた。

 使いやすい形や面白いもの、可愛いもの、カッコいいもの。

 今はいろんなデザインのものがあふれていて、どれも「僕や父ならこうする」とつい考えてしまい、大好きな文房具を眺めることすらもしなくなってしまった。


 ――会社を興すのは難しいかもしれないが、オヤジとまた文房具の話をしたい。


 なぜか、強くそう思った。

 それが実現できるかは微妙なところではある。なにせ、何年も父と話をしていないし、自分自身も父と似たような性格だ。

 家を出て文房具とはまったく関係のないところに就職してしまったから、気まずいというのもある。


 はあ、と小さく溜息をつき、これではダメだと自分を奮い立たせ、会計をする。


「熱心に文房具を見ていらっしゃいましたね。お好きなんですか?」

「ええ、まあ。どこで仕入れているんですか?」

「実は……」


 レジにいた白髪の人は、男性かと思っていたら女性だった。中性的な面立ちだったからわからなかった。

 お腹が大きいことから、妊娠しているんだろう。

 その女性に話しかけられて文房具の仕入れ先を聞けば、なんと父が勤めている会社だった。


「……そうなんですね」

「ええ。きっと貴方の願いも叶うと思いますよ?」

「え?」


 自分の願いが叶う? そんなはずはない。

 同じ地域にいるというのに、十年以上も実家に帰っていなければ、電話すらしたこともない。

 姉や妹がどうなったかも知らない状態なのだ。

 できれば母の性格に似た姉や妹と会うのはごめんだが、父とは会いたい。


 ――この店を出たら、オヤジに電話しよう。


 なぜか、そう思うことができた。


「「ありがとうございました!」」


 二人に声をかけられ、店を出る。やはり外は暑いし、またあの上手いコーヒーを飲んで帰ろう、それから父に電話しようと振り向けば、そこには鬱蒼と茂る森しかなかった。


「……え!?」


 そんな馬鹿な……とは思ったが、実際に何もない。手の中にはしまい忘れたレシートがあるというのに。


 ――狐かタヌキに化かされたんだろうか。


 そう首を捻るものの腹は膨れているし、コーヒーの味も覚えている。

 不思議なこともあるもんだ……と思いつつ、父に電話しようとスマホを持ちながら、自宅に向かって歩き始めた。

 やはり気まずくて電話をすることができず、自宅に帰ってからにしようと鞄にスマホをしまい、来た道を戻る。

 だが、一歩歩くごとになにか生まれ変わるような、新しい自分が生まれるような、妙な感覚に襲われた。

 細い路地を抜けたときには自身の身長が縮み、目の前には優しい目をした父が。


「猫でもいたのか?」

「う、ううん。なにか面白そうなお店があったような気がしたんだけど……」

「結局はなかったのか」

「うん……」

「そうか。店以外には何かなかったか?」

「うんとね!」


 懐かしい感覚だと思うことを不思議に思ったが、すぐにその感覚はなくなった。ああ、これがいつもの日常で、あれは悪い夢だと、なぜかそんなことを思った。

 そんなはずはないのに……と、差し出された父の大きな手と自分の手を繋いで自宅へと向かう。その途中でも、父から文房具の話を聞いたり、僕も話したりと楽しみながら、自宅に戻った。


 そしてこの五年後、両親は離婚した。原因は母の浮気と、金遣いの荒さだ。父が何度言っても、母と姉や妹は改めなかった。

 母自身も、姉妹に注意することもなかったのだから、父が激怒して当たり前だ。

 しかも、母に至っては浮気相手に貢いでいたらしい。

 金が欲しいならパートに行くなりバイトなりすればいいものを、中学生になったばかりの妹はともかく母も、大学生になった姉も、働くことをしなかったのだ。

 高校生になったばかりの僕はバイトをしているといいうのに。


「悪いが、金遣いの荒い娘たちの面倒までみきれない。お前が引き取ってくれ」

「そんな……」

「それが離婚の条件だっただろう? それが嫌なら男と別れて娘二人と暮らすか、その金遣いの荒さを直すんだな」

「「「……」」」

「それにお前もバイトくらいしたらどうだ? 高校生がしているというのに、大学生のお前は働くことをせず、ずっと親の脛をかじって生きていくのか?」

「……っ」


 姉に嫌味を言う父も珍しい。

 いくら注意しても直らなかった我が家の女性たち。

 姉妹も父と一緒に暮らすのは無理、母についていくと言ってずっと駄々を捏ねている。母は僕がいいと言ったが、冗談じゃない。

 母親らしいことをしてくれた覚えはないし、料理は常に父と僕がしていたことを話し、利用されるのはまっぴらだ、だったら姉たちに料理をしてもらえばいいと言えば、姉妹も自分でやる! と元気に返事をする。

 普段から料理の手伝いどころか掃除すらしたことがない姉妹ができるとは思えないが、そこは黙っておいた。

 せっかくやる気になっているのに、水を差すようなことはしたくない。

 結局母は、荷物と姉妹を連れて、家を出ていく。引き止めてほしそうな顔をしていたが、僕も父もきっぱり無視をして、さっさと玄関の扉と鍵を閉める。


「本当に俺と一緒でよかったのか?」

「うん。父さんと一緒のほうが楽しいし」

「そうか」

「また文房具の話をしてくれる?」

「ああ、いいぞ」


 その日は一緒に料理をしてご飯も食べて、一緒に眠った。その間ずっと文房具の話をしていた。とても楽しかった。

 それから毎日二人で文房具の話をしながら過ごし、自分たちで考えて作ったものを売ってみようということになる。

 個人販売ができるサイトがあるからそれを利用して登録し、SNSに写真をあげて宣伝をした。

 最初はよくある文房具だからと売れなかったが、色が豊富なことと形が面白かったり可愛かったり、カッコいいからと口コミで広がりはじめ、少しずつ売れるようになった。

 なんだかんだで、僕は高校二年になっていた。

 その頃になると母と姉が金に困っていると風の噂に聞いた。やはり金遣いが荒いのは直らなかったようだ。

 そのせいで男に捨てられたらしい。

 姉も、結局バイトを探すことなく、母に無心しているんだろう。もうじき成人するというのに、なんとも情けない。

 その段階で母や姉に金の無心をされても困るからと引っ越し、一軒家を購入。一階部分の一部を店舗にして、ネットだけじゃなく直接販売も始めた。

 小中学校が近くに、そして少し離れたところに高校があったおかげもあり、お客さんは子どもばかりだと思っていた。

 だが、SNSを見て知っていたり、ネットで買ってくれていたお客さんが近所にいたらしく、子どもたちに交じって大人も買いにきてくれたのはありがたいし嬉しい。

 中にはSNSに宣伝してくれた人もいて、とても助かっている。

 もちろん、デザインなどは全部父と一緒に考え、使いやすいようにと何度も試行錯誤してきた結果なのだ、これは。

 それがとても嬉しい。

 もちろん、お客さんの意見も取り入れ、どんどん改良していった。


 僕も高校を卒業してすぐに店を手伝うと言ったが、せめて大学は行けという父の助言に従い、経営学科を受験、合格した。大学に通いながら経営とデザインを学んだり、友人と交流しながら、日々を過ごしていたある日。


「わ~、可愛い! これを買ってもいい?」

「いいよ」

「ありがとう! すみません、このノートと消しゴム、シャーペンなんですけど……」

「おお、いらっしゃい! いつもありがとうございます! 今回はどれくらい必要ですか?」

「そうねえ……」


 父の手伝いをしていると、真っ白な髪と赤い目の女性と、左目のところに傷があいる男が店に来た。僕はネット通販の商品を箱詰めしたりしていたが、父は彼らを知っているようだ。

 話を聞く限り定連さんのようで、三人仲良く話をしている。

 そこでふと、二人をもう一度見る。子どもの時に見た夢に出てきた人たちにそっくりだった。


 ――あれは夢だし……だけど……。


 どうしても夢だとは思えない。商談を終えた父が僕に紙を渡し、商品を包むように頼んでくる。箱詰めがちょうど終わったところだったのですぐに用意をすると、その二人に渡した。


「ありがとう。願いは叶いましたか?」

「え? ええ、叶いました。大学を卒業したら、この店で働くつもりです」

「そうですか。また来ますので、末永く・・・お願いします」

「「はい」」


 不思議なことを言う女性だなあ……と思いつつ。

 だが、自分たちが不義理をしない限り、本当に末永いお付き合いになるんだろうと思うことができた。

 それは父も感じていたようで、二人で新たに頷くと、神社に御参りに行く。いわゆるお礼詣りというやつだ。

 そこで未来の妻となる女性に出会うのだが、それはまた別の話であり、きっとあの不思議な二人がめぐり合せてくれたのかもなあと思った。


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