3話目 ~味噌は偉大である~
赤味噌、白味噌、田舎味噌。田楽味噌に八丁味噌。
味噌はいろいろな名前や種類があり、土地や家庭によっても味や色が違う。
もちろん材料も。
大豆、麦、米。それぞれに味や特徴があり、味噌汁の具材によっても味噌を変えることができる。
それほどに、味噌の種類は多い。
俺の実家は江戸時代から続く味噌蔵だ。長男の俺が継ぐべきところだが、それが嫌で大学を出たあと、すぐに就職した。
だが、今はそれをとても後悔している。
若い頃の俺はとても自己中心的な性格で、自分さえよければそれでよかった。
だが社会に出てそれではダメだと学び、悩み事を親兄弟に相談しようにも自分勝手に振舞って喧嘩し、家を出てきてしまったがために電話するにも躊躇ってしまう。
そんな中途半端な自分に嫌気がさし、そして市販の味噌を買っても実家のものと比べたら美味しいとも思えず、微妙な気持ちになりながら味噌汁を飲んでいる。
しかも、実家の味噌は地域限定品らしく、多くは出回っていないのだ。
ネット通販でもしてくれていればいいが、そもそもの話人手が足りないのか、そういったこともしていなかった。
きちんと蔵の紹介をするホームページがあるのに、だ。
そのホームページですら、出来がいいとは言えないのだが。
スマホの画面を見ながら、つい溜息が出てしまう。
もし俺が家を飛び出さずに味噌を作っていたら、家族仲良く味噌を作っていたら、もっと大きくできたのではないかと。
いや、大きくしないまでも、通販くらいはしていたのではないかと考えてしまう。
そんな傲慢なことを考えたところで、今さらな話なのだ。
もう一度溜息をつくと、歩き出す。神社に来ていたのだ。
御参りを済ませ、てくてくと山道を下る。ぼんやりしていたんだろう……少しいったところにあった小路を曲がってしまった。
――しまった、間違って入ってしまった。
そう思ったものの、お昼を食べていないことを思い出し、視線の先にあった繩暖簾に惹かれてそのまま店内へと入る。
「「いらっしゃいませ」」
「一人なんだけど……」
「こちらにどうぞ」
店内には黒髪の男と、白髪の中性的な人がいる。男の案内に従って、テーブル席に着くと、すぐにメニューとおしぼり、水を持ってきた。
「こちらがランチメニューになります。こちらのメニューを頼むこともできますよ」
「ありがとうございます」
手渡されたメニューはふたつ。ランチとグランドメニューと呼ばれるものだ。どちらにも写真と説明が書かれているが、どれも手書きだ。
自分で撮ったのだろうか。だが、ファミレスにあるようなメニューのように、とても美味しそうな写真が並んでいる。
今日のランチは定食のようで、それにご飯と味噌汁、お新香とお茶が付いてくるようだ。
お新香は糠漬け、ご飯は白米と玄米、雑穀米から選べるようになっている。
――ご飯を選べるなんて珍しいな。
最近は雑穀米を食べてないなあ……と懐かしくなり、ご飯は雑穀米、定食のメインは豚のしょうが焼きにした。
「すみません。注文いいですか?」
「はい。今お伺いしますね」
白髪の人が反応してくれて、こちらにくる。足が悪いようで、ゆっくりとした歩き方だった。悪いことをしてしまったな……と恐縮しつつ、選んだメニューを頼む。
「ありがとうございます。他にございますか?」
「大丈夫です」
「かしこまりました」
白髪の人は女性だったようだ。とても中性的な顔をしているから、どちらかわからなかったのだ。
変にどっちか言わないでよかったと水を一口飲むと、店内を見回してみる。
カウンターに三毛猫と白猫、店内の窓際には黒猫がいる。どの猫も穏やかな顔をして転寝をしていた。
そこに、マスターらしき男の声がする。
「こら、妊婦が歩き回るんじゃない」
「歩かないと運動できないでしょう?」
「テーブルや椅子に足が引っかかったらどうするんだ? つい先日も転びそうになったばかりだろ」
ああ、彼女は妊娠していたのか。着物に隠れていたが、少しお腹がふくよかだと思ったし、歩みがゆっくりなのもそのせいかと納得した。
ますます恐縮していると、「気にしないでくださいね」と女性から声をかけられた。それに返事をし、スマホをいじっていると料理が来たのでしまう。
「美味しそうですね! いただきます!」
「どうぞ、召し上がれ」
料理を持ってきた男は嬉しそうに返事をしてくれる。そういえば「いただきます」を言ったのも、それに返事が返ってきたのも、ずいぶん久しぶりだった。
恋人でもいればよかったのだが、そんな人どころか好きな人もいない、寂しい人生だ。
好きな人がいなかったわけではない。だが、彼女は出ていった俺ではなく、味噌蔵を継いだ弟の妻になった――それだけだ。
両親を残して町から出たくないと言って、俺についてきてくれなかっただけだ。
確かについてきてくれなかったことは寂しいが、今の生活を考えると、いずれ彼女は実家に帰っていただろう。
それほどに社畜と化しているのだ、今の俺は。
まだ四十過ぎなのに、そのうち倒れるかもしれないなあ……と思った矢先に労働監督署からの指導とテコ入れがあり、休暇をもらえたからこそ、会社からほど近いこの神社に来たのだから。
そのうち倒産するかもしれんなあ……転職を視野に入れるか、などと考えながら、味噌汁を一口飲んで衝撃を受けた。
実家の味噌の味にそっくりだったからだ。
「あ、あの! この味噌汁、美味しいですね!」
どこの味噌か知りたくて、思い切って声をかけてみた。すると、男が穏やかな笑みを浮かべ、語ってくれた内容は。
「美味しい味噌ですよね。実は長野まで行って買ってきているんです。もちろん、契約をしています」
「そ、その蔵の名前って……」
男の口から出た味噌蔵の名前は、まさに実家のもの。
この場所から長野に行くとなると、車でも片道三時間はかかる。そんな場所までわざわざ買い付けに行っていると、男は豪快に笑う。
ただ、とても残念そうな顔もしていた。
「代が代わってからなんだか味が落ちたようでしてね。以前ほど美味しいというわけではないんです」
「え……」
「なんでも、身内じゃない方が跡を継いだそうで……。その方になってから売り上げが散々だそうですよ。息子さんの時は大丈夫だったのですが、なんでも夫婦揃って事故で亡くなったと聞いています」
その残念そうな顔と溜息をついた男に、なにも言えなくなってしまった。
――弟夫婦が、事故で亡くなった?
そんな話、聞いていない!
それとも、話さなくてもいいと思われていたんだろうか。
だとしたらそれは俺のせいであって、両親のせいではない。
今になって己の浅はかさをあざ笑うしかないのだ。
弔いをすることすら許されない――そんな自分の立場に嫌気が差し、もしあの頃に戻れるのならば、俺が跡目を継いで弟にはなに不自由なく暮らしてほしいと言えるのに。
――戻ることはできない……俺の思いは叶わない。
内心で溜息をつき、味がしなくなってしまった食事を終わらせると、会計をするために立ち上がる。そして奥に駄菓子や野菜、調味料が売られているのを見ていると、実家の名前が入っている味噌を見つけたのでそれを購入する。
「ありがとうございます。きっと、いいことがありますよ」
「え……?」
ふいに女性に声をかけられ、じっと見つめてしまう。
綺麗な赤い目は俺の中を見透かすように、だが、神や仏のような慈愛の笑みを浮かべて見ている。
アルビノの彼女の言動は、不思議なことにスッと中へと入りこみ、ストンと落ちたような気がした。
そんな不思議な体験をして、味噌を持って店から出る。繩暖簾を潜って数歩歩き、振り返って見れば、そこには鬱蒼と茂った木々があるだけで、とても驚く。
「え……? さっきまで、あれだけ大きな屋敷の中にいたはずだ……」
狐やタヌキに化かされたんだろうか?
それにしてはレシートがあるんだから不思議だ。
店名はないし、電話番号なども書かれていない。料理の名前とその値段が書かれているだけのレシートなのだ。
やはりなにかに化かされたのだろうと内心で溜息をつくと、また歩きだす。そして不思議なことに、一歩歩くごとに自分の中の何かが変わっていくようだった。
そんなはずはないと掌を見れば、陽に焼けていない自分の手と、両親と喧嘩して飛び出す前に着ていた服が目に映る。
――あれ? 俺はどうしてここにいるんだっけ?
ふと、今までのことが夢だったかのように感じ、どうしてこの場所に来たのか考えながら歩く。すると、大通りのところから「兄ちゃん!」と声をかけられた。
――ああ、そうだ。この近くに、祖父母と両親、弟を連れて温泉に来たんだった。
途中で神社を見つけた祖父母が御参りしたいからと、ここに寄ったという
「どこに行くのかと心配した」
「ごめん。奥に店があったように見えたんだけど、結局何もなかったんだ」
「そっか。そろそろ旅館に行こうって父さんが」
「そうだな。神社もゆっくり見れたし、行くか」
免許を取ったばかりだったが父と交代で運転して、長野からここまで来た。地元の温泉もいいが、たまには遠出もいいだろうと、二泊三日の旅行を計画した。
祖父母も遠出するのが久しぶりだというし、味噌蔵も従業員に任せてきた。
そもそもの話、従業員たちがプレゼントしてくれた旅行なのだ。しっかり楽しまないと彼らに申し訳がたたないと同時に、土産話もしてやれない。
滅多にないことだからこそ、祖父母も両親も、若干はしゃいでいる。
いい従業員を持って幸せだし、感謝だ。
それから車に乗り、目的地へと向かう。しっかり温泉と料理を堪能し、自宅に帰ってきた。
「父さん。俺、高校を卒業したら、味噌造りをしてみたい」
「そうか……。なかなか厳しいが、やれるか?」
「ああ」
弟にはなりたい職業があることを知っているからこそ、その選択をした。二度と後悔したくないと、ふとそんな気持ちが湧き上がる。
それを不思議に思いつつも、なぜか腑に落ちた。
冬も過ぎて、大学に進学することも就職することもなく卒業し、実家の味噌造りを手伝った。
やること、そして覚えることが多数で四苦八苦したが、祖父母や両親、他の従業員に教わりながら、それらをしっかり覚えて身につけていく。
祖父母が引退し、両親を中心に盛り上げて通販を始めてみたところ、ありがたいことに購入が殺到。
まさに嬉しい悲鳴というやつだった。
そんなある日。
「こんにちは。お味噌をください」
「いらっしゃいませ。おや、いつもご贔屓に。今日はどれくらいいりますか?」
「そうですね……十キロ欲しいのですが、いいですか?」
「はははっ! そう言うだろうと思って、ご用意させていただいてますよ」
店内で通販用の包装をしていると、どこかで聞いたことのある声がした。ふと顔を上げて見ると、そこにいたのは顔に傷のある男と、真っ白な髪をした女が。
どうにも懐かしいと思うのは、どうしてだろう?
不思議な気持ちで彼らを見ていたら、女と視線があった。
「願いが叶ってよかったですね」
「え……、あ、はい!」
その言葉だけで、夢を思い出した。夢であって夢じゃない、過去の自分を。
それだけで、きっとあの神社に御参りしたからだと――なんとなく思った途端、涙が零れた。
「美味しいお味噌を造り続けてくださいね」
「……はい!」
父の跡を継ぐにはまだまだ勉強しないとダメだが、彼らが気に入ってくれたこの味噌の味を、そして伝統を、守ろう。
そしてそれは彼らを大事にする限り、必ず叶うのだと――なんとなく思った。
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