夜、目を覚ます

もす

夜、目を覚ます

 夜がきた。僕はゆっくりと目をあける。肌にさらさらと触れる水。温度は感じない。とっくに慣れた浮遊感を感じながら、僕は立ち上がる。


 僕は湖の底に沈む幽霊だ。足元には、僕の死体が横たわっている。青ざめて固くなっているけれど、見た目は生きているときとそれほど変わらない。確か、この湖は死体が腐らないという噂があったはずだ。幽霊になってどれくらい時間が経つのかは分からないけれど、腐った自分を見なくて済みそうなことは、少しほっとしている。


 湖の底がぼんやりと明るい。今夜は月が出ているらしい。僕は湖面に向かってうっすらと透き通った両手の平をかざす。月光を通す、血管も何も見えない手。がらんどうで中身がないみたいだ。左手の薬指につけた指輪も一緒に透き通っている。幽霊の自分は不思議なことばかりだ。

 自分のこと、世界のことがよく分からないのは、生きていても死んでいても大差ない。


 夜になると目を覚まし、暗い湖の底を歩いて移動し――自分の死体のそばにいても気が滅入るだけだから、目を覚ましたら移動することにしているのだ――朝がくると意識をなくして、そしてまた、夜、目を覚ますと、前日と同じように、死体の隣に横たわっている。それが幽霊になった僕の毎日だ。


 この湖の底には僕の他にも住人がいるけれど、会話をしたことはない。自分も死んでいるからといって、よく知らない理由で死んだ他の人間と仲良くできるとも思えない。

 水と砂と岩と死体とぼんやりと白く揺らめく幽霊たち。それがこの湖の底にあるすべてだ。もしかしたら、ここは地獄なのかもしれないと、そんなことを考えながら、僕は今日を過ごすために、お気に入りの場所へと向かう。



 その時、かすかに、水を揺らすような音がした。僕は立ち止まって湖面を見上げる。じっと耳を澄ませてみても、それきりあたりは静かで。気のせいかと、足を一歩踏み出したところで、水を切り裂くように女の大きな悲鳴が響いて、思わず顔を顰める。新しい住人だ。


 観光の名所でも自殺の名所でもないこの湖に新しい住人がくることは稀だが、時折このように新しい人間がやってくる。そして、混乱してひとしきり騒ぎ、しばらくするとおとなしくなるのだ。僕は気にせず、再びお気に入りの場所へと歩き出す。途中、自分の死体の隣で膝を抱えて座る女の前を通ったけれど、目をうつろに伏せる女はこちらを見ることもなく、そして僕と同様、悲鳴にも興味がないようだった。


「なんなの! いや! いやだ!」


 お気に入りの場所に近づくにつれ、僕の気分は沈んでいった。新しい住人は、どうやら僕が毎日夜を過ごす場所に着地したらしい。僕は岩陰に身を隠し、叫ぶ人影を覗く。

 叫んでいるのは10代後半くらいの少女だった。白地の開襟シャツにプリーツスカート。制服だろうか。背中の生地が裂けていて、薄茶色に汚れたその隙間から痛々しい傷が見える。よく見ると、背中だけでなく、体のいろいろなところに切り傷やら刺し傷やら、血を流したであろう跡があった。

 少女は茫然と辺りを見渡し、叫んでは苦しそうにのどを掻きむしっている。


 僕は見ていられなくて、思わず少女に近づき、その手を抑えていた。他の幽霊に触れたことに驚いていると、僕に抑えられて固まっている少女の大きく見開いた目はみるみる怯えで満たされ、さらに大きな声で叫ばれてしまった。僕は慌てて口をふさぐ。


「ごめん。大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて」


 これでは変質者ではないか。少女の瞳はしばらくうろうろと彷徨っていたけれど、僕をもう一度見ると、こちらに悪意がないことを分かってくれたのか、ふっと力を抜いた。僕が手を離すと、少女はいくらか冷静に、湖の底をくるりと見渡した。


「……夢?」


 僕は「夢じゃない」と言おうとして、口をつぐんだ。僕が勝手に自分を幽霊だと思っているだけで、この世界が夢である可能性は否定できないと思ったからだ。

 黙ってしまった僕を少女は怪訝な目で上から下まで眺める。先ほどとはうって変わって、落ち着いて冷たい目。なんだか腹の立つ目つきで、僕は少しだけ意地悪な気持ちになる。


「君、死んだんだよ。体、見てみなよ」

「死んだ?」


 よくわからない、という様子で、少女は傷だらけの自分の体を眺め、腕についた裂傷を撫でる。その様子を見ると、痛々しそうな傷だが、今は何も感じていないようだった。


「うん。たぶん、そのスーツケース、君の死体が入ってるんじゃないかな」


 少女の死体はなく、代わりに、銀色のスーツケースが湖底に横たわっていた。おそらく、この少女は殺されて、スーツケースに詰められて、この湖に捨てられたのだろう。


「覚えてない?」


 少女は小さく頷き、今度はすがるような目で僕を見る。何も覚えていない、何も分からないから、僕にもっと説明をして欲しいのだろう。でも、僕だって自分が死んだことくらいしか分からない。少女に対して、できることは何もない。

 僕は、少女に声をかけてしまったことを後悔した。自分自身の感情に起伏が起きるのは好きじゃない。静かな湖底で長いこと一人で過ごしてきたから、人と関るのが面倒だということを忘れてしまっていた。


「そっか。まあ、ここにいる人はみんな死んでるんだ。僕も。とくに苦しいこともないと思うから、ゆっくりしてるといいよ。でも――」


 何もできない自分、無力な自分。心がざわざわする。自分も、自分をとりまく世界も、 “なぜこのように在るのか”は、生きていても死んでいても一向に分からない。少女は戸惑い、何か言おうと口を開きかけたが、僕は無視して続ける。


「でも、ここにいる人たちはみんな静かにしてるんだ。だから、君も静かにしてね」


 僕はくるりと少女に背を向け、歩き出す。背中から「夢だよね」とつぶやく声が聞こえた。僕の一番のお気に入りの場所は少女のスーツケースに取られてしまったので、しばらく当てもなく湖底をふらふらと歩き、座り心地が良さそうな岩を見つけ、腰を下ろした。

 いつもこうやって、何をするともなく、夜が明けるまで過ごすのだ。薄く透き通る指輪を撫でて、僕は目を閉じる。

 少女が落ちてきたからか、肌を撫でる水がいつもより揺らめいている気がした。



 夜がきた。


「何なの!?」


 張り詰めた少女の声に、僕は驚いて目をあける。昨日やってきた少女の声だ。叫ぶ度、水がかすかに揺れる。どうやら暴れてもいるようだ。無視をして、昨日見つけた場所へ向かおうと僕は立ち上がる。


「もういや……」


 小さくつぶやいた声が、いやに大きく僕の耳に届く。うるさい。黙って欲しい。僕は、くるりと向きを変え、少女のスーツケースがある方へと歩き出した。

 少女は泳いで湖面を目指しているようだった。上まで登って、湖面に顔を出したと思うと、すっと姿が消えて、スーツケースの上に膝を抱いたようなポーズで現れる。目をあけた少女は、ここが湖の底であることが分かると、怒りに満ちた形相で起き上がり、スーツケースを蹴り飛ばす。ひとしきり蹴り終わると、また湖面を睨み、とんと地面を蹴って上へと泳いでいく。少女はずっとそれを繰り返している。そしてまた、ここに戻ってきて、叫びながら、スーツケースを殴る。背中が動くたびに縦一文字に裂けた傷が縒れて痛々しい。


「騒がないでってば」


 少女は僕を無視して、スーツケースをなおも蹴っている。僕は少女の肩をつかんで、スーツケースから離した。少女は勢いよく僕を睨む。


「ここから出る方法を教えてください」

「ここからは出れないよ」


 本当だ。僕だって、最初はいろいろ試したんだ。


「どうして?」

「さあ。そういう生態なんじゃない? 死んでるのに生態っていうのも変だけど。人間が飛べないのと一緒じゃないかな」

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

「諦めなよ。生きてたときだって、理由が分からなくたって、そういうもんだって受け入れてきたことあるでしょ」


 睨まれたことに腹を立てて、ムキになってしまいそうな自分を抑えて、僕は落ち着いた声を出そうと努める。10歳は離れているだろう人間相手にいらいらするなんて大人気ない。けれど、出てきた声は思いのほか嫌味ったらしいものになってしまった。


「そういう考え方、好きじゃないです」


 少女は強い口調で吐き捨てる。落ち着いた、冷たい印象の目。だけど冷えているんじゃなくて、いろいろなものが燃えている。温度が低い星が青いみたいな、そんな目。なんだか不愉快になって僕は目を逸らした。


「とにかく騒がないで。あと、その傷でうろつかないで。心臓に悪い。傷はない、血も出てないってイメージしたら消えるから」


 少女は鼻で笑う。


「そういう生態って訳ですね」

「まあ、そうかな。とにかく静かにね」


 僕は目を閉じて自分の体をイメージする。僕は一瞬で僕の死体のとなりに移動する。こうすると自分の死体のそばには簡単に移動できるのだ。抜け殻の僕は青白い顔に、どこか幸せそうな表情を浮かべて横たわっている。僕は、死ぬとき「幸せになれる」と意味もなく信じていた。愚かなことだ。


 遠くで「なんで」と叫ぶ声がする。僕は膝をかかえて耳をふさいだ。耳をふさぐと、声は幾分聞こえなくなるということを知った。目を閉じ、朝を待つ。この湖は朝の景色が綺麗なのだ。美しい朝焼け、照らされた湖面。落ちる紅い葉。笑顔。僕は薬指の指輪を撫でる。



 夜がきた。僕は目をあけたくなくて、じっと蹲っていた。目をあければ、いつもと変わらず、僕の死体が、僕の目の前で安らかに笑っているのだろう。今日は少女の声は聞こえない。諦めたのだろうか。

 僕には関係ないことだと自分に言い聞かせるけれど、気になってしまう。僕は迷った結果、遠くから、少しだけ、覗いてみることにした。少し、様子を伺うだけ。僕は体を起こして、湖の底を蹴りゆっくりと浮かんだ。外から見て美しいだけの、何もかも死んだ湖を僕はゆらゆらと泳ぐ。


 少女はスーツケースにつっぷしていた。相変わらず傷があり、服は血まみれで、僕は眉間に皺を寄せる。やっぱり痛々しくて、見るだけ、なんて思っていたのに、気付いた時には僕は少女に声をかけていた。


「その傷、消しなよ」


 僕の声に驚いたのか、少女はびくりと身を起こし、僕を睨む。


「イメージすると、できるから。傷なんてないって」


 少女は自分の体を眺めて、そしてまた身を横たえ、僕に背を向けた。


「できないの?」

「どうしたらここから出れるんですか……?」

「僕だって知らないよ。諦めなよ」


 少女は黙っている。


「……。じゃあ、ぼく、行くから」


 少女が勢いよくこちらを振り向いて、僕の肩がびくりと跳ねる。驚いた僕に驚いて、少女も目を見開き、そのまま気まずそうに反らされた。


「……。少しここにいてもらってもいいですか。その、静かにしてるんで。一人だとなんだかおかしくなりそうで……」


 少女のあのどこか人をいらいらさせる目は色は影を潜めて、いまは穏やかに、けれど少しだけ揺れている。僕は正直一人になりたかったけど、うまく断ることもできそうになかったので、少し離れた場所に腰を下ろした。


「やっぱり私、死んだんでしょうか?」

「まあ、そうだろうね。その傷だし」


 少女は腕についた傷を見ながら、考えこんでいる。ぱっくりと裂けた腕の傷から闇が覗いているように見えた。幽霊というのは透き通って見えるけれど、中はただただ闇が詰まっているだけなのかもしれない。


「どうして傷、消さないの?」

「なんか腹立つから」


 少女はスーツケースを睨みつけながら吐き捨てるように言い、目を伏せる。


「それと、思い出せるかと思ったからです。死んだときのこと……」

「まだ思い出さないの?」


 少女はゆっくりと頷き、「あなたは?」と聞く。


「あなたは、自分が死んだときのこと、覚えてるんですか?」


 僕は指輪をなぞる。口を開けて、話そうとしたけれど、声が出てこなかった。黙ってしまった僕に、少女は何か察したのだろう、それ以上聞いてくることはなく、立ち上がり湖面を見上げた。意志は強いけれど、他人には必要以上に関わらない、きちんと距離をとるタイプなのかもしれない。


「あーあ。ここから出れない。意識があるのはいつも夜。いつまでこれが続くのかも分からない。幽霊って最低ですね……」


 湖面を見上げる少女は、ひらめいたように僕を見る。今日の少女の表情は忙しい。そうやって表情が増えていく様が、生き返っていくかのように感じた。その分余計に体中の傷が痛々しかった。


「この湖、川に繋がってたりしません?」


 あいにく、この湖は火口湖で、どこの川にもつながっていない。僕は首を振る。少女は溜息をついて、湖面を見上げた。


「本当、忌々しい湖……」


 僕もこの現状を忌々しく思っていたけれど、人にこの湖の悪口を言われるのはなんだか嫌だった。僕は苦笑して湖のフォローをする。


「ここ、外から見るとすごく綺麗なんだよ。特に朝。朝日で金色になるんだ」

「残念ながら、永遠に見れそうもないですけど」

「まあ、湖の中も悪くないよ。静かで。君が騒がなければ、だけど」


 半目で僕を見る少女は、いよいよ生きている人間のようだ。人間らしい少女に気が緩んで、僕の口も少しだけ砕ける。


「あなたにとって悪くないだけでしょ。私は絶対に出て行くんです」

「諦めが悪いね」

「死にたくて死んだ訳じゃないですから」


 僕はまた黙ってしまった。それきり少女も黙ってしまって、その日はそのまま二人でそこにいた。湖の底がすっと白くなって、ああ、朝がくるんだなと思うとともに僕はまた意識を失った。



 夜がきて、僕は目を覚ます。当たり前だが、あたりは暗い。僕は永久に朝日を見ることはできないのだ。

 ふわりと水が揺れて、僕は湖面を見上げた。少女が性懲りもなく湖面に向かって泳いでいるのが見えた。水は揺らめいているが、騒々しい音はしない。少女は泳ぐだけで、騒ぐのはやめたようだった。湖面に向かっては戻るのを繰り返す。


 それから何度も夜がきて、少女はずっと湖を泳ぎ続けている。白いシャツに、赤い染み。錦鯉みたいだ。湖の中で、少女だけ、生きているみたいだ。死にたくて死んだ者と、そうじゃないものの違いだろうか。


 僕は自分の死体から離れて、泳ぐ少女を遠くに見ながら、朝がくるのを待った。一人でいると頭がおかしくなりそうだと言った少女だったが、それから僕に話しかけにくることはなかった。時折、目があったような気がしたけれど、極自然に逸らされた。


 ここしばらく少女を見ていない。ただただ静かだ。僕は気になって、久しぶりに少女を見に行くことにした。諦めたのだろうか。少女の強い眼差しを頭に思い浮かべる。それが力をなくしてしまっていたら残念だと思う。でも、だからと言って、少女が諦めていたとして、僕はどうするつもりなのだろう。励ますのだろうか。


 少女はスーツケースのそばにはいなかった。どこに行ったのだろうか。僕はきょろきょろと当たりを見渡しながら歩く。それほど広くない湖だ。少女はすぐに見つかった。僕は目を見開く。少女は頭の大きさほどの岩を持って、湖の側面を削っていた。


「何してるの?」

「川をつくるんです。川か海にあたるまで掘って行くんです。寿命がないんだから、いつかできると思って」


 得意げに目を輝かせる少女は、ここに捨てられてから一番いきいきしている。体は相変わらず傷だらけで、まごうことなく死んでいるのに。


「ここを出たら、私をこんなにしたやつを見つけて、呪ってやろうと思って」


 強いなあと、なんだか泣きたくなったけど、僕は湖底の石を見つめながら、ひねくれた返事を返す。


「水位が低くなるだけじゃない?」

「やるだけやってみるんです。あ、私、名前思い出したんです。速水ルカって言います」


 少女――速水さんは首を傾げて、僕が口を開くのを待っている。


「……僕は、僕は、木崎アラタ」


 速水さんはにこりと笑って、手に持った岩を僕に差し出す。


「えっと」

「木崎さん、手伝ってください。どうせ暇でしょ?」


 勝気な目に、笑みが浮かぶ。僕は、ゆっくりと手を伸ばし、岩を受け取った。


 壁面は岩で削ると、ほろほろと崩れた。大きな岩は手で取り除く。世界の、自分以外のものに働きかけて、それが形として残るのは不思議な気分だった。僕は久しぶりに心が軽くなっていくのを感じる。


「僕は元々、生きたくて生きてたわけじゃなかったんだ」

「え?」


 隣でもくもくと作用をしている速水さんに、脈絡もなく話しかける。怪訝な顔をされてしまったが、気にせず続ける。なんだか今、誰かに話したい気分なのだ。生きている人に。


「この前、速水さん、死にたくて死んだ訳じゃないって言ってたでしょ。僕は、死にたくて死んだ」

「まあ、なんとなく、そうじゃないかなって思ってましたけど。どうしたんですか、突然」


 僕はふふふと笑って、シャツのポケットから写真を出す。柔らかな表情をしている僕と女性が移った写真。速水さんは僕の写真を覗き、問いかけるような眼差しで僕を見る。


「僕の妻。病気で死んだ。この湖が好きだった。きれいな人でしょ」


 彼女はこの湖の朝日が好きで、だから、彼女が最後に入院する前に、2人で見に来た。目を潤ませて湖面を見つめる彼女に、指輪を送った。幸せそうに指輪を撫でる彼女を見て、僕はその時、彼女を見送ったら、彼女を追って、この湖でこの命を捨てたいと思った。

 彼女はそんな僕に気づいて、強い目で「生きて」と言った。「私の分まで」と。僕は物分かりよく「約束する」と答えて、彼女がいない世界を頑張って生きた。でも、だんだんと生きているという感情や感覚が希薄になってしまって、結局、この湖に飛び込んだのだ。よくある話だろう。もう一度、会いたかった。僕を見て欲しかった。


「でも、ここに彼女はいなかった。彼女に会えないのは、生きるのを諦めた僕への罰なんだって感じた。だったら、おとなしくここにいようって思ってたんだ」


 僕は、左手の薬指の指輪を撫でる。


「ここを掘って、川か海と繋がって、この湖から出ることができたら」


 彼女のいるところに行けるだろうか。

 痛々しげな表情で僕の独白を聞いていた速水さんは、しばらく逡巡したのち、ぽつりと口を開いた。


「ごめんなさい。なんて言うべきか、分からないんだけど――」


 そしてにやりと、いたずらそうに笑う。


「もし、会えたら、木崎さん、すごく怒られるんじゃないですか? 約束破って死んじゃったんだから」


 僕ははっとする。そうだ。絶対に怒られる。戦々恐々とする僕を見て、速水さんは、満足げに頷き、ぐっと伸びをする。


「さて、木崎さんを怒ってもらうためにも、頑張りましょうか」



 ぽろぽろと湖底に落ちていく砂や小さな石。

 本当に川や海につながるのか、つながったとして、彼女に会うことができるのか、そんなことは分からない。でも、無心で湖を削る。僕は相変わらず幽霊ではあるけれど、削る度にだんだんと生き返っていくような心地になった。

 あの日捨てた自分の魂が、自分に戻ってくるようだった。口元に笑みが浮かぶのを感じる。

 辺りが白くなってきて、抗えない眠気のようなものがやってくる。


「ああ、もう朝だ」


 速水さんの瞼がゆっくりと下がるのが見える。僕の意識もまた、遠のいていく。



 明日、また、夜がきたら――

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