1ー1

 涼香すずかは、ちょっとイラついていた。

 なにって、目の前の男女の行動にである。

 男は赤茶けて染まったぼさぼさの髪の頭。サングラスをかけ、口の上にひげを生やしている。黒いタンクトップの上に、ラメが入っているのかギラギラした白いジャケットを羽織っている。そのジャケットはどこかブカブカでだらしがない。そして腕には、高級そうな腕時計をしている。細身で色黒のせいか、ジャケットも腕時計もやたらにギラギラな感じが目に付き、この男の品のなさをより一層際立てている。

 女のほうも、これまた派手だ。髪は金髪に染めてカールしている。少女マンガのキャラクターのような、大きくそっくり返ったようなマスカラをつけて、大きな瞳を強調している。子顔だがその3分の1は目のようだ。唇はラメの入ったリップを塗りたくって、いかにも、たっぷり潤ってるからいっぱいキスして!とでも誘っているかのようだ、と、涼香は思った。それにこの強烈な香水のにおいはたまったものじゃない。この女が目の前に座っているだけで、店内がこのにおいに汚染されていくのが分かる。この香水のにおいにごまかされているが、二人の服、髪、体中に染み付いた、強烈なニコチン臭も鼻の奥底を刺激する。においは目には見えないが、色でもしこのにおいを表すなら、さしずめ、どす黒くにごったピンク色といったところか。そして、二人が吐く息は、これまた強烈に酒くさい。

 女はその辺の安っぽいキャバクラ勤めの水商売の女、男はその客のチンピラといったところか。年齢は20代前半。頭の悪そうなところが、10代に見えなくもない。いずれも派手さが際立って下品な連中は、酒場に囲まれた盛り場であるこのあたりでは、よくみかける。


 涼香は駅近のショッピングビルの中に店舗を構える旅行代理店の店員だ。この駅は都内のベッドタウンの中心にある駅で、複数の路線が乗り入れている、利用者も多く、規模も大きい。最近は駅ビルの発展が著しく、いわゆる駅ナカと呼ばれるショッピング施設は、今流行の店が数多く軒を連ねている。

 だが、駅ビルを抜け出すと、町はまだまだごちゃっとしており、歓楽街、盛り場が広がる。昼間からあちこちで飲み屋が開店し、酔っ払いがいたるところでふらふらして、風俗の呼び込み達が何人も立ち、道行く男たちに声をかけている。

 飲み屋、風俗、人気のラーメン屋に、メジャーな喫茶店・・・、もう、いろんな店がごちゃっとあふれている。そんな町の中に、この旅行代理店の入っているビルがある。人気の100円ショップやら格安の雑貨店などが入ったビルだが、客層の中には、涼香の目の前にいる二人の男女のような、派手で下品な連中もかなり居る。土日はともかく、平日の日中は、頭の悪そうな客がうろうろしている。



「ねぇ。面白そうじゃ~ん。これにしようよ~。」


 女は目の前のパンフレットをボン!と指でさす。

 どきついピンクに塗りたくられたマニキュアのついた指には花の絵のネイルアートが施されている。まるで指の刺青だ。その指はまた、悪魔に憑依された女の爪のように、長く、鋭く、不気味だ。


「おめぇ~、なんだよぉ~、その爪よぉ~。そんなんで、無人島とか言ってんじゃねぇよ~。おめぇみてぇのが島でサバイバルとかできねぇだろ~」

「大丈夫だよぉ~。だって、プライベートビーチでしょ。ほとんど客も居ないらしいし、ゆっくりのんびりしてればいいんだよ~」

「ばっか!ホテルとかねぇんだぞ!1週間テントでサバイバルツアーだってんだろ!?なんだこれっ!?『とったどぉ!』とかするんだろ!?自足自給なんて勘弁だよ。お前なんか2日で嫌んなるぞ!」

「夢のねぇ野郎だなぁ。ちょっとは男気おとこぎ見せてみろよぉ。ねぇ、お姉さん!」


 女は急に涼香に相槌あいづちを求めてきた。涼香は苦笑いで対応した。


「島で自給自足ってよぉ。島で生き物捕まえて料理すんだろ!?植物とってくんだろ!?誰がやんだよ!?」

「俺に任せろ!とか言えねぇのかよ!」


 2人の言い争いは、周りをはばからず、だんだんと大きくなっていった。

 店内にはほかにも客や店員が数名いたが、みんな二人の言い争いを見ている。


「お客様、ちょっと落ち着いて・・」


 二人をなだめる涼香。


「あーっ!?だいいちよぉ、こんなツアー、勧めてくんじゃねぇよ!何十万もとっておいてよ、自給自足とかってふざけんなっての!」


 男は涼香に怒りの矛先を向け始めた


「姉ちゃんがこんなもん勧めてくっからぁ、このバカがその気になっちゃうんじゃねぇか!」

「旅行屋さんにイチャモンつけるんじゃねぇよ!行きたいとこ連れてってやるよってほざいたのはテメェだろうがよぉ!」

「だっからよぉ。どうせ高い金出して旅行に行くのに、こんなアホくせぇ無人島にっわざわざ行くこたぁ、ねぇだろっつうの!ほんと、おめぇは金の使い方知らねぇな!」

「文句ばっか言ってんなら、旅行連れてってやるとか言ってんじゃねぇよ!」


「いい加減にしろっ!」


 いよいよもってつかみ合いの喧嘩になりそうだったのを見かねて、涼香が怒鳴った。そのあまりの剣幕に、喧嘩している二人どころか、店内の空気が一気に冷えわたった。涼香の声は、学生時代に演劇サークルにいたせいか、とてもよく響いた。


「とにかく、お座りください。ほかのお客様も見てますよ。」


 呆気にとられた男女は、涼香にそういわれると、周りを見た。同じく唖然とした顔をしたほかの客や店員達が、自分達を見ているのを知ると、二人とも恥ずかしそうに、ゆっくり席に着いた。むしろほかの客達は、涼香の怒鳴り声にびっくりしていたのだが・・。


「確かに、この旅行は、ご主人のおっしゃるとおり・・」

「旦那じゃねぇし・・」


 涼香の説明を女がさえぎった。そうか。夫婦じゃないのか・・。

 涼香は説明を続けた。


「失礼しました。この旅行は彼氏さんのおっしゃるとおり、サバイバルツアーなのですべて自給自足。泊まるのはテントですし、島は何の整備もされていないし、設備もない無人島です。ですから、お姉さんのように、その爪とか、メイクとかなんとかしないとですね。きっと危険だと思います。」


「そら、見ろ!」


 男が女に毒づいた。


「ん、なの、取るに決まってんだろ!」


 女も負けていない。


「ほとんどすっぴんで過ごさなくちゃなりませんよ?」


 涼香が続ける。


「ん、なこと、わかってるよ!」


「無人島でのサバイバルツアーは、大自然のままの世界に飛び込むわけですから、それなりの危険は覚悟していただかなければなりませんが、誰も人の手のつけられていない大自然の中での数日間、きっとお二人の人生に得がたい何かをもたらせてくれると思いますよ。もちろん、今回のツアーにはサバイバル術に長けたインストラクターが同行しますので、仮に、ツアー参加者の皆さんが、食料を何も確保できなかったとしても、何とかしてくれます。それに、島のレジャーをじっくりレクチャーしてくれます。インストラクターは現地人ですが、日本語も流暢でイケメンらしいですよ。」


「イケメンだって!」


 女は喜んで、男の肩をたたく。舌打ちする男。


「それと、無人島生活は5日間。最初の2日間は無人島の近くのリゾートに泊まっていただきます。リゾートはすばらしい設備の整ったホテルがあり、ビーチもあり、カジノもあります。」


「何!?カジノがあんの!?そりゃちょっといいかも・・」


 男の気が変わりだした。カジノの話も一度説明したのに、何も聞いてないんだな、この単細胞め!と、涼香は内心で男を笑った。


「このツアーは今日から発売なんです。お値段がお値段ですし、自給自足のサバイバルツアーですから、まだ予約は大丈夫でしょうが、1回ごとの催行限度人数は9名です。今なら、第一回目のツアーに参加できるはずですよ。いいですか?第一回目のツアー参加者のみ、誰も足の踏み入れたことのない島へ行くことが出来るんです。第二回目以降のツアーになると、もちろん無人島は無人島ですが、人が足を踏み入れてしまった島になってしまいますから、旅行の価値からしたら、今すぐ申し込んで、第一回目のツアーに参加される方が、高いと思いますよ。いかがしますか?」


 涼香は殺し文句のつもりで、二人に投げかけた。

 男と女は互いに見つめあい、意を決したように頷き合うと、男がペンを取り、契約書にサインした。


 涼香は、その様子を見ながら、自分もパンフレットをじっと見た。


 ・・無人島かぁ・・・。

 ・・私も行きたいなぁ・・・。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る