無人島にて

@OhshimaZubaki

プロローグ

 海は荒れていた。


 すさまじい雨と風。漆黒の闇につつまれた海。

 一切の光をも拒否した真っ黒な夜空と、荒れ狂った外洋の境界は、もはや、まったくわからない。暗黒に支配された海は、まるで大蛇がとぐろを巻いてのた打ち回っているように、ぐねり!と巨大な波を産んでいる。


 ビカッ!!


 漆黒の闇を貫く、稲光。

 一瞬、ほんの一瞬、闇夜が光に包まれる。しかし、ほんの一瞬。


 ドドドドーッ!!!


 続けざま、闇夜全体に響き渡る、雷鳴。

 強烈な音を立てている雨や風をはるかに凌ぐ、爆裂音。その音は、響きとなって漆黒の闇をビリビリと震わせる。


 ビカビカッ!!


 ふたたびの稲光。さきほどのものより激しく、闇夜を切り開く、光。


 その光は、一瞬、うねり狂った水面を突き進む、一艘の白い船を照らし出した。その船は、ちょっとした大きさの、高級なクルーザーだった。

 静かな海を進んでいれば、その船体は、雄々しく凛々しいものであったに違いない。しかし、この激しく荒れ果てた外洋の中にあっては、川面に落ちた枯れ葉のようでしかなかった。


 クルーザーの存在は、稲光が暗闇を照らし出す一瞬しか認識できない。さぞかし輝かしいであろう白い船体も深い闇間と、恐ろしく巨大な波間に、その姿をかき消されるしかない。


 ドドドドーッ!!


 また雷鳴が闇間に響き渡り、空間を震わせる。

 その振動は、クルーザーにも、激しく響き渡った。


 クルーザーは大海蛇シーサーペントの巨大な胴体のようにうねり狂う波にたたきつけられ、大海蛇シーサーペントの怒号のような音の振動に震わされた。海の化物になされるがままにもてあそばれる、美しいがか弱い女神のようだ。自慢の船体は、化物に犯され、次第に傷ついてゆく。


 クルーザーの中では、なんとか船を守ろうと、数名の乗組員が必死になって動き回っていた。もはや操舵の効かない船であったが、それでも、痛烈な波の攻撃から少しでも船を守ろうと、蛇輪を握り締めているのが、この船の船長だった。彼は20年以上、船乗りとして、様々な船の船長として勤め上げたヴェテランであり、その実績を買われて、この船の船長として、高額の給料で雇われていた。すでに、この船で外洋に出るのは4回目。彼の船長としての経歴から見れば、この程度の船を操舵するのは大したことではなかったし、その優秀さから、ほかの乗組員からの信頼も篤い。

 今回の危機も、船長であれば、いとも軽く乗り越えてくれるはずである。誰もがそう思った。


 しかし、当の船長本人は、この状況に非常にあせりを感じていた。

 船乗りとしての豊富な経験の中では、嵐の中での乗船も幾度もくぐり抜けてはきた。だが、正確な気象情報の把握と、綿密な運行計画、そして長年の勘により、非常に危険と考えられる運行は避けてきたし、危険を回避するための迂回航路も熟知していたので、あえて危険に飛び込むようなバカな真似は、下っ端の船員時代ならともかく、船長という職を与えられてから十年以上、まったくしてこなかった。


 今回の嵐が危険だということも、彼は分かっていた。乗組員の数名も薄々感じてはいた。だから彼は運行を先延ばしするつもりでいた。嵐が去るほんの数日の間、近くの港で嵐が過ぎ去るのを待って船を出そうと考えていた。


 だが、船のオーナーがそれを許さなかった。

 オーナーはどうしても、急ぎ船を出し、目的地へと到着したがった。確かに、嵐が過ぎ去るのを待って船を出せば、どんなに短くとも、目的地までは予定より4日は遅い到着となってしまう。しかし、たかが4日だ。飛行機ならともかく、船旅に当初の予定以上に時間がかかってしまうことはやむをえないことだ、いや、これからやってくる嵐を考えたら、飛行機だって止まってしまうはずだ。運行を強行するなんてありえない。


 船乗りとしての立場から、オーナーには強硬に、運行の反対を意見した。しかしオーナーが聞く耳を持つことはなかった。


「何のために大枚をはたいて、君を船長として雇ったと思ってるんだ。」


 そういわれると、それ以上、オーナーに口ごたえすることができなくなった。

 確かに、この規模の船の船長としては破格の報酬を手にしていた。しかもキャッシュで前払いである。引き受けてしまった以上、オーナーの命にそむくわけにもいかない。意にそぐわないが、やるしかなかった。

 天候に不安を持っていた数人の乗組員も、船長が行くと決めたなら、と彼を信じて乗船をした。だからこそ、この船をなんとしても無事に目的地へ到着させねばならない、船体を多少犠牲にしてでも、乗客を、積荷を、乗組員の安全を守らねばならない。


 オーナーは精神科の医者であった、もともとロシア人だったが、アメリカに渡ると、一代で巨大病院の院長として財を成し、一時は政財界にも大きな影響を及ぼすほどの存在になっていたのは、なんとなく知っていた。また、手広くやりすぎて、脱税だか、不正な株取引だかをおこない、当局に目をつけられているという噂も彼の耳に入っていた。それだけでなく噂が噂を呼び、ロシアのスパイだとも疑われているなんて話もある。まあ、彼がどんな素性の男だろうが知ったことではない。彼について干渉する気は一切ない。もらえるものさえもらえればそれでいい。船長はそう考えていた。


 船の目的地はとある孤島。この医者が買い上げた島であった。乗客は、彼と妻、そしてまだ生まれて数ヶ月の子どもと、数人の召使いだ。どうやら、その孤島に自身の屋敷を立て、すべての財産をそこへ移すつもりらしい。まぁ、これも船員たちの噂話でしかないが、多額の預金された口座を当局から凍結されてしまう前に金などに現物化してこの船に詰め込んでいるなんてことも言われている。

 積荷は一切関知していないし、乗組員に船への積み上げ、積み下ろし以外には絶対関与しないように厳命している。

 だから乗組員も、積荷が一体どんなものかは把握していないが、ある乗組員が、気になることを言っていた。


 積荷の中に、巨大な檻が詰め込まれたというのだ。その檻はシートがかぶせられ、中身を見ることはできなかったが、「ブフォッ!ブフォッ!」という低いうなり声のような音が聞こえたらしい。きっとゴリラかなにか、大きな猛獣がいるに違いない、とのことだった。


 オーナーほどの財力を持っていればプライベートジェットくらい持っているだろうし、孤島に飛行機の発着場くらい作れるだろうが、あえて船旅を選んだのには、その積荷の存在があったからかもしれない。いったい、どんな動物を連れているのか・・。この荒れた状態で興奮し、檻を抜け出して人を襲う、なんてことなないだろか・・。

 そんなことを考えると、オーナーの強硬な命に従って、いや、金の力に負けて、船を出したことを後悔しはじめていた。


 その時・・・


 ドドドドドッツ!!バキバキッ!!


 大きく鈍い音とともに、急に船体がつんのめった。激しい揺れに、船長含め、乗組員のすべてが床に激しく倒れた。誰もが強く床に胸や膝、顔を打ち付けられ、痛みになかなか立ち上がれないほど苦しんだ。


「船長!!座礁した!!」


 一人の乗組員の絶叫が響いた。


 ここは外洋じゃないのか?深い海をさまよっていたのではないのか?どこかの島にでもたどり着いたのか?それとも外洋の中に予期しない岩礁でもあったか?とにかく船体に穴が開き、浸水する危険があった。船長を含め、船員達はあせりの色を隠せず、あわただしく動き出した。


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