藤野林檎 その2




 私は、今、一緒にバンドを組んでいる子の家に居候しているわ。


 やんごとなき事情により実家を追い出されてしまった私を、彼女は快く迎え入れてくれた。

 私はとても感謝していて、毎日の家事はもちろん私がやっているし、生活費も私がアルバイトをしてまかなっているの。

 居候として当然のことだわ。


 今や彼女は傍目には私なしでは生きていけないみたいに映っているかもしれないけれど、彼女が私を更に美しく魅せてくれるような新曲を書き上げてくれるのなら、この程度の労働、対価にしても安すぎるくらいだわ。

 それに、そうして誰かのために身を粉にして働く献身的な私って、とてもいじらしいと思うし。



 そんな彼女は私なんて比較にならないぐらいのアーティストよ。

 私はよくアーティストっぽく見られるとさっきも言ったけれど、彼女の本質を見れば、私がいかにまがいものであるかよくわかるわ。


 私たちのバンドの曲は作詞も作曲もほとんど全て彼女が手がけているけれど、そこには彼女独自の思想というか、破天荒な人生がそのまま反映されているの。

 暴力的で繊細で、目眩がしそうな彼女の世界。それを描き出し、歌い上げる彼女は今多くの若者たちを魅了し、大変な人気を博しているわ。

 もっとも、そこには隣でベースを弾いている私の影響も少なくないでしょうけれどね。


 彼女は語るわ。彼女が音楽をやっている理由は、「何か」をつかむためなのだと。


「こう、なんか、ピンと来るような感じがあんだよ」


「閃くっつーか、降りてくるっつーか」


「あたしの中に広がってる世界の秘密がまたひとつ解明されました的な感覚よ」


 ……? 正直何を言っているのかよくわからないわ。

 ただ、彼女は哲学者が思索の末に新たな概念に辿り着くかのように、彼女の奥底の深淵な場所に秘められたな「何か」を探り出すために、日々歌を作っているの。

 だから、その「何か」を言葉にできた時の彼女はとても満足気。

 生きにくい生き方をしている彼女は、その快感を得るために音楽をやっているのでしょうね。


 でも、それで興味は失われてしまうらしくて、彼女は出来上がった曲に対してはひどく愛着が薄いわ。

 音楽は出来上がって、それを演奏するところからが見せ場だっていうのに。あの子ったら、自分の考えを書きだしたメモ書きぐらいにしか思っていないのよ。

 本当、哲学者だわ。



 あと彼女は、とても気性が荒いわ。

 一度不機嫌になると、そんじょそこらのフィクションの悪役がままごとにしか見えないぐらいには恐ろしい子なの。それで何度も問題を起こしているし、事件になりかけたこともある。


 それというのも、彼女の性質が私と同じで普通の人からすると酷く変わっていて、周囲への反発とかが思想の根底にあるからなの。

 彼女の描く世界観がひどく荒々しい気配を匂わせているのもそういった性質があるからなのね。


 ……あら?私がただの周りが見えていないナルシストだと思った?

 私だって、自分が変わり者だということは自覚しているわ。その上で、自分に酔いしれているだけなのよ。理性的でしょう?


 閑話休題。

 そんな彼女だから、出来上がった自分の作品以上に、聴いてくれているお客さんには興味が薄いわ。


「やめろよアホらしい。あたしの音楽に救われてる? あたしは宗教家か何かかよ」


「気色悪いんだよ。どこの馬の骨かもわからねえヤツ救う義理もねえし、そもそもコイツはそんな大層なモンじゃねんだよ。勝手に価値付けして喜んでんじゃねえぞ」


「有象無象」


 彼女にしてみれば自分の考えを書いただけのものが褒められたところでそこまで嬉しくはないのだろうし、むしろ見当違いなことを言われたり、勝手な意味付けをされて盛り上がられても困るのでしょうね。

 彼女に悩みがあるとすればそんなところでしょう。

 自分の世界に触れられたくないのね。

 それでも発表をしているあたり、口ではこう言いつつも、自分の思想を本当に自分と同じような感性で理解してくれる誰かが現れるのを、あの子はずっと諦めていないのかもしれないわ。


 純粋なものがお好みなの。暴力的でもその奥底は、まるで夢見る少女のようにね。

 本当、難儀な性格だわ。

 でも、アーティストなんて呼ばれる人間は、究極的にはみんなそんなものなのかもしれないわね。




 私の愛すべき同居人である、天才的な彼女の話はこれでおしまい。

 次は誰の話をしようかしら?




 私たちが住むアパートの二つ隣の部屋には私たちと同い年の大学生が住んでいるわ。


 私たちと同じように、彼女もまた彼女の友人たちとバンドを組んでいて、私にとっては良き相談相手なの。


 相談相手に必要なことってわかるかしら?それは適度な距離感よ。

 歳も同じで、やっていることまで一緒な私たちはすぐに仲良くなったわ。一人暮らしの彼女は大学が休みの日にはいつも近くのスーパーまで買い物に行ったり、駅の方までアルバイトに行ったりしているの。

 彼女とおしゃべりしたい時は、私も買い物のタイミングを合わせたりするわ。


 彼女は音楽をやっていてどういう時に喜びを感じるのか、その日私は尋ねたわ。

 そしたら彼女はこう言うの。「誰かと一緒にやれることかな」と。


「今のバンドのみんなと、一緒に曲作ったり歌詞作ったり、一緒に練習したり、ライブやったり……」


「そういう風にしてく中で、みんなが喜んでるところ見てると、わたしも嬉しい」


「一緒に何かするのって、いいよね」


 バンドは一人では成り立たないわ。彼女はその当たり前の事実をとても大切に感じているの。

 彼女にとって音楽は目的ではなく過程で、彼女はその結果繋がり合い、育まれていく絆をこそ求めているのね。


 だから、彼女もまた、音楽という行為や、完成された作品自体にはさほど興味がない人間と言えるのかもしれない。

 作品の完成度、演奏への評価、そうしたもの以上に、仲間たちと共にいる時間、その中にいる自分が大事。


 ……私とは少し違った考え方だわ。でも、その感覚はとても素敵。

 私だって、仲間に信頼されている実感は嬉しいもの。



 なら、彼女の抱く苦しみは?


「わたしが、いらない子になっちゃった時、かな」


 それは、その信頼が失われてしまった時。

 長年の絆だとか苦楽を乗り越えてきた結束だとか、そんな数値化できない結びつきを塗り替えてしまうほどに強力な、「代わり」の誰かが現れてしまった時。


「わたし、そこまで上手くないし、センスだって人並だと思うから。もっと上手くてセンスある人が出てきて、わたしと交代しちゃうようなことになったら、それは……嫌だなぁ」


「それで喜んでるみんなの顔とか想像したら……泣いちゃいそうだよ」


 確かに、合理性だけを考えれば、自分より技術があって、知識が深くて、センスが研ぎ澄まされている……そんな人間のほうが、自分よりも需要があるという話になるわね。

 バンドを繋がり合うためのツールと考えるからこそ、それが万が一途切れてしまう時のことを考えてしまう。

 そして、そういう想像が全くの非現実ではないと感じ取れる危機感。


 ……それは自信がない証拠だと言えるわ。

 良くも悪くも自信に溢れすぎている私なんかは、彼女にこの話を聞くまで、自分の代わりが現れる可能性なんて考えもしなかった。


 それはつまるところ、私と彼女が求めるものの差なのでしょうね。

 彼女が欲するのは、つながりあうために、紡ぎ出される音楽。



 彼女の姿勢はある意味でとても健全で、現代的で、正しい姿なのかもしれないわ。

 私は仲間たちとバンドを組んで、毎日楽しく、それなりの成功を収めているけれど。私のそんな何気ない日々も、彼女からすればとても幸福なものになるのでしょうね。

 知らず知らずに傲慢だったのね。私。




 私の良き相談相手である、健全で友達思いな彼女の話はこれでおしまい。

 次は誰の話をしようかしら?



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