終末の夕暮れ

はな

第1話

 それは凍えるような、ある夏の夜だった。


 7月だっていうのに雪が降ってきたかと思えば、空には幻想的なオーロラが一面に広がっていた。珍しいこともあるもんだなと感動していたら、次の日は馬鹿みたいに熱い朝。


 いよいよ異常気象もここまで来たか。


 汗で全身びしょ濡れになりながらやっとの思いで高校に着くと、朝のホームルームでバーコード頭の担任の教師が突然意味不明なことを言い出した。


「えー、みなさん。もう下校して構いません。明日からも学校に来なくてもいいです。詳しくはテレビを見てください。では皆さん、よい週末を」


 よく分かんないけど、早く帰れるなんてラッキー。再び、汗ダラダラに流しながら家に帰ると母親が真剣な表情をして玄関に立っていた。


「明人! 早く! テレビを見なさい」


 腕を引っ張られて靴を履いたままだって言うのに、リビングに連れて行かれる。痛えな、なんだってんだよ。


『……詳しいことは分かっていません。ただ分かるのは我々に残された時間はあと7日。7日ということです。助かる方法はありません。世界はあと7日で終わります』


 ニュースキャスターが7日、7日ってアホみたいに繰り返しているなっていうのが第一印象。遅れて他の情報がようやく頭の中に入ってきた。


「7日で地球が終わる……?」


「そう。みんな死んじゃうのよ!」



 家には母親と、祖母と俺の3人で暮らしている。婆ちゃんは認知症で今言ったことをすぐ忘れてしまうストレスゼロの超前向き人間だ。


 母親は同じことを何度言ってもすぐ忘れてしまう祖母に腹を立て、喚き立てる日常を送っているストレスマッハのヒステリックババア。


 父親は昔に事故で死んだ。早死にのクソッ垂れジジイ。よく酒を飲んでは俺に暴力を振るっていたからいい気味だ。保険金がおりたので生活には困っていない。


 そんなクソみたいな家に生まれたのが俺。雨夜 明人だ。現在は高校2年で、なんとなく大人になれるような気がして、いっちょ前にピアスなんかあけている。そのお陰か人が寄ってこないので、快適な日々を過ごせている。


【暑さも喉元を過ぎて】


 あんなに暑かった午前中だが、昼になる頃にはすっかり過ごしやすい気温にまで下がっている。まるで、今まで見て来たものが嘘だったかのように。


 大体、世界が終わるなんてバカバカしい。


 気温も下がったし、やることも無いので散歩に出ようと思う。偶然目に入った爺ちゃんの形見の懐中時計をポケットに突っ込む。財布は……いらねえか。


 玄関に向かう途中、リビングの前を通ると婆ちゃんに呼び止められた。


「あっくん。ちょっとおいで」


「なに? 婆ちゃん。これから散歩に行くところなんだけど」


「あっくんって今、中学3年だったよね? 来年から高校?」


 老人特有のカタツムリが這うような遅い喋りで早く喋ろよと急かしたい気持ちになる。


「俺は今高校2年。わかった?」


「ああ、もう高校2年なんだね。そっかそっか。じゃあ、あと1年で卒業だね。卒業したらどうするの?」


「卒業後のことは考えてない。まあ、それまでに生きているなら就職かな」


「そうかい。就職なんて偉いねえ。それで、あっくんって今中学3年生だよね? 来年はどこの高校にいくの?」


 会話がループしている。大体、この質問だって毎日のように同じことを聞かれているのだ。この調子じゃ、地球の終わりなんて言ったって、そんなのすぐ忘れてしまうんだろうな。


「はぁ……急いでいるから、そろそろ行くよ。じゃあね、婆ちゃん」


 こんな婆ちゃんだが、小さい頃は親が仕事のときには俺を面倒見てくれていたタフな婆ちゃんだったんだ。時の流れとは恐ろしいもので、人をここまで変えてしまう。


【凪】


 清々しいほどの青い空だ。こんな平和な空を見ると、何事も無い平和な日常がこれからも続いて行くように見える。


 どのような形で世界が終わるのかは分からなくて、いまいち実感が湧かないんだ。


 元々閑静な住宅街ということもあってか、人の姿は見られない。他の人は地球が終わるということに対してどんな受け止め方をしているのだろうか。母親はテレビのニュースで世界の終わりということを聞くと、顔を真っ青にしてパニック状態に陥っていた。あれが普通の人の反応なのだろうか。だとすれば俺の感性が人よりもずれているってことなんだろう。


 そんなことを考えながら交差点を曲がると、女性用下着を身に着けたおっさんが裸で堂々と歩いていた。


 どうやら本当に世界は終わるらしい。


【天地創造】


 神は7日で世界を創った。


 終わりも7日だと聞くと何か運命的なものを感じてしまう。だが7日っていうのは俺たち一般人が知らされた日にちであり、世界のお偉方はそれよりも前に知っていたのだろう。そのお偉方に尋ねたい。人々がパニックになるのを恐れたのか、一週間になって初めて余命宣告を下された一般人の気持ちが分かるか?


 近所にあるスーパーの前を通った。窓は割られ、スーパー中では怒号が飛び交っている。食料を確保しようとしたのだろうか。一週間何も食べなくても死にはしないっていうのに、争ってまで食料を確保する必要はあるのか疑問に思うところだ。


 危険と知っていながらも、世界の終わりを知った人々の行動が見たいという好奇心には勝てず、スーパーの中に入ってみることにした。スーパーの店員は見当たらない。それもそうか。世界が終わるっていうのに、仕事を好き好んでする変人なんていないだろう。いたらかなりのマゾだ。


「おい、それは俺のだ! よこしやがれ!」


「ふざけんな、邪魔するんじゃねえよ!」


 さて、そんな人々がより激しく争っている場所は酒類の置いてある棚だった。酒に溺れれば嫌な現実からも目を逸らせるもんな、と一人納得する。相手を引っ張り合い、我が物にしようと酒を取り合う光景は大変滑稽なものだった。


 ガシャーン!


 酒瓶が割れる音がスーパー中に響く。音のした方に目をやると男が頭から血を流し、倒れていた。


「うわあああああ!!」


「ぎゃあああああ!」


「おい、やべえぞ……人が……」


 きっと酒の取り合いで頭に血が上った男が、相手の頭に酒瓶を叩きつけたんだろう。あーあ、この血の量じゃもう助からねーよ。


「おい、誰か、警察呼べ! 救急車も!」


「馬鹿か、世界が終わるんだぞ! そんなのやってるわけないだろ!」


 そう、世界が終わるんだ。だからこそ、簡単に人を殺すことが出来る。警察も仕事をしなければ、救急車を呼んでも来ることは無い。これからは自分自身で身を守っていくしかないってわけだ。


 巻き込まれるのは御免なので、近くに置いてあったサンドイッチと地面に転がっていた缶コーヒーを手に取り、早々とスーパーから立ち去ることにした。


【ホッブズの云う自然状態】


 サンドイッチを頬張りながら目的地も無く歩き続けていた。飲み干した缶コーヒーの缶はそこらへんに投げ捨てる。世界が終わるときには、きっとゴミも人間と一緒に浄化してくれるだろう。


 遠くへ行こうにも電車は動いていないし、バスもタクシーだってやってない。もう金なんてただの紙切れと金属の塊だ。欲しいものは略奪すればいいし、邪魔をする者がいれば殺せばいい。そしてそれを裁くものはいない。最高に自由な世界がここにあるんだ。


【行く場所はいつも決まって】


 学生の悲しき習性かな、気が付いたら通っている高校の前に立っていた。鍵は掛かっていない。今更泥棒対策なんてしたところでどうしようもないもんな。


 意外なことに、学校には生徒が多く残っていた。空き教室で友達と話す者、一人で椅子に座り本を読む者、机に突っ伏して泣いている者。人それぞれの終末の過ごし方があった。


「ん?」


 やけに通った声が聞こえる。何をやっているのか疑問に思った俺は、その声のする方に近づいていく。どうやらこの教室から声がしているようだ。そうっと覗いてみる。


「……それでも、メロスは諦めなかったから友人のセリヌンティウスを助けることが出来たのです」


 驚いた。世界が終わるってのに、授業をやっている馬鹿みたいに熱心な先生がいるとはね。そしてその授業を真面目に聞いている生徒もいるなんて、頭にクソでも詰まっているんじゃないか?


 ――あの先生。たしか今年から新しく入った現代文の若い女性教諭だ。確か名前は真弓だったっけ。


「あら? そこで覗いている君も授業を受けたいのかな?」


 あまりにもじっくりと見つめていたのか、先生が気付いて声を掛けてきた。


 やべ、バレちまった。授業を受けている生徒もこちらを見る。どいつもこいつもガリ勉そうな顔してやがる。こんなやつと混ざって授業を受けるなんて御免だな。


 俺は返事もしないで立ち去ることにした。


【空に一番近い場所】


 屋上が空いているなんて珍しい。アニメや、青春映画かなんかだと屋上は普通に開放されてあるけど、現実ではそんなことはあり得ない。


「世界が終わるっていうのに、やることも無いなんてな……」


 柵に寄りかかりながら、センチな溜息を吐く。学校の屋上からは街の景色が一望出来る。多分、ここらへんでは一番高い建物なんじゃないかな。学校のグラウンドに目をやると、なにやら一生懸命ランニングしている女子生徒の姿があった。


「こんなときまで走って馬鹿みたい」


 体を鍛えたって7日後には死ぬんだ。そんな無駄なことして疲れるよりも、大好きな彼氏と過ごすとか、もっと有意義な過ごし方があるだろうにね。


「ふあーあ……」


 眠い。こんなことをしている俺が有意義な過ごし方をしているかと聞かれたら、そんなことは無いのだが。


 屋上で仰向けになる。風が吹いているわけじゃないのに、雲が流れるように動いている。それを見つめているうちに意識が途絶えていくのを感じていった。


【それでもチャイムは鳴り続ける】


 キーンコーンカーンコーン。


 間抜けなチャイムの音で目を覚ます。空は綺麗な茜色。夕方か、結構眠ってしまったみたいだな。


 ポケットから懐中時計を取り出して時刻を確認する。


 5:30


 家に帰るか悩んだけど、認知症の婆ちゃんとヒステリックに喚く母親を想像すると帰るのも億劫になってくる。暗くなるまでまた散歩をして過ごそう。そう思ってなんとなく上を見上げると、給水タンクの上に人影が見えた。


【邂逅】


 制服を着ている。女子生徒だ。


「しかし、どうしてあんな高いところにいるんだ?」


 まさか世界が終わることに絶望して自殺でもするつもりなんだろうか。仮にそうだとしても、俺たちはどっちみち死ぬことになるのだからそれを止めたところで早いか遅いかの違いだ。少女は立ち上がりじりじりと給水タンクの端に近づく。


 止める気はない。でも、なんとなく彼女に話しかけた方が良いような、そんな気がした。


 給水タンクのはしごに手をかける。俺が来たことに驚いて飛び降りたとしてもそれはそれで仕方がない。それが運命だったと諦めがつく。


【5:31】


「何しているんだ?」


 少女がゆっくりと振り返ってこちらを見る。澄んだ目をした、整った顔立ちの少女だった。彼女は驚く様子もなく、静かに口を開いた。


「なんだか……引き寄せられるような気がして」


 彼女はこれ以上歩くのは止め、街を見下ろすようにその場に座り込む。とりあえず飛び降りるのは諦めたようだった。心のどこかでほっとする自分と、何も起こらず残念に思う自分がいた。微妙な空気が流れる。話しかけるという目的は達成してしまったので、沈黙だけが俺と彼女の空間に流れていた。


【止まった時間】


「あなたはこの町が好き?」


 唐突に少女がそんなことを聞いてきた。


「そんなの考えたこともねえよ」


 屋上から町を見下ろしてもなんの特徴もないような建物が赤く染まっているだけだ。特別嫌な思い出も無ければ、良い思い出も無い。だからそう答えるしかなかった。


「私はこの町が嫌いかな」


「そうか」


 好きか嫌いかなんて人それぞれだ。嫌いという事は何かしら嫌な思い出とかあるんだろう。それを通りすがりの俺が聞くなんて出すぎた真似、そう思ってやめておいた。俺と彼女はこの屋上で出会った、それだけなんだ。


「さよなら」


【さよなら】


 公園のブランコに揺られて時間を潰していたのだが、空は相変わらず夕暮れの色を保ったままだ。どうもおかしい。夕暮れっていうのは最も短い時間帯なんだ。少し時間が経っただけで空の色は瞬く間に変わってしまう。だからこそ人はそれを見て美しいものだと思い、感傷的になるのだろう。


 再びポケットから懐中時計を出して確認する。


 7:34


 いくら日の長い夏だからって、この時間まで明るいのはあり得ない。時計が壊れちまったのかと思い、公園に時計が無いか辺りを見回してみる。すぐ見つかった。やはり懐中時計と同じ時間を指している。


「世界が終わるんだ。何が起きたって不思議じゃねえか」


【永遠の黄昏時】


 公園に居るのも飽きたので、今度はどこにも寄り道をせず家に帰ることにした。茜色に染まる町。あの少女は今も屋上で見下ろしているのだろうか。


【誰とも会わない帰り道】


「ただいま」


 家に帰ると、母親のヒステリックな喚き声が響いていた。おかえりの声は返ってこない。


「……さっきも言ったばかりでしょう! どうしてすぐに忘れてしまうの!?」


 そんなことを言っても認知症なんだから仕方ないだろうに。老人ホームでもなんでも入れてしまえばそう腹を立てることはないのに、母親はそれを拒否していた。親父が死んだときに保険がおりて金銭的には問題は無いはずなのだが、どうしても自分で面倒を見ると言って聞かないのだ。それで怒鳴るのは勘弁してほしい。


 そういえば老人ホームにいる老人たちはどうなっているのだろう。介護士に見捨てられてしまったのか。そう思うと少しだけ気の毒に思えてくる。それよりも病院に入院している患者の方が大変か。まあ、学校の真弓先生みたいに世界が滅ぶって分かっていても使命を全うする人もいるかもしれないな。


 まあ、そんなのどうでもいいや。誰がどこで野垂れ死んでいようが、7日後にはみんな死ぬのだから。

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