第37話 お酒は宝具になってから

「――もしも」

 口から小さなつぶやきが漏れる。

「もう一つだけ、永遠の命を手に入れる方法があるとしたら」

 彼の足はピタリと止まり、次の一歩を踏み出そうとして傾いた上体はそのままこちらに向き直る。

「それは、何かを失うことで得られるものか」

「何も失わない」

「それは、誰かを犠牲にして得られるものか」

「誰も失わない」

「ならば問う。何も失うこと無く、誰も犠牲にすること無く得られるという我が願い、永遠の命を望む方法とは!」

 言葉尻は強く、彼は神妙な面持ちでわたしに歩み寄りながら、一語一語に呼吸を整え、それでも声を荒げながら言葉を続ける。

 近づくたびに気圧され後ずさってしまう。額から汗が流れ、頬を伝って地面に落ちる。その音すら聞こえてくるほどに今は感覚が研ぎ澄まされている。

 マナちゃんは無言のままその場にしゃがみこんでいる。行く末を見守ってくれているようだ。こういうときに空気が読める子は素晴らしい。

「とても簡単なことだ、英雄王よ。お前はお前の行為を記録し、後世までその名声を伝え聞かせよ。お前の名を轟かせよ。その功績は未来永劫まで語り継がれるだろう。それはお前がこの世に生きた証であり、遠い未来に誰もお前を見たことがない世界でもお前の名は誰もが知るところとなっていることだろう。ありとあらゆる時代にお前は存在して、物語の中でお前は永遠に生き続けるだろう」

「それは、……我の望む結果となりうるのか。我とて絶対神ではないことは百も承知。永遠の命を手に入れたとして、いつかこの世界は我を知らぬ存在で溢れ、別の支配者が現れ、我のことなど忘れられて存在になってしまうのだろう。それは、孤独の世界に一人立ち続けることと何の違いがあるだろうか。永遠の命が真に望むところは永遠の支配ではない……永劫の名誉である。その高名は、遥か悠き未来まで我を英雄王たらしめるものなのか?」

「物語は永遠に。その名は永久に。姿かたちを変えようとも尚、語り継がれていくものだ」

 こうやって今、ギルガメッシュその人と対峙しているように。

 本当は不死なる命などに価値はない、彼はそのことを知っている。

 あまりに賢く、あまりに強く、そしてあまりに若くしてこの世界の覇者となってしまった男は世界に殺されることも知っているのだ。彼の功績など連綿と続く歴史の中ではほんの一欠片の砂粒にも満たない。

 だが、それは文字によって、伝承によって、形式や方法は変わっても未来へと受け継がれることによって、抜山蓋世の雄としてその名を轟かせるだろう。

 わたしは知っている。

「はは、ははは、ハハハハハ! いや実に面白い! それこそ我が望み! お前はその願いを叶えてくれた! お前も面白い男だ。俄然興味が湧いた。もう一つ、教えてほしい」

 少しくだけた様子で彼は語りかけてくる。

 英雄王に認められた男、という称号でもいただけたのだろうか。

「世界を飲み込む大洪水を生き延びるための方舟を作るとなれば、お前一人の力ではないだろう。それだけの多くの民を統率して素早く舟を完成させた手腕、その秘技は如何に?」

「え? えっと……その……」

 しまった、そんなことを聞かれるとは予想外だった。

 秘密なんてないさ、おばけなんてうそさと軽々しく言える雰囲気ではない。

 そんなおふざけの時間はすでに過ぎ去ってしまった。

 腕まくりをして考えるふりをしていると、袖の奥に何かが当たる感触があった。

 そういえば荷物はそのまま持ってきていたのだ。

 となると、ノアからもらったアレもまだ持ってきているはず……!

「あった! これだ!」

 わたしは勢いよく袖の下からひょうたん型の小さな入れ物を取り出した。

 それにはノアから受け取ったぶどう酒が入っている。

「それは?」

「労働の報酬として酒を振る舞った」

 訝しんでいるギルガメッシュにそれを手渡す。

 不思議そうに蓋を開け、中の匂いをかぐ。目が見開き、再びゆっくりとその香りと鼻いっぱいに吸い込む。斜めにして指先に液体を少しだけこぼし、舌先で慎重に舐め取る。

「う、美味い!」

 遠方でしゃがんだままのマナちゃんが魔女の格好で「てーれってれー」と小さくつぶやいたような気がするが気のせいだ。そんな声は聞こえなかったし魔女の格好もしていない。これは幻聴と幻覚だ。

「なんという美味い飲み物だ。これなら誰であろうと喜んで勤労に励むであろう。もしかすると我さえもこれ欲しさに労働に勤しむやもしれぬ。なんという秘薬だ……。これが永遠の命の元となる薬、などという都合の良い話ではあるまいな」

 流石にそんなうまい話はない。そう言ってほしそうにすら思えるほどわかりやすい反応をする。

 危なかった。ノアから受け取ったぶどう酒がこんな形で役に立つとは。

 ギルガメッシュはどこからともなく盃のようなものを二つ取り出し、それにぶどう酒を注いでいく。

「このようなものを一人で飲むのも勿体無い。ともに祝杯を上げようではないか」

 そう言ってわたしに片方を持たせ、乾杯して一気に飲み干す。促されるようにわたしも同じく一気に飲み干す。ちょっとアルコール成分が強いぞこれ。すぐに酔いが回りそうだ……。

「我の知りうる酒にはこのような美味なるものは存在しなかった。この色、味、気に入った。この酒を浴びるほど呑めるような世界になるまで我は生き続けねばなるまいな。やはり最後は旨い食い物と旨い酒だ。これさえあれば世界の終焉さえも良い酒のツマミに過ぎん。我が支配したこの世界をその崩壊まで見届ける、それこそ我の義務と言っても過言ではない。ははは、はははははは!」

 その笑い声は地の果てまで届きそうなほど大きく響き渡った。

 つられて笑みが溢れる。

 あ、ちょっと気持ちよくなってきた。

「こんな美味い酒を飲める民はなんと幸せなことか。この酒をもたらしたものに褒美をやりたいくらいだ。一体誰がこれを作り出した?」

 その言葉に、わたしは当惑した。

 その答えを言いたくても言えなかったからではない。

 ここでティンカーを取り除いたその瞬間に。

 その答えが消えてなくなってしまうことを思い出してしまったからである。

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