第36話 古の王

「おお、その姿こそ間違いない。待ちわびたぞウトナピシュティムよ!」

 何事もなかったかのようにギルガメッシュは言葉を続ける。うーん、これは演技派。スーパースターから勇者も夢じゃない。

「え、ええっと……」

 どう続けようか。やり取りの内容はある程度把握しているのだけれど、演技は苦手なのだ。

「こーゆーのは遠慮して恥ずかしがってちゃ逆にサムくなるッス! 中学時代の英語の発音をバカにされるトラウマは忘れて思いっきりやってやるッス!」

「いや、そんなトラウマはない」

 トマトをトゥメイトゥーと発音する流れでタマゴをトゥメイゴーと発音してしまった経験など、ない。ないのだ。

「コホン」

 わたしは小さく咳払いする。

 眼前に向かうは古き神話の王である。

 それは訪れた神話の中で最も古く、最も世界を征服した王であり、神と人間の子であるが、神に近い信仰を生み出した存在である。実在しない神より実存する人間の方が畏敬の念を持ってより多くの信仰を集めたのであろう。

 そんな存在と、対等に渡り合わねばならぬのだ。

「お前に秘事を明かそう。そして、神々の秘密をお前に話そう」

 仰々しく、そして堂々と立ち振る舞う。

「ここはかつてのシュルッパク。それはお前も知っている町の名だ。ここには神々が住んでいた。彼らは人間を絶滅させるために大洪水を起こしたのだ。そして、わたしだけが生き残った」

「シショーが本物の預言者に見えてきたッス」

 マナちゃんのささやきに少し自信が湧いてくる。

 そのまま言葉を続ける。

「神は云った。『家を壊し、舟を作れ。全ての生き物のつがいを舟に運び込め。造るべきその舟は、神の定めるところとする』と。その寸法は――」

 ここでわたしは神の啓示であるが如く、大洪水から生き延びた術として方舟のことを述べる。ギルガメッシュ叙事詩には寸法などは大まかにしか記述されていない。ノアの方舟のように正確な大きさを述べることももちろん可能だが、それはわたしの役割じゃない。

 ここで大切なのは、いかにしてわたしが生き延びたかを騙る、いや語ることなのだ。

「――そして風と嵐の神エンリルが引き起こした大暴風と大洪水により、世界は滅んだ。生き延びたわたしは神々の助言により人間から神の一員となり、不死の力を賜った。これがわたしが永遠の命を持つ所以である。そして、お前にはそれを与えられない」

 感心しながらマナちゃんが指先だけで小さく柏手を打つ。

 成し遂げたぜ。

 わたしの言葉を深く理解するために彼は大きく頷き、そして唸った。

「我の望む答えではなかった。しかし、そのような貴重な話に大変感銘を受けた」

 右足を動かし、彼はそのまま立ち去ろうとする。

 あまりにも拍子抜けする展開に、思わず声が出てしまう。

「そ、それだけ?」

 その言葉に立ち止まり、再びこちらを一瞥する。その鋭い眼差しは何の感情もなくともこちらを震え上がらせるほどの眼光を持っていた。

 一、二歩近づきながらギルガメッシュは声を上げる。

「世界の終焉と引き換えの永遠の命など、何の価値が有るだろうか。これまで手に入れた広大な領地と民を、地位を、名誉を、全てを投げ出して得ることなど我は望んでいない」

 その言葉に驚いた。

 わたしはギルガメッシュという男は王としての地位を誇りに思い、民のことなど気にもかけないようなもっと乱暴な人物だと思っていた。名君というよりも暴君であり、そもそも一般人からすれば住む世界の違う、天上人でありまさしく神様のような存在だと思っていた。

 そんな男が簡単に引き下がるのも不思議だったし、まるで想像していたイメージと違うのだ。もっと話を聞いてみたい。そんな風に思ってしまった。

 本来ならばここで物語は終わりである。

 彼に『ウトナピシュティム』が永遠の命を得た理由を伝えてしまえば彼は諦め、次なる手段を探そうと再び旅に出る。

 そして物語に発生した『ティンカー』が取り除かれる瞬間でもあり、以後の物語は正しく機能するのだろう。ギルガメッシュ叙事詩を参考にして作られる数多の洪水神話も、これにて物語は正常化され、『リオルガー』としての役割を全うしたことになる。

 めでたし。

 めでたしと。

 終わりを迎える。

 それで、良かったはずなのに。

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