第30話 ハイスコアボーイ

 セムの家に入り大広間のような空間で輪になるように座り込み、ノアの言葉を待つ。

「さて、諸君。どうして俺が突然居なくなったのか、さっきまで何をしていたのか。不思議に思っただろう」

「逃げたのかと思ったッス」

 マナちゃんの言葉で反射的にこちらをキッと睨みつける。

 ごめんなさいね、ちょっと黙らせますんで。

「昨晩食事をするまでは何事もなかったよな。その後に何かあったのか」

「うむ……。その話をする前に一つ。予言について何も思い出せないということを言っていたが、実は一つだけ覚えていた予言があったのだ」

「なんだよ、それ」

「六百歳を迎えた年の第二の月、十七日。その日に何かが起こる。それまではただ静かに、その時が来るまで待て、と。そんな内容だった」

「は? ちょっと待てよ、十七日って今日じゃねぇか!」

「その何かっていうのは、さっきの巨人のことだというのか!?」

「あながち間違いではないのだが、この予言の内容と今日の出来事は無関係だ。今日の巨人みたいな奴が現れたのは恐らく失われた予言の方で語られていた内容だろう。俺が覚えていた方の予言で起こるとされていたこととは何か。それを今から語ろう」

「ゴクリ……」

「俺は昨日の夜、食事の後に今日に備えて身辺整理、というと大げさだが、まあちょっと気持ちを新たにしようと身の回りの片付けを始めた」

「テスト勉強する前に掃除したくなっちゃうのと同じッスね」

「同じなのかなぁ……?」

「その時、貰いすぎた大量の果実を適当な陶器に入れていたのを思い出した。すでに時間が経ち、当然腐っている。もう食べられないし、捨ててしまおうと考えた。しかしだ、その器からは今まで嗅いだこともない芳醇で甘くかぐわしい匂いがしてくるではないか。俺は思わず、その果汁を舐めた」

「ええっ!? 大丈夫なんですか」

「おいおい父者、気でも狂ったか!?」

「まあ待て、話を聞け。それはまったく腐ってなどいなかったのだ。いや、もちろん果実は食べられたもんじゃないが、その凝縮された果汁は今まで口にしたこともない衝撃的な味がした。こうなると手が止められぬ。もう一舐め、さらにもう一口と口にして、その濃厚な味わいに夢中になっていた」

「そんなことあり得るんスか?」

「うん、多分発酵したんじゃないかな」

「どれほどの量を飲んだのかは覚えていないが、いつの間にか体が熱くなるのを感じた。燃え盛る炎に包まれているように体が熱い。火照った体を冷ますため外に出た。夜風に当たろうと歩いて気がつけばいつもの丘まで歩いていた。その後不思議な感覚に襲われて……気づいたとき俺は……俺は……」

「魔王ムドーになってたんスね! で~でっでっで~っ!」

 おいおい、口で音楽流してまで再現するんじゃない。

「な、なんだそいつは! まさかあの巨人の正体か!?」

「いえ、全然関係ないんで気にせず話を続けて結構です」

「……ねえ、つまりノアパパは怪しい発酵果汁を飲んで気分が高揚して、そのまま意識を失ってぶっ倒れたってこと?」

「そのとーり!」

「ダメ親父じゃん」

「ぐはぁ!」

「いやいや当然の評価でしょ」

 息子達から散々な評価である。まあ自業自得だ。

「しかしだ! つまり予言の内容はこのことを示していたのだ。第二の月、十七日。その日に何かが起こる。それまではただ静かに、その時が来るまで待て、というのはこの飲み物を示唆していたのだ!」

「そんなこじつけみたいなこと……」

 わたし達はノア一家があれこれと言い合っているのを一歩離れて見守っていた。

「なるほどね。これがぶどう酒の起源なんだ」

「どういうことッスか?」

「この時代にぶどう酒が発明され、人々に振る舞われたと言われているんだ。そして旧約聖書によると、ぶどう酒を最初に作ったのはノアとされている」

「じゃああの果実はぶどうだったんスね。ノアちゃん実はやり手ッスね」

「一応人類の始祖だからね……ただぶどう酒は旧約聖書で初めて登場したわけではなくて、もっと昔から――あ、」

「?」

「ノアの方舟神話にはその元になった物語が存在するんだ。つまり『ティンカー』はその大元で起きているということだ。もしもノアの言葉通りならばね。でもきっとそうだ」

「? え? イマイチ理解できないッス。この時代よりも昔に洪水が起きて、ノアちゃんみたいな人が居たってことッスか?」

「時代のことじゃなくってね。この紀元前三千年頃に起きた大洪水、これを扱う物語がいくつかあって、ノアの方舟神話もその中の一つだ。そして旧約聖書は紀元前五世紀頃に編纂されたとされているが、この旧約聖書よりもさらに昔にこの洪水について記述された文書があるはずなんだ。その物語こそがティンカーの発生源に違いない」

「うーん、わかったようなそうでもないような……マナちゃんには難しいッスけど、シショーにはティンカーの見当がついたってことッスね」

「まあそんな理解でいいよ。とりあえず、この物語から抜け出して書斎に戻ろう。早く帰って調べなくちゃ」

 わたし達の会話を聞こえていたのか、ノアがこちらを向き近づいてくる。

「なぁお前達、次に為すべきことが見つかったようだな」

「あ、ああ」

「あれこれと詮索するつもりはない。変わった旅人が現れてこの世界を救ってくれたんだと解釈しておくよ。本当なら大洪水が起きて世界が飲み込まれていたんだろう。お前達は数多くの命を救ってくれた英雄だ」

 その言葉は素直に受け取れなかった。

 本当なら、とノアは言う。

 その通りで。

 物語を正すために。

 大洪水を引き起こす。

 これから為すこととはそういうことなのだ。

「これは餞別だ、持っていけ」

 そう言ってこちらにひょうたん型の容器を放り投げる。

「さっき話していた果汁を詰めたものだ。それが何かの役に立つかもしれんし、ただの美味い飲み物として飲むなり好きにしてくれ」

「おいおい父者、意識を失うような危険なモノを渡すなんてどうかしているぞ」

「それでこの娘を酔わせて自由を奪って……なんてこともアリね!」

 誰がするかそんなこと。

「マナちゃん的には有りッス!」

「無いから!」

 ここは流石に明確に否定しておくぞ。

 どこぞのコーハイと同じようなことを言うんじゃない。

「まーいつでもアタシらは大歓迎だから、気が向いたらたまには顔を見せなさいよ」

「じゃあまた来るッスね」

「……」

 咄嗟に言葉が出ない。

 黙っているわたしを不思議そうに見る彼らに対して、曖昧な作り笑顔とぎこちない頷きで応えるのが精一杯だった。

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