第09話 奥様は林檎魔

「え、お父様……ノア様に会いに行かれるのですか? それでしたら向こうに見える村の先にある小高い丘、あそこにいると思いますよ」

「なるほど、あの丘だな。教えてくれてありがとう。助かったよ」

「いえ、ただ最近のノア様はご様子がおかしいのです……。悩んでいるというか、自分のなすべきことについて迷っているというか……」

「だいじょーぶッス。そんなノアちゃんのお悩みなんて、シショーが全部全てスリッとまるっとゴリッとお見通しッス! シショーに任せておけば無問題ッス」

「ふふ、頼りにしてますね。あ、そうだ。ついでにもう一つ、お願いしてもいいですか?」

「なんスか? 超常現象以外ならどんと来いッス!」

 その口調で超常現象は駄目なのか……。

「あの村に苗を届けてほしいんです。様々な植物をかけ合わせたり、接ぎ木したりして新たな品種を作っているのですが、最近は村まで届ける暇がなくて……。今回はようやく納得のいくモノができたので、早く届けてあげたくって」

「なぁんだ、そんなことならお茶の子さいさいッスよ。方舟に、いや大船に乗ったつもりで任せるッス」

「良かった、ありがとうございます。取ってきますから、ちょっと待っててくださいね」

 そう言ってウーウァは駆けていった。

 途中、二回ほど転んでいた。畑のぬかるむ道を急いで走るとこうなるんだという好例だ。

 ウーウァの居ないうちに、今後のことについて話し合う。

「まだこんな場所が残ってるってことは、おそらく洪水が起こる前の世界だろう。早くノアに会って『ティンカー』の正体を突き止めなくちゃな」

「そもそもティンカーって、どんなことが考えられるんスかね?」

「そうだなぁ、もしかしたらノアが不在の物語ってことも考えられたけど、そうでもなさそうだし。そもそも差し止め判が押されたってのは、物語が本来の物語とは違う状態になっているってだけだから、その原因も多岐にわたるし結果生じる問題はそれよりも多くなるだろうし……正直、何が正しくて何か間違っているのかもまだ手探り状態だな」

「そーなんスねー。お話なんて、語り手によって細かい部分なんて変わったりしちゃうもんなスから、結末が同じなら何でも良いような気がするッスけどね」

「確かに、そんなに難しく考える必要はないのかもしれないけどね」

 そんなことを離しているうちに、ウーウァが植物のツルで編んだカゴのようなものと、紐で吊るされたひょうたんのような入れ物をいくつか持ってきた。流石に先程の反省を活かしたのか慎重に、かつゆっくりと運んできたので転びはしなかった。

「この小さなひょうたんには苗木が入っています。そしてこちらのカゴがこの樹から採れた果実です」

 カゴの中には親指ほどの大きさの小ぶりで赤黒く色艶の良い木の実がいくつも入っていた。

「おおー、美味しそうッス」

「これはちょっとした自信作です」

「食べてみてもいいッスか?」

「ええ、どうぞ。皮は食べられないから注意してください。あと、種もありますからね」

「いただきまーッス。……ゴリッ」

 小石を噛んだような鈍い音が響く。

「……ゴリッゴリッ」

「ええっ!? 普通に種ごと食べてません?」

「種どころか皮ごと噛んでるね」

「……これは美味いッス! でも皮と種は余分ッスね」

「だからそう言ってるじゃないですかっ」

「でも不思議な味ッスね。甘いけれどちょっと酸っぱくて、種だか皮だかがちょっと苦い感じッス。水分も多くて食べやすいッス。調子に乗って食べ過ぎちゃいそうな勢いッスね」

「どれどれ……ホントだ、甘酸っぱくて瑞々しい……皮と種だけを上手く抜き取って、まわりの果肉を食べれば……うん、美味しい。逆にこの皮と種を抜き取る手間が食べ過ぎを防ぐというか、一気に口の中で頬張ろうとはしな――マナちゃん、そんなフラグを回収しなくていいから」

「もがが、もがっ」

「……えっと、お褒めにあずかり光栄です。これ、林檎よりもっと美味しいモノが出来ないかと試行錯誤の末に生まれた果実ですから、林檎の良い部分をギュッと凝縮しました」

「へー、どうやって作ったの?」

「まず与える水分を極限まで減らします。太い一本の幹を作るのではなく、細い幹を蔦のように伸ばしていって木の枝の高さを低いまま育てます。収穫の際にも簡単に手が届くほうが楽ですから。さらに余分な枝は選定して、わざと傷をつけて新芽がそれ以上伸びないようにしたりするんです。カラカラに木を弱らせることで、樹は生きようと必死になり、果実も栄養が詰まってより美味しくなるんです。それらの種子をさらにかけ合わせたりして――」

「……さらっと恐ろしいことを嬉々として語ってるッスね。樹のことだけに」

「マナちゃんの発言がいちいちオヤジ臭いのも気になるところだけどね」

 ウーウァは目を輝かせながら独自の育成論について語りだす。ただ、内容は結構ハードなもので、いわゆる品種改良を行う上では普通のことかもしれないが、見た目可愛らしい小さな女の子が語るような内容ではない。

 そして、非常に長い。

「――そして、作られたのがこの実なんです! まだ名前とかは全然考えてないんですけどね。もちろん、他の皆さんにも食べていただき、認められてからじゃないと名前をつけても意味ありませんから、村の方々にも分けてあげてください」

「なるほどね、わかったよ」

 わたしはカゴに手を伸ばすマナちゃんの手を払い除け、代わりに苗の入ったひょうたんを手渡す。カゴは取っ手のような部分がついており、片手でも持てそうだが中身が潰れては困るので両手でしっかりと抱える。

「村の西側に井戸のある住居があります。そこに住んでいる二人は私のことを伝えてもらえれば、あとは二人がうまくやってくれると思います」

「りょーかいッス! それじゃあ今度こそ行ってくるッス」

「ありがとう。それじゃあ村に寄って、それからノアに会いに行くよ」

「ノアちゃんってどんな美少女ッスかねー。ああ、年齢的に美魔女ッスかねー」

「いや男だから。旧約聖書に書かれていた年齢は確か六百歳くらいだから、既に仙人みたいな出で立ちかもね」

 ノアの姿について二人であれこれと話しながらその場を後にする。

「ああ、えっと、ノア様は……いえ、なんでもないです。お気をつけて……」

 ウーウァの声がかすかに聞こえた気がしたが、それは風に舞ってかき消され、わたし達の耳には届かなかった。


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