第十七話 厚顔

 囲碁クラブが終わるのは九時。まだ三時間もある。


(そうだ、木のビルで食事をしてこよう)


 あの建物の一階にお洒落なイタリアンレストランがあることを思い出した。

 駅まで戻って高架を渡り、北口へと移動する。

 こちら側は比較的新しい建物が多く、有名な居酒屋チェーン店やファミレスもある。それらを横目に五分ほど歩くと印象的な外観を持つ「木のビル」が見えてきた。

 この前に来たときと違って、ライトアップされた夜のファサード建物の正面デザインも素敵だ。


 運が良かったのか満席ではなさそうだ。店に入り、予約をしていない旨を告げると窓際の席へ案内された。

 内装はモノトーンで統一していてシャープな印象を受ける。


(やっぱり、ちょっと高級なんだな)


 店内の雰囲気からも薄々は感じていたけれど、メニューの値段を見てちょっと背筋が伸びた。でもたまにはいいだろう。この空間を眺めているだけでも楽しいし。


「ウニのタリオリーニをディナーセットで」


 高級そうな料理が並ぶ中でもお手頃なパスタのセットを選んだ。

 細目の平打ち麺にトマトとバターを使ったウニのクリームソースが絡めてある。

 濃厚で甘みを感じるウニのソースがとても美味しい。セットのバゲットですくって食べれば、思わず笑みがこぼれる。


 ちょっと贅沢をしてしまったけれど、僕がいま置かれている状況をほんのひと時だけでも忘れさせてくれた。この店に来てよかった。

 食後のコーヒーを飲みながらぼんやりと外を眺めていたら、とんでもないものが目に飛び込んできた。


「えっ! 嘘だろ……」


 思わず独りごちた僕の視線の先には、佐々部長の姿があった。

 そして、その後ろには――小島さんがいる。

 二人はこの店へ入ってきた。


(ヤバイ)


 気付かれないように顔を伏せる。

 私服の僕を気に留めることもなく、二人は奥のテーブルへと案内されていった。

 それにしても……。

 なんでここに? というか、なんであの二人が?

 部長がちょっかいを出しているのは聞いていたけれど、彼女は断っていたんじゃなかったのか。実は裏でこっそりと、それとも根負けしてなのか。よく分からない。

 分かるのは、女性は怖いということだけ。


 僕の席からは二人が見えないけれど、気づかれないうちに店を出た。

 まだ八時を過ぎたばかり。

 駅前のドーナツ屋さんでドーナツとコーヒーを買って時間をつぶすことにした。


 もう一度南口へ戻り、商店街を通る。囲碁教室の明かりはついているけれど、この時間帯には七、八割の店がすでに閉まっていた。人通りもほとんどない。たまに後ろから自転車が追い越していく。

 鳥居に着いたのが九時十分前、外灯は薄暗く足元まで届かない。

 石段に沿って所どころに足元灯がついている。それを頼りに上っていった。

 うっそうと生い茂った木々のせいか、境内は更に暗く感じる。ぼんやりと石畳はわかるものの、誰かがやってきたとしてもすれ違うまで人相も分からないだろう。


(いまここでお爺さんと遭遇してしまうのはまずいんじゃないかな)


 またお参りしているふりをして臼井が通るのを確認しようと思っていたけれど、こんなに人が通らないのでは僕のことを印象付けてしまうかもしれない。

 急に不安になった。


(この時間の雰囲気は分かったし、帰ろう)


 ちょうど九時だ。早くしないとお爺さんがやってきてしまう。

 滑らないように気をつけて手摺に手を添えながら急いで石段を下りていく。

 駅に向かって歩いていると、ちょうど商店街に差し掛かったあたりで向こうから歩いてくる背の高い老人の姿が見えた。臼井だ。

 お爺さんの顔を見ないように少し視線を落としたまま歩いていく。

 すれ違う時には鼓動が早くなった。

 ちらっと横を見ると向こうはまったく気にしていない。

 そりゃそうだよなと思いつつ、大きく深呼吸をした。


 佐々部長たちを見かけてからまだ一時間ちょっとしか経っていない。きっとあの店で食事を続けているだろうけれど、注意しながら駅のホームへ進んだ。

 電車に乗り込みシートに腰を下ろすと、どっと疲れが押し寄せてきた。



 ミキと約束をした日。

 残業を終え、電車を降りたのは八時半を過ぎていた。

 食事もしていなかったのでコンビニへ寄って野沢菜明太おにぎりとお茶を買う。ズンさんは今日も笑顔で、ふじみ台で会ったことには何も触れてこなかった。

 急いでネットカフェへ向かう。

 階段を上って扉を開けると、電子音と共に聞こえてきた「いらっしゃいませ」の声。

 珍しい。店長さんがヘッドホンをしていない。


「どうしたんですか?」

「たまにはお客様をお迎えしないと」


 それ、たまにじゃなくていつもすべきことなのでは。


「はい。今日は八番です」


 ブースに入るとすぐにパソコンを立ち上げた。

 九時に約束していたので、ミキはもう来ているかもしれない。

 リクライニングチェアに座ってサイトにアクセスし、チャットルームの一覧を見る。


(あった!)


 部屋主の名前は「ミキ」、タイトルは「話の続き」になっている。

 そこへ入室して、念のため声を掛ける。


「こんばんは。カオルです」

『お疲れさま。今夜は私の方が早かったね』

「待った?」

『ううん。五分くらい前に来たところ』


 よかった。他人を待たせるのは昔から嫌いなんだ。


「おとといの水曜にお爺さんを確認してきたよ。囲碁教室には行きも帰りも、あの神社を通っていくんだね」

『私も部長さんのチェックしてきた。あれで四十歳くらいなんでしょ。ちょっと老けて見えるね』


 ミキも早速、佐々部長のことを確認してくれたらしい。


「そう。意地の悪さが顔に出てるんだよ。ほかに何か分かった?」

『あの部長さん、インスタやってたよ』

「えっ、マジで」


 そんなこと会社で一言も言ってないけど。意外だ。


『裏アカだね、あれは。綺麗なオネーサンと映ってる写真が多いから』

「よくそんなの見つけたね」

『実はね、元々プログラミングの仕事がしたくて勉強してたの。今でもそこそこの腕はあるからね』

「まさか、ハッカー!?」


 先週、藤崎君にハッキングの話をしたことを思い出した。

 意外と身近にもパソコンやネットワークに強い人がいるのかもしれない。


『そこまでいかないよ。でも、ある程度はネットでエゴサしていけば分かることも多いよ』

「そーなんだ」

『インスタから部長さんの行きつけの店も数軒は絞り込んだから』

「すごいな。ミキを敵に回したくないよ」

『そう、敵に回すと怖いよ~』


 もちろん冗談だろうけれど、ここでもし僕が裏切ったりしたら……。

 もう僕の個人情報も調べてあるのかもしれない。考えてみれば佐々部長のことを教えた時点で、僕のことは絞り込めるはずだ。

 キーボードを打つ手が止まった。


『部長さんは本当にお酒が好きみたいだから、酔って帰るところを事故に見せかけるのが一番いいかな』


 少しのを気にすることもなく、ミキは話を続けた。


「それで、この後はどうするの?」


 殺す相手のことは、お互いに調べた。

 後は実行に移すだけ。でも交換殺人の最大のメリットはアリバイのはずだ。

 あの男が殺されたときには、僕に確実なアリバイがなければ。


『いつ殺せるかなんて、実際にはアクシデントがあるかもしれないでしょ』


 確かにそうだ。


『曜日だけ決めておくのはどう? そうすれば、お互いにアリバイを作りやすいし』


 ミキの提案は理にかなっている気がした。


「僕の方は水曜日で決まりだけれど、ミキは?」

『私は火曜日にする。火曜の夜は毎週飲み歩いてるみたいだから』


 そういえば佐々部長は水曜日を休みにしていることが多い。

 火曜日に飲み歩くため休みを取っているのか、水曜を休みにしているから前日に飲み歩くのか。卵が先か、ヒヨコが先かと同じだな。


『カオルさんが先に実行してね。それを確かめてから私がやる』


 えっ⁉ ちょっと待って、いきなりそんな……。


『厚かましいお願いだけど、元はといえば私が切り出した話だし、初めから私はやるつもりで相手を探していただけ』

『カオルさんを疑う訳じゃないけれど、覚悟という点では私の方が勝っていると思う』

『だからカオルさんが先にやってね』


 突然の通告に動揺して、キーボードを打つ手が止まっている間にミキからの言葉がモニターへ立て続けに表示された。

 そう言われたら返す言葉もない。


 ミキが先か、僕が先か。

 やらなきゃ何も始まらない。

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