第四話 同調
オフィスビルを出てから、デッキには上がらずにそのまま歩道を三人で歩いて仙川駅へと向かった。
沿線のターミナル駅ということもあって、この辺りは繁華街が広がっていて店を選ぶのには困らない。大通りを左に曲がり、雑居ビルの一階で赤い提灯を掲げている焼鳥屋へ入りテーブルについた。
藤崎君を奥に座らせた水野がその隣に腰を下ろす。
「そっち側に二人じゃ、狭くない?」
「全然平気」
「でもさ、体の大きい二人が並ぶのは無理があるよ」
「ちゃんと理由があるんだよ。俺とお前が並んだら後輩を叱っている図、お前と藤崎が並んだら、パワハラを受けている二人への指導、って感じになるだろ」
なるほど。水野なりの気づかいという訳か。
「すいませーん、
世話焼きな水野が仕切って注文していく。
「お疲れー」「お疲れ」「お疲れさまです」
まずビールが運ばれて、三人の喉が潤ったところで水野が切り出した。
「しっかし、佐々部長も何とかならないのかなぁ。あれじゃ、
「あの性格は変わらないよ。どう見たって今に始まったことじゃないし、誰かに何かを言われたところで今さらあの男が変わる訳ないじゃん」
「そうは言ってもさ、おまえたちは明らかに狙われてるし放っておけないよ。まさにパワハラだもの、なぁ」
水野からふられた藤崎君は僕たちの話にも言葉を挟まず、あきらめを浮かべた笑みを見せるだけ。土曜の夜でもにぎわっているこの店の熱気がこたえるのか、眼鏡のつるを持ち上げてしきりに汗を拭いている。
そういえば冬でも汗拭き用のタオルを持ち歩いてるよな、藤崎君は。
実を言うと、ちょっとだけ彼のことが苦手なんだよね。真面目なのは認めるけれど何を考えているのか分からないところがあって。
僕は運ばれてきた豆腐サラダをそれぞれの皿に取り分けながら愚痴る。
「パワハラもパワハラ、ブラック上司の見本みたいなやつだよ。昨日のことだって元々は自分の指示が先方の意図とずれていたのが原因なのに、契約が取れなかったのを僕のせいにして」
「それをやられちゃうと部全体のモチベが下がるんだよなぁ。去年、佐々部長がうちの支店に来てからずっとこんな感じでやってるから、業績にもそろそろ響くんじゃないかと思ってるんだけどさ」
枝豆に手を伸ばしながら、水野が続ける。
「どうやら、佐々部長は社長の親戚らしいんだよ。姪の息子だったかな。それで支店長も目をつぶっているって話だよ」
「コネがあるって噂だったけど、そうなんだ。でもそんな情報、どこから仕入れてくるの」
「そりゃもちろん、この支店のことなら何でもお見通しと言われている事務の金井さんから」
あー、あの人か。髪をひっつめて上目づかいにニヤリと笑う、お
悪い人じゃないんだけれど、おせっかいが過ぎるというか、ずかずかとこっちの領域まで入ってくるところがあって彼女のことも少し苦手。
しかし、金井さんにまで取り入っているのが水野らしいというか、すごいなこいつは。その爽やかイケメンさを惜しげもなく武器として使うんだから。
ヤツの彼女になった人は色々と苦労しそうだけれどね。
「その金井さん情報だと、美樹ちゃんにもちょっかいを出しているらしい」
「え、新人の小島さんのことですか?」
七味を掛けた焼鳥を食べながらずっと黙って聞いていた藤崎君が、珍しく反応した。
小島さんはショートボブの可愛い感じで男性受けしそうなタイプだし、ひょっとして彼の好みなのか?
それはそれで意外な感じもする。
「そう。食事に誘ったりしているらしいぜ。美樹ちゃんの方はなんだかんだ理由をつけて断っているみたいだけれど」
僕はミキという名前に反応してしまった。昨日のチャットを思い浮かべながら、モツ煮が盛られた器から味の染みた大根をつまむ。
小島さんのことを言い出した水野は彼女のことをどう思っているんだろうか。その口ぶりからは気にかけている様子はないけれど。
「部長は単身赴任でこっちに来てるし、女癖が悪いって噂だよ。本店にいたときにも女性トラブルを起こして、それが原因でほとぼりが冷めるまでうちの支店に、ってことらしい」
「何だよ、それ。ひどいなぁ。パワハラにセクハラって、最低だよ」
聞いているだけで腹が立ってきて、思わず強い口調で言ってしまった。
ある意味、あの男の持って生まれた資質なんだな、きっと。これじゃ、やっぱり変わる訳がない。
「そうやってさ、面と向かって言ってやればいいんだよ」
水野はニヤリと笑った。
そんなこと、僕が言えないのは分かってるくせに。
そもそも誰だって言えないでしょ、会社の上司に直接なんてさ。
でも会社も会社だよな。適当にごまかしてうやむやにするなんて、二言目にはコンプライアンス重視! が聞いてあきれる。
「パワハラだーっ! って叫ぶのは冗談にしてもさ、山瀬も藤崎も少しは反論してもいいと思うよ」
「例えばどんなふうに?」
「うーん、そうだなぁ。あまりにも理不尽なときには『それはおかしいと思います』とか」
「そんなことが言えたら苦労しないよ」
言ったってあの男が聞く耳なんか持つわけない。
ひとことでも反論しようものなら、その何倍もの罵声が返ってくるはず。
大きなため息を一つ、そしてジョッキに残っていたビールを飲み干した。
「黙っているから部長もよけいに強く出ている気もするんだよなぁ。まぁとにかくさ、二人ともあまり溜め込まずに吐き出さないと、精神的に参っちゃうぞ」
その点なら僕は大丈夫、こっそりと吐き出してるから、と心の中でニヤリとやり返す。それと同時に、またミキの言葉が浮かんできた。
藤崎君はと言うと「はぁ」と言いながら軽く頭を二度下げた。
水野がトイレに立つと、彼がボソッとつぶやく。
「ぼくはいつも聞き流すようにしています。全スルーですね」
「へぇ、そうなんだ」
意外だなと思って彼を見ると、こう続けた。
「山瀬さんの考えてること、ぼくには分かってますから」
何だそれ。
ちょっと薄気味悪い笑みを浮かべてるし、眼鏡の奥で目が笑ってないし。
同じような立場だからって、僕のことまで分かったふりをされてもなぁ。
僕はキミみたいに軽く聞き流したりなんてできないんだよ、と言ってやりたかったけれど止めておいた。
やっぱり藤崎君って苦手だ。
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