第十二話 言葉の副作用
数日後──。
どういうわけかギュムベルトの母に実体化した『黒犬』は劇団の裏方になっていた。
今日も忙しい舞台の裏側をバタバタと駆け回っている。
「ちょっと来い」
夜公演のあと、ギュムベルトは彼女を呼びつけた。
「えっ、なになに?」
数日を過ごしてもいまだに納得いかない。
人狼ノロブを受け入れた時点でいまさらだが、来るもの拒まず去る者追わずにもほどがある。
恩師の言い分はこうだ。
──ボクは作家でギュムくんは役者なわけじゃん。
足手まといは切り捨てるべき、一般的な感覚ならば邪魔な存在は遠ざける。
信頼に値しない者、関係の険悪な者、能力の低い者、それらを傍においたら損害をこうむる危険性があるからだ。
だが、それでは物語が広がらない。
喜びも悲しみも、愛憎も、成功や挫折すらも養分にできる生業、作家や役者にとっては体験こそが財産だ。
ギュムは家族と過ごす機会を得ることがなかった、掘り下げる好機と言われたら受け入れざるを得ない。
偽母エマは機嫌をうかがうようにしてたずねる。
「──なんか怒ってる?」
明らかに怒っている。
「本番中に袖から舞台を覗き込んでましたよね?」
袖とは舞台の左右端、役者が出入りするスペースだ。
新入りのエマに空気感を伝えるため舞台袖に待機させ、役者たちの出入りや道具の準備を手伝わせていた。
そこで袖から顔をだして舞台を覗き込んでいたところをギュムは舞台上から発見したというわけだ。
「うん、なんだか盛り上がってるなと思って!」
悪意はなかった。無意識に、まるで明かりに惹かれるかのようにそうしていた。
エマは失敗を咎められていることを察して焦る。
「──あ、でもちょっとだよ! きっとお客さんからは見えてないよ!」
罪を逃れようとした、というよりは『舞台が台無しになった』と思っているギュムの不安を取り除こうとした。
どちらにしても言い訳にしかならない。
「舞台上のおれから見えたってことは、客席からも見えてんだよ!!」
関係ない人間が視界に入れば集中が削がれて興ざめだ。
「……!?」
少年のあまりの剣幕にエマは硬直してしまう。
ギュムが仲間の失敗を責めることは珍しい。
誰だって台詞をとちったり段取りをまちがえることがあり、ギュムも例外ではなかった。
トラブルはその場でフォローするのが演劇だ。
それにしても今回のミスはありえない、それをしたのが自分経由で参加した人物なのだ。
「どうかなさいまして?」
険悪な雰囲気を察知したニィハが仲裁に現れた。
「こいつが本場中に袖から見切れてたんです」
ギュムの怒りはおさまる気配がない。
「……ごめんなさい」
しおれた花の様になってしまったエマにニィハは微笑みかける。
「エマさん、人手が足りてないみたいなので客席の片付けを手伝ってきてくださいますか?」
様子を見て個別のフォローが必要と判断したニィハは一旦二人を引き離した。
「うん、わかった!」
エマは言われるままに観客の出払った客席へとむかった。
「不慣れな現場ですから、大目に見てあげてください」
「だけど、お客さんにはその回がすべてだし、おれ達はそのために毎日稽古してきたんです」
演劇のことが分からないのは仕方がない。
だけど家事もできない、文字も読めない、力仕事を振るのも忍びない。
できる仕事がないから自分からは動けない、動いたらそれで中途半端か余計なことしかしない。
他人の無能にいちいち腹を立てる性分ではないが、育児放棄して失踪した実母だと思うとそうもいかない。
──今日までどうやって生きてこれた?
これだけなにもできない人間がだれかの保護なしにやってこれたとは考えられない。
女であることを利用して男に寄りかかってでもきたのだろうと想像してしまう。
一方自分は誰かに甘える暇もなかった。
物心ついたころから食い扶持を労働で確保してきた。
せめて何かしらのスキルを身に着けていたり、彼女なりに苦労してきたんだと思える要素があれば見直すことができたかもしれない。
なにより劇団にいるのは選ばれた、少なくとも当日に向け努力をしてきた人間だけだ。
「──これ以上、皆に迷惑をかけるならここにいる資格はないですよ」
エマは息子のそばにいたいという希望を受けて入団を許された。
自分の身内という理由で参加している人間が、苦労の末にやっと再開にこぎ着けた劇団の足を引っ張る。
それが耐えがたい。
ニィハはギュムをなだめる。
「演劇はナマものです、ミスやトラブルも含めて巡り合わせですよ」
だから引きずらなくていい。
彼女なりの慰めだ。
舞台は一回一回すべてが違う。
出演者のアクシデント、裏方のアクシデント、観客のアクシデント、対策はそれぞれへの信頼だけで保証されている。
役者が怪我をしたり、道具に不具合が起きたり、観客が体調不良を起こしたりする可能性を完全なゼロにすることはできない。
『闇の三姉妹』の初演は当日に役者が一人病欠になり急遽の代役、主演女優が舞台上でパニックを起こして大号泣など、とんでもないことになったものだった。
しかし出演者たちにとって地獄だった不完全な公演が、当時の観客には伝説の回として語り継がれていたりする。
「だけど、失敗したんだから謝らせるべきでしょ」
それをさせるとしたら事実上の肉親である自分の仕事だと思った。
ニィハはポツリと復唱する。
「謝らせる……」
なにか引っ掛かりを覚えたようなので確認する。
「違いますか?」
「わたくしの個人的な意見ですが、謝らせることにたいした意味はないと思います」
「と、言いますと?」
「強制すればその場を収めるために謝罪のひとつもするでしょう。けれど、それは『ただの言葉』です」
「ただの言葉……」
言葉を口にしたからと言って本人が悔い改めたかはべつのこと。
それが強制的に引き出されたものならば尚更だ。
「非を認めていたら、あちらから頭を下げてくる。それが大事なのではないかしら?」
反省していなくても「ごめん」を言えるし、感謝していなくても「ありがとう」を言える。
心のこもっていない『ただの言葉』を必死になって引き出したところでさしたる意味はない。
「──その場を収めるための思ってない、ごめんなさいとか、ありがとうとか、ただの挨拶でしかありませんわ」
真意と言葉は一致しない。
場合によってはノイズにさえなり得るとニィハは考えている。
「まあ、でも挨拶は大事です」
感謝や謝罪は言葉にするだけでも意味がある。
怠ってはならない。
しかし彼女の場合は女王時代、顔色をうかがう建て前の言葉にまみれてきた。
本心を打ち明けてくる人物は極めて少なく、入ってくる言葉のほとんどが装飾された嘘だった。
心のこもらない言葉から正当を探すことにへき易としたに違いない。
「ダメと伝えて次にやらなければ良しとしましょう?」
誰だってはじめは未熟だし続ければそれなりにこなれるものだ。
ギュムもはじめは演技なんてできなかったけれど、いまはそれなりにやれている。
「……ニィハさんが言うなら」
結局のところギュムは彼女には逆らわない。
記憶にあるのは横顔ばかりで二年近くそばにいていまだに正面を直視できないでいる。
彼にとってイーリスとニィハは神様みたいなもので、彼女たちの言葉は未熟な自分の考えよりも優先度が高いと考えている。
だいたいの場合それで間違いはなかった。
そう信じている。
「『母』という言葉に囚われすぎかもしれませんね」
「囚われすぎ、ですか?」
「言葉は『便利』な道具です。けれど、印象を平均化させる危険なものでもあります」
この意見は先ほどから言っている『真意と言葉は必ずしも一致しない』という部分と繋がっている。
「──心の底から想いあって支え合う二人、または片方が一方的に搾取する関係の二人がいたとしても、双方『恋人』という言葉に分類されます」
正確には『幸せな恋人』と『歪な恋人』といったところか。
ここではあえて『生涯子供を愛した母』と『産み捨てて放置した母』も総称して『母親』だという表現は避けた。
「たしかに一緒くたにするのは違和感ありますね」
『恋人』という言葉は愛し合う関係を意味している。
一般的に報われている印象を与えるが、実際には地獄という状況も少なくないはずだ。
「劇団員も外部から見れば全員『仲間』という言葉で括られますけど、一人一人の関係値はまったく異なります」
例えばギュムにとってイーリスとノロブは同じくくりではない。
イーリスはイーリスでありノロブはノロブ、もっと言えば同じ関係性の人間は一人もいない。
「言葉にすると印象が平均値に固定化される気がしますね」
そういう意味で『言葉』には実状を誤認させる強い誘導力がある。
『母親』と呼ぶことでどこか子供に人生を捧げて当たり前、できないなら失格という印象を与えてしまう。
それは平均値ではなく理想にすぎない、そして多くの人間は理想に満たない。
その押しつけが不幸の始まり。
「『母親』だと思うと不足に感じてしまうかもしれませんが、エマさん個人で接したら明るくて素直で善良な人だと思えませんか?」
母親だから、母親なのに、そう考えることで怒りが先行してしまった。
「そう……かな、そうかもしれない」
一度、母親という先入観を捨てて接してみる必要があるかもしれない。
一人だけいつまでも不機嫌にしていたら恥ずかしいし、現場の空気も悪くする。
「──でも、そうなってくると言葉とか名前ってなんなんでしょうね」
「言葉は無制限なようでいて、使うほど薄っぺらくなってしまう気がしますわね」
条件反射の御礼や謝罪、不特定多数に使用される愛の言葉──。
言葉は繰り返すほどに価値が下がる、名前を付ければ陳腐化する。
「──だから本当は大切なものほど名前をつけたくないのに、名前がないと伝えたり広めたりすることができないのです」
それがもどかしい。
ギュムは「ふむう……」と、なにか結論めいたものを思索したがなにも思い浮かばなかった。
言葉は偽りだとしても強い力を持っていて、人類にとって不可欠な武器だ。
演劇にとっても例外じゃない。
「そうだ、最近、錯覚はどうなりました?」
納得いったようなので話を終わらせると、ニィハはあらためて彼の体調を心配した。
視界に黒い影がよぎるという錯覚について長らく言っていたからだ。
「すっかりなくなりました、治ったのかな」
ギュムが悩まされていた幻覚は彼につきまとっていた黒犬の残像だ。
それが実像をもって現れたので幻覚を見なくなった。
その真相は偽エマ本人しか知らない──。
『黒犬』という現象である彼女が人間としての社会経験に乏しいのは仕方のないことだ。
そもそも彼女が母親を語ってさえいなければこんな衝突もなかっただろう。
正体を明かしてしまえば誤解は解ける。
それでも母を演じ続けているのは、自分が求められた姿で実体化したと信じ込んでいるから。
家族と過ごした体験がないことが役者としての幅を狭めている、そう指摘され悩んでいた姿も見ている。
すべては役割をまっとうしようという使命感からのことだった。
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