第十一話 エマ
公演を終えて楽屋でメイクを落とす演者たち。
オーヴィルが舞台の成功を喜びノロブが自画自賛する。
「観客の反応よかったな!」
「ワタシの仕事はいつでも完璧ですから」
満更でもなさそうなノロブをイーリスがからかう。
「楽しそうじゃん」
「仕事に楽しいもなにもありません。失敗しない、それだけです」
素直には認めない。
それでも演劇をあそびと見下してきた彼が大勢のまえで道化を演じた、数ヶ月前までならば考えられもしなかった。
「そう言えば……!」
イーリスはノロブへの要件を思いだす。
「──客からおまえに殴られたって苦情がきてたぞ!」
以前までは当たり前だったかもしれないが、劇団にいる以上は控えてもらわないと困る。
しかし、その苦情は腹いせに盛られたものだった。
「あちらからつかみ掛かってきたので少し突き飛ばしただけですよ」
ギュムは「ほんとかよ……」と疑いの視線を向ける。
つかまれた時点で相手の腕をへし折っていてもおかしくない奴だ。
いや、進路上にいただけで蹴り倒してきた過去がある。
「なんでそんなことに?」
「舞台上の姿をブサイクとバカにされて……」
喜劇ということもあり女装の中身をみつけて笑ってしまうのは仕方がない、ある種成功とも言える。
しかしノロブ自身は本気で美しく着飾っているつもりだし、だからこそ役に入り込めているので心外だった。
「──腹が立ったのでちょうど横にいたそいつの嫁を指して、そこのブタほどじゃないけどな。と、言いました」
「それはつかみ掛かられるだろ……」
擁護しようがないとオーヴィルはあきれた。
笑われ慣れている彼はそんなことでは腹を立てない。
「事実ですよ、客商売をしていたら事実を言ってはいけないんですか?」
オーヴィルに非力と言われたりニィハにブスと言われても、事実だから腹はたたない。
けれど自分より醜くて能力の低い人間にバカにされるのは理不尽で不愉快だ。
「自分より優れた相手を批判するのは天に唾を吐くような行為です」
イーリスは落胆の声を聞かせる。
「あーあ、お客が二人減っちゃった!」
そのあいだ楽屋の中央でリーンエレが全裸をさらして着替えをしていたが、毎度のことをいまさら誰も指摘はしない。
公演中、出番に合わせて早着替えが必要になることもある。
舞台袖や限られた時間、スペースでそれをしているうちに周囲の目に鈍感になることはある。
リーンの場合はいきすぎているが。
トントンと外から扉がノックされる。
「はい」「どうぞ」とそれぞれが返事をした。
「失礼します」
ニィハが入室してきたところにオーヴィルが感想を求める。
「どうだった?」
受付で出入りを確認している彼女がいちばん客の反応を間近で見ている。
「はい、長女ドナは今日も大人気!」
ニィハはオーヴィルに向かってグッドのハンドサイン。
三姉妹の中では見た目にインパクトのある長女が笑いを独占し評価された。
オーヴィルは気を良くして浮かれる。
「女役なんてどうしたもんかと悩んだが身近にお手本があって良かったぜ!」
なんのことかと皆が首をひねり、気づいたイーリスが通訳する。
「長女ドナのモデルってニィハなんだ……」
令嬢を演じるにあたって所作を学ぶのに他に適任がいないのは事実だが、あの化け物を演じる参考にしたと言われたら複雑だ。
ニィハはドア枠にもたれながらその場に崩れ落ちた。
「おい、大丈夫か?!」
「ちょっと目眩がしただけ……」
──わたくし、あんな風に見えているのかしら……。
長女ドナは巷ではタイタンとか毒巨人などと呼ばれている。
オーヴィルに悪気はなく、女性らしさを表現しようと追求したことで生まれた奇跡の怪物だ。
「大丈夫か、ちゃんと睡眠とって飯を食えよ」
見当違いな心配をするオーヴィルをノロブが笑い飛ばす。
「クハハッ、ワタシなら屈辱のあまり銀のナイフで腹をさいて死んでいます!」
かつての敵はすっかり場に馴染んでいる。
寝食を共にし顔を突き合わせて稽古を重ねた結果、過去の確執はすっかり払拭されていた。
「で、なにかあった?」とイーリスに問われ、ニィハは思い出したように立ち上がる。
「そうだ、ギュムベルトさん」
呼びかけられた少年は「はい」と返事をした。
「お客様です」
劇場前に来客があることを伝えられた。
公演後、熱があるまま感想を伝えたいという観客や、はるばる港町から来た知人に呼び出されることはよくある。
──誰だろう?
着替えを終えたギュムは幾人かを思い浮かべながら劇場前に出た。
先に出ていたイーリスの周りには人だかりができており、『闇の三姉妹』以来のファンであることを大声で熱弁する声などが聞こえている。
ギュムは周囲を見渡して自分をまっていそうな人物を探した。
すると、こちらに向かって満面の笑みで手を振る女性の姿がある。
「ギュムベルト!」
馴れ馴れしい呼び掛け、それでいて記憶にない初対面の人物──。
だのにそれが何者であるのか一目で理解することができた。
硬直する少年に女性は飛びつくようにして抱きつく。
「──やっと会えた! あたしが誰だか分かる?」
彼女は十六年もまえに失踪して以来、一度も姿を見せなかった母親──。
「母さん……?」
「あたし、あなたのお母さんなんだ!」
自らの正体を確認できたかのような奇妙な言い回しをすると、よりしっかりと少年を抱え込んだ。
「ちょっ、はなれてくれ!」
相手に対して拒絶というほど強い感情はない。
母親は憎悪の対象ですらなく、まったく背景を知らない未知の他人に過ぎない。
人まえを嫌って引きはがしただけのことだ。
──なぜ気づけた、親子だからか?
彼女が港町に帰ってきていることはマダムから事前に知らされていた。
年齢にそぐわぬ若作りをした楽観的な性格で派手な格好を好む。
与えられた情報をもとに想像くらいはしていたが、思い描いていた姿と不自然なくらいに一致した。
少なからず期待感の上乗せされた理想の女性の姿だったにもかかわらず寸分の狂いもない。
──そんなことあるか?
想像の産物が実像をもったことに驚きを隠せない。
それは会いたくて思い描いていたわけではなく、避けて通るために準備していたものだ。
「どうしてこんなところに?」
いまさらどのツラを下げて会いに来たのか。
どんな理由があろうと受け入れられる気がしない。
唯一納得できる答えがあるとするならば『偶然』居合わせた、それだけだ。
しかし、その疑問に対する解答はもっとも理解しづらいものだ。
「うん、あたしはあなたのお母さん。それはあなたが望んだことだよ!」
女は両手をいっぱいにひろげ少女のように無邪気な笑顔でそう言い切った。
そんなわけがない、ありえない。
できることならこのまま接点を持つことなく人生を終えたかったくらいだ。
ギュムベルト少年は戸惑った──。
姿も知らない声も知らない。
初対面の女が母を名乗りなぜだかそれが事実であることを確信できた。
──これが血の力なのか?
そうだとしたらあまりに気が利かない。
ギュムは愚痴る。
「勘弁してくれ……」
親がいないことで苦労はしてきた、しかしそれはすでに乗り越えたことだ。
喜ぶに足る思い出もなければ怒るに足る思い入れもない、もう他人でいたい。
親がいたら幸福とは限らない。
暴力にさらされたり飯の種に利用されたり、挙句の果てには殺されてしまうこともある。
共に育った幼なじみから学んだのは悪い親ならいない方がはるかにマシだという教訓。
「──なにしに来たんだ、帰ってくれ」
周囲に気を使いながら、それでいてきっぱり強い口調で拒絶した。
不穏な空気を嗅ぎつけ「おっ?」と振り返ったイーリスが二人に歩み寄る。
「どちら様?」
「先生」
ギュムは師匠の手をわずらわせる訳にはいかないと不本意な事実を口にする。
「──母、親です、おれの」
たいしたトラブルではないと伝えたつもりだ。
驚いただけで揉めるつもりも関わるつもりもない、あとは穏便に帰ってもらうだけのこと。
「お母さん!? 若くて綺麗な人だね!」
お世辞ではなく素直な感想だ。
とてもギュムくらいの子供がいる年齢の女性には見えない。
少女のようにハツラツとして瑞々しく、素行の悪そうな服装を除けばまるで親を知らぬ子どもが夢想した姿かのように美しい。
ギュムの母親を名乗った女性は頭を下げる。
「ギュムベルトがお世話になっています!」
「いえいえ、こちらこそ」
イーリスはすこし面食らう。
事情くらいは知っていたが、だからといってどんな人物かを想像したことはない。
ギュム自身が最近までそうだったくらいだ。
なんとなく子供を産み捨てて去った女に良いイメージを持ってはいなかった。
しかし、屈託のないその女性からは少なくとも悪人という印象はうけない。
「もしかして息子さんに会うためにここまで?」
古巣である『パレス・セイレーネス』で聞いたか、あるいは劇団の協力者であるイバンが配ってくれた広告からか、ギュムベルトに行きつく方法はいくつかある。
旅行者が偶然、舞台上に生き別れの息子を発見した。というよりは、所在を知って足を運んだという方が想像しやすい。
女性は元気よく答える。
「はい! あたし、この子の近くにいていいですか!」
──は?
ギュムは唖然とした。
目的はわからないがそれを口にできる厚顔無恥さに言葉がでない。
煩わせたくないとは思ったがイーリスが突っぱねてくれるのを待つしかなかった。
虫のいいことを言うな、帰れ──。
そう言って追い返してくれることを期待するギュムベルト、イーリスは言い放つ。
「かまいませんよ」
「そうだ! かえ……えっ?」
少年の意志に反して恩師はあっさりそれを受け入れた。
──つまりどういうことだ?
近くにいるとは具体的にどういうことかと考える。
きっと、今、のことではない。今後、ということになるだろう。
「──かまい ます けど!!」
ギュムは強く反発した。
母親の名前は「エマ」マダム・セイレーンに確認した情報だ。
しかし母親を名乗る『この人物?』はそんな名ではない、そして名がない。
彼女はギュムが見ていた幻覚──。
人々が『黒犬』と呼ぶ錯覚現象、人の想像から実像を得る魔法生物、それが少年の思い描いた架空の母親の姿で現れた。
黒犬が実体を得るのは好奇心を強く刺激された時。
「あたし、あなたと一緒にいたい、よろしくね!」
この現象を仮に彼女と呼んだとして、望みをかなえるのに母親という姿が適切だったかと言えばそうではない。
大失敗だ。
残念なことに『黒犬』は狙った姿に実体化できない、対象の願望に左右される法則に縛られている。
ハズレを引いてしまったのは彼が憧れの存在にいつでも会える環境にいるからだ。
振り返ればそこにいる相手に思いをはせる道理がない。
それゆえ最近になって警戒していた母の存在を思い浮かべる機会が多かった。
実物を知らない少年が思い描く姿に理想が混在するのは自然なことだ。
そうしてここに脳内にしか存在しなかった架空の母親が実体化したのだった。
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