第九話 勇者ガドィ
大勢の見守る中、二人のタイミングで決闘は開始される──。
素手と素手の喧嘩ルール。
最強と名高い勇者ガドィ、一方はマルブスとの決闘がなければ周知されていたかも怪しい若造ユナバハリ。
対峙した二人は大と小、強と弱のコントラスト、視覚的にも公正と思えない組み合わせだ。
体格差をくつがえすための道具も魔法もない正真正銘の殴り合い。
歴戦の猛者であるガドィに臆する理由は無い。
開始と同時に距離を詰め、強力な左右の連打を小男に浴びせかける。
「ガハハっ! 軽い、軽いな小僧!」
倍近い重量をもつ男がはなつ打撃はガードの上からユナバッハリの体を大きく前後左右に揺さぶった。
その圧力にユナバッハリは反撃はおろかまともに立っていることすらできない。
バランスを崩し転倒、すぐに地面を転がった。
皆がひと目で「これは勝負にならない」と確信し、緊張感を失う。
転倒した相手の頭部をガドィはすかさず蹴り上げる。
危険を察知したユナバハリは反射的に後転、必殺の蹴りが空を切った。
押されては倒れ、殴られては倒れ、即座に立ち上がるを繰り返す。
──ガツン!
繰り返される攻防のあいまにユナバッハリの拳がついにガドィの顔面にクリーンヒットする。
しかし、ダメージはおろか突進を止めることすら叶わない。
「良いざまじゃ!」と、マルブスの姉が嘲笑した。
決闘はすっかり処刑の様相へと変わり、生意気な若造への制裁を望んだ者たちの歓声で湧き上がる。
一方、当のガドィはなんとも言えない手ごたえの無さを感じていた。
──どんな大男でもここまで耐えた者はそういない。
想定では六秒で蹴りがつくはずだった。
慢心ではなく決闘とはそういうものだ。
しかしユナバハリは急所をしっかりと守り、倒されることに抗わないことで上手く力を受け流している。
──小僧、言うだけのことはあるな!
これだけの劣勢になれば戦意喪失するか無謀な特攻を仕掛けそうなものだ。
しかし、ガドィから見てもユナバッハリは不気味なほどに冷静さを保っている。
巨大な相手を恐れない、強打を受けてもひるまない、激昂も絶望もしない、意識が途絶えかけた直後でもパニックを起こしたり弱気になったりしない。
動揺は自分を窮地に追い込む、そのことをよく理解し、努めて冷静にただ必要な行動を実行できる。
それゆえに致命傷を避けることができた。
フィジカルに恵まれなかった彼の強さはメンタルに依存している──。
嵐のような猛攻にさらされながらもユナバハリはそのリズムやバリエーションの把握に努めていた。
休む間もなく浴びせられる連打、その合間を縫ってユナバッハリは腹部に爪先での蹴りやカウンターの膝蹴りを叩き込んだ。
それらは完璧なタイミングで突き刺さったが、ガドィの異常な耐久力はことごとくそれらを跳ね返した。
──他の連中ならば倒せてるかもな。
ユナバハリの才覚は勇者ガドィを感心させるに足りたが、同時に勝利を確信させたことも確かだ。
「ガハハっ、挑戦するのが数年はやかったな!」
「…………」
ユナバハリは黙って足を動かした、言い返す体力すら惜しい。
将来的には無理なく実力でガドィをおびやかしたかもしれない、しかしそれでは王の選別には間に合わない。
いま無理をしなくては意味が無い──。
距離をたもつために蹴りを多用する姿は逃げ回っているように見えた。
勝負が長引いていることに痺れを切らした観客たちが指示を飛ばしはじめる。
「逃げ回るな!」「掴まれるのを怖がってるぞ!」
逃げ回るなら捕まえて押さえつければいい、ギャラリーの声に反応してガドィは強引にユナバハリに掴みかかった。
──!!
腕力、技術、経験値、実績すべてにおいて勝っている。
それがガドィにとっては不都合な事実──。
勝って当たり前の勝負に負けるほど惨めなことはない。
ユナバハリが負けたところで想定内でしかないが、ガドィの敗北はいちじるしく評価をそこなう。
これはガドィにとって失うものが大きく得るものがない勝負ということだ。
対峙している自身はユナバハリの技術の巧みさを認めているが、それが戦士でない女たちには伝わらない。
期待に添えていないという状況が最強を自負するガドィには耐え難かった。
焦りをおぼえたガドィは観客の指示に従って作戦を変更する。
「ガドィ、迂闊だぞ!」スージグルが叫んだ。
一方、ユナバハリは冷静だ。
負けそうだと弱気になることも、怒りに我を忘れることも、恐怖に縮こまることもない。
ピンチ、チャンスを問わず必要な対処を遂行する。
殴り合いの力では勝てず、体の頑丈さでも勝てず、場数でも劣っている。
それでもすべては想定通り。
ガドィはユナバハリのことをなにも知らないが、ユナバハリはガドィの戦い方を長年に渡り研究してきた。
今日に向けて対策してきた。
蹴り足をかいくぐりガドィがユナバッハリに強引に密着する。
「掴んだ!」「倒せ倒せ!」
馬乗りになって押さえ込み、ガドィが一方的にユナバハリを殴打する展開、観客の誰もが決着を思い描いた。
だが喧嘩に勝つのは強者ではない、躊躇なく相手の眼球に指を突き入れられる者だ──。
「ぐわぁぁぁぁッ!!」
ガドィは絶叫してユナバハリを突き放した。
ガドィの顔面を手繰ったユナバハリの指は血に染っている。
蹴りを打ち続けたのは距離を保つためではない、距離を潰そうとする動作を引き出すためだ。
密着する相手の頭部から眼球の位置を特定するのは容易かった。
攻め時は逃さない──。
視界を失い膝をついたガドィの顔面に、ユナバハリは渾身の飛び膝蹴りを叩き込む。
それは完璧な角度で突き刺さった。
ガドィの弱点はその豊富な戦闘実績だ──。
骨折が治ったばかりの拳は攻撃を躊躇させ、靭帯の古傷は踏み込みを甘くしている。
それは本人が無自覚なほどにささやかな変化だったが、全盛期を想定して挑んでいるユナバハリにとっては十分なハンデだった。
わかっていたから臆せず飛び込めた。
ガドィは戦いすぎた──。
硬いものを叩けば拳や脚は強くなる、打たれればダメージの逃がし方のコツもつかめてくる。
けれど脳へのダメージはちがう、打たれるほどに蓄積し衝撃に弱くなっていく。
強い衝撃を受けて意識が途絶えるのは脳の防衛機能だ。
脳は失神を経験するたびにより小さい衝撃で意識を断つようになる。
喧嘩に明け暮れてきたガドィの脳はダメージの蓄積から失神しやすくなっていた。
どの程度の一撃を入れれば失神するか、ユナバハリはそれを把握していたのだ。
──勝機。
ユナバハリは攻め時を逃さない。
ガドィの顔面に追撃の拳を叩き込こみ、倒れた上にまたがるとトドメの拳を振り上げた。
「そこまで」
振り下ろそうとした拳をスージグルが掴んで阻止した。
「──ユナバハリ、おまえの勝利だ」
ガドィはすっかり意識を失っておりピクリとも動かない。
ガドィの勝利を確信し湧き上がっていたギャラリーたちは意気消沈、とっさに動けたのはスージグルだけだった。
しばしの静寂。
ユナバハリ当人も驚きを隠せない、勝算はあったが達成するかは賭けだった。
作戦を遂行できたのは自らのパフォーマンスを最大限発揮できたからであり、日が悪ければ負けていたかもしれない。
──疑いようがない。
目標だった戦士への勝利に興奮しながら勝利を宣言する。
「これからはオレの時代だ!!」
予想だにしていなかった結末にギャラリーは動揺を隠せない。
マルブスの姉によって用意された集会は一方的な断罪の場であったはずだ。
跳ねっ返りの若造を集団で私刑にするくらいのつもりだった。
ところがユナバハリが数を連れて来たことで圧力は分散、ガドィへの絶対的信頼から一対一という流れへと誘導された。
決闘の結果は受け入れざるを得ない──。
皆、救いを求めるようにスージグルに注目した。
さすがに連戦する余力はないとユナバハリは先手を打つ。
「ガドィに譲ったあんたにもこの場を仕切る権利はないぞ」
スージグルはひとこと「たいした男だ」と称賛する。
今日までのガドィはユナバハリよりも強かった、だが伸びしろ的に一度抜かれたら追いつくことはないだろう。
可能性という意味ではたしかに突出している、それを阻むのは出生に対する周囲の偏見だけだ。
マルブスの姉はすがるように懇願する。
「勇者スージグル、このままでは秩序の破壊を免れませんよ!」
「しかしガドィを倒した功績は認めざるを得ない」
スージグルがユナバハリを肯定したことにギャラリーはざわめいた。
「ならば、この場の誰よりオレが王に相応しいということで異論はないな!」
この時点でユナバッハリは次期大王の最有力候補に躍り出たと言える。
勝たなければならない、なぜなら自分が誰よりも努力をしてきたからだ。
劣悪な環境に生まれたことを恨むよりも反動にすることで奮い立たせ、この場の誰よりも積み重ねてきた。
もっとも渇望し努力した者こそが報われるべきだ、そうでない世界はもはや謳歌するに値しない。
ユナバハリはどんな手でも使うが、それを卑怯だとは思わない。
なぜなら人はみなスタート地点が違うからだ。
貧しく産まれたら贅沢を望んではいけないのか、小さく産まれたら最強を目指してはいけないのか、そんな道理はない。
──オレが大王になる。
ルールを破るのはハンデを埋めるため、毒を盛れば勝てる、人質を取れば勝てる、それならばやるだけ。
それができないのは覚悟が足りないから。
なにがなんでも叶えてやるという意思が弱いから。
努力し、工夫し、覚悟も見せる、より渇望した者の手に栄光が舞い降りる。
それこそが彼の信仰であり正義なのだ。
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